相良菜摘は、鎮静剤が効いてベッドの上でぐっすり眠っている。てっきり二重人格だと思っていたのに、相良菜摘が主張する名前の男性が実在し、その男性がまた、自分は相良菜摘だと言っているという。入れ替わりなんて、馬鹿なことが起こるわけがないと思いながらも、木村はもしやと思っていた。
「木村先生。春川先生がお見えになりました」
「ああ、すぐにここへ通してくれ」
相変わらず若作りの春川医師が、紺のジャージ姿の男ふたりと共に診察へ入ってきた。
「木村先生。お世話になります」
「やあ、久しぶり。で、大竹さんはどっちだ?」
「こちらの方です」
春川に言われなくても木村には分かっていた。体格のいい方の男が、まったく男らしくないのだ。内股に膝を揃え、小さくなって、春川の後ろに隠れるように立っていたからだ。
相良菜摘の診察室での様子を思い出す。ブルーの膝上丈のワンピースを着ているというのに、膝を大きく広げて木村の前に座るものだから、木村の位置からパンティーが丸見えになっていた。しかも、それを恥ずかしがる様子もなかった。
まったく対照的だな。木村は、心の中で呟いた。
「大竹実さん。いや、相良菜摘さんでしたね」
「先生。わたしが相良菜摘だと分かってくれるんですね」
嬉しそうな顔をして、大竹が木村の顔を見上げた。上目遣いに木村を見る大竹を見て、木村はホモの男性に迫られたようで、一瞬たじろいだ。
「あ、いや、それは今の段階では何とも言えないが、いくつか質問させてもらおう。いいかな?」
大竹は悲しそうな顔になる。そして、めそめそと泣き始めた。
「あなたを信じるために質問させてもらうんだ。分かったね」
「・・・・はい」
「まず、あなたの生年月日を教えてもらおう」
「昭和53年5月8日です」
「と言うと、23になるのかな?」
「はい、そうです」
「干支は?」
「午年です」
「午か。うん、昭和53年は確かに午年だ」
「わたしの言うことは間違ってないでしょう?」
「間違いない。・・・・じゃあ、次だ。住所は?」
「大分市古国府、大塚ビル302号です」
「電話番号は?」
「546の××××」
木村は、相良菜摘のカルテを横目で見る。間違っていない。現在木村が手にしている大竹実のカルテに書かれている住所と電話番号を、相良菜摘から聞いたものと照合してみた。これも、同じだ。
「出身小学校は?」
「付属小学校です」
「大分大学の?」
「はい」
「すると中学も?」
「はい、そうです」
「高校は?」
相良菜摘付き添ってきた椎原千絵が、舞鶴高校だと言っていたことを思い出す。
「舞鶴高校です」
木村はふうと溜息をついた。
「間違ってますか?」
「イヤ、わたしが仕入れている情報通りだ」
「そうでしょう?」
涙目の大竹の目に光が輝いた。美少女って言うのならともかく、ごつい男にそんな目で見つめられても、ひとつも嬉しくもない。
さらに木村は、両親の名前や、交友関係、記憶に残っている思い出などをできる限り詳しく聞き出して、カルテに記入した。
「どうです? 木村先生」
春川は、大竹と付き添いの伊藤を廊下に出した後、木村に尋ねた。
「これほどすらすらと返事が戻ってくると、入れ替わりを信じざるを得ないな」
「そんなことがホントに起こるんでしょうか?」
「起こらないな」
「えっ!? 矛盾した意見ですね」
「入れ替わりと信じさせるために、ふたりで共謀してるんじゃないかな?」
「ふたりで共謀!?」
「そうだ。できる限り、互いの情報を交換して、入れ替わったように見せかけるんだ。それしかない!」
「なるほど・・・・。しかし、何のために?」
「それはわたしにもわからんな」
木村が肩を竦めた。
「何かわれわれには伺い知れない事情があるのかもしれん」
「ふーん」
春川は考える。何らかの事情で、ふたりが入れ替わった振りをしている。確かに説得力はある。しかし、あれほど、すらすらと相手の情報を口にできるものだろうか? 春川は首を傾げた。
