第10章 女の別人に

 橋口隆一代議士が紹介してきた患者の手術の手伝いを終えて、村木容子が滝川を寝かせてある病室へあがっていくと、滝川はベッドの中でうんうん唸っていた。
 「痛むの?」
 唸りながら、滝川は頷いた。
 「ちょっと待ってね。すぐに痛み止めをしてあげるから」
 容子は地下まで走って降りると、ペンタジンを注射器に吸い取った。
 「痛むって?」
 福沢が、地下のベッドのそばから訪ねる。
 「ええ、ひどくうめいてるわ」
 「まあ、痛むだろうな。どんどん使っていいぞ」
 「お金にならない患者なのに?」
 「俺の道楽の患者だ。せいぜい面倒を見てやってくれ」
 「はい、はい」
 容子は、二階へ上がり、うめき続けている滝川の肩に注射した。
 「すぐに効いてきますからね。もう少しだけ待ってね」
 10分ほどすると、滝川はうめくのを止めてすやすやと眠り込んだ。包帯に覆われた滝川の顔を見ながら、容子は可哀想にと思う。だけど、性転換までは至らなかったから、元に戻せるからいいのかなと思い直した。

 橋口が紹介してきた患者は我が儘放題で、とても付き合いきれない。しかし、橋口とはかなり太いパイプでつながっているらしく、そう無碍にもできない。
 福沢は、いろいろと世話を焼きながら、滝川の手術のことを思った。
 「こっちが片付いたら、有無を言わさず手術をしてしまおうか?」
 インターネットで見る、性転換手術後の陰部の写真を思い出す。
 「あれよりは絶対綺麗にしてやる自信がある。早くやりたい。あの時、橋口代議士から電話がなければ・・・・」
 少し時間がたってから手術しようと思っていたが、どうしてもすぐにやりたくなった。翌日、患者の容態が落ち着いたところで、福沢は滝川の手術をやろうと、柳沢に電話をかけた。
 しかし、柳沢の家の電話が出ないのだ。携帯に電話して見ると、現在電波の届かないところにいますのアナウンスが流れるばかりだった。
 「くそ!! 柳沢のやつ、いったい何をしてるんだ!!」
 いくらブラックジャック並みの腕があろうとも、助手がいなければ手術はできない。柳沢に連絡がつくまでは、どうしようもなかった。

 痛み止めの注射が切れると激しい痛みが襲ってきた。滝川は何度も痛み止めを要求した。
 「こんなに痛むのなら、手術なんてしなければよかった」
 痛みの中で滝川はそう思った。しかし、手術はもう終わったあとだ。頑張るしかない。顎の痛みが最も滝川を苦しめた。それ以外は、形容しがたい顔面全体の痛みだった。それにそれほどではなかったけれど、首の痛み。
 「首の痛みって、何の痛みだ?」
 痛み止めでぼんやりした意識でそう考えた。もうひとつ分からないことがあった。胸の圧迫感だ。息ができないほどの圧迫感があった。
 看護婦の村木は、滝川に注射するとすぐにいなくなり、福沢は手術後、一度も病室へ来てくれない。滝川はひどく不安を覚えた。
 福沢が、滝川の病室へやってきたのは、滝川が手術の麻酔から目覚めて丸一日たった頃だった。
 「痛みはどうだ?」
 「まだ痛みます」
 不明瞭な言葉で、滝川はそう答えた。
 「そうか。顔全体をかなりいじったからな。ま、それも今日一杯だろう」
 痛みが引くと言われて、滝川はかなり安心した。術後の患者にとって、医者の言葉以上の薬はない。
 「どんな顔に?」
 「包帯を解いてみたら分かるよ」
 「いつ? いつ包帯を取るんですか?」
 「一週間後だ」
 「一週間後?」
 「それまでは、ずっと包帯をしたままだ。一週間後に傷の状態を見るんだ」
 「一週間後ですか・・・・。先生、こののどの痛みは何ですか?」
 「あ、ああ、のどの痛み? それは・・・・、麻酔のときに、のどに管を通したせいだ。全身麻酔だったからね」
 「そうですか。・・・・先生?」
 「なんだ? まだ聞きたいことがあるのか?」
 「はい。胸がひどく圧迫される感じなんです。これはどうしてですか?」
 「胸? ああ、胸ね。・・・・元気になったら説明するよ」
 「今じゃだめなんですか?」
 「元気になってからだ」
 そう言い残して、福沢はそそくさと病室を出て行った。

