第2章 警察官とガードマン

 佐々木の住む家は、古い二階建ての一戸建ての警察官舎だ。由紀子と結婚したとき、この官舎に入った。そろそろ転勤時期だから、この官舎も出なければならないだろう。
 佐々木は、由紀子から離れたくないために、転勤しないように上司に願い出ていると聞いた。そんなことをすれば、昇進に響くのに、佐々木は意に介して居ない様子だ。返す返すも、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 佐々木が鍵を廻しドアを開ける。埃臭い、かびた匂いがした。多忙な佐々木は、それほど毎日この敷居を跨いではいないようだ。
 「出前でも取りましょう。テレビでも見ていてください」
 佐々木は、電話をかけ始めた。わたしは、部屋の中をぼんやりと眺める。しばらくして、佐々木が一升瓶を抱えてやってきた。
 「ちびちびやってたら、出前が来るでしょう。さあ、どうぞ」
 佐々木から受け取ったコップで、冷酒を飲み始める。辛口の美味い酒だ。
 「どうです? いけるでしょう」
 「なんて酒だ?」
 「えっとですねえ・・・・、あれ? 大吟醸としか、書いてないなあ。ぼくの実家のすぐ近くの造り酒屋のものなんですけどね」
 「大分じゃあ、西の関が有名だろう?」
 「西の関もいいですけど、ちょっと甘口ですからね。最近は、女性が酒を結構飲むでしょう? だから受けてるんだと思うんですよ。辛口の酒はなかなかなくてですねえ。どうです? これ。いけるでしょう?」
 「いいねえ。久しぶりに、いい酒を飲んだよ。どうしたら手に入るんだ?」
 「これは、ちょっと手に入らないと思いますよ」
 「どうしてだ?」
 「この酒は、造り酒屋の主人が、道楽で作ってるんですよ。手間暇掛けて、採算抜きでね」
 「ほう」
 「だから、ほんの少ししかない限定品で、よほど懇意にしてないと譲ってくれないんですよ」
 「俊二君は、どう言うわけで?」
 「ぼくの酒好きは、親父ゆずりですから」
 「なるほど。親父さんのつてってわけだ」
 「そう言うことです。どんどん飲んでください」
 佐々木は、一升びんから、コップへ直接酒を注ぐ。

 「ところで、最近聞いた噂では、大活躍というじゃないか」
 「大活躍ってことはないですけど」
 「覚せい剤の組織をぶっ潰したんだって?」
 「完全に壊滅したかどうかは分からないんですけど、ま、とりあえず上のほうを検挙できましたからね」
 「少年係の君がねえ」
 「いや、結構高校生や、それと同じ年齢の子供たちの中に覚せい剤が広がってましてね。追いかけているうちに、大きな組織にぶち当たって、ま、巧くやっつけられたって、訳ですよ」
 「なるほどねえ」

 そんな話しをしながら、近くの中華料理屋から取った出前をつまみ、二人で飲み明かした。佐々木の実家から送られてきた二本の酒を、結局全部空けてしまった。
 そう言うことで、その夜は、そのまま佐々木の家に泊まる羽目になった。

 目を覚ますと午前6時だった。トイレで小便していると、佐々木も起き出してきた。
 「よく飲みましたね」
 「ああ、よく飲んだ」
 「大丈夫ですか?」
 「大丈夫だが、俊二君は?」
 「これくらい、屁の河童ですよ」
 佐々木は、体格がいいから、あれくらいの酒では堪えないようだ。わたしは、ちょっと二日酔い気味だ。
 「お義兄さん、ちょっとアルコールの匂いがするから、ぼくが送っていきましょう」
 「俊二君だって、匂うぞ」
 「ぼくは大丈夫。これがありますから」
 佐々木は、警察手帳をわたしに指し示した。
 「不祥事で、馘首にならないか?」
 「今日は、やってませんから、大丈夫ですよ」
 「やってないのなら、自分で行くよ。万が一、俊二君に迷惑を掛けてもいけないからね」
 「それもそうか。じゃあ、そう言うことにして、酔い覚ましに、みそ汁を作りましょう」
 「作れるのか?」
 「作れますよ。お義兄さんと違って、一人暮らしが長かったですからね」

 わたしは、生活費は稼いでいたが、料理などは由紀子に任せっきりだった。由紀子が佐々木と結婚して出て行ってから、わたしはほとんど外食に頼っていた。
 佐々木の作ったみそ汁は旨かった。作り方が由紀子のものと似ていた。懐かしい味だった。

 みそ汁と食パンという邪道の組み合わせの朝食を食べた後、佐々木とわたしは揃って家を出た。佐々木は県警へ、わたしは警備会社・大光警備保障へ。

 わたしが佐々木と知り合ったのは、5年ほど前の学校荒らし事件の時だった。わたしの会社は、市内の小中学校の夜間警備もやっている。その一つで、パソコンが盗まれる事件があった。警報が鳴って駆けつけ、捕らえた少年を引き渡したのが、佐々木だった。
 酒好き同士で馬が合い、独身だというので、由紀子に引き合わせ結婚させたのだ。由紀子は、最初は乗り気ではなかったようだが、わたしの薦めと言うことで承諾した。佐々木は勿論、由紀子に一目惚れだった。
 わたしが、ふたりを引き合わせなければ、ふたりともこんな状態にはなっていなかったのにと、ひとりになるといつも後悔している。

