第12章 市原の愛人として

 清子の言い放った「ホモ野郎」の言葉に、市原は完全に切れていた。清子を拳で殴ったまでは覚えていた。どこか遠くで鳴っているパトカーのサイレンが聞こえて我に返ると、市原は清子の上に馬乗りになっていた。市原の下の清子はぐったりとして動かなかった。
 「清子? ・・・・おい、清子。冗談は止せよ」
 肩に手をかけ揺り動かしてみる。しかし、清子は何の反応もしない。目は上を向いたまま人形のように虚ろだった。半開きの口からは、赤黒い血が流れ出ていた。
 市原は、ブラウスのボタンを引きちぎって、胸に耳を当ててみた。
 「心臓が止まってる。・・・・殺っちまった・・・・」
 市原は、茫然と清子の顔を眺めていた。

 1時間ほどして、市原はようやく完全にわれを取り戻した。
 「こんな女のためにムショに行くわけにはいかねえ」
 罪の意識よりも、罰せられることを恐れた市原は、清子の死体をどこかへ処分することにした。
 「運びやすいようにバラバラにしなければ・・・・」
 意を決した市原は、清子の死体を抱えてバスルームに運ぶ。清子の衣服を包丁で切り裂いて全裸にしてから、清子の死体をばらし始めた。市原は、その昔、屠殺場で働いたことがあった。
 「関節に包丁を入れれば、バラバラにするなんて、簡単なものさ」
 返り血を浴びて服を汚すことを恐れた市原は、全裸になって包丁を振るう。その様は、まるで地獄の鬼が、罪人をさばくような光景だった。
 両手は、肩と肘の関節で切られた。両足は、股関節と膝の関節で切られた。首も簡単に切り落とされた。
 「半分にしないと、まだ重いな」
 もっとも大きな胴体を見ながら、市原は呟く。臍の上で胴体を横に切った。このとき、内臓を破らないように注意する。市原は、内臓だけを別に切り出し、胴体を三つのパーツに分けた。
 「さて、これでよしと」
 市原は、シャワーで体に付いた血を洗い流すと、そのまま、床に転がっているバラバラ死体にもシャワーを浴びせ始めた。
 「血はできるだけ洗い流しておかなければ」
 排水溝に流れるシャワーの水に血が混じらなくなった頃、市原はシャワーを止めた。

 バスルームから出て体を拭くと、市原はキッチンから今は使ってはいけなくなった黒のごみ袋を取り出してきた。
 バスルームにあるバラバラ死体をひとつずつ新聞紙にくるんでから、ビニール袋でしっかり二重に包んだ。
 12個のパ−ツとなった死体をボストンバッグの中に入れて車まで運んでいった。時計はすでに午前0時を回っていた。だから、誰にも見咎められずに車に運び入れることができた。
 すべてのパーツを車に載せ終わると、市原は千葉の山奥にあるマンションの建設現場へと向かった。この現場には、前日取立てのため行っていた。基礎のコンクリートが打たれたばかりで、固まるまで誰も現場にはいない。
 「ホントに誰もいないだろうな」
 辺りを見回しながら、市原はバラバラ死体を運んでいった。まだ固まりきっていないコンクリートの中に、バラバラ死体のパーツをひとつひとつ沈めていく。市原は、死体のパーツがひとつ沈むたびに、罪が軽くなっていくような気分を覚えていた。
 最後のひとつがコンクリートの中に沈んでいった。
 「マンションが建ってしまえば、俺の犯した罪は永久に闇の中だ」
 市原はにやりと笑う。

 マンションへ帰り着いたのは、午前4時だった。
 「ふうう。やったぜ」
 市原には罪の意識などなかった。市原はそう言う男なのだ。安心した市原は、着替えてベッドの中で眠り込んだ。

