第4章 濡れ衣

 滝川は、仰向けになって鼾を掻いて眠る市原の腕を抱いて足を絡ませていた。ことが終わったあと、市原が、滝川にそうしろと命令したからだ。
 「女は男にすがって生きるもんだ。分かったか!」
 市原にかかれば、女に人権などない。まして、今の滝川は、女以下の扱いしかしてもらえなかった。
 (どうしてこんなことになっちまったんだろう?)
 滝川は嘆く。
 「あの時、あの公園を通りかかったのが運のつきだった・・・・」
 あの時、あの公園とは、3月22日の事件のことだ。

 滝川は、あの日、その三日前に知り合ったブティックの店員と新宿でデートの約束をしていた。顔はよくないが、むっちりしていて、抱き甲斐がありそうな女だった。
 滝川に気がある様子だった。しかし、アルタ前で2時間待ったのに相手の女が現れなかった。相手の携帯は、何度掛けても話し中だった。
 「くそう! 騙された。馬鹿にしやがって」
 不貞腐れて市原のマンションに行こうとして、ちょうどあの公園を通りかかった。時間は午後8時くらいだったろうか?
 前も見ずに歩いていたから、ぶつかるまでそのアベックには気づかなかった。
 「どこ見て歩いてるんだよ。どけよ」
 男が、馬鹿にしたような口調で滝川に向かって吐き出すように言った。
 「なにい・・・・」
 滝川は、デートをすっぽかされて、むしゃくしゃしていた。目の前にいる幸せそうな二人連れを見て、それが増幅され、しかも男の馬鹿にしたような口調。怒りが一気に爆発した。
 滝川は、上着のポケットに忍ばせていたバタフライナイフを取り出した。
 「もう一度言ってみろ! てめえの方がぶつかって来たんだろうが!」
 滝川がただの痩せた男じゃないと分かって、男はひるんだ。
 「女の前だからって、かっこつけんじゃねえ!」
 滝川は、男にナイフを突きつける。
 「す、すまん。俺が悪かった」
 男は形勢不利と見て両手を広げ泣きを入れた。それくらいでは、滝川の怒りは収まらなかった。
 「そこに土下座して謝れ!」
 「土下座・・・・」
 女の手前、土下座などしたくなかったのだろう。男は上着のうちポケットから財布を取り出した。
 「これで勘弁してくれ」
 男は千円札を何枚か取り出して、滝川に渡そうとした。その行為に、滝川はいっそう頭にきた。
 「貴様、俺を馬鹿にするのか! 誰が金をくれと言った! 謝れって言ってんだろうが!!」
 滝川は財布を取り上げて地面に叩きつけた。
 「謝ることなんてないわよ。あっちが悪いんだから」
 女が金切り声を上げた。
 「やかましい。謝れって言ったら、謝るんだ」
 滝川は男の顔を思い切り数発殴り、後ろ襟を掴んで、土下座させようとした。
 「あんたが悪いんでしょう?」
 そう言いながら、女がバッグで滝川を叩いた。
 「この野郎! 何するんだ!」
 「きゃっ!」
 女を振り払おうとしたら、持っていたバタフライが女の腕にあたった。ブラウスが裂けて血がにじみ始めた。
 「きゃあ、きゃあ、きゃあ・・・・」
 女が大声で喚き始めた。滝川は、傷つけるつもりなどなかった。ただ、謝ってくれればよかった。なのに・・・・。
 滝川は、半年前に起こした恐喝事件で保護観察中の身だった。男を殴っただけならともかく、女をナイフで傷つけてしまった。いくらはずみだと言い訳しても、信じてもらえないと思った。滝川は慌ててその場を逃げ出した。
 (強盗傷害? 何故だ・・・・)
 翌日の新聞記事を見て信じられなかった。滝川は男が差し出した数枚の千円札はおろか、一円たりとも奪ってはいなかったからだ。
 (脅して金を奪った? 5万5千円? 嘘言いやがって!! くそう・・・・)
 相手は、品行方正な教師。滝川は街のごろつき。誰も滝川の言い分など聞いてはくれないだろう。
 そう思った滝川は、行方をくらますことにした。

