ひと月の間、ほとんど泣いて暮らしたが、智嗣が残してくれたお金を食いつぶすわけにもいかず、わたしはアパートからそう遠くない喫茶店で働き始めた。
美人で、スタイルのいい店員がいるという口コミで、喫茶店は繁盛した。わたしが、子どものいない未亡人だと知ると、毎日のようにやってきて、わたしを口説くお客も少なからずいた。しかし、わたしはそんな気には絶対ならなかった。
マスターはいい人で、ずっとその喫茶店で働きたかったが、そう言うわけにはいかなかった。わたしはやはり年をとらないのだ。理由は分からなかった。
小人症という病気がある。成長ホルモンが上手く出なくて子どものままという病気だ。わたしみたいな大人が年をとらない病気などは、どの医学書にも載っていなかった。
化粧や髪型を変え、服装を地味なものにしても、わたしが年をとらないことは隠せなかった。三年目、わたしは親戚の元へ行くと嘘を付いて、喫茶店を辞めた。そうせざるを得なかった。
福岡に移り住んで、スーパーの求人広告を見つけて面接を受けた。面接した店長は、わたしの履歴書とわたしを見比べて、随分若く見えますねと、不思議そうな顔をした。
昭和四十六年十一月十五日生まれと言うことになっているわたしは、三十二歳のはずだが、どう見ても二十四、五歳にしか見えないから、他人の履歴書を使っていると思われてもおかしくはなかった。
ただ、わたしが女で、しかも美人だからだろう。店長は、それ以上何も言わないで、雇ってくれた。
このスーパーも、二年で辞めた。辞めざるを得なかった。年をとらないわたしをみんな化け物のように見始めたからだ。
福岡から、わたしは札幌へ飛んだ。わたしの顔を知っている人物がいないところへいくしかなかった。
もう自分の履歴書は使えなかった。わたしは、履歴書がいらない職場を探し、小さな食堂の店員の職を得た。ここでは二十五歳と偽って働いた。この食堂も三年で辞めた。
その後、わたしは日本全国を一から三年おきに転々とした。三年以上一カ所に留まれなかった。それ以上留まると、年をとらないことがばれてしまうからだ。
わたしが、あの銀杏の木に下で目覚めてから、三十年あまりが経った。わたしは少なくとも五十歳以上になるはずだが、あの時のまま、若いままだ。わたしの放浪の旅は続いている。
東京へ向かう途中、あの村、鬼瀬村の近くを通りかかったとき、わたしは懐かしさのあまり、列車を降りて、タクシーを走らせ、あの鎮守の前に降り立った。鎮守は三十年前と変わらない姿で、同じ場所にあった。この村の外では開発が進んでいるというのに、ここだけは三十年前にタイムスリップしたように変わってはいなかった。
銀杏の木に手をかけて、この根っこにわたしは横たわっていたのだなあと思いを馳せていた。
「ちょっと、もしかしたら、あんたは早苗さんじゃないのかねえ」
後ろから声をかけられてギョッとして振り向くと、何処かで見たことがあるような老人が立っていた。
「いや、そんなはずはないな。早苗さんは、もう五十四,五くらいになる。あんたは若い。・・・・しかし、よく似ているなあ」
老人は、わたしを頭の先からつま先まで何度も見た。
「あのう、あなたはどなたですか?」
「わしは、この近くに住む大井耕平というものじゃ。昔、この場所で拾った女の人とあんたがあまりにもよく似ていたから声をかけてしまったんじゃ」
老人は、三十年前わたしを助けてくれた警察官の大井だった。背が縮んで、僅かに残った髪も真っ白になり、深い皺が顔に刻まれていたから、気がつかなかった。わたしは懐かしさのあまり抱きつこうとするのをやっとの事で押さえた。
「大井耕平さんというと、わたしの母を助けてくれた人ですね」
「あんたのお母さんを?」
「そうです。母が三十年前、この銀杏の木の根っこに倒れていたのを助けていただいたと聞いてます」
わたしは、そう嘘を言った。わたしが早苗本人だというわけにはいかなかった。