 目がさめたのは、午前11時だった。
 「ああ、疲れたぜ」
 伸びをして、首をぐるぐると回す。
 「さてと」
 市原は、ベッドルームから出てきて、顔を洗おうとバスルームへ向かう。リビングを横切ろうとして絨毯が血で汚れているのに気がついた。
 「こいつも処分しておかなければ」
 絨毯の上に固まった血をナイフでガリガリと削り取ってトイレに流し、さらにそのあとにケチャップを落としてからティッシュで拭いておいた。そうしてから、絨毯を30センチ角位に切って、紐で結んで不燃物として、ごみ箱へ出した。
 市原にとって幸いだったことは、絨毯を出したすぐそのあとにゴミ収集車がやってきて、証拠品を回収していったことだ。ゴミ収集車が走り去っていくのをマンションの部屋から見ながら市原は呟く。
 「これで、すべての証拠がなくなった」
 滝川を何とか丸め込めば、もう大丈夫だ。あいつは、俺にぞっこんだから、もし疑っても漏らすことなどないだろう。市原はほくそえんだ。

 市原のマンションに戻ってきた滝川は、市原のついた嘘を信じたようだった。市原の好きなエビチリと豚バラの煮込みをテーブルに並べながら、市原に聞いてきた。
 「ねえ、清子姉さんは、もうここへは来ないの?」
 「俺のそばにはいたくねえって言って、実家に戻ったみたいだな」
 「実家へ?」
 「北海道とか言ってたな」
 清子のほんとの実家が、北海道だと知っている滝川は、そうかと頷いた。
 「清子姉さんには、悪いことをしたわ」
 「どうしてだ?」
 「散々世話になったのに、あんたを奪ったんだもの」
 「気にすんなよ。清子は女の戦いに敗れた。それだけだ」
 「わたしを女だと言ってくれるのね」
 「ああ」
 「嬉しいい!! ・・・・わたし、性転換して、ほんとの女になろうかな?」
 そう言うと、市原が滝川を睨み付けた。
 「馬鹿なことを言うな。今のままのお前がいいんだ」
 「そうなの? じゃあ、止めた。ずっとわたしを愛してくれる?」
 「もちろんだとも」
 滝川は、市原に抱きつく。
 「おい! 汚れたじゃないか!」
 「あ、ごめんなさい」
 滝川は、市原がエビチリを取り落として汚れたワイシャツを拭くと、市原の向かいの座って、一緒に箸を動かした。

 市原は、腰を動かしながら、ベッドの上で喘ぐ滝川を見ながら思う。
 (男の滝川に入れ揚げるなんて、俺もどうかしている。しかし、こいつの魅力にはかなわんな)
 滝川の強い締め付けに耐えられず、市原は射精した。
 (ああ、いい気持ちだ・・・・。たまらん)

 翌日、滝川は明るい顔をして朝食の準備をしていた。なにしろ、いつもその存在を気にしていた清子がいなくなったのだから、気が軽くなると言うものだ。
 朝食が済んで、後片付けをしていると、市原が滝川の腰を抱いて耳元で囁いた。
 「清子がいなくなったから、スナックの方をやってくれるか?」
 「えっ!? わたしが?」
 「ああ、そうだ」
 「でも、わたしにできるかしら?」
 「清子ができたんだから、おまえにもできるさ」
 「・・・・そう。だけど、わたしは男だよ」
 「黙ってりゃ、誰にも分かるもんか」
 そうかもしれないと滝川は思う。
 「今晩、一緒に店へ行って紹介してやる。いいな」
 「はい」
 そう返事をせざるを得なかった。

 スナックのママということで、お水風の服を着て、化粧もいつもより少し派手にして、市原に連れられてスナックへ赴いた。
 「清子が、家庭の事情で実家に帰ってしまったから、ナオコにここのママを頼むことにした。よろしく頼む」
 「よろしくお願いします」
 ふたりの若い従業員が口をそろえて滝川に挨拶した。
 「わたしの方こそ、よろしくね」
 そう言うことで、滝川のスナックのママとしての生活が始まることになった。

 スナックのママなんて、何をしていいのか分からなかったけれど、従業員がやってくれたから、問題はなかった。
 「今日から、ここを任されているナオコです」
 店に来たお客に、そう挨拶するのがその日の仕事だった。
 「前のママも美人だったけど、ナオコさんも美人だねえ」
 そんな風に言われるのが嬉しかった。

