第1章 それぞれの趣味

 ドンドンドン。ドンドンドン。部屋のドアを誰かが叩いている。
 (うるさいなあ。一体誰だよ。眠たいのに)
 ぼくは、布団の中で寝返りを打った。ドンドンドン。ドンドンドン。ドアの向こうで誰かが叫んでいる。眠い目を擦りながら、時計を見ると、午前9時前を指していた。
 (えっ!? もう、こんな時間?)
 ぼくは慌てて、ベッドから起き出した。ドンドンドン。ドンドンドン。ドアは執拗に叩かれる。
 「分かった。分かった。いま開けるよ。ちょっと待ってくれよ」
 ぼくの声が届いたのか、ドアを叩く音が停まった。ぼくは、昨夜、床の上に脱ぎ捨てていたジーンズを穿いて、Tシャツを頭から被った。ロックを外してドアを開けると、ぼさぼさ頭に無精ひげの友永和夫がくわえ煙草で立っていた。
 「友田あ。いつまで寝てんだよ。講義に遅れるぞ」
 ヤニ臭い息で、そう言う。
 「ちょっと遅くまで推理小説を読んでいて」
 欠伸をしながら、ぼくはベッドに戻った。友永は、教科書の入った鞄を床に放り出すと、ドタリと座り込んだ。
 「推理小説? 何が面白いんだよ。あんなもん」
 友永はくわえていた煙草をもみ消して、新たな煙草に火をつけた。この部屋の吸い殻入れの中にある煙草の吸い殻は、全部友永が残したものだ。
 「おまえは読まないのか?」
 「読んだことないさ」
 「読んだことなければ、面白いか面白くないか、わからんだろう?」
 友永は肩を竦めた。
 「俺の趣味じゃない」
 「じゃあ、おまえは何を読むんだ?」
 「プレーボーイ、ペントハウス、週間宝島・・・・」
 ぼくは、がっくりと首を項垂れる。
 「おまえなあ・・・・」
 「遅れるぞ」
 友永は煙草をもみ消して立ち上がり、ドアの方へ向かった。
 「はい、はい」
 応用物理学と生化学の教科書を鞄に詰めると、ぼくは部屋を出てドアにロックした。友永は、すでに道路に出ていて、自転車に跨っていた。

 ぼくはさる大学の応用化学科の2年に在籍している。最近ようやく面白いと感じるようになった。1年の頃は、好きで入った学部じゃなかったので、いつ辞めようかとそればかり考えていた。しかし、浪人してもう一度あの下らない、役にも立たない受験勉強をすると思うと、辞めてしまうのに躊躇い、そうこうしているうちに2年になってしまった。で、諦めもあるけれど、応用化学科も結構面白いと思い始めて、最近は身を入れて勉強するようになった。ま、そう言う訳なのだ。

 今ぼくの前を自転車で走っている男、友永和夫は、大学に入ってからの友人で、同じ応用化学科に在籍している。まだ高校生と間違われるぼくと並ぶと随分年上に見える。だから、絶対1浪か2浪はしていると思っていたけど、聞いてみると現役だと言うことだ。つまり、ぼくと同い年なのだが、絶対そんな風には見えない。
 真面目と不真面目が混在しているような男で、どちらが本性なのか、ぼくには判断できない。まあ、人間って言うのは、みんなそんなものかもしれない。
 「おい。友田。あそこにいるのは、衛藤百合子じゃないか?」
 突然自転車を停め、振り向いて友永がぼくに言った。急に停まるから、友永の自転車に危うく追突するところだった。友永が顎で示す、ぼくたちの走っている道路の50メートルほど先に、背中まで届くロングヘヤーで、白のブラウスに水色のベスト、チェックのミニスカートを穿いた女が歩いていた。
 「後ろ姿だけで、よく分かるなあ」
 「あのロングヘヤー、服装、あの足のくびれ方、衛藤に間違いない。ちょっと声をかけてくる」
 そう言い残すと、友永はぼくを置いて自転車を走らせていった。衛藤百合子は、応用化学科のアイドル的存在で、同級の男たちの憧れの的だ。友永もその例外ではなく、何度か口説いてみたが、尽く断られたと言っていた。衛藤百合子に嫌われているはずなのに、性懲りもなく声をかけている。先々週あった学科主催の歓迎コンパの時に、衛藤百合子に聞いてみたら、友永は彼女のもっとも嫌いなタイプだと言うことだった。彼女が友永の誘いを受けるはずがないのになと友永の後ろ姿を見ながら思う。
 友永は、衛藤百合子に追いついて、二言三言話しをしていたが、案の定突っ慳貪な返事をされたらしく、ぼくに向かって両手を広げ肩を竦めて見せた。
 「冷たいやつ」
 ぼくが追いつくと、友永がそう言って溜息をついた。
 「彼氏がいるんじゃないのか?」
 「いてもいいさ。そうだろう?」
 「えっ!? そうかなあ・・・・」
 「今どき、彼氏のひとりなんて女は貴重品だぞ」
 「へええ、そんなもんかい?」
 「2,3人と付き合って、一番いいのを選ぶってのが、今の女だよ」
 「ふーん」
 ちょっと信じられないなと思いながら、ペダルを踏んだ。