「そのうちぼろを出すだろう。そうなった時点で、事情を聞くことにしようじゃないか」
「・・・・そうですね」
そうは言ったものの、春川は釈然としないものを感じていた。
スウスウと寝息を立てている相良菜摘のそばに座っていた椎原千絵は、トイレに行きたくなって、そっと菜摘のそばを離れた。
ドアを開けて、中待ちに出ると、長椅子にジャージ姿の男がふたり座っていた。その前を通り過ぎようとしたとき、手前にいた男が急に立ち上がって千絵の行く先を遮った。
「千絵。どうしてここにいるの?」
千絵は驚いて、その場に固まった。
「千絵。わたしよ。菜摘よ」
千絵はポカンと口を開けた。
「あ、あなた、誰ですか? わたし、あなたなんか、知りません!」
「こんな姿だもの。分からないわよね・・・・」
千絵は、上目遣いに疑るような目で男を見た。
「大竹。止めろよ。その人はおまえとは関係ない」
もうひとりの男が立ち上がる。
「大竹さん? 今、大竹さんっておっしゃいませんでした?」
「言ったけど」
千絵は思い出す。菜摘は、自分が大竹実だと言っていたことを。
「あのう。大竹実さんですか?」
「そう言う名前らしいけど、わたしは菜摘。相良菜摘なのよ」
「どう言うこと?」
千絵は混乱していた。相良菜摘は、大竹実だと言い、目の前にいる大竹実は相良菜摘だと言っている。
「まさか、入れ替わったとでも言うの?」
「そ、そうなの。わたしと大竹実さんて言う人が入れ替わってしまったらしいの」
「そんなこと・・・・」
「事実は小説より奇なりよ。ホントなのよ」
「信じらんない」
「わたしの体はどこにあるの?」
「どこにって・・・・」
千絵は、ちらりと後ろを見た。
「そこにいるのね。会わせて! 会えば、元に戻るかも知れないわ」
そう言うやいなや、相良菜摘の眠っている部屋の中に飛び込んでいった。
そろそろ目覚める頃だと思って、木村は相良菜摘の眠っている部屋に入った。丁度その時、廊下側のドアが開いて、大竹実が飛び込んできた。
「返して! わたしの体を返してよ!!」
大竹は、ベッドの上に寝ている相良菜摘に掴みかかると、馬乗りになって首を絞め始めた。
「こら! 止めないか!」
木村は、大竹を相良菜摘から引き離した。相良菜摘は、ぼんやりと目を開き、大竹を見た。
「どうして、そこに俺がいる?」
鎮静剤で眠っていて、意識はそれほどしっかりはしていないだろうに、相良菜摘は大竹を指さして俺と言っている。
ふたりが共謀して入れ替わりを演出しているという自分の考えは間違っているのか? 木村は、幻暈がしてきた。
「返して! わたしの体を返してよ」
もう一度、大竹実が相良菜摘に向かって叫ぶ。
「返してって、それは俺の台詞だ。おまえが何かやったんだろう!」
「どうしてわたしがこんなことするのよ。こんな汚い体になんかなりたくはないわよ」
「汚いとは何だ!!」
「男のどこが綺麗だって言うのよ」
「綺麗だとは言わないが、汚いなんて事はないぞ」
「汚いわよ!」
ふたりはほとんど掴みかからんばかりになっている。
「ま、まあ。ふたりとも落ち着いて」
「これが落ち着いて何かいられるもんか!」
「そうよ!! 先生! あなた、医者なんでしょう? 何とかしてよ!」
「何とかしてって言われてもですね・・・・」
今度はふたりが木村に詰め寄ってきた。ホントにふたりで示し合わせてやってるのだろうか? そんなことはないと信じているが、まさか、入れ替わりが起こっただなんてことは・・・・。
「あなた! どうされたんですか?」
ドアが開いて、ちょっと派手な格好をした女が入ってきた。女は、大竹に詰め寄る。どうやら、大竹の妻らしい。
「わたしは、大竹さんじゃありません」
そう大竹が叫んだ。
「あなた! 何を馬鹿なことおっしゃってるんですか?」
「違う! 違うんです」
「寿代。俺はここだ」
相良菜摘が、大竹の妻の腕を掴んで叫んだ。
