第5章 ガードマン

 2002年夏。成田国際空港。

 俺はきょろきょろと辺りを見回す。誰も気づいていないようだ。俺は、ちょっと派手な毛皮のコートを着た女を隠すようにして、VIP用の搭乗口へ向かっていた。
 女は、さる有名タレントのお相手で、海外に婚前旅行に行くらしい。レポーターと呼ばれる連中から、この女をガードするのが、今日の俺の仕事だ。幸いにして、女のマンションから成田まで、誰にも尾けられた様子はない。マンションの表玄関にダミーを置いて注意をそらせておいたから、俺たちは無事裏口から抜け出したというわけだ。ダミーは今頃、中央道を走っているはずだ。
 ホッと安堵の溜息を出したとたん、柱の影から、マイクを持った男、カメラを抱えた男が走り出してきた。そのすぐ後ろにマイクを持った女。この女はテレビで見かけたことがある。
 「桜木さん、行く先はグアムですか?」
 「友成君とご一緒ですか?」
 俺と同僚の後藤喜久夫が、レポーターたちとガードしている女の間に入って制する。まるでバーゲンで掘り出し物を取り合うような勢いで、マイクを突きつけてくる。
 「お願いしますよ、桜木さん。一言コメントを」
 マイクが俺の顔に当たった。俺は語気を荒げて言う。
 「どけ!!」
 レポーターたちは一瞬たじろぐ。その隙に、女をVIP用の入り口に押し込んだ。女は振り返らずに走り抜けていった。
 「礼くらい言ってもよさそうなもんだが」
 いつもそう思うが、あいつらは俺たちに金を払ってガードさせている。金さえ払えば、頭を下げる必要などないと思っているんだろう。
 「くそう。もう少しだったのに」
 レポーターたちが憎々しげに俺たちを睨む。俺も睨み返した。
 「絵は撮れたか?」
 「なんとか」
 「じゃあ、社に戻るぞ」
 レポーターたちはそそくさと立ち去っていく。俺たちボディガードは、その場に集まった。
 「お疲れ」
 「お疲れさんでした」
 俺と後藤の他に、菊田、道上の4人でガードしていた。女一人のために大の男が4人。食うためといいながら、あんまりいい仕事ではない。

 分譲してきた二台の車に乗って会社へと戻った。俺の働く会社は、東日本警備保障株式会社。俺たちが属しているボディガードの仕事から、ビルの警備、道路工事の誘導まで幅広くこなしている。
 俺がこの会社で働き始めたのはちょうど2年前。その前は、警視庁に勤めていた。警視庁と言っても、平の警官で交番勤めだった。
 昼間は道案内や巡視、夜は酔客の保護や相手、喧嘩の仲裁が主な仕事だ。時には、殺傷事件が発生して、現場の保存や野次馬の整理をすることもある。最近テレビで放映されている新宿の交番での出来事、まさにあれだ。
 しかし、好意的なあの番組とは裏腹に、世間の警察官に対する目は厳しい。世の中の悪をなくすためと、一生懸命働いていると言うのに、警察官の不祥事とやらで肩身の狭い思いをしていた。