 清子と同じように、午前2時にスナックを閉めて市原のマンションへ戻った。
 「ただいま」
 「おう、どうだった?」
 「疲れたわ」
 「そうか。じきに慣れるさ」
 そう言いながら、市原は滝川を抱き寄せた。
 「今日もするの?」
 「俺が欲しい癖して、よく言うよ」
 滝川は、肩を竦めて市原に唇を合わせた。

 翌日、ベッドの中でタバコを吹かしている市原の足に、足を絡めて滝川は目覚めた。
 「ナオコ、清子の住んでいたマンションを使ってもいいぞ」
 「使ってもいいって、わたし、ここでいいわ。あんたのそばにいたいから」
 「いや、向こうに行けって言うわけじゃないんだ。あのマンションは、会社から預かっているんだ。掃除くらいしておかないといけないもんだからな」
 「なんだ。わたしに掃除しろって言うこと?」
 「ま、そういうことだな」
 「分かったわ。そう言うことなら、掃除してあげる」

 朝食を一緒に食べて、市原を仕事に送り出したあと、滝川は清子の住んでいたマンションへ向かった。
 そのマンションは、代々木の駅近くにある、広さは2DKとやや狭いが、洒落たマンションだった。
 市原から預かってきた鍵で部屋の中に入ると、むっとした熱気とともに、かび臭い匂いが立ちこめていた。
 滝川は、窓を開けて空気を入れ替え、部屋の隅にあったソファーに座って、部屋の中を見回す。
 (妙だな)
 それが部屋の中を見た滝川の第一印象だった。部屋の中は綺麗に掃除されてあった。清子が結構掃除好きだったせいだ。しかし、何かがおかしい。
 洋ダンスの上に置かれた写真立て。清子と市原が写っていた。
 (あんなことがあったんだ。わたしだったら、写真なんて、破り捨てるけどな)
 キッチンには、洗って乾燥機に入れられた食器が残っていた。冷蔵庫の中身もまだ入っている。
 (ここに住むわけじゃないから捨ててしまおう)
 滝川は、食料品の類をすべてごみとして袋に入れた。
 「さて・・・・」
 ベッドルームして使われていた奥の部屋に入ってみた。カバーの掛けられたベッドが中央にある。ドレッサーの上に化粧品の山。簡単には買えそうもない、高級化粧品を手にとって見た。ここで、滝川はやはりおかしいと思った。
 (清子が化粧品を置いていくなんて・・・・)
 箪笥の扉を開いてみた。洋服がぎっしりと並んでいた。清子のお気に入りの服も残されていた。滝川は、洋ダンスの引出しを開いた。
 (下着もそのままだ・・・・。清子は着の身着のままで実家へ帰ったと言うのだろうか? あれだけ怒っていたから、市原のマンションから直接実家に帰ったのかもしれないな)
 そう考えた。

 掃除らしい掃除はキッチンの生ものの処分だけだった。滝川は、それを済ませると市原のマンションへ戻った。
 そのとき、リビングの絨毯が変わっているのに気がついた。ある疑問が、滝川の脳裏に浮かんだ。
 (あのひと、清子を殺したんじゃあ・・・・)
 しかし、そんなことを市原に聞くわけにはいかない。思いついて、滝川は区役所へ出かけた。清子の本名である飯塚加奈子の名前で住民票を取ってみた。住民票は、まだあのマンションにあった。
 (まだ手続きしてないだけかも。いくらなんでも、あの人が清子を殺してしまうなんて。あのひとは、わたしと同じくらい清子姉さんを愛していたんだから)
 清子の本籍地にまで問い合わせようとは思わなかった。
 (市原が清子を殺していれば、そのうち死体が出るはずよね)
 そう思っていた。清子らしい死体が出たと言う報道はまったくなかったから、滝川は市原が清子を殺したのではないかと言う考えを脳裏の奥に沈めた。

 市原が清子を殺し、滝川と二人で暮らし始めてさらに1年が経過した。滝川が福沢に手術されて、2年余りがたったことになる。
 市原は、滝川をまるで女のように扱った。滝川もまた、女以上に女らしく、市原につくした。市原は、相変わらず取立て屋として、滝川はスナックのママとして暮らしていた。
 滝川が男であることは、手術した福沢の関係者以外は、市原しか知らなかった。だから、市原と滝川は、仲のいい夫婦と思われていた。

