第12章 願いは火にくべよ


 野上寿代は、安松二郎に与えられたマンションの中で悔やんでいた。こんなはずじゃなかったと。
 結婚してくれると言ったのに、安松は生返事をするばかりだった。明日、届けを出しにいこうと言われて待っていると、仕事が入ったと言ってくる。マンションはそう安いものではない。女がひとりで暮らすには広すぎるくらいだ。しかし、安松との結婚生活を夢見ていた寿代にとって、裏切られた思いが強かった。それに、結婚を約束しながら、まるで愛人を囲うような安松の態度は許せなかった。

 一週間ぶりに安松が、寿代の住むマンションへやって来た。恨み言を言いたいのに、安松を目の前にすると寿代はなかなか言い出せないでいた。
 事が終わったあと、安松がベッドの中で煙草を吸いながら言った。
 「来週から一ヶ月くらい来られないからな」
 「一ヶ月も?」
 「ああ」
 「仕事なの?」
 「いや。旅行だ」
 「旅行? どこに?」
 「ヨーロッパだ」
 「わあ、いいな。わたしも連れてって」
 安松は、ちょっと顔を背けた。
 「連れて行くわけにはいかない」
 「どうしてよ」
 「新婚旅行なんだ」
 寿代の驚きは大きかった。
 「新婚旅行って、誰と!?」
 「県議の娘だ。・・・・ホントはおまえと結婚したいんだが、親父の仕事の関係で、無理矢理結婚させられるんだ」
 「そんなことって・・・・」
 「おまえにはすまないとは思っている。しかし、仕方がないんだ。政略結婚みたいなものなんだ」
 「断って! そんな結婚、今すぐ」
 「だめだよ。もう引き返せないところまで来ているんだ」
 寿代はベッドに顔を埋めて泣いた。
 「結婚してもおまえの面倒は見るからな」
 そんな問題じゃない。そんな問題じゃないと、心の中で寿代は叫びながら、部屋から出て行く安松を見ていた。


 「菜摘。そろそろ元に戻ったって事にしないか?」
 大竹と菜摘が一緒に暮らし始めて二週間ほど経ったとき、大竹が夕食の箸を動かしながら菜摘にそう話しかけた。
 「まだ一ヶ月経ってないわよ」
 「もう飽き飽きしたよ。入れ替わった振りなんて」」
 「そうね。千絵との関係がぎくしゃくしてるからね」
 「俺も何だ。伊藤はあれ以来飲みに誘ってくれないからな」
 「ゴルフにも行きたいんでしょう?」
 「そう。インターネットとゴルフが俺の生き甲斐だからな」
 「あら? わたしは?」
 「菜摘は、それ以前の問題だよ。菜摘がいなければ、俺は生きていけない」
 「ふふ。嬉しいわ」
 「じゃあ、明日から、元に戻ったことにしような」
 「うん。これで、少し楽になるわ」


 ベッドの中にひとりでいると、寿代は無性に寂しさを覚えた。安松が結婚してくれていたら、こんな思いはしなくてすんだのにと。
 そう思えば思うほど、悔しくてならない。寿代は決心した。結婚式に押し掛けて、ぶちこわしてやろうと。


 野上寿代が結婚式場へ乱入してきたときには、安松二郎は肝を冷やした。まさか、そこまでするとは思っていなかったのだ。ガードマンに野上寿代が連れ出された後、花嫁の父である県議に、若いうちには、こう言うこともやっていた方がいいと苦笑混じりに言われた。安松は、ただ項垂れているしかなかった。
 式は無事終了し、安松は、二次会三次会と悪友たちに飲まされた後、新妻の待つスイートに戻ってきた。
 「野上寿代さんが自殺したって」
 「ええっ!?」
 「テレビでやってたわ」
 「そうか・・・・」
 可哀想なことをしたと思った。しかし、それも仕方のないことだと思う。寿代と結婚しても何のメリットもない。しかし、今日手に入れた新妻には、大きなバックが控えている。男が出世するためには、女のひとりやふたり捨てなければならない。これで良かったんだと。
 「二郎さん。早く」
 新妻がベッドから手招きをした。
 「すぐ行くよ」


