第6章 夏の虫が飛んできた

 その日、福沢四郎は昼間というのにブランデーの入ったグラスを片手にくつろいでいた。部屋の中には、福沢が大好きなハードロックが流れている。
 福沢は、医師免許は持っている。しかし、いわゆる病院は開いていない。口コミで尋ねてくる患者だけを診る。その患者の大部分は、まともに病院へは行けない連中ばかりだ。
 強盗をして傷を負ったものや、暴力団同士の抗争で銃で撃たれたもの、詐欺事件などを起こして、警察から逃げるために整形をするものなどなどだ。
 こんな治療には保険は当然利かないし、かなり吹っかけても現金で支払ってくれる。しかも、うまくいかなかったからといって訴えられることもない。福沢の腕ならば、万が一にもうまくいかないなんてことはない。福沢自身が抗争に巻き込まれなければ、こんなうまい話しはない。
 その日の朝、金融詐欺事件で逃げ回っている大物が退院した。福沢により整形されたその大物の顔は、まったくの別人と言ってよかった。
 礼金として置いていった2000万の現金が入ったかばんを、福沢はうれしそうに叩いてみた。
 (しばらく働かないでも食っていけるな)
 そう思うと、自然に笑みがこぼれた。ブランデーの酔いも回って心地よい。

 大きなロックの音の合間に、何かが聞こえる。福沢はソファーから立ち上がった。耳を済ませてみると確かに聞こえる。
 (誰か来ているようだが。いったい誰だ?)
 福沢は、CDを止めると裏口へ向かった。音は裏口に設置されたチャイムの音だ。この裏口は、福沢の治療を求めるものがやってくる入り口になっている。
 覗き穴から外の様子を窺ってみると、痩せた男が背中を丸めてあたりをきょろきょろ見回しながら立っていた。
 いかにも金になりそうもないなと福沢は思った。しかし・・・・。福沢はドアを開いた。
 「何の用だ?」
 「先生にお願いがあって・・・・」
 「ここのことを誰に聞いた?」
 「清子さんに」
 「清子?」
 「安らぎって言う新宿にあるスナックのママです」
 「ああ、あの清子か。・・・・中へ入れ。ここじゃ、まずい」
 福沢は、男があまり背が高くないことを確認した。
 (こいつなら使えそうだ)
 少し酔いの回った頭で考える。福沢は、先ほどの部屋へ男を案内した。
 「そこへ座れ。何か飲むか?」
 「い、いえ、結構です」
 「そうか。で、どういう用事だ?」
 「俺、滝川と言います。サツに追われてまして」
 「警察に? 何をした」
 「ご存じないんで?」
 福沢は肩をすくめた。
 「強盗傷害2件と、強盗強姦殺人の容疑で追われているんです」
 「ほう。そりゃ大したもんだ」
 「俺はやってないんです」
 「やってないのなら、警察に出頭すればいいだろう?」
 「誰も俺の言うことなんか信じてくれませんよ」
 「どうしてだ?」
 「日ごろの行いが・・・・。それに保護観察中の身ですから」
 「なるほど。で、わたしにどうしろと?」
 「俺、清子さんの前の顔を知っています」
 清子は、福沢が整形してやっていた。バケツをかぶせてもしたくないほどのブスだったが、今は誰もが振り返ってみるほどの美人になっていた。
 「つまり、整形してほしいって言うことだな」
 「はい。俺を別人の顔にしてほしいんです」
 福沢は、しめしめと思った。飛んで火にいる夏の虫とは、まさにこの男のことだ。しかし福沢は、すぐには色よい返事をしなかった。
 「金はあるのか?」
 「・・・・金ですか?」
 「そうだ。わたしの治療費は高いと言うことも聞いているんだろう?」
 「・・・・聞いてます」
 「いくら出せる?」
 滝川は、ポケットから財布を取り出した。テーブルの上に並べられた金は、2万あまりだった。
 「これで、別人にしてくれだと?」
 「出世払いと言うことで」
 「出世払い? あてがあるのか?」
 滝川は黙り込んだ。
 「あてがないのなら、どうやって料金を支払う?」
 「何でもします。お願いです。先生がやってくれなかったら、俺、死刑になってしまう」
 「死刑ねえ・・・・。そうだな。たまには人助けもいいか」
 「えっ!? やってくれるんですか?」
 「わたしがすることに一切文句を言わないと約束したら、やってあげよう」
 「ほ、ほんとですか?」
 「ああ。今の君とは似ても似つかぬ別人にしてあげよう」
 「ありがとうございます。この恩は決して忘れません」
 滝川は床に頭を擦り付けるようにして礼を言った。福沢は、滝川が何をやられるか知ったら、礼など言わないだろうなと思ったが、当然の如く黙っていた。
 「今日はこのとおり、少し飲んでいるから、手術は明日にしよう」
 「それまでに捕まったら・・・・」
 「下の病室で待ってもらうから、そんな心配はしなくていい」
 「よかった」
 「案内しよう」
 福沢は、立ち上がってリビングを出た。福沢は表玄関へと向かう。左に曲がると玄関と言うところで、右側の壁を押した。壁は音もなく開いた。
 「隠し扉ですか?」
 「そうだ。壁に汚れがつかないように気をつけるんだぞ」
 「は、はい」
 福沢は、扉の奥へと進む。すぐに急な階段になった。階段を下りるとドアがある。それを開くと、ふたたび左右にドアがあった。
 「こっちが病室だ。ここで明日まで待て」
 福沢が右手の扉を開けた。部屋は10畳くらい。中クラスのホテル並みの部屋で、真中にベッドが設えてあった。
 「食事は、向こうの壁にあるエレベーターで運ばれてくる。明日の朝は絶食だからな」
 「はい。申し訳ないです」
 「シャワールームとトイレはあっちだ。テレビも見られるから、適当に見なさい。じゃあ、明日の朝、会おう」
 「ありがとうございます」
 深々と頭を下げる滝川を残して、福沢はリビングへ戻っていった。

