第3章 拉致監禁

 今日は、仕事は休みだ。久しぶりにゆっくりできる。しかし、来週の警備のために、夕方、もう一度デパートに行って、中を点検しようと思っている。そんなことはしなくてもいいのだが、やらなければならないような気がするのだ。わたしの中の、少しでもミスがあってはならないという強迫観念がそうさせるのだ。

 午前10時半。わたしはのろのろと起き出して顔を洗った。昨夜もちょっと飲み過ぎた。今日も二日酔いだ。歯を磨きながら、鏡を見る。わたしの髪にも、ぽつりぽつりと白髪が出て来始めている。37歳か。年を取ったものだ。

 わたしに妻はいない。未だに独身だ。就職してから、由紀子を短大から出すため、がむしゃらに働いた。恋愛など、そのころは眼中になかった。
 由紀子が、短大を卒業して働き始め、少し余裕ができてからは、ソープやファッションヘルスにはまって、素人の女を相手にしたことがなかった。
 30過ぎてからは、女と付き合うのが煩わしく、恋愛する気にもならなかった。
 家に帰れば、食事から身の回りの世話まで、由紀子が妻のように振る舞ってくれていたから、敢えて妻を娶ろうという気にならなかったのだ。
 そんな由紀子が結婚して家を出て行って、一人暮らしとなったわたしに、3年前見合いの話しがあった。わたしが34だというのに、相手は大学を出たばかりの22歳だった。わたし自身は高卒だし、年が離れ過ぎていると断ろうと思っていたのに、相手の方が乗り気だった。婚約寸前まで行った。
 しかし・・・・。由紀子がおかしくなったのを知って断ってきた。気違いの妹がいるところには嫁にやれないと。
 それ以来、わたしは見合いの話しはすべて断っている。恋愛もするつもりはない。必ず、妹のことが引き合いに出されるからだ。二度と、あの時のような思いはしたくないのだ。

 今のわたしは、死んだも同然だ。朝起きて、仕事に出かけ、帰って寝る。その繰り返し。しかし、いつかはこんな状況も打開される。由紀子も必ず良くなる。そう、信じて生きている。そう、信じなければ、こんな辛い人生を生きてはいけない。

 ジャージを着込んで、インスタントコーヒーをすすりながら、昼飯の心配をする。コンビニの弁当か? それともファミレスにするか? 結婚していれば、こんな心配はしなくて済むのだろうか? イヤ、そんなことを言ったら、結婚した相手に失礼になる。女は、女中じゃないのだから。
 女中か。女中を雇える金があればいいのに・・・・。宝くじでも当たらないかなと思う。3億円あれば・・・・、3億円あれば、月に100万使っても、使い切るのに25年かかる。25年といえば、わたしは62になる。62まで生きれば恩の字だ。そんなことを夢想する。しかし・・・・、こんなせこい考えのわたしに、3億円なんて当たるわけがない。

 ピンポンと玄関でチャイムが鳴った。誰だろうか? わたしを訪ねてくる人間なぞ、いないはずだが・・・・。
 「ごめんください、大沢さん。宅急便です」
 女の声だ。宅急便? いったい誰からだろう? わたしは立ち上がって、玄関へ向かった。
 ドアを開けると、ダサイ制服の上下に、帽子を被った、お世辞にも美人といえない女が立っているはずだ。美人じゃないって? 美人は、宅配便の配達なんてしない。これは、わたしの偏見だろうか?
 そう思いながら、ドアを開けた。ドアの前には、女はいなかった。女の代わりに、目出し帽を被ったごつい男が立っていた。驚いた瞬間、鉄拳が飛んできた。ごつっと言う音と同時に、わたしは気を失った。

 気がつくと、床の上に倒れていた。後ろ頭が痛い。気を失って倒れた拍子に、頭を打ったようだ。鼻血が流れているのを感じた。目出し帽の男がふたり、わたしを見下ろしていた。起き上がろうとすると、押し倒された。
 「大人しくしてろ」
 「おまえたちは、何者だ!」
 「うるさい! 大人しくしてろって、言ってるだろうが!」
 わたしの右手にいた男が、鉄拳を構えてわたしを殴ろうとした。
 「それ以上殴ったら、だめよ」
 女の声がした。さっき、宅配便ですと言った女の声だ。声の方を見ると、サングラスをした、長い髪の女が立っていた。赤い口紅だけがイヤに目立つ。ワインレッドの短いワンピースに、皮のコートを羽織っていた。