 午前の講義も午後の実験も、友永がそばにいて、あれこれとしゃべりまくる。まあ、良く喋る男だと思う。その上、煙草を一日100本も吸う。煙草の煙と共に息を吸い、駄洒落混じりの言葉と共に煙と息を吐く。そんな感じだ。友永が煙草を吸わないのは、眠っているときだけと言っても過言ではない。1年半、こんな調子だから、慣れたと言えば慣れたけど・・・・。だけど、このまま付き合っていたら、ぼくの方が肺癌になりそうな気がする。肺癌になったら、絶対慰謝料を友永に請求してやろうと思っている。
 「友田。夕飯は何にする?」
 並んで自転車を走らせながら聞いてくる。
 「『早苗』に行こうか?」
 「『早苗』か・・・・。そうだな。たまにはそうするか」
 『早苗』と言うのは、大学とぼくの住むアパートの丁度真ん中あたりにある小さな食堂の名前だ。食堂をやっている女将さんの名前が早苗らしい。女将さんは、名前からは想像できないような巨漢で、恐らくぼくよりは体重があると思う。ビア樽。そう、ビア樽という表現がマッチするおばさんだ。見かけはちょっといただけないが、愛想はいいし、料理は美味い。ただ、対照的に愛想が悪くて、口やかましいご主人がいて、飯を食ってる間中ブツブツ言われるので、週に一度くらいしか行かないのだ。友永がちょっと躊躇いがちな返事をしたのはそのためだ。
 店の前に自転車を停め、暖簾を潜った。
 「ごめんください。空いてますか?」
 「見りゃわかるだろう? 奥が空いてるよ」
 と言うご主人の言葉に、友永と顔を見合わせながら、奥のテーブルに陣取った。友田は早速煙草に火をつけた。
 「俺。焼き魚定食。友田は?」
 「うーん。なんにしよう・・・・」
 「早く決めろよ。先に頼むぜ。小父さん、焼き魚定食ね」
 「焼き魚定食2丁」
 「はいよ」
 女将さんの返事がした。
 (2丁って、ぼくも焼き魚定食になっちゃった?)
 「あのう・・・・」
 注文を変更しようとするぼくを友永が遮った。
 「今から変更すると、怒られるぞ」
 ぼくは豚ショウガ焼き定食にしようと思っていたのに、そう言われて黙り込んだ。
 (仕方がない・・・・)
 「飯食い終わったら、お前んとこ、寄ってもいいか?」
 にやりと笑って、友永は煙を吐き出す。
 「いいけど、また何か落とすのか?」
 「いいサイトを見つけたんだ。もろ見えだぞ」
 「お前も好きだなあ」
 「友田は嫌いなのか?」
 「嫌いって事はないけど、そんなにたくさん集めて何にするんだ?」
 「コレクションさ。コレクションは多いがいいに決まってる」
 友永は、『早苗』での1本目の煙草を揉み消すと、2本目に火をつけた。
 「そうりゃそうだけど。何も、あんな画像ばっかり集めなくても、他に何か集めるもんがあるだろう?」
 「インターネットの大部分は、そのためにあるって言う話し、おまえ、聞いたことないのか?」
 「聞いたことあるけど、おまえは大部分じゃなくて、全部みたいだな」
 「悪うござんした」
 「お待ち」
 ご主人が、盆に乗せた定食を運んできて、話しは中断された。
 「はい、焼き魚定食。・・・・きみい。煙草の吸いすぎは体の毒だって、前も言わなかったかな?」
 「はあ・・・・」
 友永は、慌てて煙草を消した。
 「それに、味覚も損なわれるから、折角作ってくれた料理を堪能できないぞ」
 友永は首を竦めて小さくなる。
 「煙草は止めなさい。煙草は」
 ご主人が去っていき、ぼくと友永は、一回大きく溜息をついてから食事に取りかかる。食事中は、黙っていないといけないと言う不文律がある。勿論、この店の中だけの話しだ。食事しながら話しをしているとご主人が飛んできて文句を言うのだ。
 「食事中に話しをするのは、消化に悪いんだ。大学生のくせにそんなことも知らないのか!?」
 てな具合だ。消化に悪くても、お喋りしながら食べる方がずっと楽しいと思うのだが、この店では御法度。しゃべり中毒の友永としては、ストレスの溜まる場所だ。ま、ストレスが溜まっても、安くて美味しい食事には換えられないと言ったところだ。
 サンマの塩焼きは美味かった。味噌汁は勿論美味いのだが、キュウリのぬか漬けが絶品だった。