 福沢は受話器を取って電話する。まずは、看護婦であり、福沢の愛人でもある村木容子だ。
 「もしもし。わたしだ。帰ったばかりなのにすまんが、新しいお客がきた。まあ、そう言うな。食事と前処置を頼む。手術は明日だ。下剤と浣腸だけでいい。剃毛はいらない。あ、それと、昼食はほか弁でいいぞ。ああ、大したお客じゃないんだ。手術開始時間? 午前7時だ。なに? 早すぎるって? かなり長い手術になりそうなんだ。遅く始めれば、終わりが遅くなるだけだ。いいな。じゃあ、頼んだぞ」
 今から買い物に出かけようと思っていたのにと、かなり不機嫌そうだった。しかし、福沢の頼みを断るわけがない。
 福沢は、次の相手に電話する。電話の相手は、手術の助手を勤める柳沢克典だ。
 「もしもし。福沢です。いつもご主人にはお世話になっております。いえ、とんでもない。おられますか?」
 柳沢は、2年前から福沢の手伝いをしていた。さる病院に勤めていたが、院長と喧嘩して飛び出したものの、その院長の妨害に遭ってどこにも就職できずに困っていたのを拾ってやった。柳沢の妻は、夫が少しやましい仕事をしていることを知らない。福沢は、仕事仲間ということになっているのだ。
 「ああ、福沢だ。すまないが、明日一日空けてくれるか? 手術の開始は、午前7時からだ。丸一日はかかるだろう。そのつもりでいてくれ。じゃあ、頼んだぞ」
 福沢は、テレビのスイッチを入れて、外部入力に切り替えた。画面には、地下の病室の様子が映し出された。滝川は、ベッドの寝転がってテレビを見ているようだ。
 (滝川君。あす、君はまったくの別人に生まれ変わる)
 福沢は、にやりと笑ってテーブルの上のブランデーをぐっと飲み干した。