 わたしは、起き上がろうとして藻掻いた。しかし、目の前に突きつけられたものを見て、力を抜いた。それは、サイレンサー付きの銃だった。
 「大沢さん、これはお察しの通り、オモチャじゃないからな」
 「わたしに、何をするつもりだ」
 「そのうち分かるわ。テツ! 部屋の中を調べな」
 「へい」
 テツを呼ばれた小柄なほうの男が、部屋の中を調べ始めた。どうやら強盗ではないようだ。強盗でなければ何者だ? 来週の警備に関係があるのか?
 「これですかね?」
 テツと呼ばれた男が女に手渡したのは、わたしの手帳だった。その手帳には、わたしの仕事の予定が書かれてある。勿論、来週の警備の手順も。
 「これだわ」
 「おまえたち、テロリストか?」
 「テロリスト? そう、そうかもね。わたしたちは理想のために戦っているのよ」
 「何が理想のためだ。ただの人殺しじゃないか!」
 返事の代わりに、目に火花が飛んだ。
 「殴っちゃだめだって、言ってるでしょう? 分かんないの!」
 「すみません」
 わたしを抑えつけている大男が、感情の籠もらない口調で言った。
 「さあ、予定の行動をとるのよ。さあ、これを注射しなさい」
 女が、わたしの上のごつい男に注射器を手渡すのが見えた。右の二の腕にブスリと針を刺された。まさか殺されるわけじゃあ・・・・。
 わたしの上の男が、わたしから手を離した。立ち上がろうとしたが、力が入らなかった。わたしの意識はしだいに遠のいていった。
 由紀子・・・・。おまえを置いて死ねない・・・・。

 目が覚めた。頭が痛む。割れるようだ。両手、両足は縛られ、自由が利かない。声を出そうと思うのに、声が出せなかった。まだ薬が効いているようだ。
 わたしは、真っ暗な空間に閉じ込められていた。ゴーという音。タイヤが路面を走る音だ。時々感じるバウンド。クラクション。カンカンカンと鳴り響く警報。わたしは、車のトランクに閉じこめられているようだ。
 カーブを切っているのか、時々体が大きく揺れ、頭や体のあちこちが、固い金属に打ち付けられた。

 どこへ連れて行かれているのだろうか? そんな疑問よりも、生きていたことが嬉しかった。生きていれば、由紀子にもう一度会える。殺されなければ・・・・。イヤ、殺されるはずがない。殺すのなら、わたしのアパートで殺していたはずだ。

 気がつくまで、どれくらい走ったか分からないが、気がついてからも車は1時間以上走ったようだ。しかも、揺れが激しくなっている。舗装されていない道を走っているのだ。かなり郊外に来たと想像される。

 車が停まった。ドアが開く音。ジャリジャリジャリと歩き去っていく音。わたしを車の中に放置して行くつもりだろうか?
 昔見た映画に、車が電磁石に吊されて、押しつぶされて立方形の金属の塊になって出てくる場面があった。007だったか? それを思い出して、恐怖が蘇ってきた。しかし、何も起こらなかった。
 静かだ。物音一つしない。ヒヨドリのさえずりが遠くから聞こえてきた。

 車が停まって、どれくらいたったろうか? 足音が近づいてきて、トランクが開かれた。急に明るくなって、目がくらんだ。目を開こうとすると、目隠しをされた。
 「おい、起きろ」
 テツという男の声だ。テツは、わたしの足を縛っていた縄をほどいた。
 「さあ、立って、歩くんだ」
 「どこへ行くんだ?」
 漸く声が出るようになっていた。
 「やかましい! 黙ってろ!!」
 トランクから出るとき、よろめいて倒れた。その拍子に目隠しが少しずれて、まわりの風景が見えた。広い庭だ。遠くに門が見えた。テツに目隠しを直され、再び何も見えなくなった。
 「さっさと歩かないか!」
 「目隠しを取ってくれれば、もっと早く歩ける」
 「だめだ」
 急き立てられて、わたしはフラフラとテツに押されるようにして歩いていった。裸足の足に砂利が痛い。砂利道はすぐに終わり、アスファルトの道になった。
 「階段があるぞ」
 テツがわたしに注意する。低い階段があった。数えると、3段あった。ギイッと軋む音がした。玄関の扉を開く音だ。
 「床にあがれ」
 タイル様の玄関から、フローリングの廊下へ上がった。ひやりとした感覚が足に伝わってくる。
 廊下らしい場所をしばらく歩かされた。がちゃがちゃと鍵を開ける音。後ろから突き飛ばされ、部屋の中へ倒れ込んだ。ドアが閉められ、人の気配がしなくなった。