 「主任、来週の警備について、最終打ち合わせが10時からありますよ」
 「おう、分かった」
 会社に着いてコーヒーを飲んでいると、持田から声が掛かった。持田も来週のデパート警備に一緒になる予定だ。

 打ち合わせは、午後1時過ぎまで掛かった。わたしが関わる部分はほとんどないのに、分刻みのスケジュールをすべて点検するのだ。
 「疲れたな」
 「まったく。なに食べますか?」
 「昨日はカレーだったから、今日はカツ丼にしよう」
 「じゃあ、電話します」
 持田が、近くの出前屋に電話している。一昨日天丼だったから、明日は天丼の番だ。わたしは、この三つを順に頼んでいる。
 「たまには、定食あたり、頼んだらどうです?」
 「定食にしたって、いつも同じだろう?」
 「それもそうですね」
 わたしは、カツ丼が届くまで、来週の警備での自分の役割をメモを見ながら、もう一度点検する。全体の警備状況は、メモできない。外に漏れると悪いからだ。
 「七階の婦人服売場、美術展の入り口前だな。持田は出口付近。我が社からは、このふたりだけが七階に配備されると。まあ、警官が、一杯いるだろうから、立っていればいいだろうな」
 そんなことを心の中で思う。

 「毎度あり」
 注文から15分ほどたって、おか持ちを抱えた、エプロン姿の若い男が、勢いよく部屋に入ってきた。テーブルの上に、カツ丼と定食らしい皿を並べている。
 「主任、来ましたよ」
 「おう、今行く。いくらだ?」
 「主任、毎度のことなんですよ。値段くらい、覚えたらどうです?」
 「記憶容量が少ないから、余計なことを覚えるスペースはないんだ。そんなことを覚えたら、仕事のことを忘れてしまう」
 「ははっ、それもそうか」
 「カツ丼、650円です」
 「じゃあ、千円から」

 食事を済ませて、問題のデパートに出掛ける。地階の警備室に我が社のメンバーが三人詰めている。万引防止用の監視カメラの画面を、ぼんやりと眺めていた。
 「どうだ? 別に問題ないか?」
 「ありませんね」
 「七階へ上がってみる」
 「先ほどから、美術品の搬入が始まってます。ふたり、上がってます」
 「分かった」

 エスカレーターを七階まで上がる。今日は私服できたので、変なおっさんのふたり組だなと言うような目で見られている。いや、そうは思われていないのかもしれない。しかし、そんな、被害妄想にも似た思いが浮かんでくる。
 実際、エスカレーターに乗っているのは、十代か、二十代前半の女性ばかりだ。そんな中の似つかわしくない男ふたり組。変な目で見られないなんてことは、絶対ない。

 「よう。お疲れさん。どうだ?」
 美術展の入り口付近に、制服姿のメンバーが立っていた。
 「ああ、主任。順調に搬入されてますよ。何にも問題なしですよ」
 「何もないと思うが、用心するに越したことはないからな。持田! 店が閉まったら、店内を一度見て回るぞ」
 「ええっ!? そんなの警察の仕事でしょう?」
 「うちも独自でやっておくんだ。二重にやった方が確実だ」
 「それはそうですけど・・・・」
 「イヤなら、帰ってもいいぞ」
 「そう言う訳じゃあ・・・・。主任を置いて帰れませんよ」
 「じゃあ、文句言うな」
 「分かりました」

 警備会社に勤める人間は、初めからガードマンをしようとして勤めているわけではない。ガードマンなんて、昔々、大昔、宇津井健がやっていたようにかっこいいものではない。道路工事の誘導や、デパートの巡視、大きな会社の出入りの監視など地味な仕事ばかりだ。
 警察を退職したもの。これはまあいい。しかし、他に職がなくてやむなくやっている連中。こいつらが問題だ。他にいい職場があれば、すぐに出て行ってしまうような連中だから、真面目さに欠ける。時間から時間を過ごせばいいと思っているのだ。バブル崩壊後、こんな社員が多くなった。これらの連中を上手く使いこなすのが、長年この会社に勤めているわたしの役割だ。

 外国の要人たちが、七階の美術展へ辿り着く経路は分かっている。そこを重点的に、そのほかの場所は、簡単に調べればいい。爆発物に備えて、六階、七階は重点的に調べておくことにする。
 外国の要人と言ったって、大した国の要人じゃあない。何も起こるはずはないが、何か事が起こると、会社の面対に関わる。やり足りないより、やり過ぎくらいが丁度いいのだ。

 喫茶店で、コーヒーブレイクして時間をつぶした後、デパートが閉店になってから、持田とふたりで上から調べて回った。
 二時間で調査を終わった。夜間は、警備システムが働いているから大丈夫だ。地下の警備室に挨拶して、デパートを後にした。
 「持田、いっぱいやるか?」
 「いいですね」
 この気配りが大切なのだ。

 持田は、25歳。大学を卒業したものの、長引く不況で就職口がなく、やむを得ずわが社に入った。他に人間と違って、せっかく就職できたんだからと、結構真面目に働いている。まあ、今どきの人間らしく、遊ぶのが優先ではあるが・・・・。
 いいですねといって、わたしに付いては来たが、持田は酒に弱い。ビールをコップに2杯も飲めば、顔がまっ赤になってしまう。
 それでもわたしが誘うと、いつもひとつ返事で付き合ってくれる。
 「酒を飲む雰囲気がすきなんです」
 そう言いながら、午前様になるまで、わたしに付き合ってくれた。わたしは、持田を弟のように可愛がっている。