強盗傷害罪で指名手配されていた滝川の兄貴分である市原を見張らせていた五木から、滝川らしい男が市原のマンションに入っていったという連絡を受けて、百田は数人の刑事と警察官とともに市原のマンションへやってきた。
「やつは、まだ中にいるか?」
「出入り口は、ここだけですから」
「市原の部屋は8階だったな」
「はい。801号室です」
「よし、突入だ」
「家宅捜索令状はどうします?」
「そんなものは後でいい。鍵は?」
「管理人と交渉して手に入れました」
「じゃあ、あがるぞ」
百田は人数を二手に分け、一方はエレベーター、もう一方は階段から8階へと向かわせた。
エレベーターを降りると、百田は階段部隊を待った。しばらくして、ふうふう息を切らせながら、五木たちが上がってきた。
「運動不足だな。そんなことじゃ、逃げられるぞ」
「百田さんはエレベーターだから」
「俺が心臓が悪いのは知ってるだろうが」
「はあ・・・・」
百田は、半年前、軽い心筋梗塞を起こして入院していた。バルーン療法というのを受けて、今は元気に職場へ復活していた。極端に激しい運動をしなければ大丈夫と医者に言われていた。
「さあ、いくぞ」
百田は、801号室のドアの前に立つと、ドアをどんどんと叩いた。
「市原!! 市原!! 家宅捜索だ。ドアを開けろ!!」
返事はない。電力計を見ると、かなりのスピ−ドで回っている。中にいるのは間違いない。
「おい、鍵をよこせ!」
鍵を五木から受け取ると、百田は鍵を回した。
部屋の中に踏み込むと、12畳ばかりのリビングには誰もおらず、奥の部屋から呻き声が聞こえてきた。
声のする方へ入っていくと、ベッドの上で市原が腰を動かしていた。市原の下には、全裸の女が、バックから市原に責められて悶えていた。
「百田のだんな。ちょっと取り込み中で、申し訳ない」
警察官が入ってきたというのに、市原はまったく止める素振りを見せない。
(でかい乳だな)
うつ伏せでヨガリ声を上げる女の乳房を見て、百田は心の中でそう呟いた。
「何の用です?」
なおも腰を動かしながら、市原が聞く。
「滝川が来ただろう?」
「滝川? 滝川には、もう半年も会ってないな」
「嘘を言うな! 1時間ばかり前、滝川らしい男がここへ入ってくるのを確認しているんだ。隠すとためにならんぞ」
「隠すって言ったって、この狭い部屋だ。調べてもらえば、すぐに分かりますぜ」
不敵にも、薄笑いを浮かべながら市原は言った。
「見てのとおり、この部屋には、俺とこいつしかいないし、ほかの部屋ももう調べたんでしょう?」
五木が、両手を広げて百田に見つからなかった旨を告げた。
「滝川が来たら、連絡するんだぞ」
「俺にたれこめって言うんですか?」
「これ以上罪を重ねさせないためだ」
「ふん」
百田は、裸で絡み合う二人を残して、ドアへ向かった。ドアから出たとき、女の絶叫が聞こえてきた。
「くそ!!」
百田は、市原の下で悶えていた女のでかかった乳房を思い出していた。心筋梗塞で入院して以来、百田はずっと女房と寝ていない。心臓に悪いと言われたからだ。ホントのところはもういいでしょうと許可がでていたのだが、仕事が忙しくてそのチャンスがなかった。だから、余計に女の乳房が目の前をちらついた。乳首のすぐ横のほくろが、やけに目に残っていた。
「主任、張り込み、どうします?」
エレベーターの中で、五木が百田に聞いてきた。
「市原の様子はどうもおかしい。絶対何か知っている。もう少し張ることにしよう」
「・・・・そうですか」
「いやだってのか?」
「そ、そんなことはないです」
「分かってりゃいいんだ」
百田は、五木を残して覆面パトに乗り込んだ。覆面パトの後部座席に深々と腰掛けて、百田は滝川が起こした強盗傷害事件の被害者の供述を思い出していた。
