時計がないからよく分からないが、日が暮れて1時間ばかりたったと思う。今は、午後7時頃だろうか? わたしを殺そうとする素振りはまだない。
隣の部屋のドアが開いた。女が帰って来たようだ。
「やっと準備ができたよ。テツ! 大沢さんを連れて来な」
「へい」
準備ができた? わたしを連れて来い? 何をするつもりだろうか?
「目隠ししておきなよ。分かってるわね」
「へい」
ドアが開けられ、テツの顔が見えた。
「おい、早く出て来い」
「わたしに何をするつもりだ」
「俺も知らねえ。姉御に聞くんだな」
「いやだ。何をするか聞くまで、出て行かない」
わたしは部屋の真ん中に座り込んで、抵抗する姿勢を見せた。
「言うこときかねえと、ぶっ殺すぞ」
「殺せやしないくせに」
「なにい」
テツがすごむ。手がぶるぶると震えている。
「何やってんだい。早くしな!」
「何するか聞くまで、出て来ねえって言ってるんです」
「大沢さん。だだこねるんじゃないわよ。もう一度注射して、連れて行ってやってもいいんだよ」
女の冷たい目に、わたしは従うしかなかった。目隠しをされ、両手を縛られて、男たちに両脇を抱えられて部屋を出た。
長い廊下を歩いて、階段を降りて行った。階段は13段だった。死刑台の階段も13段だと聞いたことがある。本当に死刑台に向かっている。そんな思いだった。わたしが階段を降りる姿は、屠殺場へ向かう子羊のように恐怖で縮こまっていたに違いない。
固い椅子に座らされ、両手をその椅子に縛り付けられた。太い革製のベルトだ。これは死刑用の電気椅子なのか!?
「このスイッチを入れて、この針がここまで来たら、こっちのスイッチを入れるんだよ。分かってるわね」
「このスイッチ入れて、針がここまで来たら、このスイッチだな」
「その通りよ。じゃあ、頼んだわよ」
「お任せあれ」
カツカツカツと女のハイヒールの音がした。わたしの隣に座ったようだ。いったい何が起きるんだ! 死にたくない。ただそれだけが、脳裏を渦巻いていた。
「いくぜ」
「いいわよ」
ブーンという低い音が部屋中に立ちこめてきた。
「止めてくれ! 死にたくない!!」
わたしは思わず、そう叫んでいた。
「死にはしないわ、大沢さん。ちょっと変身するだけよ」
ヘンシン? ヘンシンって、何だ?
「次のスイッチを入れるぞ」
「どうぞ」
低い音がキーンと言う高い音に変わって、わたしは気を失った。
気がついたが、頭はぼんやりしていた。目が開かない。死ななかった。良かった。寒い。とくに足元が寒い。ズボンを脱がされたのだろうかと思っていると、目隠しをされた。いつ目隠しを取られたのだろうか? どうして取った目隠しをもう一度するのだろうか? 手も縛られたが、今度はすぐに抜けられそうなほど緩い。
「注射しておきな」
眠り薬をされるようだ。さっきは、注射しないで歩かせたのに、今度は注射をする。どうしてなんだろうか? 左腕にちくりと痛みを感じた。
薄れていく意識の中で思った。今の声は誰だろうか? あの女と同じ口調だったが、男の声だった。その男の声には、聞き覚えがあるのだが、テツでも佐伯と言うもうひとりの男でもない。誰だ? いつ、この部屋に来たんだ?