「何をおっしゃってるの? あなた、いったい誰です?」
「俺だ。実だよ」
大竹の妻は、ふたりを交互に見つめて呟く。
「いったい、どうなってるんですか?」
「わたしから説明しましょう」
木村が、大竹の妻の前に歩み出た。
「わたしは、木村と言います。今日、このお二人を診せてもらいました」
「ど、どうなってるのでしょうか?」
「ふたりの話を総合すると、今朝の午前10時頃、ふたりの人格が突然入れ替わったらしいのです」
大竹の妻は、口をポカンと開けて首を傾げる。
「あなたのご主人の大竹さんには、相良菜摘さんの人格が宿っていて、相良菜摘さんの方のはあなたのご主人の人格が入っています」
「そんなこと・・・・」
「そんなこと、わたしも信じられませんが、現実にそれが起こっているようです」
木村自身は信じているわけではない。しかし、そう話すことで、もしかするとふたりがお芝居を止めるかもしれないと思ったのだ。
「じゃあ、あなた、・・・・あなたがわたしの主人だと?」
「そうなんだよ。俺が実なんだ」
「どうして・・・・」
「訳が分からないんだ。突然のことで」
「元に戻るの?」
木村が口を挟む。
「今のところ、元に戻る手だてはありません」
「じゃあ、このままだと・・・・」
「突然入れ替わったのですから、突然元に戻るかも・・・・」
「それはいつでしょうか?」
「それもわたしには分かりません」
「そんなの無責任です」
「そんなこと言われても、わたしがやったわけではないし、原因も分かっていないのですから」
「・・・・それもそうですね」
「何とかしてくださいよ。このまま女だなんてイヤですよ」
相良菜摘がぼやく。
「わたしだって・・・・」
大竹実も同じようにぼやいた。
大竹寿代は、夫と見知らぬ女の人格が入れ替わっていると聞かされて茫然としていた。そんなことは俄に信じられることではない。しかし、目の前にいる夫の態度はいつもとまったく違うのだ。なよなよとして、まるで女だ。
大竹実は、外では亭主関白を気取っている。寿代もまた、男はそうあるべきだと思っていたから、まるで封建時代の妻のようにかしずいていた。目の前にいる夫は、夫の姿をしているけれど、寿代の夫ではない。そう確信していた。
それに引き替え、寿代の目の前にいる相良菜摘という女は、女の姿をしているが、その態度、ものの言い方、どれひとつとっても、まさに夫そのものだった。
ホントに入れ替わってる。
椎原千絵も、大竹実と相良菜摘の入れ替わりを信じざるを得なかった。千絵の連れてきた菜摘は、まったく女らしいところがなかった。ワンピースを着せるとき、スカートは穿かない、イヤこれしかないと押し問答の末、やっと着せたのだった。
話し方は勿論、歩き方も女らしいところがまったく見られなかった。男の人格と入れ替わったと聞かされて、千絵が真っ先に納得したのだった。
それにしても可哀想な菜摘。美人で気だてが良くって、まだ・・・・処女なのに。男になってしまうなんて・・・・。
「あのう。悪いんですけど、わたしはそろそろ帰らせて貰っていいですか?」
春川がそう言いだした。
「あ、そうですね。わざわざ同伴していただいて申し訳ありませんでした」
木村が丁寧に礼を言う。
「木村先生。入れ替わりの原因が判明したら教えてくださいね」
「分かってますよ。あ、それから、この件は原因がはっきりするまで、当分の間口外されないようにお願いしますよ」
「分かっています。患者さんのプライバシーに関わることは口外しないと言うのは、医者の鉄則ですからね」
「じゃあ、お疲れさんでした」
「失礼します」
春川医師が診察室から出ていくと、相良菜摘が口を開いた。
「先生。これからどうするんでしょうか?」
「ちょっと聞いておきたいことがあるんですがね」
「何でしょうか?」
4人が、木村を見つめる。
「ふたりに何らかの接点はないでしょうか?」