 「美味しかった。小父さん、いくら?」
 友永は、席を立って会計を始めた。
 「別々かい?」
 「一緒でいいよ」
 「960円也だよ」
 「じゃあ、1000円から」
 「俺の分は俺が払うよ」
 ぼくは、友永の後ろからそう言う。
 「いつも電話代使わせているからさあ。たまにはな」
 「飯代払ってくれるより、電話代払ってくれる方がいいんだけどなあ」
 「そんなに使ってないだろう?」
 「そんなに使ってるさ」
 ぼくは口を尖らせる。
 「はい。お釣り。40万円也」
 「また来ます」
 「毎度あり」
 そんな言葉に送られて、ぼくたちは店の外に出た。『早苗』のご主人の愛想が悪いと言ったのは訂正だ。小言が多いだけだ。
 「最近ピンチなんだ。Rwatch入れているから、使った電話代に見合うだけ、置いて行けよ」
 「今日はいいだろう? 今日は飯代を払ってやったんだから」
 「・・・・今日の飯代は、昨日までの電話代分だな」
 「そんな冷たいこと言うなよ」
 「冷たいって、俺が毎月いくら電話代を払ってるか知ってるのか?」
 友永はちょっと考えてから返事をした。
 「分かった。分かった。払うよ。払えばいいんだろう?」
 「そう言うことだよ」
 「自分ちで落とした方がいいかな?」
 「そうしたら?」
 ぼくは、すましてそう答えた。
 「おまえのアパートの方が早いからなあ・・・・」
 「そりゃそうだろう。ISDNだからな」
 「仕方がない。趣味を極めるためだ」
 「大した趣味でもないくせに」
 「へへっ」
 自転車の鍵を締めると、友永はぼくのアパートの階段を駆け昇っていった。

 友永は、週に二度ほどぼくのアパートにやってきて、17インチの画面に大きく映し出された画像を食い入るように見ながら、1時間ほどかけて無料無修正画像を落としていく。
 ぼくは頭の中で計算する。
 (現在の設定では、5分10円。1時間で120円。月に8回やってくるとして、960円だな。1000円足らずか。友情と1000円と天秤に掛けると・・・・。払えって、強引に言わなかった方が良かったかな)
 ちょっと後悔した。
 「すごいんだな」
 ぼくは画面を横から覗いて、目を丸くした。男のあれが女のあれの中に入っている写真が、モザイクなしに表示されていた。それも一枚や二枚じゃないのだ。
 「ああ」
 「こんなの、違法じゃないのか?」
 「日本語で書かれているけど、日本のサイトじゃないんだ。ほら、違うだろう?」
 ぼくは、アドレスを見た。アメリカにあるサイトのようだ。
 「なるほど。でも、無料で載せて、何のメリットがあるんだ?」
 「ここにバナーがあるだろう? こいつで、有料サイトに引っ張り込むんだ」
 「なるほど。じゃあ、これは餌って言うわけだ」
 「そう。餌だけでも、結構美味いよ」
 「ここから、有料サイトに入るなよ」
 「入ってもおまえの迷惑にはならないさ。クレジット番号は俺のを使うからな」
 「・・・・そうだな。あ、そうそう。今月から、うちの電話は、国内だけしか使えないからな」
 「えっ!? 何故?」
 「先月、国際電話から請求書が来たんだ。おまえが、ここからかけた所為だよ」
 「国際電話なんてかけてないよ」
 「自動でかけさせて、儲けるやつがいるんだよ。だから、外には掛からないようにしてもらった」
 「いくら、請求されたんだ?」
 「1万6千円」
 「げっ! 1万6千円!! それは悪かった・・・・」
 「ホントは全部払ってもらいたいくらいだけど、おまえと俺の仲だから、勘弁してやる。悪気があったわけじゃないだろうからな」
 「すまん。・・・・半分だけでも払おうか?」
 いつになく殊勝なことを言う。ぼくはちょっとビックリと言ったところ。
 「・・・・そうだな。そうして貰えると嬉しいが」
 「じゃあ、次のバイト代が入ったら、持ってくるわ。それでいいだろう?」
 「いいよ。仕送りまでは何とかなるから」
 「すまないね」
 今日も1時間ちょっとの間、友永は無料無修正画像をたっぷり落とした。女が変わるだけで、同じ様な画像を良くも飽きもせずに集めるものだと感心する。