 目覚めると、大竹は妙な違和感を覚えた。胸が圧迫されているのだ。心臓発作であろうか? 慌てて起き上がって胸を触ってみた。その時触れたものに、大竹は驚きの声を上げた。
 「こ、これは何だ!?」
 大竹は、真っ白なブラジャーをしていた。そのブラジャーの下には柔らかい膨らみがあった。
 ベッドに眠っているはずの菜摘の方を見た。大竹はもう一度驚く。そこには、菜摘ではなく、自分自身が鼾をかいて眠っていた。
 大竹は、ベッドから飛び出して、ベッドルームの端に置かれているドレッサーを覗き込んだ。鏡には、驚きに歪んだ菜摘の顔が写っていた。
 「どうなってるんだ!!」
 ごそごそとベッドの方から音がする。振り返ると、自分自身が眠そうな顔をしてベッドの端に座っていた。
 「菜摘!」
 その声に、ベッドの主は驚きに目を見張った。
 「あ、あなたは誰?」
 その声は大竹のものだったが、口調は女言葉。大竹は、すぐに気がついた。
 「菜摘! 今度は本当に入れ替わったみたいだ!」
 「嘘!」
 大竹の姿をした菜摘が慌てて股間を触る。
 「何が起こったの?」
 「分からない。ともかく、ぼくたちは本当に入れ替わってしまったみたいだ」
 「あの魔法が今頃になって効いたとでも言うの?」
 「・・・・そうかもしれない」
 「どうしたら?」
 「寿代があの本を持っている。魔法の本だ。元に戻す呪文が書いてあるかもしれない。すぐに寿代のマンションへ行ってみよう」

 急病で休むとお互いの職場に連絡した後、ふたりは寿代のマンションへタクシーを飛ばした。
 寿代が住んでいるマンションの部屋のドアをノックする。出ない。ふたりは力の限りノックした。しかし、虚しく音が響くだけだった。
 しばらくして、ふたりが寿代の部屋の前で騒いでいるのを誰かが通報したのか、管理人らしい男がふたりのそばへやって来た。
 「困りますねえ。ここで騒いでもらっては・・・・」
 「この部屋に住んでいる野上寿代さんは、何処かへお出かけなんでしょうか?」
 大竹になった菜摘が、それらしく男言葉で尋ねた。
 「返事がないんだったら、出かけてるんでしょう」
 「そうですか。・・・・中で待たせて貰うわけには行かないでしょうね」
 「中で待つって、あなた、野上さんとどんなご関係で?」
 「先月寿代と離婚した夫です。慰謝料のことで、話し合う約束だったものですから」
 菜摘はなかなか上手いと菜摘になった大竹は心の中で思う。
 「そうですか・・・・。あなたの確かな身元が分かるものを持っていますか?」
 「ああ、名刺なら持ってますが」
 大竹になった菜摘が、名刺入れの中から、一枚取り出して管理人に手渡した。
 「あれ? 明野高校の先生ですか。孫が明野高校に通ってるんですよ」
 「そうですか。じゃあ、ぼくのことを知ってると思いますよ」
 「そう言うことなら、いいでしょう」
 管理人は、ドアの鍵を開けてふたりを部屋の中に入れて、戻っていった。

 「なんか焦げ臭いな」
 「ホントに」
 リビングのテーブルの上にある灰皿の中に羊皮紙の燃えかすがあった。写真を包んであった羊皮紙だろうか? 菜摘になった大竹が首を傾げる。
 「どんな本?」
 「B5判で、厚さは1センチくらい。表紙に箒を持った魔女の絵が描かれている」
 「分かったわ」
 ふたりで、部屋の中を探し回ったが、見つからなかった。

 「寿代のやつ、後生大事に持っていったみたいだな」
 「それとも、他のどこかに隠してあるか?」
 「寿代を見つけだして、問い質してみよう」
 ソファーに座って、そんなことを話していると、管理人が部屋に飛び込んできた。
 「た、大変ですよ」
 「どうしたんですか?」
 「野上さんが自殺したみたいですよ」
 「ええっ!?」
 「いま、テレビでやってました。ビルの屋上から飛び降りたみたいです」
 「そんな・・・・」
 テレビをつけてみた。ニュースはすでに終わっていて、天気予報が流れていた。
 「ホントなんですね」
 「嘘言っても仕方ないじゃないですか」
 「それもそうですね」
 寿代が死んでしまったとしたら、魔法の本の手がかりはなくなる。ふたりは力無く、マンションを出た。