「そうか。あの早苗さんの娘さんか。通りで似ていると思った。いや、懐かしいなあ。あんたのお母さんの話を聞きたい。うちに寄ってくれんか?」
「はい、喜んで」
大井は、よぼよぼと田舎道を歩いてゆく。わたしは周りの景色を見ながらついていった。大井はいくつになったのだろう? 三十年前、五十くらいだと思った。もう、八十前後になっているはずだが・・・・。
案内されたのは、平屋の大きな田舎屋だった。
「定年まで、この村の駐在にいたんじゃが、この村が気に入ってなあ。昔、長井という爺さんが、ここに住んどってな。その爺さんが死んだあとを、わしが買い取ったんじゃ。汚いところじゃが、まあ、上がっておくれ。おい、ばあさん! 客を連れてきたぞ」
「はい、はい。どなたをお連れしたんですか?」
奥から出てきた大井の奥さんは、わたしの顔を見てビックリしていた。
「早苗・・・・さん、じゃないわね」
「早苗さんの娘さんだ」
「そう。まあ、よく似ていること。早苗さんが戻って来たのかと思ってしまいましたわ」
「もう三十年も経つんだぞ。早苗さんがこんなに若いはずがないだろう」
「それもそうね。あら、こんな話しばかりして。どうぞ、上がってくださいな」
ふたりは、まるで孫が遊びに来たときのように嬉しそうにして、わたしを歓迎してくれた。
「で、お母さんは、早苗さんはどうしてるの?」
わたしは、この家に向かって歩いている間に考えた作り話をすることにする。
「母は、わたしを産んだあと亡くなりました」
「えっ!? 亡くなった!?」
「ええ。父が事故でなくなったのは、ご存じですか?」
「あなたのお父さんというと、園田先生の息子さんですよね。ねえ、あなた」
「ああ、そうだ。二十五,六年前、事故で亡くなったと聞いている」
「あの時、母はわたしを妊娠していたんです。流産こそしなかったものの、無理が祟って、わたしを産んだあとすぐに亡くなったんです」
「そうだったんですか・・・・」
「わたしには身寄りがなかったものですから、ずっと施設で育てられました」
「で、あんたの名前は? 名前を聞いてなかったな」
わたしは、どう答えようか迷っていた。早苗以外の名前にした方がいいような気がしていたのだが、他の名前で呼ばれることには抵抗があった。
「母はわたしに名前を付けないで亡くなったので、施設の人が、母の名前をそのままわたしに付けたのです」
「ということは、あなたも早苗さんなんですね」
「そうなんです。変なんですけど、わたしも大森早苗なんです」
「そうか、早苗さんか。まるで、あの時の早苗さんが戻ってきたように感じるなあ」
大井耕平は、ポロッと涙をこぼした。
「これからどこへ行くんですの?」
「東京へ行こうと思っています」
「東京へねえ。もうこの時間だ。駅まで行っても、東京行きは、もうないなあ。早苗さん、どうだろう? 今晩、ここへ泊まっていかんかね。何にもないが・・・・。なあ、ばあさん、いいだろう?」
「そうなさいましよ。早苗さん」
駅近くまで戻って、ホテルを取ってもよかったが、わたしは二人の好意に甘えることにした。
「はい、ご迷惑でなかったら、そうさせていただきます」
「よかった。ばあさん、腕によりをかけて旨いものをご馳走してやってくれ」
「旨いものって言ったって、田舎料理ですからね。気に入って貰えるかどうか分かりませんけど」
「わたしもお手伝いしますわ」
わたしは、大井の奥さん、和子さんと台所に列んで料理を始めた。その間に、大井は風呂を沸かしている。料理が仕上げに掛かる頃、大井が台所に顔を出した。
「早苗さん、先に風呂に入ってくれ。いい湯加減になっている」
「いえ、わたしより、大井さんがお先にどうぞ」
「早苗さん、遠慮するな。今日はあんたはお客さんなんだから、先に入ってくれ。さあ、さあ」
「・・・・じゃあ、お言葉に甘えまして」
わたしは、ボストンバッグを抱えて、浴室に入っていった。パジャマを持っていないのだが、どうしようか? 普段着のワンピースを着ようか? そう思っていると、外から声が掛かった。