木村は、ふたりが共謀して入れ替わりの芝居をしているという考えを完全には捨てていなかった。だから、そう聞いたのだ。
「わたしたちふたりにですか?」
「そうだ」
大竹実と、相良菜摘が顔を見合わせる。
「ないですね」
「ありませんわ」
ふたりがほとんど同時に答えた。
「大竹さんの奥さん、それから、伊藤先生でしたっけ、どうです?」
「夫は、今まで浮気のひとつもしたことはないし、伊藤先生と飲みに行くとき以外は、ほとんど真っ直ぐ家に帰ってきますから、この方とお付き合いする暇はないはずです。ねえ、伊藤先生?」
「そうですとも。大竹先生ほどの堅物は見たことがないですよ。飲みに行ったときでも、女のいるところには行きたがらないし、ぼくと別れると、家に直行ですもんね」
相良菜摘がうんうんと頷く。
「そうですか・・・・。じゃあ、相良さんの方は?」
「菜摘はわたしに何でも話してくれるけど、彼氏がいるって話しは聞いたことがないわ。会社の帰りに食事に誘ったら、必ず乗ってくるし、夜中に電話かけて、アパートにいなかったことなんて一度もないんですから」
「つまり、ふたりに接点はないと」
「あるはずがありません」
大竹寿代と椎原菜摘がハモルようにして答えた。
ふたりに接点がなければ、互いに情報を交換して、入れ替わっている振りをしているという木村の仮説は覆されることになる。
人格の入れ替わり・・・・。事実なら、学会に発表できるが、後でそれが嘘だと分かったら、何と言われるか分かったものじゃない。ともかく、もっと調べてからだ。木村は、そう決心した。
「今日はもう遅いから、明日にしましょう」
「明日って、わたしはどうすれば?」
「そうです。どうすりゃいいんですか?」
ふたりの患者が木村に詰め寄った。木村は考える。帰宅させる場合、どちらに返すべきか? 肉体に合わせるか? 人格に合わせるか?
「ねえ、先生、どうしたらいいんですか?」
「帰る場所はふたりともあるだろうけど、どちらに帰ったらいいのか、わたしには分からない。お二人はどう思いますか?」
大竹実と相良菜摘が顔を見合わせる。
「分からないわ」
と、大竹実が下を向いて呟く。
「そうです。女の体じゃ、家には帰れないし、彼女のアパートに行くのも、おかしいような気がする」
「そうです。わたしの部屋の中を他人に見られたくありません」
「・・・・そうでしょうね。それでは、明日からも検査を続けたいので、入院と言うことにしましょうか?」
「入院!?」
「それがいいわ。そうしてください」
大竹の妻が後ろから言う。
「それがいいですね」
伊藤もそう答える。
「仕事は・・・・」
相良菜摘(人格は大竹と言うことだが)が呟く。
「こんな状態では仕事どころではないでしょう?」
「・・・・そうですね」
ふたりとも納得する。
「過労による心身消耗と言うことで診断書を書きますので、伊藤さんと、椎原さんでしたっけ、職場に提出して下さいますか?」
伊藤と椎原千絵が頷いた。木村は、看護婦に入院の指示をして、診察室に戻った。まだ患者が残っていたのだ。
さて入院となったものの、相良菜摘の方は、大部屋でもいいと返事したらしいが、大竹実の方は、大部屋に抵抗したと看護婦が木村に報告してきた。
入れ替わっていることを前提とすれば、女である相良菜摘の人格を持つ大竹実としては、男部屋に入院することが躊躇われたのであろう。木村としては納得できる反応である。一方、大竹実の人格を持つ相良菜摘としては、入院中の女の行動が見られるわけだから(たまたま入院が予定された部屋のは若い女性の入院患者がいた)、スケベ根性のある男としては、むしろ大部屋の方が望ましいとも言える。・・・・あくまで、入れ替わりがあるという前提で考えればの話しのだが・・・・。
結局ふたりとも、何とか個室を確保して、入院させることとなった。異性の人格を持つ人物が同室していたことが分かって、後々問題となったら困るからだ。