第七章 蘇った記憶

 それからさらに六十年が経過した。わたしが、あの銀杏の木の下で目覚めて百年経ったことになる。わたしは未だに若いままだ。今のわたしを知るものはいても、過去のわたしを知るものはいない。わたしは、人魚の血でも飲んだのだろうか? 永遠にこの姿のまま生きるのだろうか?
 人は死を恐れ、永遠に生きることを望む。しかし、それは友人や知人、または愛する人がいてこそだ。独りぼっちで、生きることがどれほど辛く、寂しいことか、誰にも理解しては貰えないだろう。

 わたしは十年振りに、智嗣が事故で死んだ現場を訪れた。その場所に佇み、両手を合わせる。わたしを振り返るものもいない。その場を立ち去ろうとして、すぐそばに小さな社があるのに気付いた。その社は、わたしが目覚めた銀杏のそばにあった社と同じような造りのものだった。
 気になって、鬼瀬村にある、あの社へ向かった。鬼瀬村には、今やもう、わたしのことを知る人間は誰もいないはずだ。
 電車を降り、タクシーで目的の社へ向かった。村は六十年前の面影はなく、大きな倉庫が立ち並ぶ、流通センターに変わり果てていた。
 記憶を頼りに、社の近くらしい場所で、タクシーを降りて探して歩いた。三十分ほど探して、白いコンクリートの建物のそばに、目的の社があるのを見つけた。その社は、智嗣が死んだ現場にあったものと、寸分変わらぬものだった。同じ神様が祀られているもののようだった。
 何か関係があるのだろうか?
 銀杏の木はなく、その場所に白いコンクリートの建物がある。表札を見ると、大井研究所と書かれていた。
 大井研究所? 和彦の研究所だろうか? 和彦はあの時三十二歳だった。生きていても、もう九十歳を越えている。大井耕平は、八十九歳で亡くなったと聞いた。長生きの家系なら、生きているのかもしれないが・・・・。
 わたしは、そっと扉を開けて中へ入っていった。廊下の奥から人声が聞こえる。老人と若い女の声だ。老人の声には聞き覚えはないが、女の声は聞いた覚えがある。しかし、思い出せない。
 バチバチと大きな音がして、二人の悲鳴が聞こえた。わたしは、侵入者だと言うことを忘れて、奥の部屋は飛び込んだ。
 部屋の中には、老人がひとり倒れていた。女はいなかった。キョロキョロと探したが、どこにもいないのだ。
 老人が目を覚ました。和彦によく似ているが、年は六十くらいだろう。和彦に息子が生まれていれば、これくらいの年になっているはずだ。
 「早苗、何が起こったんだ? あれ!? 早苗、いつのまに着替えたんだ?」
 どうして老人は、初対面なのにわたしの名前を知っているんだ? いつのまに着替えた? どういう意味だ?
 その時突然、意識が途絶えた。テレビのスイッチを切るように。

 突然、目が覚めた。わたしは堅いベッドの上に寝かされていた。老人がわたしを覗き込んだ。
 「まったく、不良品をつかませやがって。早苗、続きをやるぞ」
 この時思い出した。わたしが、どこの誰かということを・・・・。



 腕時計を見た。そろそろ午前0時になろうとしていた。早く帰ると約束したのに、結局午前様になりそうだ。早苗は午前0時になると寝てしまう。0時を過ぎると、どんなことをしても目を覚まさない。今日は、お休みを言えそうもない。
 早苗と出会ったのは、四年前、父の経営する小さな医院だった。いつものように正月の帰省のため、鬼瀬村にある園田医院の門を潜った。
 父から、身の回りの世話をしている女性がいるとは聞いていたが、会うまではそんなに若くて美しい女性だとは思ってもみなかった。
 振り袖を着た早苗は、輝くばかりだった。美人だと言うだけではなく、気だても良く、細かいところにも気がつく女性で、わたしはいっぺんに惚れてしまった。