「早苗さん、浴衣をここに置いておきますから、寝間着代わりに着てくださいな」
「はい、申し訳ありません」
三十年前もこうやって入浴したなあと、妙な感慨が沸いてくる。ふと思った。わたしはこの三十年間、まったく変わらない。と言うことは、三十年前の、その前もずっと変わっていない可能性がある。あれ以前、わたしはどこで何をしていたのだろう? わたしは誰なんだろう? 考えても分からないのに、湯船の中でわたしはじっと考えていた。
「早苗さん、大丈夫?」
「あっ、はい。大丈夫です。もう上がります」
「あんまり出てこないから、心配になって」
「すみません、長湯をしてしまって」
浴衣を着て居間に戻ると、大井が入れ替わりに風呂場へ入っていった。あの時もそうだったなと思う。
「ほんと、あの時の早苗さんとそっくりね」
わたしは思わずどきりとした。あの時と同一人物だなんて口が裂けても言えない・・・・。
大井が風呂から上がってきた。その姿を見てビックリした。
「あのう、腕は・・・・」
大井の右手は、肘から先がなかった。
「ああ、ビックリさせてすまん。義手をしていたものだからな」
「義手!? 気がつきませんでした」
「孫が作ってくれたんだが、見かけはともかく、重くてかなわん。外に出るときだけ、体裁に付けとるんじゃ」
「どうして腕を・・・・」
「駐在を定年になってから、農業をやり始めたんじゃが、六十二の時じゃったが、耕耘機のベルトを直そうとして、腕を巻き込まれてしまってな。このざまじゃ」
「そうだったんですか」
「孫が、わしを可哀想に思ってな。義手を作ってくれとるんじゃ」
「お孫さんが、義手を」
「まあ、体のいい実験台じゃがな」
「誰が実験台だって」
がらりと襖が開いて、青年が居間へ入ってきた。背の高い好青年だった。
「なんじゃ、来たのか。おう、紹介しよう。いつか話したことがあるだろう? 三十年くらい前に、鎮守の銀杏の木の下で拾った美人がいたという話しを」
「まさか、この人じゃあないだろうね」
「その人の娘さんだ。早苗さんと言うんだ。早苗さん、孫の和彦じゃ」
「初めまして、早苗です。昔、母が大井さんにお世話になりまして・・・・」
「和彦です。いや、早苗さんておっしゃいましたね。いや、美人ですね」
わたしは恥ずかしかった。そんなことを言うと厚かましいだろうけど、美人だというのは言われ慣れている。しかし、和彦に美人と言われることがひどく恥ずかしかった。
この三十年間、いい男と言われる連中に何度となく口説かれたことがあるが、一度もその気になったことはなかった。それなのに、わたしは和彦の顔を見たとたん、この人に抱かれたいと思った。智嗣以外の男に惹かれたのは初めてだった。そんな和彦に美人だと言われたから、余計に恥ずかしかったのだ。
わたしは和彦に何故か不思議な運命を感じた。和彦もわたしの運命に大きな影響を及ぼすと。
「じっちゃん、今日は新型の義手を持ってきたんだ。付けてみてくれ」
「やっぱり、実験台じゃろう」
「いいから付けてみろよ。さあ」
「きゃっ!」
「早苗さん、驚かないでいいよ。これは義手だから」
和彦がバッグの中からとりだした義手は、切断された本物の腕が取り出されたのでないかと思うくらい人間の腕そっくりだった。
「ほう、これは凄い出来じゃ」
「特殊な金属を使って、軽くしたからね。気に入って貰えると思うよ」
「まるで本物のようだな」
「人工皮膚のいいのが手に入ったからね。触った感じも生身と変わらないだろう?」
「確かにな。じゃが、死人の腕のようじゃな」
「死人の腕はないだろう? ちょっと動かしてみな」
「えっ!? 動かす?」
「腕の筋肉の動きをキャッチして、指が動くようにしたつもりなんだけど・・・・」
「動かないぞ」
「実験室ではうまくいったんだ。ほら、腕の筋肉を動かすつもりでやってみてよ」
大井耕平は腕に付けた腕を懸命に動かそうとしている。そうするうちに、義手の指がゆっくりと動き始めた。信じられない。握ったり開いたりするのだ。
「やった。大成功だ」
