純子と一緒に住み始めるまで、朝食を取ったことがなかった。しかし、朝食を取らないと体に悪いと純子に言われて、最近は軽く朝食を取ることにしている。
朝食が済んでお茶を飲んでいると電話が鳴った。
「はい。上妻ですか? 少々お待ちください」
純子が受話器を俺に向ける。
「飯田さんて言う人よ。凄い剣幕」
「代わりました。上妻です。えっ! 松本里子が、また玄関で頑張っている? 昨日充分話したんですけどね。そうですか。すぐに行って説得しましょう」
「どうしたの?」
「ストーカー行為をしている女の子に、止めるように説得する役目を仰せつかったんだがね。くそ! 昨日、あれほど話しをしたのに・・・・」
「すぐ出るのね」
「ああ」
「帰りは?」
「遅くはならないと思うが、遅くなるようだったら、連絡する」
「気を付けてね」
「ああ、行って来る」
「いってらっしゃい」
婚姻届を出しに行こうと思っていたのに、とんだ邪魔が入った。ま、しかし、役所は逃げない。焦ることはない。
車を飛ばして飯田のマンションへ行くと、松本里子が玄関前に両膝を抱えて座っていた。
「また来てるのか?」
松本里子は、じっと俯いたまま返事をしない。
「飯田が迷惑がってるぞ」
「お金さえあればいいんでしょう? お金を持ってきたわ」
「どこから持ってきた?」
「給料を前借りしたのよ」
溜息が出た。
「そうまでする価値のある男か?」
「わたしにとっては、そうする価値があるのよ」
「骨の髄まで搾り取られるかもしれないんだぞ」
「それでもいいの」
「おまえは馬鹿か!」
「わたしの勝手でしょう? ほっといてよ」
どうしようもない馬鹿な女だ。俺は諦め顔で、飯田に電話した。
「金を持ってきたと言ってるぞ。どうする? 店に来るように? そう言えばいいんだな。分かった」
携帯を切って、松本里子に伝言する。
「飯田からの伝言だ。午後6時に店に来てくれとさ」
「午後6時ね。分かったわ」
嬉しそうに松本里子は去っていった。何が彼女をそうさせたのか? 俺には分からない。女は、男にとって永遠の謎だ。純子? 純子も謎の多い女かもしれない。しかし、俺にとってはそんなことはどうでもいいことだ。
会社に顔を出したのは午前10時。社長は相変わらずデスクにふん反り返って葉巻を吸っていた。
「上妻! 遅刻だぞ」
「例の飯田のストーカーの件で、飯田のマンションに寄ってたんです」
「そうか。それはお疲れさん。連絡くらい入れろよ」
「は、すみません。偉い剣幕ですぐに来るように言われたもんですから」
「それならしかたがないな。あ、そうそう。奥村会長から、脅迫状がまた届いたって連絡が入った。行ってくれるか?」
「またですか? この前は、あれっきりでしょう? ホントに脅迫状なんですかねえ」
「さあ。来いって言ってるから、行くだけ行ってみてくれ」
「了解しました」
奥村の屋敷の応接間で、長々と待たされた。屋敷に着いてから、ゆうに一時間たった頃、ようやく奥村が姿を現した。
「待たせてすまんな。ちょっと、急用が入ったもので」
「いえ、一向にかまいません」
俺の勤める会社のオーナーだから、そう答えるしかない。
「今度来た手紙というのはこれだ」
一年前と同じ形の封筒に同じ柄の便せん。見覚えのあるワープロ文字で書かれていた。
『再び復讐は始まった。首を洗っておけ。浅井光弘』
「復讐は始まったと言いますと、心当たりは?」
「あ、いや、ない」
おかしな反応だ。何かがあったに違いない。
「ともかく、一刻も早く浅井を捕まえて始末してくれ」
「始末と言いますと」
「あ、まあ、復讐を止めさせればいいんだ」
「いったい何が原因なんでしょうか?」
「原因なんかどうでもいいんだ。つべこべ言ってないで、さっさと探せ。いいな!」