抱え上げられた。わたしは、80キロ近くある。そのわたしを軽々と持ち上げたのだ。どうなっている? 疑問だらけの中で、意識が途切れた。
目が醒めた。目隠しをされ、手だけではなく、足も縛られていた。しかし、少し動かし見ると、簡単に解けてしまった。
目隠しを取って見ると、わたしのいる部屋は、またあの4畳半の部屋だった。しかし、ソファーが運び入れられ、わたしはそのソファーの上に寝かされていた。
起き上がろうとして、妙な違和感を覚えた。例えようもない違和感だ。注射をされる前に感じた足元の寒さが蘇ってきた。
足元を見て、ギョッとした。これは誰の足だ!? わたしの目の前にある足は、細く、しかもストッキングを穿いていた。動かしてみると、わたしの意志が示す通りに動く。目の前にある細い足はわたしの足だ。
足の付け根辺りに、ワインレッドの布切れが見えた。上半身を起こしてみると、長い髪の毛が落ちてきた。髪の毛を触ってみた。さらさらのストレートの髪の毛。その髪の毛を触る指は、細く、爪には真っ赤なマニキュアをしていた。腕も細い。その腕もわたしの思いのままに動く。
その腕で体を触ってみた。ワインレッドの布切れはワンピースだった。色とデザインからすると、あの女の着いていた・・・・。ワンピースの上から触る胸には膨らみがある。その膨らみは、確かに今のわたしの体の一部だ。股間には・・・・、股間には何も触れない。
何の冗談だ!? わたしは夢を見ているのか? 頬を抓ってみた。痛かった。もう一度体を触ってみた。夢じゃない。
床の上に立ち上がって、ワンピースを捲り上げて調べた。ワンピースの下は、黒のスリップ。さらにその下は、小さな黒のパンティー。そして、あの時見た臍の下に施された蝶の刺青。顔を見えないけれど、わたしは、あのテロリストの女になってしまっている。
パニックになりそうな自分の精神を落ち着かせ、わたしは考えた。わたしが座らされた椅子は、わたしと女の人格を入れ替える機械ではないだろうか? そんな機械があるとは思えないが、今の状況が、それに間違いないことを物語っている。
とすると、わたしになった女が、わたしとして警備につき、テロ行為をやるつもりなのだ。
そのテロ行為がうまくいって、わたしになった女はここへ戻ってきて、わたしと入れ替わる。わたしはどうなるか? どうせ殺すんだ。そう、女が言ってた。そうか。目的を達したあと、罪をわたしに着せた上に、証拠隠滅のため、わたしを殺すつもりだ。だから、殺すと言いながら、わたしを生かしておいたのだ。
殺されずに、例え逃げ出せたにしても、機械を処分されてしまえば、わたしと入れ替わった女がテロ行為をやったと言っても信じて貰えないだろうから、わたしは警察に追われることになってしまう。何て事だ!
しかし、どうして女がわたしになったのだろうか? もう一人の大柄な男がわたしになればいいものを・・・・。
しばらく考えて、気がついた。あの大柄な男がわたしになるってことは、わたしがあの大柄な男になるってことだ。あの大男なら、今見張りをしているテツと言う男など、子供の手をひねるように簡単にやっつけてしまうだろう。女なら、簡単に逃げ出せない。そう言うことか。
ともかく、ここを抜け出して、なんとかテロ行為を阻止しなければ。
どうやってここから逃げ出そうか? ドアには鍵が掛かっている。女の力では、このドアはとても壊せそうもない。
立ち上がって、隣の部屋を覗いてみた。テツがビールを飲みながら、雑誌を読んでいた。女のヌード写真を穴があくほど見つめている。もうひとりの男はいない。わたしの体を持っているはずの、女の姿もない。テツにわたしを見張らせて、すでに出かけたようだ。中からこのドアを開けられない以上、隣の部屋にいるテツに開けさせるしかないのだが・・・・。
しばらくして、いいアイデアを思いついた。これなら、きっとここから抜け出せる。一度深呼吸をしてから、ドアの外に向かって叫んだ。
「テツ! テツ! 聞こえないのかい? 早くここへ来な!」
テツは、驚いた顔をして、缶ビールを抱えたまま、わたしの閉じ込められている部屋の前にやってきた。
「あ、姉御・・・・」