 地下室のベッドの上で、テレビを見るとはなしに見ていた滝川は、警察に追われているという緊張感から久しぶりに解き放たれて、うとうととしていた。
 しばらくして、ごおんと言う音がして目が覚めた。音のする方を見ると、搬送用の小さなエレベーターが動いていた。
 ランプがついて箱が停まった。扉を開いてみると、とんかつ弁当と味噌汁が載っていた。時計を見ると、午後1時だった。滝川は、カプセルホテルを危ういところで逃げ出してから何も食べていなかった。
 美味そうな匂いがした。滝川は、弁当と味噌汁を取り出して、ベッドの横にある応接セットに座って、がつがつと食べた。
 「うめえ」
 とんかつ弁当は、どこかのとんかつ専門店のテイクアウトらしかった。
 (いくらするんだろう? ほんとにうめえや)
 滝川は、あっという間に弁当を平らげた。
 (お茶がほしいな)
 そう思いながら、搬送用のエレベーターの横にインターフォンがあったのを思い出した。近寄ってスイッチを押した。
 「はい」
 女の声がした。
 「ご馳走様でした。あのう、すみませんが、お茶はいただけないでしょうか?」
 「あら? 忘れてたわ。ちょっとお待ちになって」
 弁当の殻を入れたエレベーターがあがっていくと、しばらくしてお茶の入った湯のみが降りてきた。
 (美味い。高級品だな)
 金がほとんどないのに、手術をやってくれて、しかも美味い食事を出してくれる。滝川は夢見ごこちだった。

 午後の時間は、ほとんど眠って過ごした。夕方になって、エレベーターが再び動く音がした。
 (夕食はなんだろうな?)
 期待しながら開いてみると、そこには重湯とジュースが載っているばかりだった。
 「明日は手術だもんな。仕方ないか・・・・」
 重湯とジュースを飲み干すと、それが分かったかのようにエレベータが下りてきた。こんどは、小さなグラスが載っていた。どろりとした透明な液体だった。
 「ヒマシ油です。飲みにくいでしょうが、全部のみ干してください」
 そんなメモが載っていた。
 (ヒマシ油って、下剤だよな。下剤なんてどうしてかけるんだろう?)
 不思議に思った滝川は、インターフォンを押した。
 「すみません。顔の整形手術をするのに、下剤がどうして必要なんですか?」
 「手術後は、ベッド上安静ですから。それに力むと、傷に悪影響がありますから」
 「分かりました」
 じっと寝ていなければならないからだと納得して、滝川はどろりとした液体を飲み干した。
 (飲みにくくなんてないな)
 二時間ほどして下痢が始まり、おなかのものがすべて出てしまった感じだった。
 (せっかく食ったとんかつも、もう出ちゃったんだろうな)
 ほとんど液体しか出なくなったトイレを眺めながら、滝川は思った。

 「おはよう。滝川さん」
 はっと目を覚ますと、すごく美人の看護婦さんが滝川の目の前にいた。
 「あ、おはようございます」
 「眠れました?」
 「はい。薬のおかげでぐっすりと」
 午後9時の与えられた睡眠薬で、滝川は夢も見ずに眠っていたのだ。
 「わたし、ここの看護婦の村木と言います。滝川さんが退院するまで、面倒見ますから、よろしくね」
 「こちらこそよろしくお願いします」
 「浣腸しますから」
 「浣腸ですか? もう出るものはないと思いますけど」
 「念のためです。さあ、横を向いて、トランクスを下ろして」
 若くはないけれど、こんな美人に浣腸されるなんて、恥ずかしいと思いながら、滝川は横を向いてトランクスを下ろした。
 「できるだけ我慢するのよ。だたし、おもらしはだめよ。はい、終わったわ」
 「手術は何時から?」
 「あら? 聞いてないの? 7時から。1時間後よ」
 滝川は壁にかけられた時計を見た。時計は午前6時少し過ぎを指していた。

