そろそろ円城寺家に行かなきゃと思っているのに、体が言うことを聞かなかった。鈴木は、シャワーを浴び始めた。
ふと、鈴木一郎が本名かどうか、知りたくなった。鈴木のズボンのポケットを探ってみる。財布の中の免許証は、確かに鈴木一郎だった。ほんとだった。正直に自分の名前を言った鈴木に、ちょっと安心した。悪い男じゃない。わたしの第六感通りだと。
しかし、もうひとつ出てきたものに、心底ビックリした。それは、警察手帳だった。昨日、ラーメン屋に来た警察官は、同級生だと言っていたが、あれは嘘で、鈴木の同僚だったに違いない。
「何見てんだ?」
「鈴木さん、あなた、警官だったの?」
鈴木は、財布と警察手帳をわたしから取り上げて、ズボンのポケットに収めた。それから、わたしのほうを向いて、小さな声で言った。
「・・・・黙ってて、ごめん」
「あなたみたいなロンゲの警察官が居るなんて、思ってもみなかったわ」
「いつも上司に切れって言われてるよ」
「じゃあ、わたしのこと、前から知ってたんでしょう?」
「知らなかったよ」
「嘘!」
「嘘じゃないよ。信じてくれ」
「信じられないわ」
「ホントだよ。昨日の昼、柳田さんに連れてこられたろう? 君の姿を見て、ビックリしたよ。何をしたんだろうと思って、調べたんだ。その時、渚の身元を知ったんだ」
「そうなの。でも、わたしはあなたに気がつかなかったわ。デカ部屋には居なかったよね」
「俺は交通だから、一階の奥に居るんだ。たまたま、トイレに行った帰りに、君を見かけたんだ」
「・・・・昨日、あそこに来たのは偶然だったの?」
「違う。君を探しにいったんだ」
「何故? どうしてよ」
「君のことが好きだって、言っただろう? 助けてやりたかったんだ。だから、署の前から渚が乗ったタクシーを探して。運転手が円城寺家へ連れていったって言うから、探しに行ったんだ」
「そうだったの。でも、わたしはやくざの情婦だったのよ。わたしのどこがいいのよ」
「どこがって・・・・、そんなの説明できないよ。人を好きになるのに、理由がいるのかい?」
「そんなことないけど・・・・」
「渚! 何か、人に言えない秘密があるんだろう? 俺に教えてくれ」
「だめ!! それだけは、誰にも言えない。言えないわ」
「渚を助けてやりたいんだ」
「じゃあ、何も聞かないで」
鈴木は悲しそうな顔をした。わたしが元々大島渚なら、鈴木に応えられるのに、どうしようもないのだ。わたしは、大沢光博に戻らなければならない。
「シャワー、浴びてくる」
どうして涙があふれてくるんだろう? 鈴木を好きになってしまったのだろうか? そんな馬鹿なことが起こるのだろうか?
シャワーを浴びて、鈴木のそばに戻ると、鈴木はテレビをじっと見ていた。
「昨日の午後、森田シティーホテルの924号室で、銃で撃たれ死亡した男性は、佐伯芳信さん43歳と判明しました」
佐伯? 何処かで聞いた名前だ。画面に写真が出た。あの男だ! 大島渚と一緒にいた、もうひとりの大柄な男だ。
「現場から、ふたりの男女が逃げ去ったとの目撃情報もあり、警察では行方を追っています。この男女について、先の・・・大使狙撃事件で指名手配中の大沢光博と、その妹である佐々木由紀子さんの可能性が高いとの見方が有力と言うことです」
わたしになった大島渚が、佐伯という、あの大男を撃ち殺したというのか! また罪を重ねて、何て事だ! しかし、何故だ? 仲間割れか?
そうなると、昨日は逃げ回っていて、あの時間までに円城寺家に辿り着いていなかったと言うことになる。
わたしになった大島渚の行くところは、あそこしかない。他に行くところはないはずだ。時計は、午前10時前。首を長くして、わたしが行くのを待っているはずだ。
わたしは、急いで服を着た。
「鈴木さん。わたしを助けてくれるって言ったわね」
「うん」
「すぐに出掛けたいの」
「どこへ?」
「いいから、早く」
ハイラックスに乗り込み、車を円城寺家へと向かわせた。
「また、円城寺家か? いったい、何があるんだ?」
わたしは返事をしない。鈴木は、諦めたように運転を続けた。
円城寺家の門の前に、白のブル−バードが停まっていた。ハイラックスを降りて、中を覗き込むと、運転席が血だらけだった。
由紀子は運転できるわけがない。とすると、怪我をしているのは、わたしになった大島渚だ! 佐伯と撃ち合って、怪我をしているのだ。
「鈴木さん、警察へ連絡して、応援を呼んできて」
「何があったんだ!?」
「大沢光博がこの屋敷の中にいるわ。怪我をしているみたいなの」
「大沢光博? 怪我って?」
鈴木は、ブルーバードの中を覗き込んで、大量の血を見て顔をしかめた。
「そうか、今朝のテレビでやってたな。佐伯と撃ち合って、撃たれたんだな」
「そうだと思うわ。早くして」
「くそ!! こんなときに携帯を忘れてくるなんて! 国道の公衆電話まで行ってくるよ」
「頼んだわよ」
「わ、分かった。渚は?」
「ここで、見張ってるわ」
「無茶するんじゃないぞ」
鈴木は、車をUターンさせて走り去っていった。見張っていると言ったけど、わたしは、通用門から敷地の中へ入って行った。何よりも、由紀子のことが心配だった。一刻も早く、助け出したかった。