 縄を解こうとするが、なかなかうまくいかない。小一時間も頑張っていただろうか? ようやく腕を縛られていた縄が解けて、目隠しを外すことができた。
 見回してみると、4畳半くらいの部屋の中だった。小さな小窓のついたドア以外に、窓も換気扇もない。何に使う部屋だろうか? ともかく、わたしは、閉じこめられている。それは間違いない。
 わたしの手帳を手に入れた奴ら。恐らく、来週の外国の要人たちを襲うのに違いない。何とか、ここを抜け出して、知らせなければ・・・・。

 頑丈なドアの小窓から覗くと、隣の部屋に男がふたりいた。服装からすると、わたしを拉致した男たちだ。ふたりとも目出し帽を外している。わたしを殴った大柄な男は背中しか見えない。テツと呼ばれた小柄な男の顔が見える。あんまり賢そうな顔はしていない。テロリストというのは、それなりに頭のいい連中が多いものだが・・・・。
 女の姿はない。どこへ行ったのだろうか? 口振りからすれば、あの女が首謀者のようだが・・・・。

 一時間ほどして、女が部屋に戻ってきた。サングラスを外した女は、結構美人だ。しかし、剃刀のように冷たい目をしていた。あれこそ、テロリストの目だ。わたしがドアの小窓から覗いているのに気がついて、ちょっとヒステリックに叫んだ。
 「あっ! 見られたじゃないか! どうして縛っておかなかったんだい!」
 大柄な男が振り向いて、わたしの方を見た。テツと違って、この男は、テロリストらしい鋭い目をしていた。
 「かなり強く縛っていたんですが・・・・」
 「ま、いいか。どうせ、殺すんだから」
 エエッという感じだった。どうせ殺す? 殺すのなら、どうしてこんな所まで連れて来たのだろうか?

 女が近づいてきた。近づくと、その冷たさが余計に伝わってくる。
 「腹減ったでしょうね? 大沢さん」
 「わたしをどうするつもりだ!」
 「そのうち、いやでも分かるわ。テツ! 食事を持って来な!」
 テツと言う男が、菓子パンと牛乳を持って近づいてくる。隙を見て逃げ出せないかと思っていると、女が二、三歩下がって銃を構え、わたしを見張っていた。とても逃げ出せる様子ではない。
 「大沢さん、逃げ出したいでしょう? だったら、腹ごしらえしておくことよ。分かったわね」
 ドアの鍵が締められると、女はそう言い残して、部屋の隅のソファーに座って、パンを噛り始めた。
 「何よ、このパン。なんて不味いの!」
 「すんません。それしかなかったもんですから・・・・」
 テツが、ぺこぺこと頭を下げた。三人の中では、テツが一番下っ端らしい。
 「仕方ないわね。夕食は、もっとまともなものを買っておいでよ。分かったね」
 「へい」
 女が言うように、不味いパンだった。しかし、腹ごしらえをしていないと、いざとなったとき逃げ出せない。これも女の言うとおりだ。
 朝からなにも食べていなかったから、差し入れられた二個のパンと牛乳を全部平らげた。不味いパンでも腹の足しにはなる。

