第二章 園田医院にて

 何日経ってもわたしの身元は分からなかった。記憶も戻らなかった。大井も、大井の奥さんも優しくしてくれるのだが、自分が何者であるかが分からないと言うことは、大きなストレスだ。
 何もしないでボーッとしているわけにもいかず、わたしは、食事の支度や掃除・洗濯を手伝った。食事の支度はほとんど大井の奥さんがするし、洗濯もわたしの分を入れても三人分だから、簡単だ。大変なのは掃除だ。この駐在所は広い。
 聞いてみると、こんな田舎の駐在には、赴任を希望するものがなかなかいないから、住居を豪華にしているのだそうだ。大井の奥さんは、ごみごみした都会よりも、空気も人情もいいし、手当も多いから、この駐在所が気に入っていると言った。田舎の駐在と言うことだけで、僻地手当が出るらしいし、奥さんにも電話番という明目で、手当が出ると聞いた。
 「うちの主人は、人がいいけど、出世の見込みがないから、こんなところがいいのよ」
 奥さんが、洗濯物を干しながら、わたしにそう言った。

 二週間後の火曜日の正午過ぎ、わたしは私服の大井に連れられて、園田医院を訪ねた。病院の前には、大きなベンツを停っていた。私たちが近づくと、ベンツのウインドウが降りて園田が顔を出した。
 「遅かったじゃないか、大井さん。すぐ出かけるよ」
 「かみさんが昼飯を作るのに手間取ってしまって」
 「言い訳はいいから、早く乗った、乗った」
 田舎道を三十分ほど走ると、大きな国道に出た。さらに二十分走って、次は高速道路へ乗った。三十分後、わたしたちは、大学病院の駐車場にいた。
 「ひとつ後輩が、精神科の教授をやっているんだ。やつに頼み込んでみるよ」
 そう言って、園田はわたしを引っ張っていった。
 ひとつ下と園田が言ったが、園田よりずっと若く見える、松下という精神科の教授の診察を受けた。
 大学病院での用事を済ませてきた園田を前に、松下教授はため息をついた。
 「わからんなあ」
 「おまえでもわからんことがあるのか?」
 「何かのストレスが原因だろうがなあ。催眠術をやってみようか?」
 「何でもやってくれ。記憶が戻らなければ、彼女も困るだろう。いいだろう、君」
 記憶が戻って、却って困ることもあるのではないかと思いながらも、わたしは頷くしかなかった。
 ところが、催眠術にかからないのだ。松下教授は、こんなはずはないというような顔をして、一生懸命わたしに催眠術を掛けようとするのだが、どんなにしてもわたしは催眠状態に陥らなかった。
 「だめだ。どうしようもない。次は電気ショックをやってみよう」
 「いやです。もういいです。記憶が戻らなくても生きていけます。精神的ストレスが原因なら、そのうち戻るんじゃないですか。そうでしょう?」
 「そうかもしれないが、そうでないかもしれない」
 「ううん、彼女が嫌だというのを無理にすることはできないな。じゃあ、松下君、しばらく様子を見ることにするよ」
 「記憶が戻ったら、知らせてくれ。原因を知りたい」
 「分かった。その時は連絡する」
 ガッカリしたような教授を残して、わたしたちは大学病院をあとにした。

 「大井さん、どうするね」
 高速道路から国道に降りると、園田が大井に尋ねた。
 「どうするって、どうしましょう?」
 「実はね、うちの受付がお産で辞めたんだよ。よかったら、うちで面倒見ようか? その方が彼女をじっくり観察できるしね」
 「そうしていただけますか? 助かります。若い女性がうちにいると、どうもかみさんとしっくりいかなくてですね」
 「いいかね、君」
 園田は、わたしの方を向いてにっこり笑った。何か下心がありそうな気がしたが、今のわたしには選択の余地はない。いくら親切にして貰っても、いくら家事の手伝いをしているからと言っても、大井にいつまでも世話になるわけにはいかない。
 「先生の病院で働かせて貰えるんですか?」
 「そうだよ。住み込みでね。食事付きだ。お小遣いもあげよう。働き具合では、うんとあげられるよ」
 「ありがとうございます」
 「話が決まったら、このままうちにくるかい?」
 「大井さんの奥さんに、ひと言お礼を言わないと・・・・」
 「そうだな。じゃあ、大井さんのところに寄っていこう」
 あっという間に、車は大井の駐在所の前に横付けされた。大井の奥さんは、たった二週間の付き合いだったのに、涙を流して見送ってくれた。
 車に乗り込むときに手渡された古ぼけたボストンバッグには、わたしがこの二週間着ていた大井の娘の下着と服が、わたしの下着、唯一わたし自身のものと一緒に詰め込まれていた。