そう言い残すと、奥村はドアを荒々しく閉めて出ていった。
「何の復讐だろうか? 捕まえて聞いてみるしかないな」
資料は、会社の机の引き出しの中だ。俺はいったん会社に帰ることにした。
車のラジオを入れて聞いていると、ニュースの時間になった。
『今日午後10頃、上野公園近くにある奥村企画で爆発事故があり、多数の死傷者が出た模様です。奥村企画は、芸能関係の企画運営を行っている・・・・』
「奥村企画というのは、奥村グループのひとつだ。奥村がなかなか俺の前に姿を現さなかったのは、ここ事件が奥村に知らされたからに違いない。だから、奥村はいらいらしていたのだ。復讐は始まった? この爆発事故と関係があるのだろうか?」
時計が正午を告げた。俺は、目にしたファミレスに入って日替わりランチを注文した。
ゆったりとコーヒーを飲んだものだから、会社にたどり着いたのは午後1時前だった。机の中から、浅井光弘の資料を取りだしていると、1時のニュースが始まった。
『今日午前に起きた奥村企画の爆発事故は、時限装置に使われたと見られる時計やリード線などの破片が現場から多数発見されたとの情報があり、時限装置を使った爆発物による可能性が高いと思われます』
「時限爆弾か。まるで、テロだな」
そう思いながら、浅井光弘の復讐の始まりではないかと考えていた。
「さて、どこに潜伏しているものやら・・・・」
まったく宛がない。沖縄の同級生たちも何も知らなかった。一番詳しい作井菊子も一緒に消えている。奥村の周辺を張って、不審人物を見つけるしかないと考えた。
俺は、早速奥村の屋敷を張り始めた。
奥村の屋敷は、ほとんど出入りがない。たまに車が入って行くが、先日と違って、入り口で人相の悪い男が車を点検していた。
「奥村のやつ、相当過敏になっているな」
あの爆発は、浅井の仕業に間違いないと確信を深めた。俺は奥村に電話した。
「東日本警備保障の上妻です」
「何の用だ」
「奥村企画の爆発は、やつの仕業ですね」
「・・・・まだ、分かっておらん」
「浅井が会長に復讐するという理由を教えていただけますか?」
「し、しらん!!」
「教えて貰った方が探し易いんですけど」
「おまえに教えることなどない。ともかく何としてでも探せ!! いいな。できなければ、馘首だ!」
「馘首! それは穏やかではないですね」
「馘首になりたくなかったら、探すんだ。分かったな」
返事をせずに切った。奥村には、浅井が復讐する理由は分かっている。それは他人には言えないことだ。さてさて、困ったぞ。
「純子か? ちょっと遅くなる。そうだな。10時頃には戻るつもりだ。無理はしないさ。じゃあな」
近くのコンビニで買ったパンと牛乳を口にしながら、奥村の屋敷の見張りを続けた。午後5時以降は、まったく人の出入りはない。
そうこうしていた午後7時過ぎ、携帯が鳴った。知らない電話番号だ。
「はい。上妻です」
《上妻さん、何とかしてくれよ》
飯田の声だ。
「どうしたんだ?」
《里子が金を使い果たしたんだが、まだ居座ってるんだよ》
「体を売ってでも、おまえに貢ぐと言ってたぞ」
《俺はそこまで悪じゃない》
「そうか。それを聞いて安心した」
《当たり前だろう? そんなことしたら、夜が眠れないよ》
ホストの中には、女をソープに売り飛ばすやつもいると聞いたことがある。自分でも言うように、飯田はそこまで悪じゃないようだ。
「俺にどうしろと言うんだ?」
《何とか説得して、もう店には来ないように言ってくれよ》
「分かった。すぐ行く」
奥村の屋敷を張っていても進展はない。俺は、飯田の勤めるホストクラブへ車を走らせた。飯田が、そんなに悪じゃなくても、店のオーナーが松本里子に借金を作らせて、ソープに売り飛ばすことだってあるのだ。そうなる前に松本里子を救ってやらなければ。