被害者は、佐原光男と中尾久美。ふたりは結婚を約束しあった仲だ。佐原は国語、中尾は英語の教師で、いわゆる職場恋愛というやつだ。
問題の3月22日。ふたりは終業式と言う学校行事の一大イベントを終えて、いっしょに帰宅の途につき、夕食をともにした。
ほろ酔い加減の佐原は、中尾のアパートまでタクシーで送っていった。
「アパートの前まで行くと、ワンメーター上がるんですね。それをケチったばっかりに・・・・」
佐原は後悔するように、そう供述した。中尾のアパートから50メーターばかり手前でタクシーを下りて、公園を横切って歩いていると、痩せた男がふらりと現れ、ふたりの行く先を遮った。それが、滝川健次郎だった。
「どけよ」
女の前だったこと、少し酔っていたこと、滝川に比べて佐原のほうが体格的に勝っていたことが重なって、佐原が滝川に向かってそう言ってしまった。
「妙な男に、あんなこと言わなきゃよかったんです」
これも後悔気味に供述した。滝川は、最初から金銭を脅し取るつもりだったらしく、佐原を睨み付けるとポケットからバタフライナイフを取り出した。驚いて後退りする中尾の手首を捕まえて、ナイフを首筋に当てて佐原に要求した。
「女の命が惜しかったら、金を出せ」
「わ、分かった。金ならやるから、彼女に手を出すな」
「早くしろ」
ナイフの切っ先が首筋に当てられていて、中尾は、生きた心地がしなかったそうだ。佐原がうちポケットから財布を取り出して投げると、滝川がそれを拾い上げようとした。
「そのまま行ってしまうのを待てばよかったんですけど、怖くて・・・・」
中尾は、滝川の力が緩んだ隙に、滝川を蹴飛ばして逃げ出そうとした。
「この野郎!」
そういって、滝川は中尾に切りつけた。中尾はこのとき右の二の腕に10センチの切傷を受けている。
「きゃっ!?」
右腕を抑えて蹲る中尾を助けようと、佐原が滝川に飛び掛った。酔っている佐原が喧嘩なれしている滝川に敵うはずがなかった。
「女の前だからって言って、から元気出しやがって」
滝川に思い切り殴られて、佐原は奥歯が3本折れている。滝川は、ズボンの泥を払うと、佐原の財布から現金を抜き取った。
「おい、お前のもよこせ」
ナイフの切っ先を向けられて、中尾も財布を投げ与えた。こうしてふたりは、滝川に合計5万5千円ばかりを奪われた。
滝川が立ち去ったあと、110番通報で駆けつけてきた警察官は、佐原と中尾の供述から得られた情報を百田に回してきた。百田は、そのあたりのワルである滝川健次郎に目星をつけた。その人相風体から、これまで滝川を何度か取調べをしたことのある百田には、事件を起こしたのが滝川だとすぐに分かったのだ。
財布に残されていた指紋も一致した。百田は直ちに滝川のアパートに踏み込んだ。しかし、アパートはもぬけの殻だった。
百田はその足で、滝川がよく顔を出す、会社とは名ばかりの暴力団事務所を訪れた。
「なに? 滝川が強盗傷害? あいつにそんな根性があるのか?」
滝川の兄貴分である市原は、事務所で踏ん反り返ってそう答えた。
「確かにそうかもしれんが、ふたりがそう供述しているからな」
百田も、市原の言葉にちょっと頷きながら、そう答えた。
「信じられんな」
市原はそう呟く。滝川は、それまでにも恐喝や暴行事件を起こしていた。しかし、相手は皆、ちょっとぐれた連中相手で、今回のような素人相手の事件は初めてだったのだ。
(捕まえりゃ、事実がわかるだろう。いくらワルでも、話しはちゃんと聞いてやるのが、俺の流儀だからな)
百田はそう思っていた。
すぐにでも捕まるはずだった。しかし、滝川の行方は分からなかった。
(5万5千円ほどしか持っていないんだ。どこかで事件を起こすか、舞い戻ってくるだろう)