 「ご家族は、何人なんですか?」
 わたしは、車が走り始めると、園田に聞いた。
 「妻と娘が一人いたんだが、四年前、ふたりとも死んだよ」
 「えっ、じゃあ、おひとりなんですか?」
 「そう、昼は仕事で忙しいが、夜はひとりぼっちだ。寂しさをアルコールで紛らわせているよ」
 園田は、悲しそうな表情を浮かべた。ちょっと前とは雲泥の差だ。
 「病院の看護婦さんにも、住み込みの方がいらっしゃるのですか?」
 「いないよ。当直の看護婦が病院にひとりいるだけだよ」
 わたしは驚いた。わたしを住み込ませて、どうにかするつもりだろうか? 妙な疑念が持ち上がった。そんなわたしの気持ちを察したのか、園田は続けた。
 「君は、わたしが何か下心を持っていると思っているかもしれんが、わたしは病気でね。できないんだよ。君が例え全裸になってわたしに迫っても、だめだから、安心したまえ。大井さんも、そのことを知っているから、君のことをわたしに任せたんだからね」
 「そうなんですか。実は疑ってました。この前わたしを診察したときも、わたしの裸を見たいだけだと思ってました。・・・・ごめんなさい」
 「いいよ。世の中の男は、みんなそうだからね。君がこんな状態になったのも、そんな男のせいなのかもしれないな」
 「そうですね」
 そうは答えたものの、何故かそんなことが原因ではないと、心の奥から叫ぶ声がした。
 「お食事はどうされているんですか?」
 「今は病院の賄いに食事を作ってもらっている。彼女は腕がいいからいいよ。彼女に夫がいなかったら、妻にしてもいいなと思っているくらいだ」
 「へえ、そうなんですか」
 「ただね、夕食が五時半だから、夜は困るんだ。君が作ってくれると助かるが、料理はどうかね」
 大井の駐在所にいるときには、作られた料理を盛りつけたり、後かたづけをしたりはしたが、作ったことはなかった。
 「料理ができるかどうか、自分でも分からないんです」
 「そうか。やって貰うしかないな。もし、できなければ、お喜久さんに教えて貰おう。君も女だから、覚えていて損はないだろう」
 「そうですね。ところで、わたしは、どこに住まわして貰えるんですか?」
 「病院には部屋はないんだ。娘の使っていた部屋がある。そこを使って貰おうと思っている」
 「亡くなった娘さんのですか?」
 「そうだよ」
 「いいんですか?」
 「君は娘に感じが似ているんだ。娘が帰ってきたように思えるんだ。だから、遠慮しないで使っていいよ」
 「ほんとにいいんですね」
 「構わないよ」
 「看護婦さんや他の従業員の方たちは、変に思わないですか?」
 「心配いらないよ。わたしが妙な下心を持つはずがないことは、みんな知っているからね」
 「そうなんですか」
 「娘の服も残っている。着られるものがあったら、自由に着てもいいからね」
 「そんなの、いくらなんでもできないわ」
 「心配しないでいいよ。もうそろそろ処分しないといけないと思っていたんだ。君が着てくれた方が、供養になると思うよ」
 園田の表情は真剣だ。わたしは好意に甘えることにした。

