第6章 妙な脅迫状

 アパートへの帰り道、ふと花屋の看板が目に入った。
 「そう言えば、今日は純子と出会ってちょうど一年目だな」
 ブレーキを踏んでUターンして、花屋の店先に車を停めた。俺は、ちょっと照れながら、店員に真っ赤なバラの花を10本包んでくれるように頼んだ。
 「女に花を買って帰ろうなんて、純子が初めてだな」
 付き合った女は純子が初めてじゃない。勿論何人かの女と同棲もしたことがある。しかし、花を買って帰るなんてことは、今日の今日まで一度も思いつきもしなかった。
 「純子は、俺にとって特別な女かもしれない」
 結婚という所長の言葉が浮かんだ。
 「そろそろ俺も年貢の納め時か?」
 俺は店員に手渡された花束を見て、何故か頬が緩むのを覚えていた。

 アパートの階段を上りながら、何と言って手渡そうか考える。言葉が浮かばない。俺は花束を手にしたまま階段の途中で固まっていた。
 「ええい。ともかく手渡してしまえばいいさ」
 決心してドアを開いた。
 「ただいま」
 「あら、お帰りなさい。早かったのね」
 純子が笑顔で俺を迎える。
 「出先からそのまま帰ってきたからな。あ、これ」
 俺は、背中に隠していたバラの花束を純子に手渡す。
 「わあ、どうしたの?」
 「どうもしない。プレゼントだ」
 「何のプレゼント? 誕生日は、まだだわ」
 「今日が純子と出会って一年目じゃなかったかな?」
 純子の顔が見る見るうちに喜びの笑顔に変わっていった。
 「覚えていてくれたの?」
 「覚えていたというか、ふと思い出しただけだ」
 「嬉しい!!」
 俺に抱きついてくる純子。女ってのは、花束を貰うのが、そんなに嬉しいのだろうか? そういやあ、いつか聴いたラジオの番組で、女が貰って嬉しいものは、指輪、花束の順だと言っていた。
 「・・・・指輪ねえ」
 純子の細い指に光る結婚指輪が目に浮かんだ。

 「ランランラン、ランランラン」
 踊るようなステップを踏みながら、純子は、花瓶にバラを生けている。花瓶をテーブルの真ん中に置くと、俺に向かって微笑んだ。
 「もうすぐ食べられるけど、ビール飲む? それとも、お風呂に入る?」
 「そうだな。汗かいてるから、風呂に先に入ろう」
 「じゃあ、着替えを出すわ」
 俺はバスルームへと向かった。裸になって中に入ると、俺が帰ってくるのが分かっていたかのようにちょうどいい湯加減だった。
 「結婚っていったって、形式だけのことだな。実際は結婚しているようなものだ」
 湯船に浸かりながら思う。一緒に住み始めたのは半年前。今では、何年も一緒にいるような、そんな気がする。
 純子と出会ったのは、ちょうど一年前の今日だった。

 その日、仕事が入っていなくて、手持ちぶさたにしていた俺に社長が声をかけてきた。
 「上妻。すまんが、港区にある奥村会長の屋敷を訪ねてくれないか?」
 「奥村会長の自宅ですか?」
 「ああ、そうだ」
 「警備に手落ちでも?」
 俺の会社が、この会社の実質的なオーナーである奥村源三の屋敷の警備もやっていた。
 「いや、違うんだ。何でも脅迫状らしきものが舞い込んでいるらしい」
 「脅迫状ですか?」
 「らしい」
 「あの奥村を脅迫するような人物がいるんですか?」
 「さあね。まあ、ちょっと顔を出してやってくれ」
 「警察に言えないようなものなんでしょうね」
 「恐らくそうだろう。そうでなかったら、ここへは言ってこないだろう」
 「妙なことでなければいいですけど」
 俺は、上着を手にすると、会社の階段をかけ下っていった。
 「あれ? 雨か・・・・」
 玄関に出ると、雨がぽつりぽつりと降り始め、あっと言う間に土砂降りになった。
 「きゃあ、濡れちゃう・・・・」
 そう叫びながら、バッグを頭の上に載せて会社の玄関に一人の女性が駆け込んできた。それが純子だった。
 「昼間は降らないって言ってたのにい」
 俺がそばにいるのもお構いなしに、そうぶつぶつと呟いた。雨は降り止みそうにない。俺は、社に戻って傘を手にした。
 「可愛い子だったな」
 俺らしくもなく、傘を二本手にして下に降りていった。純子は、通りをキョロキョロと見回し、雨の中に走り出していこうとしていた。
 「おい、ちょっと待て」
 「あ、はい?」
 「傘を貸してやる」
 俺は純子の顔も見ないで、傘を差しだした。
 「いいんですか?」
 「明日にでも返しておいてくれ」
 「ありがとうございます」
 純子の礼を背中に受けながら、俺はもう一本の傘を開いて通りへ踏み出した。

