第17章 復讐のためではなく愛のために

 「もう一度繰り返すぞ。こう言うことだな。浅井光弘、作井菊子の両人が、奥村源三たちによって陵辱され、そのあげくに殺されてしまった。その事実を知った作井菊子の弟、健二が、二人を殺した関係者を次々に殺していった。用心深くなった奥村源三をおびき出すために君の恋人を誘拐し、君を使って奥村源三をおびき出し、撃ち合いの末、作井健二、奥村源三とも死んでしまったと。君の恋人、ナディア・純子・片山は流れ弾にあたったと言うわけだな」
 「ハイ、その通りです」
 「よく分かった。まだ聞くことがあるかもしれん。その時は連絡を入れるから、よろしく」
 「分かりました」
 俺は警察での事情聴取を終え、港署をあとにした。

 俺は警察が来るまでに細工をしておいた。純子に罪を着せたくなかったからだ。純子の持っていたライフルを作井健二に持たせ、作井健二の持っていたライフルは、奥の暗がりに放りだしておいた。それから、純子を作井健二から離れたところまで連れていっておいた。
 純子は、事件の当事者ではない。あくまで、巻き込まれただけだ。そんな俺の話しが通って、純子は連続殺人者という汚名を免れた。

 俺は、港署を出ると、車を救急病院へと走らせた。
 「助かっていてくれ」
 神や仏に祈ったことなど、生まれてこの方、一度もなかった。しかし、今日は、世界中の神仏に祈りたい気分だった。
 手術室の明かりはまだついたままだ。まだ手術は終わっていない。そんなに大手術になったのか?
 俺は、手術室の前で、熊のようにうろうろしながら待った。30分ほどして、ドクターが出てきた。暗い顔をしていた。
 「先生!! どうだったんでしょうか?」
 「お気の毒ですが・・・・」
 「ああ、純子・・・・」
 俺は、両手で顔を覆い、大粒の涙を流した。
 「純子? 純子さんっておっしゃいました?」
 「はい。第3埠頭の事件で重傷を負った片山純子のことです」
 「ああ、その方なら、手術はとっくの昔に終わって、病室にいますよ」
 「た、た、助かったんですか?」
 「ええ。まだ麻酔が効いて眠っていると思いますが、命の方は大丈夫ですよ」
 「よかった・・・・」
 力が抜けた。俺は床に座り込んだ。
 「ちょっと待っててください。お話しがあります」
 「は、はあ」
 ドクターは、ベンチから立ち上がったもう一組の男女に向かって話しを始めた。どうやら、俺たちの事件とは関係ない事故で運び込まれた患者が死んだらしい。
 「純子は助かっている。早く会いに行きたい」
 しかし、ドクターが話しがあると言った。命は助かったが、重大なことが起こっているのだろうか?
 「すみません。お待たせしました」
 「で、何のお話でしょうか? 何か障害でも残るのでしょうか?」
 「イヤ、そうじゃありません。ちょっと、ここでは・・・・。奥にいきましょう」
 ドクターは、準備室と書かれた小さな部屋の俺を案内した。中にあった椅子に腰掛けると、俺にも座れと椅子を勧めた。俺はドクターの前に座った。
 「上妻さんとおっしゃいましたね」
 「あ、はい」
 「上妻さんは、彼女の秘密をご存じですか?」
 秘密、秘密、秘密。秘密という言葉が頭の中を駆けめぐった。俺が想像していたことだろうか? ドクターは俺の顔色を窺っている。知らないと言えば、秘密が秘密のままになってしまいそうだ。俺は答えた。
 「勿論ですよ」
 「そうですか。知ってて同居されているんですね」
 ドクターがいわんとすることが、俺の想像通りだとすれば、こう答えれば、真実がドクターの口から出てくるはずだ。
 「こどもが産めないだけで、他には何も問題がないですから」
 「戸籍も女だから、あなたがその気なら、結婚もできますね」
 この言葉で、俺の想像は確信に変わった。ドクターは、純子が性転換して女になっているということを言っているわけだ。誰が性転換した? 俺の想像が正しければ、浅井光弘の他にはいない。いや、それは間違いない。
 予想していたこととはいえ、俺は心の中では愕然としていた。しかし、俺は純子を愛していた。女以上に女らしく、そうと思わなければ、何も問題はない。俺にとって、純子は純子以外の何者でもない。
 「はい。そのつもりです」
 「そうですか。いらぬ気を回して申し訳ありませんでした」
 「いや、彼女がぼくを騙しているとお思いになったんでしょう?」
 「あ、まあ。そう言うことです」
 「同居し始めたときに、彼女の口から聞きましたから」
 「そうだったんですか。それにしても、手術をやった医者は腕がいい。我々でも危うく騙される所でしたよ」
 「くれぐれもご内密にお願いしますね」
 「患者のプライバシーを守るのは、医者として当然ですから、ご心配は無用です」
 俺は、深々と医者に頭を下げて準備室を出た。