 園田が車庫に車を入れている間、わたしはボストンバッグを抱えて、病院の前で待っていた。病院の玄関には、本日休診の札が下げられている。ふと病院の中を覗くと、中から、あのさっちゃんと呼ばれていた看護婦がわたしを見ていた。今日は当直をしているのだろうか?
 園田が車を停めてやって来て、わたしを自宅の方に連れていこうとして、さっちゃんに気づいた。
 「さっちゃん、彼女に明日から受付をやって貰うから、仲良くしてやってくれ」
 「はあい。先生の自宅に住むんですか?」
 「そうだよ。お喜久さんは、まだいるかい?」
 「まだ、いますよ」
 「今日は夕食をふたり分、運んでくれるように頼んで貰えないか?」
 「分かりました。伝えておきます」
 さっちゃんは、病院の中へ姿を消した。
 「ほんとに焼き餅なんか焼かないんですか?」
 「大丈夫だよ。そのうち君も分かるよ」
 変だなと思う。いくらその気にならないとは言っても、わたしのような若い女と、ひとつ屋根の下に住むのだ。他の女がどうも思わないなんてことがあるのだろうか? まったく分からない。

 園田に案内された部屋は、十畳くらいの洋室で、大きなベッドが据えられていた。のりの効いたシーツが敷かれていた。まるで、わたしが来ることが初めから分かっていたような雰囲気だ。
 北側の壁全体がクローゼットになっている。開けてみると、衣服が所狭しと並んでいた。ベージュのワンピースを取り出して、着てみた。誂えたようにぴったりだった。不思議な感じがした。
 下着類もきれいに畳まれて並べられていた。どう見ても全部新品か、それに近いものばかりだ。サイズを見てみると、わたしがあの夜、身に着けていたものと同じだった。
 死んだと言っていたが、わたしは、園田の娘ではないだろうか? そんな気がしてきた。いや、そんなことはないだろう。わたしが園田の娘なら、初めにここに来たとき、すぐに引き留めるだろうし、裸にして診察したり、あそこを覗いたりするなんてことはしないだろう。いや、待てよ。娘が強姦されたかもしれないと思ったら、そうするのかもしれない。この家から、あの銀杏の木までは、直線距離では二キロもない。
 記憶がないが故に、ああでもないこうでもないと、わたしは変な想像を巡らせた。
 こうなったら、園田に直接聞くしかない。部屋から飛び出して、廊下を走っていくと、明かりの点いた部屋があった。
 部屋を覗くと、園田がじっと写真を見ていた。わたしが部屋に入っていくと、園田はその写真を背中に隠した。園田の目に涙が浮かんでいた。
 「先生、その写真を見せていただけないかしら?」
 「どうして、この写真を見たいんだね」
 「わたしが写っているんじゃないでしょうね」
 「違うよ。君じゃない」
 「見せて、お願い」
 「だめだ」
 どうしても見たかった。わたしは園田にぶつかるようにして写真を奪い取った。
 「違う・・・・」
 「そう言ったろう? 君は娘には似ているが、違うんだ」
 「これは、男の人じゃないの!」
 「それが、わたしの娘だ。娘は女であることを拒否して、男の姿になった。乳房も切り取り、男性器まで作った。そして死んだんだ。愛した女に捨てられてな」
 「・・・・そうだったんですか」
 「妻も娘のあとを追って死んだ。ふたりとも自殺だ。君は、そうなる前の娘にそっくりなんだ。君が初めてここに来たとき、わたしはビックリしたよ。そんな気持ちを押し殺して、君を診察した。乳房もあった。腟もあった。昔の娘が帰ってきてくれたと思ったよ。君を帰すとき、記憶が戻らないでくれ、身元が知れないでくれと祈った。
 一週間経って、君の身元も分からず、記憶も戻らないと知って、君を引き取りたいと思った。だから、大井の奥さんに電話して、君の体のサイズを聞いた。娘の部屋にあるものは、君にぴったりのはずだ。
 お願いだ。わたしのそばにいてくれ。お願いだ」
 園田はぼろぼろと涙を流して、わたしの前に土下座した。
 「先生、わたしに娘さんの代わりをしろというの? ただの住み込みの受付嬢じゃなくて」
 「いけないかい?」
 「わたしは、どんな素性の女か分からないのよ。もしかしたら、娼婦だったかも知れないのに、それでもいいの?」
 「素性なんてどうでもいいんだ。わたしの直感で分かるんだ。君はいい娘だ。どうか、わたしのそばにいてくれ」
 わたしは、どう答えていいものか分からなかった。自分で言ったとおり、わたしは自分が誰なのか分からない。どんな過去を持っているのか、分からないのだ。このままここにいてもいいのだろうか?
 「記憶が戻って、ここからいなくなるかもしれないのよ」
 「記憶が戻るまででいいよ。だから、お願いだ」
 ここを出ても、行く宛もない。園田は、第一印象と違って、いい人のようだ。考えた末、園田を慰めてあげるために、留まることにした。
 「ありがとう、ありがとう」
 わたしの決心を告げると園田は、飛び上がらんばかりに喜んで、おいおいと泣いた。もしかすると、わたしは園田のために、記憶をなくしてここに来たのかも知れない。そんな気がした。