 50メートルほど離れたところにある駐車場で車に乗り、奥村の屋敷へ向かった。奥村の屋敷には、警備の打ち合わせで、何度か行ったことがある。ただ、奥村自身と会うのは、正月に挨拶して以来だった。でかい屋敷だ。
 道を間違うこともなく、奥村の屋敷の前に着いた。
 「こうしてみると、やっぱり大きな屋敷だなあ」
 車から降りて、傘を片手に門柱に取り付けられた呼び鈴を押した。ややあって、若い女の返事があった。
 「はい、どなたでしょう?」
 「東日本警備保障の上妻です。社長からこちらへ伺えと言われて参りました」
 「東日本警備保障の上妻様ですね。少々お待ちください」
 少々と言ったが、今度はかなり待たされた。雨で上着が濡れて寒くなってきた。
 「お待たせいたしました。お車ですね」
 「はい。そうです」
 「門をお開けしますので、中へお入りください」
 車に戻って待っていると、門扉がゆっくりと開いていった。俺は車を中へと進めていった。ちらりと見ると、門柱の影にテレビカメラが設置されてあった。俺はカメラに向かって、片手をあげた。屋敷の中で、俺の会社のガードマンが画面を見ているはずだ。居眠りしていなければの話しだが。
 中には広い駐車場があって、ベンツ2台と、セルシオ、マジェスタが置いてあった。
 「下取りに出すとき、譲ってくれないかな?」
 そう思ったが、俺の給料では下取りの価格でも買えないなと思い返す。

 車を降りて玄関へ向かうと、玄関先に和服の女が傅いて俺を待っていた。
 「いらっしゃいませ。どうぞ、奥へ」
 ここにも監視カメラがある。ま、日の当たらない場所で生きている人間なんてものは、みんなこうでもしないと生きてはいけないのだろうなと思う。
 「少々お待ちください」
 案内された応接室は、俺のアパートがふたつ入るほど広い。横長の掛け軸が一幅。その下には、壺や伊万里焼などが並んでいた。
 「かなりしそうな代物だな」
 一個くれないかななんて、貧乏人丸出しの思いが浮かぶ。
 「待たせたな」
 ドアが開いて、恰幅のいい男が入ってきた。新年の挨拶に来たときよりも、少し痩せた印象を受けた。
 「東日本警備保障の上妻です。社長に言われてやって参りました」
 「さっき電話があった。君の顔は覚えとるよ。正月に社長と一緒に来たな」
 「覚えていただいて、光栄です」
 「うん。屋敷の警備には満足しているよ」
 「ありがとうございます」
 「・・・・さて、早速本題に入ろう。これを見てくれ」
 奥村源三は、一通の封筒を俺にぽんと投げてよこした。俺は、封筒の裏表を眺める。少し古びているようだ。昨日今日来た封書ではないようだ。
 「宛先だけで、消印も何もないんですね」
 「ああ、直接ポストにお投げ込まれたようだ」
 「中を見てもよろしいですか?」
 「ああ、かまわんよ。そのために、君を呼んだんだからな」
 「それでは」
 俺は封筒の中から、便せんを取りだした。便せんには、表書きと同様ワープロの文字が並んでいた。

 『俺は蘇った。俺と菊子の受けた仕打ちを倍にして返してやる。首を洗って待っていろ。浅井光弘』

 「いつ来たんでしょうか? ちょっと古いようですが?」
 「半年ほど前だ」
 「半年放っておいたんですか?」
 「悪戯だと思っていたからな。この種の手紙は多いんだ」
 「何か仕返しらしいことでも?」
 「・・・・それらしいものはない」
 「じゃあ、今更どうしてですか?」
 「君は詮索好きだな。ちょっと気になるだけだ」
 奥村の返事は、どこかおかしい。浅井という男が奥村に対して何かをやっていると思った。
 「この浅井という男に、あなたは何をしたんですか?」
 「何もしていない。その男は、この屋敷で盗みを働いて刑務所に入ったんだ。刑務所に入ったのをわたしのせいだと思っているんだろう」
 「逆恨みと言うわけですね」
 「そうだ」
 「菊子というのは?」
 「その浅井と同棲していた女らしい。刑務所に入っている間に浅井を捨てていなくなったのを、わたしのせいだと思っている」
 「・・・・そうですか」
 そんなことだけではないような気がした。
 「どうすればいいと?」
 「探し出して、息の根を止めて欲しい」
 その言葉に俺はぞっとした。
 「ま、探してみます」
 「必ず探し出すんだぞ」
 「は、はい」
 逆恨みと言うだけではないだろう。何かがある。俺の直感がそう告げていた。