 2年前、酔客らしい男が道で寝ているという通報を受けて現場へ行った。保護してみると、中学時代の同級生だった。
 「山田。山田じゃないか」
 男はとろんとした目を俺に向けたが、目の焦点が合っていなかった。
 「上妻。おまえの知り合いか?」
 「はあ。中学時代の同級生だと思いますが」
 「そうか。現住所は分かるか?」
 「イヤ、知りません」
 「これは派出所に連れて帰らんといかんな」
 「そのようですね」
 俺は、同僚と一緒に、酔いつぶれた男、山田を派出所へ連れていった。人事不承で、まったく起きる気配を見せなかった。そこで、裏にある保護室へ連れていって寝かせ、俺たちは勤務へ戻った。
 言い訳になるかもしれないが、その日はやたらと喧嘩騒ぎが多く、山田を観察にいく暇さえなかった。
 夜明け前になって、一段落したときに初めて山田の様子を窺いにいった。薄い布団にくるまっていた山田の口から、汚い吐物が吐き出されていた。近寄ってみると血の気がない。
 「山田! 山田!!」
 既に呼吸はなかった。
 「市ヶ谷主任! 市ヶ谷主任、早く来てください」
 俺は蘇生をやりながら、表に向かって叫んだ。
 「なんだ? どうした?」
 「呼吸が止まっています。救急車を」
 「わ、分かった。すぐに呼ぶ」
 山田は結局生き返らなかった。吐物を喉に詰まらせたための窒息死だった。
 「保護しておきながら、観察を怠るとは、なんたる不手際だ!!」
 言い訳は通じなかった。しかも・・・・。
 「上妻。山田さんの財布が君の机の引き出しに入っていたのは、どう言うことだ?」
 山田を保護したとき、財布が道路に落ちていた。免許証から、男が山田に間違いないことが分かった。そのままスーツの内ポケットに入れておけばよかったのだが、紛失するといけないと思い、机の引き出しにしまって置いたのだ。あんなことにならなければ、朝になってから、山田の手に戻すはずだったのに、そのままになっていた。
 『保護した男性から財布を盗み、その上死亡させた』と批判されて、何の言い訳も受け入れてもらえずに懲戒免職になった。

 山田の葬儀に訪れたときにも、中へ入れてもらえず、山田の親戚のものに石を投げられ、唾を吐き駆けられた。同級生たちからも冷たい視線を向けられた。死にたい思いだった。
 この会社へは、俺のことを信じてくれた市ヶ谷主任が世話をしてくれた。派出所で働く警官と似たり寄ったりの仕事をしている。

 「おう、お疲れ。無事送り出したか?」
 でっぷりと太った川野社長が、葉巻をくゆらせながら聞く。
 「は、無事に出発しました」
 「そうか。次の仕事が入っているぞ」
 「何ですか?」
 「ストーカーから守ってくれと言う依頼だ」
 「ストーカー? 警察に届けたらどうです?」
 「それが、そうできない理由があるらしい」
 「後ろめたいことでもあるんですか?」
 「そうじゃないかな?」
 「依頼主は?」
 俺は所長の前にあるソファーに座る。所長も書類を手にして俺の前にでんと座った。
 「依頼人は、『ドリームハウス』と言うホストクラブで働くホストだ」
 「ホスト!? そりゃ、胡散臭い」
 「そうなんだが、依頼されたからには、やってやらんとな」
 「で、どう言う内容ですか?」
 「以前通い詰めていたお客につきまとわれているらしい。脅して、二度と近寄らないようにしてくれと言う話しだ」
 「そのお客の方が被害者では?」
 「そんな雰囲気だがな」
 「気が進みませんねえ」
 「気が進まなくても、やって貰わないと困る」
 「わかりました。何とかやってみましょう」
 「一人でやれるか?」
 「一人で充分です」
 俺は書類を受け取って立ち上がった。
 「ところで上妻?」
 「なんです?」
 「彼女とは、いつ結婚するんだ?」
 「あ、まあ。そのうちに」
 「あんないい子はいないぞ。おまえももう28だし、そろそろ身を固めたらどうだ?」
 「・・・・そうですね」
 「結婚するときには、俺が仲人をやってやるからな」
 「はあ。その時は、お願いいたします」
 俺は頭を下げて、デスクに戻った。