 わたしは午前0時になると眠ってしまう。それより前には絶対眠れないし、それよりあとは起きていられない。そして、午前六時半ぴったりに目が覚める。駐在所にいたときもそうだった。まるで機械で測ったように・・・・。理由は分からない。
 今朝も六時半に目が覚めた。園田はすでに起きていて、居間で体操をしていた。
 「おはようございます、先生」
 「ああ、おはよう。眠れたかい?」
 「はい、充分寝ました」
 「ええっと、どうしよう」
 「えっ、何をですか?」
 「君の名前だよ。名無しじゃ困るだろう?」
 「あっ、そうですね。どうしましょうか?」
 「娘の名前じゃいけないかね」
 「・・・・いいですけど。何ておっしゃったのですか?」
 「早苗だ」
 「早苗。いい名前ですね。いいです。早苗にしましょう」
 しっくりいく名前だと思った。もしかしたら、わたしの忘れた本名も早苗なのかもしれない。
 「年はどうするかな?」
 「わたし、いくつに見えますか?」
 「そうだな。早苗は、死んだとき三十だったが、君は三十よりはずっと若いな。しかし、さっちゃんよりは上のように見える」
 「あの看護婦さんは、いくつなんですか?」
 「確か二十四だったと思うよ」
 二十四!! 二十一、二かと思ったのに。
 「わたし、二十四より上に見えますか?」
 わたしは、恐る恐る聞いた。
 「さっちゃんが若く見えるからね。じゃあ、同い年にしておこう。その方が話しがしやすいだろう。いいね」
 「はい」
 二十七、八にしよう何て言われたら、どうしようと思っていた。二十四なら異存はない。自分では、それくらいだろうと思っていた。
 「じゃあ、早苗君。そろそろ食事が届くから、一緒に食べようか」
 「先生、もし良かったら、家の中では、早苗って、呼び捨てでも構いませんよ」
 「いいのかい?」
 「先生がお望みでしたら、わたし、先生に何のお返しもできませんから、娘さんの代わりをするくらい、何でもないです」
 先生が望むなら、抱かれてもいいと言おうとしたが、口には出さなかった。そんなことは言うべきではない。本人ができないと言っていることでもあるし・・・・。
 「・・・・ついでに、わたしのことも・・・・お父さんと呼んでくれないか?」
 「・・・・そうですね。わたしは、しばらく娘さんの代わりですからね。お父さんと呼ばせていただきます」
 園田は、涙を浮かべている。おそらく、娘とは長く口を利かなかったに違いない。記憶が戻るまで、園田に尽くしてやろう。そう思いながら、このまま記憶が戻らなければいいなという思いが脳裏をかすめた。