 新聞にも出ていない小さな事件だったから、市ヶ谷さんに頼んで調べて貰った。浅井光弘が、奥村の屋敷で盗みを働いたという事件は、6年前の秋、平成7年10月のことだった。
 車のセールスに訪れた浅井が、応接間にあった古伊万里の皿を盗んで逮捕されたというものだった。
 「ふうん。古伊万里の皿をねえ」
 盗んでも換金するのは大変だろうにと思う。この浅井は今どこにいるのだろうか? 簡単に見つけだせそうにもないが。

 翌日、浅井の住民票を確かめるために会社を出ようとすると、傘を片手にした純子が会社にやってきた。
 「昨日は大変お世話になりました」
 傘を俺に差し出す。
 「あ、いや。いいですよ。その辺に置いておいてください」
 「あのう。もしよろしかったら、お礼をしたいんですけど」
 「礼なんていらないよ」
 「いえ、そう言うわけにも・・・・」
 そんな押し問答をしていると、社長が葉巻をくゆらせながら近づいてきた。
 「上妻君。こんな美人がお礼をすると言ってるんだ。さっさとして貰ったらどうだ?」
 「は、はあ」
 「こんな優しい社員を雇っている会社って、素晴らしいと思います」
 「そう言ってもらえるとは何とも嬉しい限りで」
 社長は鼻高々になって煙を吐き出した。
 「さあ、上妻。一緒に行きなさい」
 成り行きで、そう言うことになってしまった。
 「上妻さんって、独身ですか?」
 階段を下りながら、純子が聞いた。
 「まあね」
 「そう」
 純子は嬉しそうな笑顔を向けてきた。その笑顔にクラッと来た。一ヶ月前、同棲していた女が出ていって、俺は今は一人だった。こんな美人が付き合ってくれると言ってくれれば嬉しいなと思っていた。
 「お食事、まだでしょう?」
 「ああ、朝食は取らない」
 「お礼に、お弁当を作ってきたの。食べていただける?」
 「ほう、弁当ね」
 そう言えば、純子は右手に大きなバスケットを抱えていた。
 「そこの公園まで行きましょう」
 会社の駐車場の隣が公園になっている。俺はベンチに腰掛けて、純子の作ってきた弁当をごちそうになった。通りがかりの人たちが見ているようで恥ずかしかったが、純子の作った弁当は、むちゃくちゃ旨かった。俺はまるで飢えた餓鬼のように貪り食った。
 「いやあ、旨かったよ」
 「よかった」
 笑顔で立ち上がる純子。秋物のワンピースがよく似合っていた。
 「あのう。これ」
 純子は小さなメモを俺に手渡して、足早に去っていった。メモには綺麗な文字が並んでいた。