 翌日、わたしは早苗に求婚した。記憶喪失で、どこで何をしていたのかまったく分からないとのことだったが、わたしはそんなことを気にしなかった。わたしの求婚に早苗は驚いていたが、わたしの申し出を絶対受けてくれると思っていた。
 その日以来、わたしの心の中は、早苗で一杯だった。早苗が結婚を承諾してくれたとき、どれほど嬉しかったか表現しようもない。
 父に、孫の顔を見せてやりたかったが、それは果たせなかった。元気だった父が、突然肺ガンで死んでしまうなんて思いも寄らなかった。
 子どもには恵まれなかったが、早苗さえそばにいてくれれば、それでいいと思っていた。
 早苗のために、一生懸命仕事で頑張り、この若さで支店長の内示が下され、今日は昇進祝いが行われた。早く帰って、早苗と祝杯を挙げる予定だったのに、主人公がいなくなってはお祝いができないと言われ、とうとう、この時間になってしまった。
 タクシーは、猛スピードで走っている。わたしは酒にはかなり強い方だが、今晩は少し飲み過ぎて、眠気がする。わたしはタクシーの後部座席で、うとうととしていた。
 走り始めてどれくらい経ったろう? 突然急ブレーキが掛かり、わたしの体は前に押し出された。驚いて目を開けると、フロントガラスから、真っ黒なトラックの後部が迫ってくるのが見えた。
 表現しようもない大きな金属音がして、タクシーはトラックに追突した。その瞬間、フロントガラスを何かが突き破った。わたしの首に痛みが走り、わたしは意識を失った。

 目を開けると、老人の顔が見えた。白髪の分厚い眼鏡をした老人だ。ひげも真っ白だ。白衣を着ているようだ。医者だろうか?
 老人は、わたしの目を覗き込んだ。それから、手をわたしの目の前で二,三回振った。わたしの目が見えるかどうか確かめているようだ。
 「気がついたか?」
 口は動いているようなのに、声が出なかった。仕方がないので、瞬きをしてそれに答えた。
 「少しの辛抱だ」
 老人の顔が視界から消え、天井が目に入った。蛍光灯らしいものがないのに、天井は光り輝いていた。どうやって照明しているんだろう? 柔らかい感じなのに暗さを感じない。こんな照明だったら、新しい支店に採用できるな。そんなことを考えていた。
 ブーンと言う音がし始め、わたしは、再び意識を失った。

 唐突に目が覚めた。わたしは座っていた。イヤ、体がどうなっているのか分からなかった。どうなっているか見ようとしたが、目しか動かせなかった。目の前には、ステンレスの机が広がっていた。机の向こうには、いろいろな計器が点滅していた。
 ステンレスの机が目の前にある!? わたしの体はどうなっているんだ?
 わたしの目の前に、老人が顔を出した。横から、覗き込んでいるようだ。
 「分かるか?」
 わたしは、瞬きしようとしたができなかった。訳が分からない。老人が、わたしの目の前で、また手を振った。
 「分かるようだな」
 そう独り言を言った。それから、老人はわたしの頭を持って、ぐるりと百八十度廻した。そう、わたしの頭をぐるりと百八十度廻したのだ。わたしがどれくらい驚いたか、誰にも想像できないだろう。
 目の前に、金属の壁があった。ちょうど鏡のようにわたしが映し出されていた。その姿は・・・・。
 『ターミネーター』と言う映画を見た人も多いだろう。あの映画で最初に出てくる殺人ロボットを覚えているだろうか? シュワルツネッガーの骨格を真似て作った銀色に輝くロボットだ。
 目の前にあるのは、あのロボットと同じ様な輝きを放つ首だった。首だけが、テーブルの上に置かれていた。
 「体を付けてやるからな。また少しの辛抱だ」
 唐突にまた意識が切れた。

 スイッチを入れたように意識が戻った。天井が見えた。首を動かすと、老人の後ろ姿が見えた。首が動く!