アスファルトの上に、血が転々と落ちている。かなり重傷のようだ。こんなに出血していたら、命が危ないのではないだろうか? わたしは屋敷に向かって急いだ。玄関が開いていた。廊下にも血が落ちている。
わたしになった大島渚は、わたしがここにいる保証もないのに、どうして命を危険にさらしてまで、この屋敷に来たのだろうか? 病院に駆け込めば、捕まるにしても命には危険が及ばないのに・・・・。
血は、書斎へ入り、奥にある開かれた扉の奥へと消えていっていた。機械のブーンという低いうなり音が聞こえてくる。あの機械が動いている。
今になって気がついた。由紀子が一緒なのだ。大島渚は、今度は、由紀子と入れ替わるつもりなのだ。そうすれば、命も助かるし、罪も免れるかも知れないのだ。
わたしは、階段を駆け降りた。由紀子がいた。椅子に腰掛け、ぼんやりと焦点の合わない目でわたしを見ていた。
左の機械のそばに、わたしが、わたしになった大島渚が立っていた。左手で、脇腹を押さえていた。指の間から、血液がゆっくりと流れ出している。顔色は真っ青だ。わたしの顔を見ると、懐から拳銃を取り出した。
「遅かったじゃないか。何してた?」
「由紀子をどうするつもりだ?」
「ここであんたが待ってると思ったのにいないから、あんたの妹と入れ替わろうと思ってね」
やっぱり思ったとおりだった。もう少し遅かったら、入れ替わっていたところだ。
「止めろ。そんなことしても無駄だ。すぐに警察が来る」
「警察が来ても、あんたの妹になっていたら、捕まりやしないよ」
「わたしが機械のことを話せば、ばれてしまうさ」
「死人に口なしだよ」
そう言って、わたしになった大島渚は、わたしに銃口を向けた。わたしは、引き金が引かれる前に銃に飛びついた。銃が火を噴き、何処かの壁に弾が当たった。
「もう、お終いだ。諦めて自首しろ」
「死んでも自首なんてするもんか!」
怪我をしていなかったら、女の力ではどうしようもなかっただろう。しかし、大沢光博の体は、銃で撃たれて大量の血液を失い、力を失っていた。わたしの力任せの体当たりで後ろへよろめいた。わたしは、もう一度体当たりを試みた。ところが、反対に蹴飛ばされてしまった。
わたしになった大島渚は、その反動で機械の方へ背中から倒れ、わたしは、椅子のようなものに座る形でしりもちを付いた。
その瞬間、キーンと言う頭の中に突き刺さるような音がして、わたしは気を失った。
どれくらい意識をなくしていただろうか? 気がつくと、わたしになった大島渚は、機械の前にぐったりと倒れていた。
恐る恐る近寄ってみると、息をしていない! 脈を診てみた。脈がない!!! わたしは、パニックになった。わたしが死んでしまった!
わたしは、わたしの体を仰向けに寝かせると、心臓マッサージを始めた。かなり長い間やってみたけれど、心臓は動かなかった。あまりに大量の血液を失いすぎたのだ。わたしの体は、大島渚の人格と共に死んでしまった。どうしたらいいんだろうか?
わたしは、大島渚になってしまった。元やくざの情婦。それは受け入れよう。しかし、由紀子の兄ではなくなってしまう。由紀子、どうしたらいいんだ?
由紀子の居る方を見た。わたしは、驚きで目を見張った。そこには由紀子はいなかった。そこには、そこには・・・・、大島渚がぼんやりと座っていた。
どうしたことだ!? わたしの目の前には、大沢光博の亡骸、そして椅子に座る大島渚。と言うことは、わたしは・・・・。
立ち上がって、部屋の隅にある鏡を覗いてみた。そこには、悲しみに歪んだ由紀子の顔があった。佐々木が、あの日、誕生日のプレゼントとして贈った真っ白なワンピースを着た由紀子が・・・・。
わたしになった大島渚が、倒れるときに機械のスイッチに触ったのだ。人格交換機が働き、わたしと由紀子が入れ替わってしまったのだ。
まさかこのままにはできないと思ったわたしは、もう一度機械を動かすことにした。由紀子は、由紀子に戻ってもらおう。わたしは・・・・、由紀子とは会えなくなるだろうが、大島渚になる。わたしの肉体が生き返らない以上、それしかないのだ。それが最善の策だ。
機械は、まだスタンバイ状態だ。わたしになった大島渚が最後に手を掛けたスイッチは、血が付いているから分かる。もっとも、スイッチは、メインスイッチの他には、それしかないのだ。ほかにもダイヤルの類がたくさんあるが、いじってないから、きちんと動くはずだ。
わたしは、祈るような気持ちで、スイッチを入れて、急いで椅子に腰掛けた。キーンと言う高い音。うまくいってくれ!
ところが、突然バチバチという音と共に、機械から火柱が飛んだ。そして、火を噴いたのだ。
わたしは、まだ由紀子のままだ。機械からは音がしなくなり、炎が猛烈な勢いで燃え上がり始めた。さらに、火と共に、黒煙が上がり始めた。
由紀子を助けなければ・・・・。由紀子は、大島渚になった由紀子は機械から立ち上る炎を、ぼんやり見つめながら、椅子の上に座ったまま、逃げようともしない。わたしは、大島渚になった由紀子を椅子から引き吊り降ろして抱きかかえ、外へ出ようとした。しかし、煙が行く手を遮った。部屋の中に充満する煙で息ができなくなり、わたしは意識を失った。