 村木容子は、浣腸を終えて部屋を出ながら首をかしげた。
 (お金もなさそうだし、福沢はどういうつもりなんだろう?)
 階段を上がると、柳沢がポットからお湯を注いでお茶を入れようとしていた。
 「おはようございます。わたしが入れますわ」
 「おはようございます。すみませんね」
 「手術、7時からでしょう? 早いんですね」
 「福沢先生が、打ち合わせをするから少し早く来いって言うもんですからね」
 「そうですか。何の手術ですか?」
 「まだ聞いてないんですよ。整形らしいですけどね」
 「整形手術・・・・。あ、そう言えばあの子・・・・」
 村木は気づく。地下にいる滝川という男。テレビで見た強盗強姦殺人の犯人だと。
 (そんな悪いことをしそうに見えなかったけどな。強盗して、お金をたくさん持ってるのかな?)
 そんな風に考えていた。
 「やあ、早くからすまないね」
 福沢がやってきた。
 「今日はどういう手術で?」
 「地下にいる男を完全に別人に整形してやろうと思っている」
 「別人にですね。・・・・どういう素性の男なんですか?」
 「テレビでやってただろう? 下にいるのは、ここに数日の間に3件の強盗を働いた男だ」
 (やっぱり)
 村木が呟く。
 「強盗ですか? あんまり付き合いたくないですね」
 「それはそうだが、本人は否定している」
 「金を持ってるんですか?」
 「いや、ほとんど無一文だ」
 「ええっ! じゃあ、手術代は誰が出すんですか?」
 「わたしが出す」
 「わたしがって、福沢先生が?」
 「ああ、そうだ」
 「どうしてまた・・・・」
 「わたしのちょっとした道楽みたいなものだ。報酬はきちんと出すから、まあ、付き合ってくれ」
 納得いかないような顔をしながら、村木も柳沢も首を縦に振った。

 村木は、滝川に点滴をして、前投薬を投与するために地下の部屋へ降りていった。その間に福沢と柳沢は手術の手順を相談していた。

 浣腸されても便らしいものはまったくでなかった。トイレからベッドに戻ると、村木が降りてきた。手には、緑色の衣服と点滴ビン、金属のトレーを持っていた。
 「手術着に着替えて」
 村木が緑色の服を差し出した。滝川は、受け取って着替える。
 「トランクスも脱いで」
 「トランクスもって、顔の手術でしょう?」
 「手術室に入るときは、みんな脱ぐものなのよ」
 「そうですか」
 そう言われれば、そうするしかない。滝川は、村木に背を向けて、素っ裸の上に手術着を羽織った。
 「さあ、点滴するわよ。左手を出して」
 滝川は、ベッドの上で左手を出した。ぶすりと太い針を刺された。点滴ビンからぽたりぽたりと液体が落ちていく。
 「今度は筋肉注射をするわよ」
 「何の注射ですか?」
 「麻酔前投薬よ。麻酔がかかりやすく、副作用が出ないようにするのよ」
 「はあ、なるほど」
 素人は、医療関係者に言われることを疑わずに信じるしかない。

 10分ほどして、その麻酔前投薬が効いてきて、滝川は少しぼんやりとなった。
 「さあ、手術室に行くわよ」
 エコーがかかったように響く村木の声に従って、滝川は隣の手術室へと入っていった。手術室には、福沢ともうひとりの男が立っていた。
 「おはよう」
 「おはようございます。よろしくお願いします」
 滝川は、手術台に固定された。
 「さあ、麻酔に入るよ。大きく息を吸って」
 刺激のある気体がマスクに流れてきた。
 「今度目覚めたときには、君は別人に生まれ変わっている。じゃあ、お休み」
 福沢の顔が見えなくなり、滝川は眠りに落ちた。

 「それでは、手筈どおりに始めようか」
 「はい」
 滝川にとっては、まさに別人に生まれ変わるはずの手術が始まった。