そう判断して、百田は滝川のアパートと、市原のマンションの見張りを置いておいたのだ。
翌々日、立川署から滝川らしい男が事件を起こしたとの連絡が入った。郊外にある民家に忍び込み、たまたま帰宅した60歳の主婦を縛って、現金を奪って逃走したのだ。残された指紋を照合してみると、確かに滝川の仕業だと分かった。
(早く捕まえんと、大きな事件を起こしそうだな)
そう思っていた矢先、また滝川が事件を起こした。今度は殺人事件だった。
「なに? 滝川が殺人事件を起こした?」
事件の一報を受けて、百田は信じられない面持ちだった。
「すぐに行く」
百田は、早速上司の許可を得て、高崎へと向かった。
「鍵のかかっていない裏口から進入したようです」
高崎署の諌山刑事が説明する。
「ガイ者は、28歳の主婦。ここで縛られて、犯された挙句、心臓を一突きにされて、ほぼ即死状態です」
百田は、床の上に書かれたチョークの白い線をじっと見つめた。
「第一発見者は?」
「仕事から帰宅したご主人です」
「そうか。何か盗まれたものは?」
「財布の中身が空っぽだそうで」
「いくら入っていた?」
「分からないそうですが、せいぜい2万くらいだろうと」
「そうか。・・・・凶器は?」
「台所の包丁です」
「指紋が出たのか?」
「はっきりと」
「そうか・・・・」
殺人事件まで起こすとは・・・・。百田はもう一度、チョークでかたどられた被害者の瘢を見た。
「犯されていたのも間違いないんだな」
「はい。腟から精液が検出されています。血液型も滝川のものと一致します」
「・・・・そうか。手負いのトラだな。これは・・・・」
「早く捕まえないと、何をしでかすか分かりません」
「全国に指名手配しよう」
「早速手続きをします」
翌日、滝川健次郎は、強盗強姦殺人の容疑で全国に指名手配された。
翌々日、デカ部屋で昼食のカツどんを食っていると同僚の佐藤が受話器を押さえて目配せした。
「百田。滝川からだ」
「なに!? 滝川からだと!?」
「逆探と録音するから、ちょっと長引かせてくれ」
「分かった」
百田は、受話器を受け取ると、ごほんと咳払いをした。
「俺だ。百田だ。ちょっと待て、飯の途中だ。お茶を一杯飲ませてくれ」
「百田さん。俺はやっちゃいない!」
長引かそうと思っていたのに、そんな声が聞こえてきて、百田はそのまま話し始めた。
「やっちゃいなって、高崎の事件のことか?」
「そうだよ。・・・・確かに、あの家には忍び込んだよ。忍び込んだのは事実だけど、女を殺しただなんて、でっち上げだよ」
「でっち上げ? 包丁からお前の指紋が出てるんだぞ。何を言うか!」
「包丁は持ったよ。だけど、俺は刺しちゃいない!」
「どうして包丁を持ったんだ?」
「りんごの皮を剥くためさ」
りんごの皮を剥くため? 百田は、現場の状況が書かれた調書を思い出す。そう言えば、テーブルの上にりんごの皮が散乱していたと書かれていた。
「嘘つくな!!」
「本当だよ。りんごを剥くために付いた指紋か、刺す時に付いた指紋かくらい分かるんじゃないのか?」
「そりゃ分からんことはないが」
「調べてくれよ」
「お前がやったんじゃないって言うんだな」
「ああ、やってない」
「犯したのもお前じゃないっていうのか?」
「犯したのは・・・・、俺だよ」
「そうか。それなら強姦罪は免れんな」
「強姦はしていない。合意の上でのセックスだ」
「嘘言うな。縛ってやったりすれば、立派な強姦罪だ」
「縛ったのは、終わったあとだ」
「どうしてそんなことした?」
「俺とセックスしたのを隠すためだよ」
「そんなことが信じられるか!」
「信じてもらわなくてもいい。・・・・だけど、殺しはやっていない」
「じゃあ、すぐに自首しろ」