 所長から受け取った書類を点検する。依頼主の名前は、飯田弘幸、26歳。ホスト歴2年。ストーカー行為をしている女性は、松本里子、22歳、看護婦。
 「看護婦ねえ・・・・。どうしてまた、ホストなんかに入れあげたんだ?」
 俺は時計を見た。まだ4時前だ。ホストクラブへ出かけるにはまだ早いだろう。現住所として書かれたマンションにいるだろう。俺は、飯田弘幸に会いに出かけることにした。
 「所長、依頼主に会ってきます」
 「ああ、頼んだぞ」
 飯田弘幸は、世田谷のマンション住まい。俺は、そのマンションの前に立って、溜息をつく。
 「なんとまあ、豪勢なマンションだ。俺もホストになりゃよかった・・・・」
 そうは思ったが、女におべんちゃらを言って、金を巻き上げるなんてことはできそうもない。
 玄関先にある呼び鈴を押して、来意を告げると、オートロックが開いた。俺は、607号室へと向かった。ドアの前にある呼び鈴を押す。
 「東日本警備保障の上妻です」
 「今開けるよ。ちょっと待ってくれ」
 ちょっとの間があって、ドアが開き、優男が顔を出した。
 「もうすぐ仕事に出かけるんだ。手短に頼む」
 「ちょっと失礼していいですか?」
 「あ、そうだな」
 ロレックスの腕時計は本物だろう。スーツもネクタイも、俺が身に着けているものの10倍の値段はしそうだ。部屋の中にある調度も、金がかかっているのが一目瞭然だ。
 「で、どんな用?」
 「依頼のあった松本里子という女性について、二、三、聞いておきたいことがありまして」
 「聞いておきたいこと?」
 飯田は、洋モクを取りだして口にくわえた。
 「そう。いつからのお知り合いで?」
 「えっとな。確か、最初に店に来たのは、半年ほど前だったかな?」
 タバコに火を点けたライターもかなりの値がするようだ。
 「店のお客としてきたんですね」
 「ああ、そうだ。なんでも新任婦長の歓迎会だとかで、一度ホストクラブに行ってみようと言うことになって、俺の店に来たらしい」
 「なるほど。で、その後も彼女はあなたに会いに来るようになったのですね」
 「いや、最初は北沼好恵という看護婦が俺のことを気に入って、付き添いとして一緒に来たんだが、そのうち、一人で俺に会いに来るようになったんだ」
 「お宅の店は、一度いくとどれくらいの金がいるですか?」
 「お金? ・・・・そうだな。ま、高いブランデーやシャンペンを開けて貰えばかなりかかるが、普通は5,6万って所だな」
 「5,6万!!」
 俺は目を丸くした。
 「そんなもんだよ」
 飯田は、フウと煙を噴きだした。
 「彼女は、月に何度くらい店に来てました?」
 「2,3度かな?」
 男は飲み代のそれほど金を使うことなどない。いや、俺の場合だが。それにしても、一回5,6万も使っていれば、あっと言う間に貯金も何もなくなってしまうだろう。
 「いつから、あなたにストーカー行為を?」
 「先月からだよ。店に来る金がなくなったらしくて、どこで知ったのか、マンションに電話をかけてくるわ、待ち伏せをするわで、迷惑してるんだよ」
 「ふう、なるほどねえ」
 「頼むから、俺につきまとわないようにしてくれ。なんなら、殺してくれてもいい」
 俺は飯田を睨み付けた。
 「馬鹿なことを言うな。ま、仕事だからやってやるが、あんまり女を弄ぶのは止めにしろ」
 「それが俺の仕事だ」
 飯田はさらりとそう言った。俺は憮然として、飯田のマンションを出た。

 マンションを出て、駐車場へ向かっているとき、マンションの方をじっと見つめている若い女に気がついた。俺は、車を停めて、その女を観察する。
 飯田がマンションから出てきた。女が駆け寄ろうとする。俺は、車から飛び出して、女の手をつかんだ。
 「あ、あなた、誰です? ひ、人を呼びます」
 飯田が俺たちに気づいて、片手をあげた。
 「あいつに頼まれてるもんでねえ。ちょっと付き合って貰っていいか? お嬢さん」
 女は、目を見開いて俺を見つめた。
 「わたしをどうするつもり?」
 「どうもしやしないさ。ちょっと話しが聞きたい。いいな」
 「い、いやです」
 「ほら、人が見てるぞ。何もしないから、黙って付いてこい」
 飯田の乗ったベンツがマンションを出ていくと、女は諦めたように力を抜いた。俺は車を駐車場に入れ直して、女を近くの喫茶店へ連れていった。