 手持ちの金はほとんどなかった。飛び乗った電車を立川で降りて、宛もなくぶらぶらと歩いた。コンビニでパンと牛乳を買って食べ、その夜は公園のベンチで寝た。
 新聞には、滝川の名前は出ていたものの、顔写真など出ていなかったから、警官に見つからなければ、何とかなると考えていた。
 翌々日、手持ちの金がほとんど底をつき、滝川は空腹を抱えて住宅街を歩いていた。ふと見ると、裏口の開いた家が目に止まった。
 あたりを窺い、こっそり忍び込むと、滝川は冷蔵庫を開いて中にあったハムを取り出して齧った。美味かった。
 がたりと音がして人の気配がした。振り向くと、老婆が立っていた。
 「あ、あんた、誰?」
 滝川は、老婆の口を押さえて床に押し倒し、そばにあったガムテープで口をふさいで、腕と上半身を2、3回ぐるぐる巻きにして、その家を飛び出した。
 翌日の新聞に、滝川らしい男がまたもや強盗事件を起こしたと報じられていた。
 「いったい、どう言うことだよ」
 新聞には、滝川がナイフを突きつけて現金を奪って、老婆を縛って逃走したと書かれてあったのだ。
 (俺は一円だって盗んでいないよ)
 またもや濡れ衣を着せられたのだ。
 (どいつもこいつも嘘ばっかりつきやがって!)

 どうせそのうち捕まることになるだろう。捕まれば、2、3年はくらい込むだろうと思った。だから、滝川はやけになっていた。ともかく本当に強盗をしてでも金を手に入れよう。そう決心して手ごろな家を探すことにした。
 八王子から八高線で高崎へ出て、ぶらぶらと歩いた。子供たちが数人遊んでいるだけの閑散とした住宅街にやってきた滝川は、何軒かの家を物色して、裏口にかぎのかかっていない家を見つけた。
 (電気がついていないから、誰もいないようだ。しめしめ)
 そう思いながら、中へと入っていった。冷蔵庫の中には、すぐに食べられるようなものはなかった。キッチンのテーブルの上にバナナがあった。三本ほどを次々に剥いて頬張った。それでも足らずに、りんごを手に取った。
 滝川は皮のついたりんごは嫌いだった。シンクの下の扉を開いて、包丁を取り出してりんごを剥いて食べた。
 (何かほかに食べるものはないかな?)
 キッチンを物色していると、目の前に女が立っていた。他人が家の中にいれば驚くはずなのに、女は驚く素振りを見せなかった。驚いたのはむしろ滝川のほうだった。
 「あなた、誰よ」
 抑揚のない、気だるそうな声で、そう女が尋ねた。
 「か、金を出せ」
 バタフライナイフを突きつけてそう言ったのに、女はやはり驚かない。
 「あら? 強盗さんなの?」
 そう言って、女はキッチンの椅子に腰をおろして、滝川を見上げた。
 「そうだよ。金を出すんだ」
 「お金なら上げるわ。その代わり、ねえ、わたしを抱いてくれない?」
 「え? 何だって?」
 「わたしとセックスしてくれないかって頼んでるの」
 滝川は驚きに目を見張った。そんなことを言われるなんて思わなかったからだ。
 「ねえ、いいでしょう? わたし、飢えてんの」
 女は本気らしい。スカートを捲り上げた。女はショーツをはいていなかった。
 「い、いいのか?」
 「女のわたしが頼んでるのよ。いいに決まってるでしょう?」
 女は、剥き出しの尻を滝川に向けた。
 (据え膳だあ・・・・)
 女のそこに指を這わせると、そこはべっとりと濡れていた。ふとドアの開いたリビングのソファの上を見てみると、電動のディルドーがひとりで動いていた。女が今の今まで使っていたようだ。滝川はなるほどと納得した。
 「早くう・・・・」
 前戯も何もなかった。ただ突っ込んだだけだ。
 「もっと! もっと! もっと激しく突いて!!」
 女は狂ったように叫ぶ。滝川は、腰を動かしつづけた。
 「ううっ!!」
 毎日のように女を抱くかマスを掻くほど元気な滝川は、貯まっていたすべてを女の中にぶち込んだ。
 「ああっ! い、いいっ!」
 それほど長い時間ではなかったのに、オナニーでかなり高まっていたのだろう、女も行ったようだった。

