第6章 入れ替わりと認定されて


 翌日、木村は午前の診療が終わると、午後の診療を若い医師に任せて、大竹実と相良菜摘のインタービューにあてた。
 子どもの頃の話しや、友人知人、最近の仕事に関することなど、微に入り細に入り質問を重ねた。
 覚えていないと言うものもあったが、そんなことまでと思われるようなことまで細かく話す部分もあった。
 それらのインタービューで得られた、大竹実が持つ相良菜摘としての記憶、相良菜摘が大竹実として持つ記憶について、家族親戚友人知人を呼び出して確認を取った。
 ふたりから得られた情報のすべてが、間違いないと確認された。ただ、家族親戚友人知人から得られた情報について、ふたりは、覚えていないと言う部分もあった。
 自分が覚えていなくて、他人が覚えていることなど、よくあることだから、そのことを持って入れ替わりを否定することは困難であろうと木村は考える。

 インタビューの合間、看護婦たちにそれとなくふたりを観察させて置いた。入れ替わった振りをしているのなら、ふとした拍子に行動に現れるのではないかと考えたからだ。
 入院している一週間の観察で、大竹実は女のようで、相良菜摘は男のようだとの観察結果しか得られなかった。
 精神科の医師としての結論は、ふたりの人格が入れ替わっていると判断せざるを得なかった。

 それでも木村は、そんなことはあり得ないと、ふたりに催眠術を試みた。木村の目の前に、相良菜摘だと言っている大竹実がベッドに横たわっている。
 「さあ、あなたは男ですか女ですか?」
 「わたしは女です」
 「名前は?」
 「相良菜摘」
 それから木村は、以前にした質問をもう一度やってみた。答えは同じだった。
 「催眠状態では、嘘はつけないはずだが・・・・」
 大竹実だという相良菜摘についても、やっぱり入れ替わりを信じざるを得なかった。


 「あり得ないと思ってきましたが、ふたりの人格が入れ替わっていると判断せざるを得ません」
 大竹実と相良菜摘、それにふたりの関係者を集めて、木村がそう話す。
 「初めからそう言っているじゃないですか!」
 甲高い声で、相良菜摘がそう言う。人格は大竹実だったなと木村は考える。
 「問題は、どうしたら元に戻るかと言うことですよ!!」
 「そうよ。早く何とかしてください!」
 女言葉で大竹実が叫んだ。
 「おふたりが初めてここに来たときにも言いましたが、原因が分からないのですから、元に戻す方法を探すことは困難です」
 ふたりは押し黙る。
 「何とかなりませんか?」
 大竹の妻、大竹寿代がぼそりと言った。
 「しばらく待つしかないでしょうね」
 「しばらくって、どれくらい?」
 「それはわたしには分かりません」
 「そうですよね」
 「元に戻らなかったらどうすればいいんでしょうか?」
 大竹実が、悲しそうに言う。
 「一般的に言えば、あなたは大竹実さんの姿をしているわけですから、大竹実さんとして暮らすことになるでしょうね」
 「イヤです!」
 「イヤですと言っても、それしかないとわたしは思いますけど・・・・」
 「わたし、体育の先生なんてできません。体育はいつも2だったのに」
 「そうですか・・・・。相良菜摘さんになられた大竹さんの方は?」
 「椎原さんに伺ったところによれば、相良さんの仕事は、特殊な仕事ではなさそうですので、何とかなりそうです」
 「じゃあ、相良菜摘さんの方はいいとして」
 「困ります。早く元に戻してください!」
 大竹実がわあわあと泣き出した。その場にいた全員が、大竹実を見つめて黙り込む。
 「突然こんな事態になったのだから、突然元に戻るかも知れません。それを期待して暮らして行くしかないでしょう。大竹さん。いや、相良さんなのかな? しばらく我慢して、大竹実として暮らしていきませんか?」
 「わたし、元に戻りたい」
 「菜摘。こうなったのは何かの運命よ。初めから男だったんだと決めて、暮らしなさいよ」
 「人ごとだと思って・・・・」
 「親友だと思うから、いろいろ考えてるのよ。今は、木村先生の言うようにするしかないわよ」
 しばらく泣き続けていたが、決心したようだ。
 「仕方ないです。元に戻るまで、大竹さんとして暮らします」
 「奥さん。それでいいですね」
 「元に戻るまでですよ。それと、主人に、相良さんとして暮らす主人に会いに行ってもいいですね」
 「勿論です。お互いにその条件で行きましょう」