飯田はそのことが分かっているようだ。だから、俺に松本里子を説得するように頼んだのかもしれない。
ドリームハウスに入ると、奥の座席に松本里子が座って、飯田弘幸にしなだれかかっていた。
「金がなくなったら、店から出て行けって言ってるぞ」
俺は松本里子に声をかけた。
「お店の人に借金を申し込んだんだ。だから、まだ大丈夫だよ」
「そんなことをしたら、二度と飯田に会えなくなるぞ。いいのか?」
「ホント?」
松本里子は、飯田に聞く。飯田は、苦しそうにしている。
「あ、ああ。里子、もう止めた方がいいよ。これ以上・・・・。もう騙せない」
「嘘。わたしを騙したなんて嘘でしょう?」
飯田弘幸は、黙って立ち上がって奥へと消えていった。
「上妻とか言ったな。余計なことをするな」
お店のオーナーと思われる背の高い、目つきの悪い男が俺を睨み付ける。
「余計なこととは何だ。こんな年端もいかないこどもみたいな女を騙して!! 金持ちの有閑マダムから、かせぎゃあいいんだ!」
「なにい! 表へ出ろ!」
「ああ、出てやる」
ドリームハウスの前に出て、俺とオーナーは睨み合った。体格では絶対に勝つ。気迫で負けないことだ。体格のいい俺の方から仕掛けるわけにはいかなかった。睨み合いは続く。
ヒュンと渇いた音がした。その瞬間、オーナーの眉間に穴が空き、後ろ向きに倒れていった。眉間から吹き出した血を顔に浴びながら、俺は何が起こったのか信じられない気持ちで、その場に突っ立っていた。
ヒュンともう一度音がした。仰向けに倒れたオーナーの心臓付近に血しぶきが上がった。その時になって、俺はオーナーが銃撃されたことを悟った。慌てて体を伏せたが、もう音がすることはなかった。
「きゃああ、きゃっ、きゃああ」
一瞬の間をおいて、松本里子が金切り声をあげた。看護婦ともあろうものが、血を見たくらいでそんな声を上げることはないだろうなんて、冷めた気持ちで松本里子の顔を見た。
「救急車、救急車を早く!」
誰かが叫ぶ。救急車よりも霊柩車が必要だろう。オーナーの、表情を失った顔を見ながら、俺は立ち上がった。
「俺の真後ろから弾は飛んできたんだったな」
オーナーの遺体と俺の立っている場所を結ぶ線の真後ろを見上げる。
「あのビルの屋上からだな。300メートルほどもある。ゴルゴサーティン並の腕だ」
俺は感心してビルの屋上を眺めていた。
「銃声は聞かなかったと言うんだな」
毬栗頭の刑事がドンと机を叩く。俺は、新宿署の刑事に同行を求められて、事情聴取を受けていた。
「ああ。しかし、銃声は聞かなかったが、ヒュンと言う音は聞いた」
「ヒュン?」
「そうだ。弾が俺の頭を掠めていったんだ。その時の音だろう」
「銃声がしなかったと言うことは、サイレンサー付きの銃だと言うんだな」
「そうだろうね」
「おまえを狙ったんじゃないのか?」
「狙われる理由がない。それに、一発目が飛んできてから、次の銃撃があるまで、俺は何が起こったのか分からずにあの場に立っていた。もし、俺を狙ったとすれば、今頃ここにはいないだろう。二発目も、正確にあの男の心臓を貫いたんだから、あの男が狙われたのは間違いない」
「やつにも撃たれる理由はないんだが・・・・」
「そうですか? 結構あくどいことをやっているみたいですが」
「あくどいのは、おまえの会社もそうだろう?」
「うちは健全な会社ですよ。そりゃ、多少はレポーター連中に恨まれるようなこともやってますけど、殺されるようなことはしてませんよ」
俺は憮然として言う。
「そうか? 同じ奥村グループじゃないか。裏で何かやってんだろう」