「何ボヤッとしてるんだい。早く鍵を開けないかい!」
テツは何事が起こったのか理解できない様子だ。これならうまくいきそうだ。
「で、でも・・・・、姉御は、姉御じゃないって・・・・」
「何を寝とぼけてるんだよ! わたしのどこがわたしじゃないって言うんだよ!」
「あの地下室の機械で、大沢と入れ替わったって・・・・」
思った通り、地下室の機械は人格を入れ替える機械だ。
「入れ替わらなかったんだよ。失敗だったんだよ。それが分からないのかい」
「ええっ!? 失敗だった?」
「大沢が、入れ替わった振りをしてたんだよ」
「ほんとですかい?」
わたしは、あの機械が人格を入れ替える機械だと言うことを知らなかった。だから、もし失敗して入れ替わらなかったとしても、入れ替わった振りなどできる理屈はないのだ。しかし、テツは、そのことに気がつかなかったようだ。
「ほんとに決まってるだろう? 大沢と佐伯が出掛けて、どれくらいたつ?」
「40分くらいだけど・・・・」
「大沢が連絡して、もうそろそろ警察が来る頃だよ。早く逃げなきゃ」
ちょうどその時、遠くでパトカーのサイレンが鳴った。これは幸いだった。テツは、信じたようだ。
「す、すぐに開けます」
テツが鍵を開けている間、わたしは床の上に放置されたハイヒ−ルを履いて待った。ほかに履くものがないから、仕方がないのだ。
「姉御、どうしましょう?」
「車は?」
「佐伯さんと大沢が乗っていきやした」
「じゃあ、歩いて逃げるしかないわね」
「そ、そうですね」
「一緒じゃ、捕まりやすいから、別々の方向に逃げた方がいいでしょうね。テツ! あんたは西。わたしは、南に逃げるから。いいね」
一緒に逃げたら、入れ替わっていることがばれそうな気がした。それに、テツを連れたままでは、テロを阻止に行けない。
「分かりやした。姉御。逃げたあと、兄貴の復讐はどうするんで?」
兄貴の復讐!? いったい何のことだ? 訳が分からなかったが、答えに躊躇している時間はない。
「やっと気がついたんだ。復讐なんて、自分の身を焦がすだけだよ。やっても後悔するだけなんだ。だから、もう止めた」
「止めちまった・・・・。じゃあ、姉御。あっしは、どうすれば・・・・」
「郷里へ帰りな。帰って、まっとうになるんだ。それがあんたのためだし、ひいては、わたしのためにもなるんだ。いいね」
「堅気になるのが、姉御のためになるんですね」
「そうさ」
「分かりやした。堅気になりやす。姉御のために」
「捕まるんじゃないよ」
「へい」
テツは、玄関から飛び出して西に向かって走っていった。頭はよくないようだが、素直な男のようなのに、どうしてこんな道に入ったんだろうか? まあ、これでまともな道に戻ることができるだろう。
わたしも、外に出ようとして、玄関まで行ったが、外の寒さに震え上がった。こんな格好では、外を歩けない。部屋の中にコートが脱ぎ捨てられていたことを思い出して、部屋まで戻った。床の上に放置されていたコートを手に取ると、その下にショルダーバッグがあった。開けてみると、財布が残されている。コートを羽織り、ショルダーバッグを肩に玄関を出た。
南方向には、アスファルトの道が続き、鉄格子の門がある。わたしは、急ぎ足で歩いていった。このハイヒール、いったい何センチあるんだろうか? 歩きにくいと言ったらない。勿論、こんな靴では走れやしない。帰って来る気遣いはないとは思いながらも、もしやと言う思いがわたしを急きたてた。
鉄の門は押しても引いても開かなかった。すぐ横に通用門があった。内側から閂がしてあるだけだった。
閂をスライドさせると、通用門が開いた。わたしはホッとして、門を潜った。そのとき、遠くから、テツの叫び声が聞こえてきた。
「姉御う、気を付けてなあ」
わたしは、もう一度門から中へ顔を出して、声の聞こえてきたほうへ叫んだ。
「テツも捕まるんじゃないよう」
「へえい」
これで、テツはわたしを追いかけてくることはないだろう。しかし、あんな頭の悪そうな男がテロリストの仲間なんて? どういう関係なんだろうか? やくざの姉御と子分という感じだが・・・・。兄貴の復讐って、言っていたが、テロとどんな関係があるんだろうか?