 このまま元に戻らなかった場合、ふたりはホントに上手くやっていけるのだろうか? 部屋から出て行くふたりを見ながら、木村は腕組みをして考え込んだ。


 入院中は、ずっとパジャマだったから問題はなかったのだが、退院するとなると、私服に着替えなくてはならない。ロッカーに畳まれていたブルーのワンピースを手に取り、相良菜摘は、じっと考えている。
 「千絵さん。やっぱりスカートは恥ずかしいよ。相良さんのアパートに行って、ジーンズかパンツを持ってきてくれないかなあ」
 「持ってきてもいいけど、菜摘のアパートはここから、タクシーでワンメーターなのよ。ちょっとの間だから、我慢したらどうですか?」
 「だけど・・・・」
 「さっき、菜摘の仕事は特殊じゃないから、そう難しくないって言ってませんでした?」
 「言ったけど・・・・」
 「仕事場では、菜摘はミニスカートなのよ。そのワンピースなんか、丈が長い方に入るわ」
 相良菜摘は項垂れる。
 「仕方ないか・・・・」
 「それにね」
 「なに?」
 「あなたは女ですからね。言葉も態度も女らしくした方がいいわよ。そんなんじゃあ、すぐに馘首になってしまうわ。馘首になったりしたら、元の戻ったとき、菜摘が困るんだから、しっかりやってもらわないとね」
 「・・・・分かったよ」
 「女言葉になってないわ!」
 「そんなに虐めなくたって・・・・」
 「別に虐めているわけじゃないわ。菜摘のためよ」
 相良菜摘は小さく頷く。


 大竹寿代は、気が利くというのか、ワイシャツにスラックス、ジャケットを持ってきていた。それを夫に着せた。
 「こうしていると、あなたの人格が違う人だなんて信じられませんわ」
 「すみません」
 「謝らなくてもよろしいわ。あなたの所為ではないんですもの」
 「いつ元に戻るか、分かりませんけど、それまでよろしくお願いいたします」
 寿代は、にっこり微笑む。
 「夫は亭主関白ですのよ。もっと男らしくしていただいて結構ですから」
 「でも・・・・」
 「言葉遣いも男らしくね」
 「は、はい」


 椎原千絵は、隣に座っている相良菜摘の方をちらりと見た。女らしくしなさいと言ったのに、相良菜摘は膝を広げて、タクシーの後部座席に座っていた。ホントにもう・・・・。
 「さあ、着いたわよ」
 相良菜摘は、タクシーの窓から外をキョロキョロと眺めた。
 「このビル?」
 「そっちじゃないわ。こっちのビルよ」
 相良菜摘が見ていたのは、最近建ったばかりの高級マンション。相良菜摘の住むアパートは、反対側に建っている。そのビルを見て、相良菜摘は、ガッカリしたような顔をした。
 「そっちのマンションに住めるほど高給取りじゃないのよ。わたしたちは」
 「そうだろうね」
 「ほら! 言葉、言葉」
 「あっ! うっかりしてた」
 「言う先から・・・・」
 相良菜摘は肩を竦めた。

 階段を三階へ昇り、302号室の前に立つ。表札には、相良賢三の文字。
 「あら? 菜摘さんは、独身じゃなかったの?」
 「男よけよ。女の名前だといろいろと問題が起こるの」
 「ストーカーとか?」
 「そうよ。女の独り暮らしは男と違って、大変なのよ」
 「ふーん」
 椎原千絵は、相良菜摘を促して、バッグの中から鍵を取り出させ、ドアを開いて、中へ入った。
 「わあ、かび臭い!」
 「ホント。窓を開けなきゃ」
 かって知ったる他人の家。椎原千絵は、ハイヒールを脱ぐと、さっさと部屋に上がり込んで、手前の部屋と奥の部屋の間にある襖を開き奥の部屋へ進んで、カーテンと窓を開いた。
 相良菜摘は、部屋の中をキョロキョロ見回している。
 「若い女の人の独り暮らしって、こんなもんなんですか?」
 「菜摘は贅沢しないからねえ」
 「そうですか・・・・」
 相良菜摘の部屋は、玄関を入ると、左手にバスルーム。続いてトイレ。その奥に4畳半のダイニングキッチンがある。シンクのそばに冷蔵庫。その横に食器棚。椅子が2脚置かれたテーブルが真ん中に据えられていて、テーブルの上には調味料がいくつか入れられた小さな盆が載っていた。
 「片づいてますね」
 「菜摘は整理魔だから」
 「とてもこんな風にはやれない・・・・」
 「元に戻るまでは、やって貰わないとね」
 「・・・・仕方ないですね」
 奥の部屋の左手にはシングルのベッドが置かれている。ベッドの足元に、低い本棚があって、その上にテレビが置かれていた。右手に、ドレッサー、整理ダンス、洋服ダンスと列んでいる。
 「ここも綺麗にしてる」
 「こんなお嫁さんをもらいたいでしょう?」
 「・・・・そうだね」
 「もしかしたら、あなたがお嫁さんになるかもね」
 「ば、馬鹿な!」
 「ずっとこのままだったら、そうなるかも知れないのよ」
 「ずっとこのままのはずがない!!」
 「希望的観測は止めた方がいいわ。叶わぬ望みを持つよりは、現状を受け入れて、まっすぐ生きる方がいいわよ」
 「元に戻るさ」
 「ま、いいわ。仕事には、いつから出る?」
 「仕事・・・・」
 「有給はまだ残っているけど、使い果たすといざというとき困るからね。どうする?」
 「あのミニスカート穿くんだよね」
 「そうよ」
 相良菜摘は、溜息をつく。
 「いつから出よう?」
 「どうせ出なければならないから、・・・・そうね。明日は、女に慣れる練習をすることにして、明後日と言うことではどうかな?」
 「明後日・・・・。もう一日欲しい」
 「じゃあ、金曜にからと言うことにして、会社の方には連絡を入れておくから、いいわね」
 「お願いします」
 「大丈夫よ。わたしが手助けしてあげるから」
 消沈している相良菜摘に、椎原千絵は優しく語りかける。
 「あなたは、わたしの親友なんだからね」
 「ありがとう」
 相良菜摘はボロボロと涙を流した。