 何分か、繋がったまま床の上に倒れていた。
 「よかったわ。わたし、久しぶりに満足したわ」
 「久しぶり・・・・」
 「ええ、最近、ご無沙汰で」
 「だから、あれを使ってんだな」
 滝川はリビングの方を顎で示した。
 「見たの? 恥ずかしいわ」
 「あんなのが必要なくらい、旦那はやってくれないのか?」
 「・・・・ほんとのこと言うとね、旦那とは一度もやったことがないの」
 「ええっ!? 結婚してんだろう?」
 「結婚はしてるわ。でも、あの人は、付き合っていたときも、ぜんぜんそんな振りを見せなかったし、初夜も酔っ払って寝てしまって・・・・。わたしが要求しても、疲れているからって言って、さっさと寝てしまうのよね」
 「そりゃ、おかしいよ」
 「あなたもそう思うでしょう?」
 「思うね。お宅の旦那、ホモなんじゃないか?」
 「そうかもしれないわ。わたしとの結婚は、隠れ蓑だと思うわ」
 「じゃあ、別れればいいのに」
 「収入がいいからね。別れたら、わたし、暮らしていけないもの」
 「そうか・・・・」
 生活のためにホモの旦那と暮らし、電動ディルドーで自分を慰めるなんて、悲しいなと滝川は思った。
 「でも、さっき久しぶりだって言ったよね」
 「ああ、旦那がしてくれないから、時々街で男を引っ掛けるの。男と違って、満足させてもらった上に、お金ももらえるしね」
 「なるほどね」
 「お金がいるんでしょう?」
 「あ、ああ」
 「あげるわ」
 「いいのか?」
 「わたしを満足させてくれたお礼みたいなものよ」
 女は財布から1万円札を数枚取り出して、滝川に渡した。
 「あなた、隣町で強盗をやった滝川って言う人でしょう?」
 「・・・・そうだよ」
 「わたしが自分から誘ったなんて言えないから、強姦したことにしてくれない?」
 「強姦!?」
 「いいでしょう? どうせそんなに罪は変わらないでしょう?」
 そんなことしなけりゃよかったのに、金をくれたから、まあいいやという気持ちになっていた。
 「そうだな」
 「じゃあ、わたしを縛って。あと一時間もすれば、うちの旦那が帰ってきて、見つけてくれるでしょうから」
 「分かった」
 滝川は、後先のことも考えずに、女の手足を縛って、裏口から逃げ出した。

 食べ放題の焼肉屋に入って、それ以上食ったら腹が破れるほど食った。店を出たときには、苦しくて歩けないほどだった。滝川は、目の前にあった駅前のカプセルホテルに宿を取って、午後8時ころから早々と寝た。