 「ただいま。あんた、いいお肉を買ってきたわ。今日はしゃぶしゃぶでもしましょう」
 店が定休日の月曜日のある日、滝川は買い物袋をぶら下げて、マンションへ戻った。
 「あら? あんた、誰?」
 リビングのソファーの上に、まだ10代らしい若者がしゃちほこばって座っていた。
 「ああ、ナオコ。そいつは、先週から俺の会社で働いてるタカシって言うんだ。飯でも食いに来いって誘ったんだ。一緒に食わせてやってくれ」
 「いいわよ」
 滝川は、鍋を用意し、取り皿を三つテーブルの上に並べた。
 「さあ、どんどん食べて。たくさんあるから」
 「い、いただきます」
 遠慮がちに、タカシは箸を出した。
 「あんた。はい、ビール」
 「ああ。タカシも飲め」
 市原が、タカシに言う。
 「まだ未成年ですから・・・・」
 「高校出てんだ。もういいさ。ナオコ、注いでやれ」
 「そうよ。高校出たのなら、もう大人よ。さあ、飲んで」
 「じゃあ・・・・」
 あんな時もあったなと滝川は思いながら、タカシにビールを注いでやった。

 その夜、酔いつぶれてしまったタカシは、マンションに泊まっていくことになった。
 「ちょっと、あんた。タカシがいるでしょう? 今日くらい、我慢したら?」
 「タカシがいるから燃えるんだ。お前だってそうだろう?」
 言い出したら聞かないことは分かっている滝川は、市原の要求に答えざるを得ない。それでもいったん始めてしまうと、タカシがいるのも忘れて滝川は喘ぎ声を上げた。

 翌朝、滝川はタカシの顔を見るのが恥ずかしかった。それを隠して応対する。
 「朝ご飯、いつも食べてるの?」
 「・・・・いや」
 「食べないと体に毒よ。あのひとも、ずっと前は食べてなかったんだけど、わたしが毎朝作って食べさせているのよ」
 「おかげで太ったぞ」
 トイレから出てきて市原が言った。
 「ビールの飲みすぎよ」
 「へっ!」
 市原は肩を竦めた。
 「さあ、食べて。お味噌汁、どう?」
 「お、美味しいです」
 はにかみながら、タカシは味噌汁を吸った。

 ふたりを送り出したあと、滝川はいつものように食器を洗ってから、掃除、洗濯をこなした。昼食後、睡眠不足を補うために2時間ばかり昼寝をしてから、夕食の準備にかかった。レンジで暖めるばかりにしておいてから、店に出る準備をする。
 服を選んで着替え化粧をする。化粧も手馴れたもので、15分もあれば完璧な化粧が出来上がった。髪をすいて鏡に全身を映し、仕上がりを点検する。
 「今日も完璧!」
 滝川は、鍵をかけて店へと出かけていった。

 いつものように酔客の相手をする。スナックのママとして1年余りたった今では、何の差し障りもなく、仕事をこなせるようになっていた。
 午後10時を回った頃、店の電話が鳴った。従業員が受話器を取って応対する。エッと小さな声を上げてから、従業員は滝川に受話器を差し出す。
 「ママ。警察から」
 声を落としてそう囁いた。
 「えっ!? 警察?」
 「ええ。急ぎの用事らしいわ」
 滝川は、不安を抱きながら受話器を取った。
 「代わりました。市原です。ええ、市原裕は、わたしの夫です」
 店でもマンションでもそう言うことになっているから、滝川はそう答えた。
 「ええっ!? 殺された!」
 店の従業員とお客が一斉に滝川を見た。
 「ど、どこで? マンションで? い、いったい誰が? ・・・・分かりました。すぐに戻ります」
 真っ青になって、滝川は受話器を置いた。
 「ママ、市原さんが殺されたって?」
 「そうらしいの。すぐにマンションに戻るから、お店、お願いね」
 「分かりました。いつもどおりの時間でいいですか?」
 「任せるわ。いいようにやって」
 「はい。ママ。すぐにタクシーを呼ぶわ」
 お客に挨拶をして、コートを羽織って店の外に出た。
 「いったい、何があったのだろうか?」
 滝川は、タクシーに乗り込むと、マンションの住所を告げた。