 「コーヒーを。あんたは?」
 「いりません」
 体を固くして、女は座っていた。髪の毛が綺麗だが、お世辞にも美人とは言えない。飯田のような優男に好きだの一言でも言われれば、すぐにでも落ちそうだなと心の中で思った。
 「まあ、そう言わずに。あ、君。コーヒーをふたつ頼む」
 「コーヒー、おふたつですね。かしこまりました」
 店員が去っていくと、俺は話しを始めた。
 「君は、松本里子さんだよね」
 「どうしてわたしの名前を?」
 「俺は、東日本警備保障の上妻と言うんだ。飯田弘幸に君がつきまとわないようにしてくれと依頼されている」
 「つきまとうなんて・・・・」
 「迷惑していると言ってた」
 「ひろちゃんが、そんなこと言うはずないです」
 「さっき聞いたばかりだ」
 「嘘です・・・・」
 松本里子は、しくしくと泣き始めた。
 「止めてくれ。俺が泣かしたみたいじゃないか」
 松本里子は、なおも泣き続ける。
 「お待たせしました」
 店員は、何事もないかのようにコーヒーカップを置いて、奥へ消えていった。
 「ホストに貢ぐなんて止めた方がいいぞ」
 「ひろちゃんは、病気のお母さんの入院費を稼ぐためにあそこで働いているんです」
 「病気のお母さん? はっ、それがあいつらの手だよ。弟の学費を稼ぐためとか、父親の会社が倒産しそうだとか、作り話もいいとこだ」
 「ひろちゃんは嘘なんか言いません」
 「やれやれ。困ったもんだ。病気のお母さんに入院費を稼ぐのなら、何故あんな高級マンションにいる? もっと安いアパートで充分だろう? 腕にしたロレックスも必要ない。あのベンツだって、700万はするぞ」
 「・・・・あれは、お店の人に借りてるって」
 「よくもまあ、そんな嘘を信じるな。人がいいのにも限度があるぞ」
 俺の言うことを少しは理解したのか、泣くのを止めた。
 「悪いことはいわんよ。あいつにつきまとっていいことはない。金の切れ目が縁の切れ目の連中なんだ。金がなければ、君には見向きもしない。君みたいな女の子の中には、体を売ってまで、あいつらに貢ぐ子もいるんだぞ。君もそうなりたいのか?」
 「ひろちゃんのためなら・・・・」
 「馬鹿な・・・・」
 俺は言葉が出なかった。
 「どうしてそこまで? ・・・・君は、飯田とどのくらいの関係だ?」
 松本里子は黙って下を向いていた。
 「あいつと寝たのか?」
 やはり返事をしない。
 「まさか、あいつが初めての男だなんて言わないだろうな」
 「わたしに優しくしてくれたのは、ひろちゃんが初めてなのよ」
 俺は溜息をつく。よりによって、あんなホストの毒牙にかかるとは・・・・・。
 「あいつは、女を食い物にして生きているんだ。それが分からないのか?」
 「それでもいい。それでもひろちゃんが好きなの」
 「そのひろちゃんが、つきまとって欲しくないといってるんだぞ。殺してでも松本に近寄らせるなと頼まれたんだ!」
 「そんな・・・・」
 「殺されたくはないだろう?」
 松本里子は頷いた。
 「そうだろう? だから、もう止めるんだ。いいな」
 返事はしなかったが、もう大丈夫だと判断した。俺は立ち上がる。
 「もっといい男を見つけなよ。じゃあな」
 コーヒー代を支払って店を出た。これで一仕事終了だ。

 俺は、携帯で会社に電話を入れた。
 「所長。上妻です。ストーカーの件、一応大丈夫と思います。ええ、本人と会って、よくよく話しをしておきましたから。そうです。今日の所はこのまま帰りますけど、よろしいでしょうか。それじゃあ、報告書は明日。失礼します」
 俺は、純子の待つアパートへハンドルを切った。