「和彦、これは凄いぞ。まるで、自分の手のようだ」
「そうだろう? 練習すれば、指の一本一本が動かせるようになると思うよ」
「ありがとう、和彦」
大井は、ボロボロと涙を流し始めた。
「泣くなよ、じっちゃん。いい大人がみっともないよ」
「和彦さん、凄いですね」
「じっちゃんの腕を作って上げるのが、小さいときからの夢だったからね。これで夢が叶ったよ」
幼い頃から、片腕の祖父の義手を作ってやろうという夢を持っていた和彦。それが今叶った。わたしももらい泣きした。
「和彦、飯食ってないんだろう? 食っていけ」
「ばっちゃんの煮っ転がしは、旨いんだよね」
食事が済むと、今度は義手完成のお祝いとなった。和彦は義手完成までの長い道のりの話しを酒を飲みながら、こまごまと話しをした。わたしは母の友人から聞かされたと偽って、作り話をした。酔いつぶれた和彦もその夜泊まっていくことになった。
いつものように、六時半に目が覚めると、わたしは大井の奥さんと一緒に朝食の支度をした。朝食の準備ができた七時半過ぎ、二人が起き出してきた。
「ああ、よく飲んだわい」
「じっちゃん、義手の調子はどうだい?」
「いい調子だ。この通りだ」
大井は、義手の指を動かして見せた。
「和彦、おまえ、車だろう?」
「そうだよ」
「じゃあ、朝飯を食ったら、早苗さんを駅まで送って貰えるか?」
「ああ、いいよ」
「いいんですか?」
「ちょっと寄り道すればいいだけだから、遠慮しないでいいよ」
「じゃあ、お願いします」
朝食が済んで、わたしは身繕いを済ませると、ボストンバッグを持って、和彦の車に乗り込んだ。送って貰える時間だけでも、和彦と一緒にいられる。そんな思いで一杯だった。
「早苗さん、こちらに来ることがあったら、必ず寄ってね」
「はい。是非寄らせていただきます」
手を一心不乱に振る二人を残して、わたしを乗せた和彦の車は駅に向かって走り始めた。しばらく走ると、園田医院の前に出た。経営者は変わっているはずなのに、未だに園田医院のままだった。
「和彦さん、ちょっとここで停めてくださる?」
「いいよ」
車から降りて、園田医院の玄関を覗いた。受付の様子も、何もかもが三十年前とは変わっていなかった。少し古ぼけただけだ。
中から、ばたばたと太った看護婦が飛び出てきた。顔に見覚えがある。さっちゃんだ。さっちゃんは、今やどこからみても中年太りのおばさんだ。今のさっちゃんを見たら、さっちゃんが男だったなんて、信じる人は絶対いないだろう。
「早苗さん・・・・じゃないわよね」
「初めまして、母がお世話になりました。娘の早苗です」
「早苗さんの娘さんですか。そうですか。本人かと思っちゃったわ。そんなはずはないけど・・・・」
「母を知ってる方には、みんなそう言われます」
「ほんとそっくりね。懐かしいわ。ちょっと上がってお茶でも飲んでいかない?」
「いえ、列車の時間がありますから、また寄らせていただきます」
「お母さんは? あなたのお母さんは元気なの?」
また嘘を付かなければならない。
「母は、二十五年前に亡くなりました。わたしを産んだあと・・・・」
「・・・・そうなの。もう一度会いたかったわね。列車の時間があるのなら仕方がないわね。こんどまた、ゆっくり来てね。お母さんの話をしたいから」
「はい、是非寄らせていただきます」
「じゃあ、お元気で」
ずっと話していると、わたしが早苗本人だと気付かれそうな気がしていた。さっちゃんなら、きっと見破られる。ほんとは打ち明けて、ゆっくり話したかったが、そんな思いを胸に秘めて、わたしは和彦の車に乗り込んだ。
「早苗さん、東京へは急ぎの用事なんですか?」
「いえ、あてはないんですけど」
「えっ!? じゃあ、そんなに急がなくても良かったんじゃないの?」
「そうなんですけど・・・・」
和彦は、ちょっと不審そうな顔をした。わたしが逃げるように園田医院を離れたことが気になっているようだ。
車は、突然方向を変えた。どこにいくんだろう?