 純子の病室へ行くと、純子はまだ眠っていた。
 「俺の愛した純子。お前はもはや浅井光弘ではない。浅井光弘は死んだのだ。純子は日本人とフィリピン人の混血。父親を捜しに日本に来て、俺と知り合った。それがすべてだ」
 俺は、純子にキスをした。純子がうっすらと目を開いた。
 「気がついたか? 純子」
 「サブちゃん・・・・」
 「傷は痛まないか?」
 「わたし、助かったのね」
 「ああ」
 「健ちゃんは?」
 「作井健二は死んだ。お姉さんの仇を討ってね」
 純子は、大粒の涙をぼろぼろと流し始めた。
 「わたしが、わたしが健ちゃんを巻き込んだから。わたしが健ちゃんを殺したのよ」
 「違う。健二を殺したのは、奥村だ。君じゃない」
 「わたしが、・・・・わたしが死ねばよかったんだわ」
 「気持ちは分かるが、そんなこと言うなよ。折角助けたんだから」
 「サブちゃんがわたしを助けてくれたの?」
 「ああ、そうだよ。俺の愛する人を助けようと必死だった」
 奥村の放った弾丸は、純子の右胸を貫通していた。肺に穴が空いて、呼吸ができなくなっていた。
 背中側に空いた穴に、純子がいつも俺に持たせてくれていたハンカチを詰め込み、倉庫に転がっていた細いチューブを倉庫の外にあった水道でさっと洗ってから、前の傷から差し込んで、漏れた空気を口で吸った。
 救急車が来るまでの30分間、俺はずっとそうし続けた。頭がクラクラとなったが、純子を助けるために頑張った。
 「そうだったの」
 「純子。死ぬなんて言うなよ。俺のために生きてくれ」
 純子は悲しそうな目をして、俺を見つめた。
 「わたし・・・・、サブちゃんを騙していたわ」
 純子は告白するつもりだ。俺ははぐらかすことにした。
 「俺に近づいた動機のことか?」
 「それもあるけど、・・・・もっと重大なことなの」
 「もっと重大なこと?」
 「そう。もっと重大なこと・・・・」
 純子を失いたくなかった。純子の口から言わせるより、俺の口から言うことにした。
 「お前が、浅井光弘だってことか?」
 純子は茫然として俺を見た。
 「・・・・いつ気が付いたの?」
 「作井健二が、死に際に純子のことを、みつにいと呼んだだろう? みつにいって言うのは、浅井光弘のことだ」
 「ああ、あの時、健ちゃんがわたしのことをそう呼んだわね」
 「そうだ。あの時、もしやと思った。それに、単なる作井健二の恋人だけでは、奥村にあれほどの復讐心を燃やせないからな」
 「・・・・そうよね」
 「さっき、お前を治療したドクターが、お前が女になる手術をしたドクターは腕がいいって誉めてたよ」
 「騙していて、ごめんなさい」
 「騙されたなんて思ってやしないよ」
 「えっ!?」
 純子は驚いたような顔をして俺を見つめた。
 「純子。おまえは俺にとっては女だ。戸籍も女だし、俺をちゃんと受け入れられるじゃないか」
 「でも・・・・」
 「俺は純子のことを愛している。純子も俺のことを愛してくれてるんだろう?」
 純子は下を向いたまま答えない。
 「あの倉庫の中で、俺の腕に抱かれて、ウエディングドレスを着たかったって言ったのは嘘か?」
 「嘘じゃない! 嘘じゃないけど・・・・」
 「俺のこと愛していてくれるんだろう?」
 「・・・・ええ」
 「じゃあ、何も問題はない。結婚してくれ!」
 「でもわたしは、連続殺人犯なのよ」
 「それなら大丈夫だ。おまえはたまたま事件に巻き込まれただけの被害者と言うことになっている」
 「じゃあ、健ちゃんが、すべての罪を背負うことになるの?」
 「そうなるな」
 「そんなこと、わたし、できないわ」
 「気持ちは分かるけど、作井健二が生きていたら、すべての罪を引き受けると言うんじゃないかな?」
 「でも・・・・。わたしだけが罪を免れるなんてできないわ」
 「奥村は、死んで当然のことをしたんだ。その奥村に代償を払わせただけだ。純子に罪があるはずがないじゃないか。そうだろう?」
 「・・・・」
 「純子が生きて幸せになることを作井菊子も健二も望んでいるよ」
 「そうかしら・・・・」
 「そうに決まってるさ」
 「わたし・・・・、あなたを受け入れられるけど、ホントの女じゃないから、・・・・こどもを産めないわよ」
 「こどもが欲しいから結婚するんじゃない。純子を愛しているから結婚するんだ。それじゃあ、いけないか?」
 「ホントにいいの?」
 「結婚してくれるんだろう?」
 純子は返事の代わりに俺の腕の中に顔を埋めて泣いた。