 「気分はどうだ?」
 老人がわたしの方を振り返って、そう聞いた。そう聞かれて、まったくどうもないことに気付いた。そうしてから、意識が戻る前のことを思い出した。テーブルの上にある金属製の首。首だけのわたし。しかし、今のわたしには、感覚があった。手も足もある。息だってしている。あれは夢だったに違いない。
 ゆっくりと起きあがってみた。楽に起きあがれる。起きあがると、さらさらと長い髪の毛が落ちてきた。どうして髪の毛がこんなに長いんだ? わたしは落ちてきた髪の毛を、手で掻き上げようとした。その手はわたしのものではなかった。細くてしなやかな手だ。
 両手をじっと見た。視界に胸が入ってきた。形のいい乳房だ。わたしはビックリして、振り向いて金属の壁を見た。そこに映ったものは・・・・、女だった。しかも、その女は、・・・・早苗だった。その早苗が、わたしだった。
 「どうして・・・・」
 老人が近づいてきた。その顔はニコニコとしていた。
 「どうだ? 気分は?」
 「これはどういうことだ?」
 自分の発した声は、聞き覚えのある早苗の声だった。ますます分からない。
 「女の体で申し訳ない。それしかなかったものだからな」
 「説明してくれ。どうなっている」
 「うーん、どこから説明しようか・・・・」
 「どこからでもいい。納得のいく説明をしてくれ」
 「その前に、君の名前を聞いておこう」
 「わたしの名前は、大森智嗣だ」
 「大森? 何処かで聞いた名前だが・・・・。まあ、いい。じゃあ、説明しよう。わたしの名前は、大井一郎。父の代から、ロボットの研究をやっている」
 「ロボット?」
 「そう、ロボットだ。それも、わたしの場合は、人間そっくりなアンドロイドの製作だ」
 「アンドロイド!?」
 まさか、この体がアンドロイドだなんて言い出すんじゃないだろうな。
 「この体は、そのアンドロイドだなんて言わないだろうね」
 「そうだよ」
 老人はこともなげにそう言った。そんな馬鹿な! 信じられない。アンドロイドはもちろん、まともなロボットもできてはいないというのに・・・・。
 「わたしの父は、五十年前、ほとんど人間のように機能するロボットを作り上げた」
 「人間のように機能するロボットなんて、そんな話は聞いたことがない」
 「君は何を言っているんだ? 君のうちには、お手伝いロボットはいないのか?」
 お手伝いロボット? 老人は、さも当然のようにそう言った。どういうことなんだ?
 「二千三十年から実用化されて、最近ではどこの家庭にも、お手伝いロボットがあると聞いているが・・・・」
 二千三十年に実用化された!? 老人は頭がおかしいのでは・・・・。わたしは老人の顔をじっと見た。老人は気が狂っているようには見えない。それが事実なら、今は何年なんだ?
 「・・・・今は西暦何年ですか?」
 わたしは恐る恐る聞いた。
 「今か? そんなこと聞かないでも分かるだろう?」
 分かった。頭に浮かんだのだ。二千九十年六月一日だ。時刻は二十一時二十八分十三秒。・・・・わたしは・・・・未来にいる。
 「しかし、お手伝いロボットは命令されたことだけをこなす、奴隷のようなロボットだ。わたしは父のあとを引き継ぎ、自分で考え、行動するロボットの研究に取り組んだ」
 わたしは老人の話をじっと聞いていた。
 「形はすぐにできた。形は、父が、わたしの母と結婚する十年くらい前に、三年ほど一緒に暮らした早苗という女性の姿だ。写真が残されていたから、その写真を参考にした。体のサイズは、わたしの考える理想の女性像を使った。皮膚は、父の同僚が開発したもので、本物と見分けがつかないくらいだ」
 そう言われて、手で自分の顔、反対の手を触ってみた。これがロボットだなんて信じられない。自分の姿が女でなかったら、とうてい信じないところだ。
 「見かけが確かに人間そっくりなんだが、それだけでは、お手伝いロボットと変わらない。人間のように考え、行動させるためには、プログラムが大変なんだ。自己学習型のCPUを使っているんだが、知識は埋め込めても、感情とか言ったものは無理なんだ。その研究に三十年を費やした。しかし、うまくいかなかった」
 今のわたしが、アンドロイドだとしよう。うまくいかなかったのに、どうして感情があるんだ?