 ぼくは、友永がパソコンに向かっている間、コーヒーを入れてやって、壁に凭れて昨日の夜読み切れなかった推理小説の続きを読んでいた。
 「じゃあ、帰るから」
 午後10時過ぎ、モデムを切って友永が立ち上がった。
 「ああ」
 「明日は起こしに来ないからな」
 「講義はないのか?」
 「昨日言わなかったか? 明日は、休むって言ってなかったっけ?」
 「ああ、そんなこと言ってたな」
 「じゃあ、お休み」
 ドアに手をかけて出ていこうとする友永を呼び止めた。
 「今日の支払い、130円は?」
 「ああっ! 覚えていたか」
 友永は舌を出す。
 「あったりまえだ」
 「へいへい。130円」
 財布の中から、小銭をぼくに投げてよこした。
 「基本料金分は頂かないんだから、少しは感謝しろよな」
 「感謝感激雨あられ。じゃあな」
 手を振りながら、友永は出ていく。
 「バイ」

 友永が帰ったあと、冷えたコーヒーをすすりながら、推理小説を読み進んだ。30分ほどして推理小説を読み終わり、風呂のお湯を溜めながら、メールをチェックする。
 毎日新聞、日経新聞、窓の杜、その他諸々の場所からのメールが10通ほど届いていた。中をざっと見て、面白そうなものにチェックを入れ巡回して廻る。
 今日も大したものはなかった。いつもそうなんだけど、チェックしたら、見に行かないと気が済まないのだ。お湯が溜まった後も、ぼくは1時間も画面を眺めていた。

 メールチェックが終わった後、少しぬるくなったお湯にかなり長く浸かっていた。
 (極楽極楽、こうしているときがホント幸せだ。ちょっと年寄りじみているかな?)
 友永は、風呂上がりには缶ビールを飲むって言うけど、ぼくは酒の類はあんまり好きじゃない。大抵は、コーラ。なければ、ウーロン茶と言うところ。今日は、ペットボトル入りのサイダーを口にした。
 (素朴でいいな。サイダー)
 サイダーを飲み終わると、ぼくは玄関の鍵をチェックする。大丈夫だ。それから、窓のカーテンに隙間がないように完全に締めた。
 それから、まだスイッチの切っていないコンピューターに向かう。友永は、落とした画像をMOに移して、ぼくのハードの中には残していなかった。しかし・・・・、IEのキャッシュの中には残っているはずだ。
 IEのアイコンをダブルクリックして立ち上げ、オフライン作業にする。それから、履歴を見る。上から順番に探していくと、出てきた、出てきた。
 ぼくは友永のようにMOには落とさない。証拠を残したくないからだ。気に入った画像があった。
 ぼくは、押入の奥にしまってある箱を取り出す。中に入っているものを取り出し、トランクスを脱いでそれを着た。ウイッグを被ると、コンピューターの前に座り直した。
 そう。ぼくは今女装している。女物のパンツを穿き、ブラジャーをして、さらにスリップを着ている。これは、帰省したときに、姉のものをこっそり盗んできたものだ。ワンピースが欲しいと思っているけど、なかなか手に入らない。だから、下着姿で我慢している。ウイッグは、去年大学祭で女装させられたときのものだ。
 モニターに映し出された画像を見ながら、女になった気分になる。女になって男に犯されている自分を想像するのだ。そんな風に考えていると、息子が硬度を増してくる。ぼくは、女物のパンツの横から息子を取り出してしごき始める。
 こんな風にしないといかなくなったのはいつの頃からだろうか? そんなことを思いながら、快感に浸っていた。