 「村木さん、お腹が減ったよ」
 腹の虫がくうとなった。
 「まだだめよ。口の中に傷があるから、三日は食事ができないのよ」
 「三日も?」
 「先生の許可が出なかったら、一週間、絶食かも?」
 「一週間! 死んでしまうよ」
 「だから点滴してるのよ」
 滝川は、毎日点滴を眺めて過ごした。激しい傷の痛みがほとんどなくなった四日目になって、ようやく流動食が出された。その流動食をストローで吸った。口の中にあると言う傷にしみたが、久しぶりの食事は美味かった。
 点滴が減らされ、それまで固定されていた腕が開放されて、自由に動かせるようになった。
 顔に包帯が巻かれているのは、術後すぐから分かっていた。顔の整形手術をしたのだから、あたりまえだろう。
 その包帯は巻かれたまま、まだ一度も交換されていない。目の縁に白い包帯が見えた。鼻の穴の部分と口の部分が開いている。鼻の部分には鼻水が、口の部分はよだれがこびり付いていた。気持ち悪いから、早く換えてほしいなと思っていた。
 自由になった手で、まだ少し痛む首を触ってみると、ここにも包帯が巻かれていた。
 「のどに管を通したから痛むって言ってたけど、どうしてこんなところに包帯が巻かれているんだろう?」
 滝川は首をかしげた。もっとおかしなことに気がついた。胸にも包帯が巻かれていることだ。
 その胸が隆起していた。包帯の上から触ってみると、ぶよっとした柔らかいものを触れた。包帯と胸の間に何かが置かれているようだった。
 「どうしてこんなぶよぶよのものを置いているんだろう?」
 そのときの滝川は、まさかそのぶよぶよしたものが、体の中にあるとは思いもよらなかったので、そう考えていたのだ。
 「村木さん。この胸の上においてあるぶよぶよしたものは何ですか?」
 「さあ、先生が来たら聞いてみたら?」
 看護婦なら知っているだろうと思って聞いたのに、村木はそんな返事しかしなかった。

 福沢は、あれ以来一度も病室へはやってこなかった。やってきたのは、包帯を交換すると言った一週間後だった。
 「さあ、包帯を取ってみよう」
 福沢が村木と一緒に、滝川の顔に巻かれた包帯を取り除いていった。
 「さて、傷の状態はまずまずだな」
 「上手く行ってるんですね」
 「ああ」
 「見せてください」
 「・・・・そうだな。しかし、まだ見ないほうがいいと思うが・・・・」
 福沢はちょっと躊躇した。
 「先生。何か問題でも?」
 「いや。何も問題はない。ただ、今は腫れがひどいからな」
 「腫れてるんですか?」
 顔全体が腫れぼったいのは滝川も感じていた。
 「一週間目だ。みんなこんなものなんだが・・・・」
 「とにかく見せてください」
 「そう言うのなら。村木君。鏡だ」
 「はい。滝川さん、はい、鏡。驚いちゃだめよ」
 そんなに驚くようなものなのだろうか? 滝川は、どきどきしながら鏡を覗き込んだ。
 「これが俺の顔!」
 顔全体が晴れ上がっていて、赤黒く内出血していた。思わず、鏡を取り落としそうになった。
 「まだ見ないほうがいいと言っただろう?」
 「腫れが引けば、もっと綺麗になるんですよね」
 「ああ、キ・レ・イになる」
 綺麗と言うところに福沢が力を入れて答えたのに、気が動転していて滝川は気がつかなかった。
 「ストリストリップは、もう剥いでおこう」
 額と首に貼られていたものを剥ぎ取られた。包帯が巻きなおされて、福沢が出て行った後になって、滝川は胸の中に何を入れてあるのか聞き忘れたことに気づいた。それに、首にも傷があった理由だ。

 日がたつにつれて、顔の腫れぼったい重みがなくなっていくのを滝川は感じていた。腫れが引いてきたのだ。
 さらに一週間目、村木が包帯を解いてから、鏡を滝川に手渡した。
 「今日はかなり見られるようになってるわ」
 滝川は、恐る恐る鏡を覗き込んだ。青黒い内出血は残っていたけれど、腫れが殆ど引いて、見られるようになっていた。
 「これが俺?」
 「そうよ?」
 「ぜんぜん違う・・・・」
 「そうよ。そのために手術を受けたんでしょう?」
 「そうだった・・・・」
 滝川は、鏡を見つめつづけた。
 「これなら、誰も俺だと気がつくまい。・・・・だけど」
 首をかしげた自分の顔に、滝川は違和感を覚えた。
 「内出血が引いたら・・・・」
 二重の大きな瞳。細く通った鼻筋。少し厚ぼったい唇。細い顎。
 「まるで・・・・。まるで、女みたいだ」
 そう思ったとき、滝川は、胸のぶよぶよとしたものの正体に思い当たった。滝川は村木を見た。村木は、慌てて病室を出て行った。
 滝川は、胸に巻かれた包帯をちぎるようにして取った。
 「なんだ? これは?」
 ぶよぶよしたものが胸の上に置かれてあると思っていたのに、胸の上にはなにもなかった。
 「これじゃあ、まるでおっぱいじゃないか」
 包帯の圧迫が取れて大きく隆起した二つの肉の塊を、滝川は茫然と眺めていた。