「あのう、和彦さん。どこへ?」
「時間があるのなら、園田先生の墓参りに行ったら、どうかと思ってね」
「ありがとう。お父さんの墓参りに行かなきゃね」
「えっ!? お父さんの墓参り?」
「あっ、いえ。母のお父さんのって意味です」
「そう」
和彦は、何か気付いただろうか? 黙って車を小高い丘の上へと走らせた。
義父の墓は、村を見下ろせる丘の頂にあった。まるで、村を守っているように。わたしは、墓に向かって手を合わせた。早くわたしの旅が終わりますようにと願った。
丘を下り、車は駅へと向かう。駅に着けば和彦とお別れになる。別れたくはないと言う思いが募るが、長く一緒にいられない以上、今のうちに別れていた方がいいのだ。そう、自分に言い聞かせていた。
「早苗さん、ちょっと早いけど、昼飯を一緒に食わないか? 列車の中で駅弁をひとりで食べるのは味気ないだろう?」
「でも・・・・」
「ぼくもひとりで食べるのは寂しいんだ。付き合ってくれないか?」
わたしは、和彦のちょっと寂しそうな笑顔に、うんと頷いた。車は駅から離れ、少し郊外のレストランへと向かった。
食事をしている間中、和彦はわたしに何か言いたげだった。しかし、ひと言も喋らず、食事を終えた。
レストランを出て、駅へ向かう道の途中、和彦は突然車を路肩に停めて、わたしの方を向いた。
「早苗さん、東京にあてがないんだったら、ぼくのそばにいてくれないか?」
わたしは、その言葉を待っていた。しかし、うんと言うわけにはいかなかった。
「あてがないんだろう?」
「・・・・ないわ」
「だったら、いいだろう? お願いだよ」
「理由は言えないけど、わたしは一カ所に長く留まれない女なの。それでもいいの?」
「ぼくが留まらせてみせる」
そう言うと、和彦はわたしに唇を重ねてきた。いけないと思いながら、わたしの体は麻痺したように動けなかった。和彦に口づけは甘かった。
その日から、わたしは和彦と暮らし始めた。別れなければならない日が来ることが分かっていながら、わたしは和彦のそばから離れられなかった。
それまで、ただ生きるためだけに働いてきたが、和彦のためにする炊事、洗濯、掃除のどれもが嬉しくて溜まらなかった。
和彦は、大学の研究所にいて、ロボットの研究をしているらしい。大井耕平の義手も、その研究の成果のひとつだと聞いた。ゆくゆくは、人間と同じ様なロボットを作るんだと張り切っている。
一緒に暮らし初めて一ヶ月目、ふたりで黒部立山アルペンルートに出かけた。滅多に無いという快晴で、黒部ダムから放水される水しぶきの周りにできた虹は美しかった。室堂平を二人で散策し、草の上に座って手作りに弁当を食べた。夏だというのに、雪が転々と残っていた。ビニール袋をお尻に引いて、簡易橇で遊ぶグループもいた。わたしと和彦は、雪を丸めて、投げ合いっこをした。楽しかった。まるで、新婚旅行のようだった。
和彦は、何かを察しているのか、わたしに結婚しようとは、決して口に出さなかった。そうこうしているうちに、一緒に暮らし始めて三年目の夏が来た。
『早苗はいつまでも変わらないな』と言う和彦の言葉に、わたしは出発の決心をした。再び放浪の旅への・・・・。
和彦を大学へ送りだしたあと、わたしはそれまでと同じように、ボストンバッグに必要最小限の荷物を積めた。涙があとからあとから沸いてきた。別れたくはなかったが、行かなければならないと自分に言い聞かせた。
『和彦さん。わたしは、また旅に出ます。できることなら、あなたのそばに留まりたかった。それは本当です。でも、わたしには、あなたのそばにいられない事情があるのです。
さようなら、和彦さん。直接お別れをしなくてごめんなさい。あなたの顔を見たら、別れの言葉を言えなくなってしまうから、あなたがいない間に出ていきます。探さないでください。
あなたを愛しています。早苗』
辛かった。事情を話そうと何度思ったことかしれない。しかし、そのたびに思い止まった。黒部ダムで撮った写真を一枚胸に抱いて、わたしは二人で暮らしたアパートをあとにした。
和彦がわたしを捜していることが耳に入ったが、わたしは決して振り返らなかった。戻ってもどうしようもないのだ。
十年後、和彦が結婚したらしいと言う噂を耳にした。良かった。そう思ったが、それは偽りの気持ちだと自分でも気がついていた。