 「どうする?」
 「どうするって、どうしようもないでしょう?」
 「そんなこと言ったって・・・・」
 「今まで、入れ替わった振りが、ホントに入れ替わっただけじゃないの。このままやるしかないわ」
 菜摘になった大竹は項垂れる。
 「わたしになるのがイヤなの?」
 「そんなことないよ。そんなことないけど・・・・」
 「男らしく諦めなさいよ」
 「今は女だよ」
 「言葉の綾よ」
 「参った・・・・」
 「いつかは元に戻るかも知れないわ。それまでふたりで頑張りましょう?」
 「そうするか」
 「そうしましょう」
 ふたりはスカイラインに乗り込むと、大竹の家へ向かって車を走らせた。


 ベッドの上に重なり合うふたつの影。ひとりは安松二郎。もうひとりは結婚式を挙げたばかりの新妻の紀子。
 安松に貫かれながら、紀子が囁く。
 「愛してるわ。二郎」
 「俺もだ」
 ギシギシとベッドが軋む。そのベッドの枕元に、魔女の表紙が描かれた魔法の本が置かれていた。紀子は、安松に気付かれないように魔法の本の表紙を裏返しにした。
 紀子は、安松二郎の熱いほとばしりを受けながら10日前のことを思い出す。

 あんなに愛した安松が、寿代の知らない女と結婚してしまう。ベッドの中で泣きながら、ふとあの魔法の本のことを思い出した。
 「あの魔法を使えば・・・・」
 どの様に使うか? 安松と県議の娘を入れ替えてしまう。面白い復讐になるかもしれない。しかし、大竹と相良菜摘の場合のように、ふたりがその状態になれて生きていけば、復讐にならない。
 じっと考える。わたしが県議の娘と入れ替わればいいんだ。そうすれば、わたしは安松の妻になれる。そう、寿代は考えた。

 県議の娘・紀子が美容院に行くのを尾行し髪の毛を手に入れた。その時、風景を撮る振りをして、写真も手に入れた。
 寿代は、マンションに帰ると、さっそく魔法をかけることにした。本棚から本を取り出すと、大竹と菜摘の写真、髪の毛が入った羊皮紙がするりと抜けて床に落ちた。
 「まだあったの。こんなもの捨てなきゃ」
 大竹と菜摘の写真と髪の毛の入った羊皮紙の包みをテーブルの上に放り出して、寿代は自分の写真と県議の娘の写真、髪の毛を羊皮紙に包んで呪文を唱えた。
 「×△○×△○○×△○△×○×△○△×△○△○」
 「これでよし。後は、入れ替わるのを待つだけだわ」

 大竹と菜摘に魔法をかけたときは、5日後に効果が現れた。しかし、いつまでたっても効果が現れなかった。とうとう安松の結婚式が明日に迫った。しかし、魔法は一向に効かない。
 「どうして効かないのよ!!」
 そう叫んでみたけれど、考えてみれば、人格を入れ替える魔法なんてあるはずがないのだ。それに思い至ったとき、寿代は、大竹と菜摘に騙されていたことに気付いた。
 「あいつら、入れ替わった振りをしていたのね」
 悔し涙が流れた。しかし、今更どうしようもなかった。
 「浮気してたんだし、1000万とこのマンションが手に入ったんだから、贅沢を言うのは止めよう」
 寿代は、写真と髪の毛の入った二組の羊皮紙の包みを灰皿の中に入れると、火を点けて燃やした。
 翌朝、目を覚ますと寿代は、安松の結婚相手、紀子になっていた。

 「燃やさないと魔法が効かないなんてどこにも書いてなかったわ。書いた人に文句言わなきゃ。それにしても紀子は馬鹿ね。この紀子より、寿代の方がずっと美人だったのに、死んでしまうなんて。生きていれば、いつかはいいこともあるのに・・・・」
 紀子となった寿代は、安松の腕に抱かれながら、そう心の中で呟いてにやりと笑った。