 しばらくして福沢が村木とともに病室へやってきた。
 「やあ、滝川君、元気かね」
 「先生! これはいったいどう言うことだ!!」
 「どう言うことって?」
 福沢は冷静な口調で答える。
 「こ、これは、この大きなでっぱりは何だ!」
 「何だって、乳房だよ。豊胸術をやったんだ」
 「豊胸術って、どうして男の俺におっぱいを作ったんだよ」
 「君が言ったんだよ。別人にしてくれって」
 「別人と乳房と、どういう関係があるんだよ」
 「君は警察に追われているんだろう?」
 「あ、ああ」
 「警察に見つからないためには、男より女の別人になったほうがいいんじゃないかと思ってね」
 「女の別人!」
 「そうだよ。顔も可愛い顔に仕上がっているだろう?」
 滝川が感じた通り、滝川の顔は女の顔に整形されていたのだ。
 「ど、どうして、俺が女にならなきゃいけないんだ」
 「女になったわけじゃない。女に見せかけるためだ。顔と胸だけで、他はいじっていないだろう?」
 「あ、ああ」
 滝川は、分かっていることなのに股間を確かめる。
 「警察は男の犯罪者を捜している。女は調べもしないだろう」
 「・・・・なるほど」
 なんとなく納得する。
 「顔だけ可愛くしたところで女には見えない。乳房がなければな」
 「そりゃ分かるけど・・・・」
 「どんなブスでも、乳房があれば、女として認知される。そうだろう?」
 「そうですね」
 「ほとぼりが冷めるまでだ。ほとぼりが冷めたら、取り除けばいい」
 「取り除けるんですね」
 滝川の顔がぱっと明るくなった。
 「もちろんだよ」
 「安心した」
 「どうだね? 女に見せかけると言うわたしのアイデアは?」
 「ま、いいけど。この大きな乳房を取り除いたあとは、男に見えるかな?」
 滝川は鏡を覗き込んだ。
 「世の中可愛い男がもてる時代だ。君もきっともてるよ」
 「そ、そうかなあ・・・・」
 福沢は、微笑みながら病室を出て行った。
 「女に化けて、ほとぼりを冷ますか。そりゃ絶対だな。福沢先生も面白いアイデアを思いついたものだ。しかし、でかいおっぱいだな。重くってしょうがないや」
 ほんとは滝川を性転換しようとしていたことなど知る由もないから、滝川は福沢に対して感謝の気持ちを抱いていた。

 「あなた。柳沢さんから電話よ」
 病室を降りると容子が受話器を福沢に手渡した。
 「柳沢。いったいどこにいたんだ? なに? 入院していた? あの手術のあと、居眠りで・・・・。そうか。で、手術の手伝いはいつからできる? 二週間後? そうか。それならしかたがない。ああ、あいつか。何とか誤魔化した。ほとぼりが冷めたら、取り除いてやると言ってね。そうだ。そのときは頼んだぞ。じゃあ、退院したら知らせてくれ」
 「柳沢さん、事故ですか?」
 「ああ。寝不足で、居眠りして電信柱にごつんだ。鎖骨と肋骨を折っているらしい」
 「まあ・・・・」
 「手術の手伝いは今でもできないことはないらしいが、二週間待てば、完璧になるそうだ」
 「二週間したら、あの子の手術をするの?」
 「少し時間をあけるか? それとも何とか誤魔化して手術台にあげるか? どうすればいいと思う?」
 「さあ、わたしには・・・・」
 「わたしとしては、早くやりたんだがな」
 含み笑いをしながら、福沢はブランデーのビンを取った。

 可哀想だから、福沢のたくらみを滝川にばらして逃がしてやろうかと、村木は思う。しかし、そのことが福沢にばれれば、村木はおそらくお払い箱になってしまうだろう。
 福沢の収入は、並みの医者の倍以上はある。福沢に捨てられるわけにはいかなかった。村木は、滝川のことを不憫に思いながらも言い出せないでいた。

 「そんな脛毛の女はいないな」
 「でも脛毛がなくなったら、元に戻ったとき、おかしいでしょう?」
 「そうか? 今の女は、男の脛毛を嫌う女が多いと聞くぞ」
 福沢に言われて、滝川は脛毛の脱毛処理を受けた。
 「声も少し高い声が出るようにしておこうか?」
 「声は・・・・」
 滝川は渋った。
 「元に戻すのも簡単だから」
 「本当ですか?」
 「レーザーで、ちょちょっとやるだけで声の高さを変えられるんだ。簡単さ」
 笑顔でそう言われると、福沢の言っていることが本当のように聞こえた。現実はそうではなかったのだが・・・・。
 この処置によって、滝川の声は高く女らしくなった。