 「わたしは考えた挙げ句、人間の脳からそれを引き出してアンドロイドに与えることを思いついた」
 「ええっ!?」
 「予備実験がうまくいって、誰か早苗に相応しい人間を捜していたんだが、なかなか見つからなくてね。ところが、一ヶ月前、突然君の首が研究室に降って沸いたんだ」
 「降って沸いた!?」
 「そうだ。最初は驚いたよ。バチバチという放電と共に、君の首が現れたからね。しかし、わたしは、これは神様が導いたのだと思った。人間は首だけでは生きていけない。どこから来たかは知らないが、首はまだ生きていた。わたしは、すぐに栄養チューブをつないで、首だけを生かすことに成功した」
 あの時、首に衝撃を受けて気を失ったあとに気付いたときは、わたしは首だけだったんだ。
 「そして、すぐに君の脳から、記憶のすべてを早苗に移し替えたのだ」
 「信じられない」
 「事実だ。ところで、君はどこからやってきたんだ?」
 「神戸、須磨区の路上をタクシーで走っていた。タクシーがトラックに追突して、首に衝撃を受けた」
 「神戸の須磨区ねえ。随分遠くから首が飛んできたものだ」
 「遠くからと言うだけじゃなく、わたしが、わたしが事故にあったのは、1999年3月26日金曜日だ」
 「なに!? 1999年?」
 「そうです」
 「90年前からやって来たのか。何とも不思議な話だ」
 「わたしの首は、わたしの首は、今はどこに?」
 「消えた」
 「消えた?」
 「そうだ。記憶の移し替えが終わったとたん消えた。まるで、そのためにだけ、ここにやって来たみたいにな」
 「元の時代に戻ったんでしょうか?」
 「確かめようがない」
 「そうですね。ところで、わたしの妻は、大森早苗と言ったのですが、博士のお父さんが暮らした早苗さんというのは、いくつくらいの人でしょうか?」
 「二十五から三年間一緒にいたらしい」
 「何年前の話しですか?」
 「七十年ほど前だよ」
 「じゃあ、わたしの妻とは違いますね。妻は1969年生まれだったから」
 「ちょっと待てよ。父の日記に書いてあったな。早苗の母親の名前も早苗だったと。ちょっと、待っててくれ」
 大井博士は、隣の部屋に入っていくと、すぐに古い日記帳を持って出てきた。
 「やっぱりそうだ。父が暮らした早苗さんは、大森早苗さんの娘だ。つまり、あなたの娘と言うことになる」
 「わたしの娘ですか。わたしに娘ができていたんですか」
 涙がこぼれた。
 「大森早苗さんは、君が事故で死んだとき、妊娠していて、産み落としたあと亡くなったと早苗さんに聞いたと書いたある」
 「早苗は・・・・死んだのですか」
 「そう書いてある」
 「わたしの娘がモデルなんですか。そうですか」
 「君は男だから、男の方が良かっただろうけれど、それしかなかったんだ。緊急避難だったんだ。勘弁してくれ」
 「ずっとこのままなんですね」
 「いや、方法はある」
 「えっ!? どうするんですか?」
 「男のアンドロイドを作って、君の記憶を移せばいいだろう」
 「そんなことができるんですね」
 「もちろんだよ」
 「すぐにお願いします」
 「待て、待て。そう簡単にはできない。材料が少し足りないし、飯を炊くようにはできん。人間の子どもだって、10ヶ月掛かるだろう?」
 「それはそうですけど、どれくらい時間が掛かるんですか?」
 「順調にいって、2年。トラブルがあれば3年以上は掛かるだろう」
 「3年以上!」
 「うまくいかなければだよ」
 「わたしが手伝います」
 「そんな知識があるのかい?」
 「・・・・ぜんぜんありません」
 「そうだろう。しかし、誰もいないよりはましだな。早速取りかかることにするか」
 「顔は? 顔は元の顔にして貰えるんですか?」
 「もちろんだよ」
 「わたしの顔を覚えているんですか」
 「写真を撮ってあるんだ。だから大丈夫だ」
 「写真があるんですね。見せてください」
 「見ない方がいいんじゃないか?」
 「えっ!? どうしてですか?」
 「君は首だけだったんだよ」
 「・・・・それでもいいです。自分の顔に間違いないか確かめておきたい」
 「じゃあ、そこで待ってなさい」