 午前5時ごろから目が覚めた。しかし、狭いベッドの中で今日一日どうしようかと考えながらごろごろしていた。
 午前6時になって、便意を催した滝川は、カプセルホテルを出る準備をしてトイレに入った。
 すっきりして服装を直しているとき、どやどやと走る足音が聞こえてきた。
 「こっちです」
 ホテルの従業員らしい声がした。
 「ほんとに滝川なんだな」
 「間違いないと思います。今朝のニュースで見た顔写真にそっくりですから」
 「そうか」
 相手はどうやら警察官のようだった。滝川は、見つからないようにトイレを抜け出して、従業員出口から外に出て、走って逃げた。
 「ニュースで見た顔写真? 大したことやってないのに、顔写真を流すかね?」
 そう思いながら、ふと駅の待合室のテレビを見た。そこには、滝川の顔写真が確かに映し出されていた。
 (強姦殺人! どう言うことだ?)
 滝川は、慌てて顔を隠して裏通りへ向かった。捨てられた新聞を拾い上げてみてみると、滝川があの女を縛って強姦し、包丁で心臓を一突きして逃げたと書かれてあった。しかも財布の中身がなくなっていたと。
 「嘘だ!!」
 強盗強姦殺人となれば、死刑になってしまうかもしれない。膝ががくがくと震えた。

 思いついて、滝川は新宿署に電話した。いつも世話になっている、百田刑事に潔白を訴えるためだ。
 「4課の百田ですね。少々お待ちください」
 少々がものすごく長く感じられた。
 「はい。捜査4課」
 「百田さんをお願いしたいんですけど」
 「百田? 何のようだ?」
 「ちょっと・・・・。百田さんに話したいことが・・・・」
 滝川は口篭もった。
 「ちょっと待て」
 やや間があって、百田の声が聞こえてきた。
 「俺だ。百田だ。ちょっと待て、飯の途中だ。お茶を一杯飲ませてくれ」
 そんなの待ってる暇はない。滝川はまくし立てた。
 「百田さん。俺はやっちゃいない!」
 「やっちゃいなって、高崎の事件のことか?」
 「そうだよ。・・・・確かに、あの家には忍び込んだよ。忍び込んだのは事実だけど、女の人を殺しただなんて、でっち上げだよ」
 「でっち上げ? 包丁からお前の指紋が出てるんだぞ。何を言うか!」
 「包丁は持ったよ。だけど、俺は刺しちゃいない!」
 「どうして包丁を持ったんだ?」
 「りんごの皮を剥くためさ」
 百田が黙り込んだ。信じてくれただろうか? 滝川は、祈るような気持ちで百田の返事を待った。
 「嘘つくな!!」
 「本当だよ。りんごを剥くために付いた指紋か、指す時に付いた指紋かくらい分かるんじゃないのか?」
 「そりゃ分からんことはないが」
 「調べてくれよ」
 「お前がやったんじゃないって言うんだな」
 「ああ、やってない」
 「犯したのもお前じゃないっていうのか?」
 「犯したのは・・・・、俺だよ」
 「そうか。それなら強姦罪は免れんな」
 「強姦はしていない。合意の上でセックスだ」
 「嘘言うな。縛ってやったりすれば、立派な強姦罪だ」
 「縛ったのは、終わったあとだ」
 「どうしてそんなことした?」
 「俺とセックスしたのを隠すためだよ」
 「そんなことが信じられるか!」
 「信じてもらわなくてもいい。だけど、殺しはやっていない」
 「じゃあ、すぐに自首しろ」
 「自首? 今自首したら、強盗殺人で死刑になっちまう。百田さん。お願いだ。調べてくれ。調べて俺のせいじゃないって分かったら、自首するよ。頼むよ、百田さん」
 「自首するのが先だ」
 「いやだ」
 「俺が何とかしてやるから」
 「百田さん、話しを長引かせて逆探知するつもりだな。もう切るよ。お願いだよ。指紋の件。よく調べておいてくれよ」
 電話を切ったあと、二つの強盗事件の潔白を言い忘れたことに気づいた。しかし、もう電話をかける気にならなかった。
 (俺の言うことなんて、誰も信じてはもらえないだろうな)
 捕まったら、死刑になる。滝川は、なんとしてでも逃げるしかないと思いつめた。