 『お電話ください。待っています。午後6時以降は必ずいます。
 03−3×××ー×××× 純子』

 「純子って言うのか。純粋の純。いい名前だ」
 俺は地下鉄の入り口に消えていく純子の後ろ姿をずっと見ていた。

 そのまま車に乗り込んで、区役所まで行った。係員に東日本警備保障の名刺を渡し、家族から、行方を探す依頼を受けていると嘘を付いて住民票を閲覧した。
 「近くだな」
 俺はそのまま、住民票に記載された浅井光弘の住居を訪れた。表札には別人の名前がでていた。
 「違うな。やっぱりここにはいないか」
 俺は、浅井光弘の住んでいたアパートのドアをノックした。しばらくして、茶髪の女が、気怠そうな顔をして出てきた。
 「なに? あんた、誰?」
 「東日本警備保障の上妻と言います。以前この部屋に住んでいた浅井光弘という人物を捜しています。ご存じないですか?」
 「知らないわよ」
 にべもなく、そう言う。女の息は脂臭い。歯もヤニで黒くなっていた。俺もタバコを吸うが、タバコを吸う女は嫌いだ。
 「誰か知っている人を知りませんか?」
 「大家さんなら、知ってるかも」
 「大家さんはどこに?」
 「裏の家よ」
 そう言うと、女はばたんとドアを閉めた。俺は裏にある二階建てに家に向かった。庭先に、50前後の女性がいて、箒を手にしていた。
 「すみません。東日本警備保障の上妻と言います」
 俺は名刺を手渡しながら頭を下げた。
 「東日本警備保障の上妻さん? いったい何の用でしょうか?」
 「6年前、103号室に住んでいた浅井光弘さんのことについて伺いたいと思いまして」
 「6年前? ああ、あの浅井さんね。あの人には迷惑したのよ」
 「えっ? どうしてですか?」
 「どっかのお屋敷で盗みを働いて逮捕されてね。そんな人がこのアパ−トから出ると迷惑なのよ」
 「なるほど」
 「出ていくように言ったんだけど、一緒に住んでいた女が出ていかないのよ」
 「女? 女というと、菊子という名前の女ですか?」
 奥村が、浅井には同棲していた女がいたと言っていた。
 「浅井さんが、きくちゃんって言ってたから、そうじゃないの?」
 「名字は分かりませんか?」
 「名字? 名字は確か桜井だったと思うわ。そう、桜井菊子。間違いないわ」
 「桜井菊子ですね。勤め先はご存じで?」
 「さあ・・・・。その桜井って女も、何の連絡もなしに荷物を置いたまま突然いなくなって。勝手に処分するわけにもいかないで、大変だったのよ」
 「じゃあ、浅井光弘も桜井菊子の行方も知らないと言うわけですね」
 「知ってたら、家賃を請求するわ。あ、そうだ。あなた。もし、行方が分かったら、わたしに教えてくださいね。お願いしますよ」
 「あ、まあ、そうですね。じゃあ、ありがとうございました」
 アパ−トをあとにして、次は浅井光弘の務めていたトヨタ自動車の支店へ赴いた。

 「浅井光弘のことですか? 岸が仲がよかったから、彼に聞いてみてください」
 最初に出てきた総務の男にそう言われて、岸という男からショールームの片隅で話しを聞いた。
 「出来心だったと思うんですよね」
 「そりゃそうでしょうね。あんなもの盗んでも、金に替えられるわけがない」
 「そうでしょう?」
 「出所してから、あなたに連絡は?」
 「それがまったくなんですよ。力になってやろうと思っていたのに」
 「そうですか。桜井菊子という女性を知っていますか?」
 「桜井菊子?」
 岸は首を傾げた。
 「作井菊子の間違いじゃないですか?」
 「サクイ?」 どう言う風に書きます?」
 「作るに、井戸の井と書いて、作井です」
 「なるほど。作井と桜井。そうかもしれません。浅井さんの彼女だと伺っていますが」
 「そう。あんな事件がなかったら、結婚するはずだったんですよ」
 「そうですか。で、彼女は今どこに?」
 「それが、浅井が出所するのをずっと待っていたんですけどね。浅井のやつ、出所してから行方をくらましてしまったものだから、彼女も諦めたんじゃないですか?」
 「実家に帰ったとか?」
 「そうじゃないかと思います」
 「作井菊子の実家はどこかご存じないでしょうね」
 「さあ、聞いてません。聞いてませんが、同郷だと聞いてます」
 「同郷ですね。分かりました。じゃあ、ありがとうございました」
 途切れてしまった。あとは、本籍を探るしかないが・・・・。浅井光弘の本籍は、調べてきてある。作井菊子は浅井光弘と同郷だと言うが、調べておいた方がいいだろう。
 「浅井のアパートに住民票を移してあっただろうか?」
 もう一度区役所に行き、作井菊子を捜した。住民票は、浅井光弘と同じ場所にあった。
 「こっちの線からは追えないな。ふたりの本籍は、ごく近いな」
 浅井光弘の本籍地を訪ねることにした。

 会社に帰って、奥村源三の依頼の趣旨と、そのための出張を願い出た。
 「沖縄まで行くのか?」
 「奥村会長のご依頼ですから」
 「しょうがないなあ。経理で出張旅費をもらえ。無駄遣いするなよ」
 「承知しました」
 ボディーガードの仕事で、日本全国を移動して廻っている。いつも少し水増ししているから、釘を差されてしまった。水増しした分は依頼主から取っているのだから、会社には迷惑をかけてはいないのだが、今回は、依頼主が依頼主だけに、金銭的な見返りを期待できないかもしれないのだ。

 翌日の一番で沖縄に向かうことにした。俺は、ポケットの中のメモを取り出した。
 「午後6時以降は必ずいますか・・・・」