 博士は、再び隣の部屋に入っていった。ごそごそと探している。わたしは、金属の壁に自分の体を改めて映してみた。見覚えのある早苗の肉体だ。この体がロボットだなんて、ほんとに信じられない。
 わたしは、ふと視線を足元に落とした。そうしてから、壁に映った女が、自分だと改めて気付いた。この気分は恐らく誰にも分かって貰えないだろう。それまで、壁に映った女を他人のように見ていた。しかし、間違いなく自分がその女であることを知ったとき、急に恥ずかしくなった。わたしは全裸だったからだ。
 周りを見回したが、着るようなものはなかった。机の上から飛び降りて、博士が消えた部屋の方へ歩いていった。
 ひょいと博士が部屋の中から顔を出した。
 「あったぞ。これだ」
 博士が差し出した写真には、間違いなくわたしの顔が写っていた。金属のトレーの中にわたしの頭部がごろんと転がっていて、首の付け根から何本かのチューブが出ていた。わたしの首を生かすために博士が入れたチューブだろう。
 「わたしです。間違いなく・・・・」
 「間違いないのは分かっている。この首から記憶を君に移しんたんだからね」
 「博士。着るものはないですか?」
 「おう、そうだな。動くまでは、ただの人形と一緒だったが、こうして動き出すと、若い女と変わらんからな。君も恥ずかしいだろうが、わたしもちょっと目のやり場に困る」
 「お願いします」
 「下着なんてものは用意していないから、トレーナーで勘弁してくれ。そのうち買い物に行こう」
 「我慢します」
 博士が部屋から持ってきたグレーのトレーナーを着た。下着なしで服を着るのは、何だか気持ちが悪い。そう思いながら、そう感じていることが不思議だった。体の感覚がこれまでと変わらないのだ。もちろん女だと言うことは除いてなのだが・・・・。
 ロボットではなく、生身の人間にわたしの脳が移植されたのではないかと疑ってしまう状態なのだ。
 「博士。本当にこの体はロボットなのですか? まるで本物の人間のように感じますけど」
 「その体を作るのには、三年十ヶ月掛かった。はっきり言って、人間と変わらんよ。中身が機械で、脳味噌が人工頭脳だと言うことを除けばね」
 「信じられないです。九十年でこんなに科学は進歩したんですね」
 「ここだけだよ。世間では、人間型のロボットはいるが、これほど精巧なものはまだない。君は、イブだよ」
 「イブ?」
 「そう。アダムとイブのイブだ。これから、アダムを作るわけだ。順序が逆になってしまったがね」
 「なるほど、そうなんですね」

 翌日、わたしは博士に連れられて、女物の下着と服を買いに行った。博士は、わたしに女らしい格好をさせたがったが、下着はともかく、スカートなんて穿く気にはならない。ジーンズを数本と、Tシャツとあまり派手でないブラウスを買わせた。
 デパートで着替えて、そのまま、ロボットの材料を仕入れについていった。博士が注文している間、椅子に座って待っていたのだが、男どもがわたしに色目を使うのだ。この男たちが、今のわたしが人間そっくりなロボットで、電子頭脳の中身が男だと知ったら、どれくらい驚くだろうかと思って、内心面白がっていた。
 博士は、父親と自分が取得したロボット関係の特許から得られるお金で暮らしているという。その金額というのは、かなりのものらしいが、はっきりとは教えてくれなかった。ただ、博士はそれらの大部分のお金を、今のわたしの体を作ることに費やしたようだ。
 「今度は要領が分かっているから、材料が無駄にならないし、仕上がりも早くなるだろう」
 「二年でできますか?」
 「やってみないと分からんがなあ」

 早速本体の作成に入った。手作りだと思ったのに、ほとんどが機械任せだ。ただ、機械が動き始めるまでに、コンピューターへデータを入力するのが大仕事のようだ。そのまま機械を動かせば、女の体ができてしまうと言う。男の体を作るために、データを変更しなければならないのだ。
 指が一本一本作られ、各々が連結されて手首から先が仕上がり、さらに部品が連結されて腕ができた。右腕だ。付け根にコードをつないで、動くかどうか実験する。金属の腕が、人間の腕のように動く。
 「皮膚はいつ付けるのですか?」