 園田は、わたしの身元が分かれば、わたしと別れなければならなくなるのを承知で、かなりのお金を掛けて、新聞やテレビに尋ね人の広告を出してくれた。けれど、手がかりはまったくなかった。
 わたしは、昼は園田医院の受付嬢として仕事に励み、夜は娘として園田の世話をした。
 受付の仕事は簡単だった。診察券を見て、カルテを出す。診察がすむと、少し年増の看護婦さんが、カルテを見ながら、料金を計算してよこすから、わたしはお金を受け取ってお釣りを渡し、金庫に納めるだけだ。
 病院の周りには人家がないように見えるのに、午前中に十五人ばかりの患者さんがやってくる。園田は、そのうち五人くらいを診察するが、あとは薬か注射だけ。看護婦がそれをこなす。月、水、金の午後は、園田は看護婦を伴って往診に出かける。火、木の午後は、大学からふたりの医師がやってきて手術をやっているようだが、何の手術なのか、わたしには教えてくれない。外来を訪れる患者さんの中には、手術をするような患者さんはいないようなのだが、何故か手術は毎週のように行われている。
 わたしは、午後はほとんどすることがなくて、さっちゃんとテレビを見ながら、だべっていることが多い。
 園田医院に来て二週間ほど経ったある日の午後、さっちゃんとテレビを見ていて、不思議なことに気づいた。
 「五千三百二十二万飛んで五百十三」
 「えっ、早苗さん、何だって?」
 「テレビでやってる計算の答えよ。頭に浮かんだの」
 「もう一度言ってみて」
 「五千三百二十二万飛んで五百十三」
 「凄い! あってるよ。じゃあ、次の答えは?」
 「十三億七千八百飛んで九万飛んで飛んで六十五」
 「ちょっと待って、答えが出るわ。あってる、あってる。凄い、凄いよ。暗算の天才少年より早いんだもの。どうやったの?」
 「頭に答えが浮かんだの」
 「頭の中で、計算してるんじゃないの?」
 「違うみたい。答えがぱっと浮かぶのよ」
 「信じらんない」
 信じられないのは、わたしも同じだ。記憶は戻らないのに、こんな特技があるなんて。さっちゃんが、計算問題をいくつか出してみたが、ことごとく当たるのだ。それもさっちゃんが問題を言い終わると同時に答えが頭に浮かぶ。かけ算でもわり算でもお構いなしだ。不思議だ。
 そんなわたしの計算能力を聞きつけて、いつもレセプトの計算をしている看護婦が、わたしの元へやって来た。一時間ばかりやり方を習っただけで、わたしは何年も前からやっている看護婦より正確な結果を出した。
 その日から、計算の仕事もわたしがすることになった。しかし、ほとんど瞬時に計算結果が頭に浮かぶから、別に負担になるわけではない。園田は、そんなわたしの計算能力から、身元が割り出せないかと、わたしに内緒で調べたらしいが、結局分からなかったようだ。
 同じ頃、わたしはお喜久さんに料理の仕方を教えて貰った。数日教えて貰っただけで、わたしは料理の名人になった。教えて貰ったと言うより、思い出したという方が正しいのかも知れない。
 ここ数年、院長の食事の世話をしていたお喜久さんの仕事を、全部奪ってしまうわけにはいかないので、昼食はお喜久さんに作ってもらい、朝夕はわたしが作ることにした。

 「早苗は、料理は上手だし、計算は、まるでコンピューターだ。いったい、何をしていたんだろうね」
 夕食を食べながら、園田がそう言いだした。
 「想像もつかないわ。料理は花嫁学校でも行ってたんでしょう? 計算は、ただの特技だと思うけど」
 「そうかなあ・・・・」
 そうではないらしいことは、自分では分かっていた。わたしは、何でもプロ級の腕前だった。
 患者さんに頂いた花を何気なくいけてみたら、凄いの絶賛を受けた。別にうまくいけようとしたわけではないのだが、やってみるとそう言われるのだ。
 病院で使っているパソコンの調子が悪いと言われて、ちょっと触ってみたら、すぐに直った。勉強したわけでもないのに、ソフトの裏コマンドまでが、頭に浮かんでくる。わたしはコンピューターにかなり詳しいらしい。その方面の仕事に従事していたのかも知れないなと思う。
 みんなに変な目で見られているような気がして、わたしは、できる限り自分の能力をひけらかさないようにした。
 これだけ何でもできる女がいなくなったら、誰かがわたしを捜そうとするだろうに、わたしの身元は依然分からなかった。以前のわたしは、誰とも接触しないで、じっと家の中に閉じこもっていたのだろうか?
 何でもできるのに、自分のことだけは、どうしても思い出さない。じれったくて仕方がなかった。