「えっ!? 何ですって? あのホストクラブも奥村グループなんですか?」
「なんだ。知らなかったのか?」
「イヤ初耳です」
「・・・・そういやあ、あの店は半年ばかり前にできたばかりだったな」
「半年前じゃあ、知らないはずだ」
「殺された安浦は、以前は奥村企画にいたんだが、知らないのか?」
「奥村企画には行ったことがありますが、あの男は見かけなかったな。同じグループでも、会社が違えば、下っ端のものは、知らないですからね。・・・・刑事さん、奥村企画の爆弾事件との関連は?」
「調査中とだけ言っておこう」
「関係があるんですね」
刑事は、口が滑ったというような顔をしている。ちょうどその時、若い刑事が取調室に入ってきて、俺の相手をしている刑事に耳打ちした。
「もう帰ってもいいぞ」
「そうですか。じゃあ、失礼しましょう」
「居場所だけははっきりしておいてくれ。まだ、おまえの疑いが完全に晴れた訳じゃない」
俺は驚きの声を上げた。
「俺を疑ってたんですか?」
「ああ、おまえが撃ったんじゃないかってな」
「馬鹿な。俺は銃を持っていない」
「隠し持っていて、どこかに捨てたんじゃないかと考えていたんだが、安浦の遺体から摘出された弾丸はライフルのものだった。手品を使っても、ライフルは隠せんだろう」
「ライフルだろうってことは、後ろのビルから撃たれたって言う俺の証言と一致するって訳だ」
「そう言うことだな」
「しかし、完全に容疑が晴れていないと言うわけは何です?」
「おまえが安浦を店の外に誘き出したんじゃないかってことさ」
「あれは成り行きですよ。見てた人間に聞けば分かることでしょう?」
「裏は取ってあるが、成り行きに見せたってことも考えられる」
「だから警察は嫌いなんですよ。何でもかんでも疑ってかかる」
「疑ってかかるのが、俺たちの仕事だ」
「そのために俺は職を失ったんですよ。少しでも信じてくれれば、こんな仕事はしていなかった」
「あれはおまえが盗んだんじゃないのか?」
「当たり前です。俺は警察官という仕事に誇りを持っていた。正義のために働いていたんだ。それを・・・・」
俺はあの時の、監察官による尋問の時の悔しさを思い出してブルブルと震えていた。刑事は、少し顔を伏せた。
「じゃあ、急ぎの用事があるんで。くれぐれも居所をくらまさないように」
そう言い残して、すっとドアの向こうに消えた。
「くそ!!」
俺は壁を一蹴りして取調室を出た。
車の中から携帯をかけた。走行中の携帯電話は交通違反だと? そんなこと知ったことか!
「もしもし、純子? 俺だ」
《あら、サブちゃん。もう11時過ぎよ。連絡がないから心配してたのよ》
「一度電話したんだが、出なかったな。どこかへ行ってたのか?」
《えっ!? 何時頃?》
「7時頃だ」
《7時頃は・・・・、ああ、お塩を切らせて、角のコンビニまで買いに出ていたときだわ》
「そうか」
《今頃まで、一体どこに行ってたの?》
「ちょっとした事件に巻き込まれて、新宿署で事情聴取を受けていたんだ」
《事件って?》
「歌舞伎町のホストクラブで銃撃事件があってね。たまたま居合わしたもんだから、引っ張られていたんだ」
《銃撃って、そう言えば、さっきのニュースでやってたわ。死人が出たそうね。サブちゃん、大丈夫なの?》
「俺か? 俺は何ともない」
《良かった・・・・》
「腹が減った。何かあるか?」
《勿論用意してあるわ。あとどれくらいで着く?》
「15分くらいだな」
《じゃあ、時間を合わせて、暖めなおしておくわ》
「すまんな。じゃあ、あとで」
《気を付けてね》
純子の顔を見ると、新宿署での怒りも治まった。純子は俺の生き甲斐だ。純子さえいてくれれば、どんな辛いことにも耐えられる。他には何もいらない。