 「本体ができあがってからだ」
 左腕ができた。実験も成功。順調に進んでいる。それでももう二ヶ月を要した。両足が揃ったときには、制作を始めて五ヶ月が経過していた。
 わたしは、直接には博士の手伝いができないので、食事の準備や、洗濯など、主婦の仕事を担当した。そんなことはしたこともないのに、わたしは、いろんな料理を作れるのだ。不思議でならなかった。
 「料理のレシピをインプットしてあるんだ」
 それで納得した。博士が言うには、わたしの記憶をインプットする前のベースとして、いろいろなプログラムをインプットしてあるとのことだ。料理は勿論のこと、生け花や着物の着付けもできると言う。
 「そうだ。コンピューターの制御をするプログラムを君に入れよう。そうすれば、君に手伝って貰える。どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったんだ」
 二日がかりで博士はわたしにプログラムを入れた。入れ終わったとたん、それまで何も分からなかったモニターの画面が、ひらがなを読むように分かるようになった。
 わたしが、直接的にロボットの制作に関わるようになって、行程は急速に進行した。

 ロボットの制作を始めて一年後、ついに本体ができあがった。テーブルの上には、銀色に輝くロボットが横たわっていた。
 「できましたね」
 「君が手伝ってくれたお蔭で、予定より早く仕上がったよ」
 「このままでも動くんですか?」
 「バッテリーを入れて、電子頭脳にプログラムを入れてやれば、動くよ」
 「動かしてみないんですか?」
 「動くことは分かっている。仕上がってからにしよう」
 「はい。次は、人工皮膚ですね」
 「皮膚だけではなく、筋肉や血管も付ける。センサー付きのね」
 「じゃあ、簡単には、いかないですね」
 「だから時間が掛かると言っただろう?」
 「頑張って手伝います」
 「ああ、君の次の体だからね。ところで、そのワンピースはよく似合うね」
 「ありがとうございます」
 そうなのだ。半年を過ぎたあとから、急にスカートを穿いてみたくなって、穿いてみた。鏡に映った姿を見るとよく似合っていた。その日から、ジーンズは捨てて、ずっとスカート姿だ。
 ちょっと疑問になったのは、急にスカートを穿きたくなった理由だ。博士がコンピューターの制御をわたしに任せるために、プログラムをわたしに入れたあとから、わたしの思考回路が変わったような気がするのだ。博士が、わたしがスカートを穿くようにプログラムしたのではないかと、わたしは疑っている。いや、それに違いないだろう。

 ロボットへの肉付けが始まった。この部分は、博士はまだ誰にも教えていない部分だと言うことだ。本物の人間と変わらないようにする部分だ。行程はなかなか進まない。
 「博士。わたしにも手伝わせてください。これではいつになったらできるのか分かりませんよ」
 「そうだな。君にプログラムを入れた方が、早く仕上がるかもしれんな。やってみよう」
 このプログラムの入力には一週間掛かった。一週間後、わたしは、博士の手伝いを始めた。
 「やっぱり、君にプログラムを入れて正解だった」
 「そうでしょう? 作業が随分早く進むわ」
 「助かるよ」
 「博士。お茶でも入れましょうか? 疲れたでしょう?」
 「そうだな。頼むよ」
 「ちょっと、待ってね」
 自分でも、少しおかしいと思う。博士は、ついでにわたしに別のプログラムを入れたようだ。どうも女言葉が出る。まあ、この体だから、仕方がないとしても、男の体に移すときには元に戻してくれるんだろうなとちょっと心配になる。
 ところが、言葉だけではなかった。博士は、わたしにとんでもないプログラムを加えたようだ。
 わたしはロボットだから、寝る必要はない。しかし、寝ないとおかしいからと、午前0時になると、眠ってしまい、午前六時半に目が覚めるようにプログラムされていた。
 何かしていて、午前0時になると、ばたりと倒れてしまうのを防ぐために、十分前に欠伸が出るようになっている。それを合図に、わたしは床に入るというわけだ。