 大竹実と寿代を乗せたタクシーが住宅街の一角にある一戸建ての家に横付けされた。
 「さあ、ここですよ」
 大竹実は、目の前にある大きな家を眺める。
 「まだ30前でしたよね」
 玄関に向かいながら、大竹実が寿代に尋ねた。
 「えっ!? ああ、あなたの年齢でしょうか?」
 「は、はい」
 「あと2ヶ月で、30ですけれどね」
 「こんな大きなおうちに住んでるんですね」
 「大竹の父親の持ち物ですよ」
 「お父様もご一緒に住んでられるんですか?」
 「いえ。退職されてから、田舎に住みたいと言われて、鶴見町の小さな家を借りて、大竹の母親とふたりで住んでおりますわ」
 「そうですか」
 「あの。ふたりだけの時ならよろしいですけど、他の方がおられるときは、男言葉でお願いしますね」
 「あ、ああ。そうでした」

 大竹実は、部屋の中を見回しながら、寿代に付いていった。案内されたリビングは、20畳ほどもあった。
 「外から見ても大きなおうちだと思ったけど、広いんですね」
 「50坪ほどあるかしら?」
 ほうと大竹実は感心する。
 「お茶を入れますから、そこでお待ちになって」
 「あのう・・・・」
 「何でしょうか?」
 キッチンの入り口で、寿代が振り向く。
 「いつもそんな口のきき方なんですか?」
 「ああ。結婚してからずっとそうですけれど」
 「そうなんですか」
 「悪いでしょうか?」
 「い、いえ。そんなことはありませんが」
 寿代がお茶を入れている間、大竹実は部屋の中をキョロキョロと見回している。寿代は、やっぱりこの人は、夫じゃないと自覚する。

 電話がルルルッと鳴った。大竹実はビックリして飛び上がった。
 「はい。大竹でございます。ええ、今日退院いたしました。あ、そうですか。ちょっとお待ちくださいね」
 寿代は、受話器を手で塞いで、大竹実に尋ねる。
 「学校からですわ。いつから出勤できるかって言ってますけれど、どうされます?」
 「いつからって言っても・・・・」
 「行かないわけにはいかないでしょう?」
 「・・・・そうですね」
 「明後日、木曜日からとお返事しましょうか?」
 大竹実は考える。いつから出ようと体育の教師なんてできない。できないけれど、大竹実本人に迷惑をかけないためには、学校へ行かざるを得ない。
 「・・・・じゃあ、木曜日からと言うことで」
 「分かりましたわ」
 寿代は、受話器に向かって喋り始めた。
 「木曜日から出たいと言っております。それでよろしいでしょうか? はい。お願いいたします」
 「体育の教師なんてできるかしら?」
 「自分で競技をするわけじゃないですから、大丈夫じゃないですか?」
 そんな寿代の言葉に、大竹実は安心したような顔になった。
 「元に戻るまで、ご迷惑でしょうけど、お願いいたします」
 「その御言葉は、病院でお聞きしましたわ。あなたはわたしの夫ですから、何でもおっしゃってくださいね」
 「申し訳ありません」
 「あなたの所為じゃないって言ったでしょう?」
 「・・・・そうでした」
 「はい、お茶、どうぞ」
 「すみません」
 「もっと男らしくされていいんですよ」
 「そうでしたね」


 椎原千絵が帰ったあと、相良菜摘は開け放たれてあった窓を閉め、カーテンを引いた。それから、タンスと洋服ダンスの中を探して、あまり派手でないブラウスとパンツを取り出して着替えた。
 「この方が楽だな」
 そう独り言を言って、ベッドの上にばたりと倒れた。
 「病院じゃ、ゆっくり眠れなかったもんな」
 そのまま相良菜摘は眠り込んでしまった。