 狭い部屋の中をうろうろして、逃げ出す方法を探る。鍵の掛けられたドアはびくともしない。体当たりして壊そうにも、あいつらが外に居れば、それもできない。
 天井の電気をドアの取っ手に継いで感電させる。そんな映画があったなと思ったが、取っ手に継ぐものがない。第一、天井に手が届かない。足場にするようなものは、何もない。
 しばらくして隣の部屋を覗くと、女がいない。何処かへ出掛けていったようだ。男たちを騙して、何とか逃げてみよう。
 「おい、おい、ちょっとすまない」
 「なんだ」
 テツとは違う、もうひとりの大男の方がドアに近づいてきた。
 「小便したいんだが、トイレに行かせてくれ」
 「小便か。困ったな。我慢できないのか」
 「漏れそうなんだ。ここでしてしまいそうだよ」
 「ちょっと待て」
 男は、テツをごそごそ相談している。それから、テツとふたりで近づいてきた。
 「これにやれ」
 男が手にしたものは、空になったウーロン茶のペットボトルだった。男が銃を構え、テツがドアの隙間からペットボトルを差し入れてきた。これではどうしようもない。テツはともかく、もう一人の男は、用心深い。こう言うことに慣れた感じがする。

 一時間ほどして、部屋が暗くなってきた。日が落ちてきたようだ。テツがカーテンを引き、部屋の明かりのスイッチを押した。部屋の中がぱっと明るくなった。
 しばらくして、女が部屋に戻ってきた。
 「姉御、まだですかい?」
 姉御!? おかしな言い方だと思った。まるで、やくざの情婦か何かのようだ。
 「もうすぐ準備ができるよ。その前に腹ごしらえしておこう。テツ! 国道まで出て、弁当でも買って来な」
 「へい」
 「くれぐれも変な素振りするんじゃないよ。普通にしてるんだよ。普通に」
 「分かってますって」
 現金を受け取って、テツはジャンバーを着こんで出て行った。

 テツが部屋を出ていってしばらくすると、女はカーテンの隙間から外を覗いている。車のエンジンがかかる音がした。
 「30分くらい掛かるかね」
 「そうだな」
 「佐伯。相手してくれる?」
 男の返事を待たずに、女はワンピースを脱ぎ始めた。男が立ち上がって近寄り、女の首筋にキスをする。女は、真っ黒なスリップを着ていた。それを脱ぐと、やはり真っ黒な下着。胸がこぼれ出しそうなデザインのブラジャー。申し訳程度に股間を隠す小さなパンティー。へその辺りに、刺青が見えた。蝶の刺青だ。
 「大沢さん、出歯亀はだめよ。でも、見られていた方が感じるわ。どう? わたしの裸。冥土の土産に見せてあげるわ。素敵でしょう?」
 わたしは目を背け、部屋の隅に蹲った。女の大きな声が聞こえてくる。わたしに聞こえるように、わざと大きな声を出しているように思えた。わたしのペニスは勃起していた。こんな状況下なのに・・・・。
 ギシギシとソファーの軋む音がしばらくして、男の呻き声、女の叫び声。やがて静かになった。その間、15分くらいだっただろうか?

 車の停まる音がした。テツが帰ってきたようだ。隣の部屋を覗くと、ふたりは服を着て悠然と煙草を吹かしていた。
 テツは両手に袋を抱えて部屋の中に入ってきた。
 「早かったのね。いいのがあった?」
 「ほか弁にしやしたけど、よかったですか?」
 テツが、買ってきたものをテーブルの上に並べる。
 「美味そうじゃないか」
 男が返事する。女は、フンと一瞥を加えただけだった。
 「大沢さんにも、持っていってやんな」
 「どれにしましょうか?」
 「一番美味そうなやつを」
 「ええっ!? どうしてですかい?」
 「後で理由を教えてやるよ。早く持ってってやんな」
 「へい」
 テツは、首を傾げながら、わたしに近づいてくる。もうひとりの男が、銃を構えているから、今度も弁当を受け取るだけだった。

 食欲はないが、逃げ出すためには、食べておかなければと思い、弁当の蓋を開けた。まだ暖かい弁当は旨かった。エビチリソースの入った弁当だった。何のために、わたしに一番旨い弁当を食わせるのだろうか? どうせ殺すと言ったのに・・・・。分からない。
 弁当の他に差し入れてくれたペットボトル入りのお茶を飲みながら、わたしは考えるが、どうしても分からない。いったい、いつわたしを殺すつもりなのだろうか? 逃げられる前に殺すのが、常識的な行動だと思うのだが・・・・。

 女がまた出て行った。どこに行ってるのだろうか? 車の音がしないから、この屋敷の中で何かやっているのは間違いないのだが、いったい何をしているのだろうか? もうすぐ準備ができると言っていたが・・・・。