「自首? 今自首したら、強盗殺人で死刑になっちまう。百田さん。お願いだ。調べてくれ。調べて俺のせいじゃないって分かったら、自首するよ。頼むよ、百田さん」
「自首するのが先だ」
「いやだ」
「俺が何とかしてやるから」
「百田さん、話しを長引かせて逆探知するつもりだな。もう切るよ。お願いだよ。指紋の件。よく調べておいてくれよ」
電話が切れた。佐藤の方を見ると、首を振った。
「だめだ。都内とまでは分かったんだが」
「都内に舞い戻っているんだな。立ち回り先を徹底的にマークしよう」
「了解」
指示を出してから、百田は鑑識にダイヤルした。
「木村さん? 百田です。ちょっとお願いが・・・・。先日の高崎の主婦殺人事件の凶器の件で・・・・。そうです。指紋の付き具合について、詳しく調べていただけませんか? あのですね。どういう握り方をしていたかを知りたいんです。そうです。逆手に持っていたかとか、両手で握っていたかとか、ま、そんなことを知りたいんですよ。お願いしますね」
滝川がやっていないと言うのなら、やっていないような気がしたのだ。
翌日、木村から携帯に連絡が入った。
「百田さん、面白いことが分かったよ。鑑識に寄ってくれるかな?」
「そうですか。すぐに伺います」
鑑識を訪れると、木村が無精髭を撫でながら百田を歓迎した。
「面白いことって、何ですか?」
「ま、そう焦らずに。コーヒーでも飲むか?」
「いただきますけど、どうだったんです?」
「少しはゆっくりしたらどうだ? 胃潰瘍になるぞ。そこの机の上に報告書をまとめてある。砂糖は?」
「一個入れてください」
百田は、そう答えて、机の上においてあった報告書に目を通した。
「指紋は、滝川のものに間違いない」
「そうですか」
「ただね。百田さんが言われた握り方なんだけど、おかしいんだよね」
「おかしい?」
「次のページに書いてあるだろう? 指紋の位置が」
百田は次のページをめくって指紋の付き方を見た。
「その指紋の付き方では、人は刺せないな」
「じゃあ、どういう握り方をすると、こんなふうな指紋がつくんでしょうか?」
「そうだな。りんごとか梨とかの果物なんかを剥くときに、そんな指紋が付くな」
「この指紋の付き方では、人は殺せない。果物を剥くときについたものだといわれるんですね」
「ま、そういうことだね」
滝川の言ったとおりだ。だとすると、殺したのは別人だと言うことになるが・・・・。
怪しいのは、第一発見者だ。百田は、すぐさま第一発見者である夫を取り調べた。
「すみません。わたしがやりました」
夫は簡単に落ちた。事件の前日、不倫していたことがばれ、罵られた挙句に家を追い出されていたのだそうだ。
もう一度謝ろうと、仕事を終えて家に帰ってみると、妻が縛られた状態で台所に転がっていた。
「早くこの縄を解いてよ!」
小馬鹿にしたような態度にムカッと来て、テーブルの上に出ていた包丁で心臓を一突きして殺してしまったと言う。もちろん指紋は付かないようにしたそうだ。
「あいつを縛ったやつに罪を着せられればと思ったんです。だけど、やっぱり罪の意識が消えなくて・・・・。いつ自首しようかと思い悩んでいたんです」
殺したのが被害者の夫だと言う報道がなされたが、その後滝川からの連絡はない。
そして、今日久しぶりに滝川の情報が入ったのだが、どこかへ逃げられたようだ。
(強盗が3件だからな。殺人の罪がのいても、かなりの刑になるのは間違いない。出てくるに出てこられないったところだろう。自首して出た方が、裁判官の心象はよくなるんだが・・・・。一ヶ月以上もたってしまった。滝川のやつめ。どこへいった!)
百田は、何とか助けてやろうと思っていたのに、むらむらと怒りが湧いてくるのを覚えた。