 人間に近いのだから、それは別に問題はないのだが、博士が加えたもうひとつの新たなプログラムが問題なのだ。博士は、わたしに博士の相手をさせるというプログラムを入れたのだ。
 ロボットが人間とセックスできるのかという疑問が沸いたが、できるような構造になっているということは、一年前に聞いた。医者が診察しても分からないくらい精巧に仕上げてあると博士は言った。
 サイバーセックスの技術は、もう50年も前から確立していて、相手がいなくても、性的快感が得られるようになっているのだという。つまり、男にとっては腟が、女にとってはペニスが、本物と変わらない精度で作られており、脳神経を直接刺激することを併せて、実際のセックスと変わらない快感が得られるのだそうだ。その技術が、わたしの中に埋め込まれているのだ。
 わたしは男の相手ができるのだ。しかし、そんな気は更々なかった。わたしの近くに男は博士しかいない。たとえ博士がわたしに迫ろうとしても、わたしは断固拒否の姿勢を崩していなかった。
 ところが、その日以来、拒否するどころか、自分から博士の気を引くような素振りをする自分に気付いて、愕然となった。
 「博士!! わたしに変なプログラムを入れたでしょう!」
 「入れていないよ」
 「嘘よ。言葉は我慢するわ。でも、男の相手何てしたくないわ」
 「ほんとにしたくないか?」
 わたしの中にあった、男とはしたくないという意識がガラガラと崩れていくのが分かる。
 「・・・・してみたい」
 わたしの中には、自分はまだ男だという意識はある。しかし、自分は女なのだから、セックスする相手は、男でなければならないと言う意識が生まれていた。
 「そうだろう?」
 「おかしいわ。してみたいなんて、ずっと思わなかったのに・・・・。博士、やっぱりわたしに何かしたでしょう」
 「それでいいじゃないか。君は女なんだから・・・・」
 「そうですね」
 博士に言われると、すぐに納得してしまう。これも少しおかしいのだが・・・・。わたしは、博士の言われるがままだ。
 その夜、博士の誘いに拒みもせずにベッドを共にした。その後、三,四日おきに博士に抱かれた。男の体が、できるまでだ。それまでは、仕方がないと諦めていた。
 考えてみれば、博士が男の体を作ると言うことはサービスに過ぎない。別に無理をして作る必要はないのだ。それを作ってくれているのだから、わたしとしては、そのお返しをするべきなのだ。
 博士は、これまでにも増して仕事に精を出すようになった。
 一年経って、ほとんどできあがった。それなのに博士は、まだ何かをしている。わたしには見せたくないようだ。わたしが眠っている間にしていることだから、わたしには確認のしようがないのだ。
 さらに半年ほど経って、ついに完成の日を迎えた。まるでわたしが目の前に横たわっているような錯覚を覚えるくらいのできだった。
 「わたしは、少しお腹が出てきていたみたいですけど・・・・」
 「これじゃあ、不満かい?」
 「いえ、とんでもないです」
 「それじゃあ、記憶の転送をするかな。電極を付けるから、着ているものを脱ぎなさい」
 「下着も全部ですか?」
 「下着はいい」
 わたしは、服を脱いでショーツとブラだけになり、博士に言われるままにベッドの上に横になった。
 その時の博士の様子は少しおかしかったのだが、わたしは男の体に戻れる喜びで、気にも掛けていなかった。
 博士が、機械のスイッチを入れたとたん、バチバチと火花が飛んで・・・・。

 そう。あのあと、わたしは1995年の秋の、あの銀杏の木の下へタイムスリップしたのだ。今いる場所が、あの銀杏の木の付け根あたりなのだ。
 わたしはタイムスリップに影響で、自分がアンドロイドだと言うことを忘れ、大森智嗣の記憶も飛んでしまっていたのだ。いや、もしかすると、博士がわたしの大森智嗣としての記憶を消そうとしたのかもしれない。
 義父が、わたしは義父と何らかの関係があると死に際に言ったことは間違いがなかった。わたしは義父の息子だったんだから。
 わたしは過去の自分自身と結婚していた。そして、大井博士の父とも一緒に暮らしていたのだ。
 そして、帰ってきた。百年という長い道のりを経て・・・・。