 さらに二週間がたって、滝川の顔の内出血は完全に引いた。鏡を覗くと、可愛らしい女の子が滝川を見ているようで、恥ずかしくなった。
 「福沢先生。もう退院してもいいですか?」
 「いいだろうな。そのままじゃ女に見えないから、村木君に髪の毛を切ってもらって、女物の服を買ってきてもらったほうがいいだろうね」
 「女物の服ですか?」
 「そうじゃないと、まずいんじゃないかね?」
 「女でもジーンズやTシャツを着てますから」
 「ま、そうだね。ところで、その胸は大きすぎないかね?」
 「そうですね。重くって」
 「今になってみると、ちょっと大きすぎたかなと思ってな。少し小さいものと取り替えてあげようか?」
 「えっ! でも退院が延びるんじゃあ・・・・」
 「一日寝ていればいいよ。抜糸は例によってテープだから、君自身がやってもいい」
 「そうですか。そうですね。じゃあ、やってもらいます」
 騙されているとも知らず、滝川は再びベッドに戻った。

 リビングには、柳沢がきていてソファーに座って福沢を待っていた。
 「先生。いよいよ、決行ですか?」
 「ああ。待ちに待った手術ができるよ」
 「やったことはあるんですか?」
 「ないよ」
 「ないって、それで、ほんとにできるんですか?」
 「ビデオを何本も見たからね。大丈夫だよ」
 「性転換手術のビデオなんてあるんですか?」
 「いくらでもあるさ。プロの医者が、初めから最後までやって、ちゃんと解説が付いたものが売っている」
 「それなら安心ですね」
 「じゃあ、明日の朝、頼んだよ」
 「はい。ぐっすり寝ておきます」

 そんなふたりの様子を、滝川は階段の途中で聞いていた。胸の大きさをあんまり小さくしないでほしいと注文するつもりだったのだ。
 「性転換手術! まさか、俺に?」
 不安に思っている滝川の目の前で、福沢は性転換手術のビデオを見始めた。
 「あそこは、ああするんだな」
 福沢がぶつぶつと呟く。その姿を見て、滝川は福沢が性転換手術を滝川に施そうとしていることを確信した。
 「とんでもない!」
 滝川は、階段をそろそろと上って病室に戻った。
 「逃げ出さなきゃ」
 ロッカーにおいてあった服に着替えると、滝川は窓から樋を伝わって外へ逃げ出した。
 「この大きな乳房。どうしよう? どこかの医者で取り除いてもらえばいいんだろうけど、どうしたら・・・・」
 行き交う人が、滝川の大きな胸を見ているようで恥ずかしかった。
 「そうだ。兄貴のところへ行こう。兄貴なら、手を貸してくれるだろう」
 滝川は、兄貴分である市原裕のマンションへ向かった。

 翌日午前7時、柳沢が福沢の家へやってきた。
 「あれ? 先生、どうしたんですか? 手術の準備は?」
 「逃げられたんだ」
 「逃げられた?」
 「ああ。昨夜のうちに病室からいなくなってしまった。わたしが滝川に性転換手術をやろうとしていることを知られたのかもしれない」
 「そうですか。それは残念ですね」
 「うまくいけば、そのうち戻ってくるだろう。そのときは頼むよ」
 「戻ってきますかねえ」
 「あのシリコンバッグを取り除かなければ、おそらく戻ってくる」
 「えっ!? どう言うことですか?」
 「言ってなかったかな? あのバッグの秘密を」
 「聞いてません」
 「あのシリコンバッグには、女性ホルモンが染み込ませてあるんだ」
 「ええっ!」
 「一日にプレマリンを5ミリ飲んだと同じ血中濃度が保たれるように、徐々に溶け出すようになっている」
 「へええ。どれくらい持続するんですか?」
 「30年と能書きに書いてある」
 「30年も!?」
 「滝川は今22だから、あのシリコンバッグを取り除かない限りは50過ぎまで女性ホルモンに曝されることになるんだ」
 「となると・・・・」
 「体は女性化するのは間違いない。感じ方も女らしくなるかもしれない」
 「つまり・・・・」
 「ペニスが邪魔になるだろう。みずから進んで、ここへ手術を受けに戻ってくる」
 「他へ行ったりしませんか?」
 「ここなら金が要らないから、ここに来るさ」
 「そう言うわけですか。で、いつ頃戻ってくると予想されます?」
 「そうだな。女性ホルモンが行き渡る2、3年後だろう」
 「そんなに先ですか?」
 「楽しみは最後に残しておく主義だ」
 「そうでしたね」
 福沢は、滝川が必ず福沢の元に戻ってくると確信していた。
 「完璧な女にしてやるからな。さあ、早く戻ってこい」
 福沢はにやりと笑った。