 奥村源三は死んだが、東日本警備保障は存続され、俺は社長として会社を経営することになった。勿論雇われ社長としてだが。
 毎日入院中の純子の元に通った。純子は日がたつに連れて元気を取り戻していった。
 「退院したら、その足で式を挙げるぞ」
 「ホントに後悔しない?」
 「後悔するとしたら、純子と結婚しなかったときだ」
 純子はフフと笑って、俺に軽くキスした。その時、ガチャリとドアが開いて、東南アジア系の男が入ってきた。一目で分かる高級品のスーツを身に着けている。それが、一時的なものではなく、生まれたときから高級品を身に着けていることがその着こなしで分かった。
 「ナディア」
 「カルロス」
 「ナディア、心配したぞ」
 「もう会えないと思った」
 二人は見つめ合う。俺が入り込む余地はないように思えた。俺と結婚の約束をした純子が遠ざかっていく。そんな気がした。俺は居たたまれなくなって、部屋から出ていこうと踵を返した。
 「ここにいたまえ」
 カルロスという男が流ちょうな日本語で俺を制した。俺は立ち止まって二人を見た。カルロスはゆっくりと俺の方を振り返った。
 「上妻君と言ったな」
 「あ、ああ」
 「ナディアと暮らしていた男だな」
 「そうだ」
 「ナディアを愛しているのか?」
 「ああ。もちろんだ」
 俺はカルロスの目を真っ直ぐ見て答えた。
 「ナディア、上妻を愛しているのか?」
 カルロスは、今度は純子の方を見てそう尋ねた。純子は、答えない。下を向いて、涙を流し始めた。
 「愛しているんだな」
 「ごめんなさい、カルロス。でも、カルロスのことも愛しているわ」
 純子は『カルロスも』と言った。やっぱり俺を愛していてくれると言うことだ。二人は、タガログ語で話し始めた。俺には、二人が何を話しているのか分からなかった。
 カルロスが俺の方を振り返った。
 「ナディアを一生愛するか?」
 ここで別れることになったとしても、答えはひとつだ。
 「ああ。もちろんだ」
 カルロスは純子の方を向いた。
 「ナディア、わたしは君を愛している。だが、上妻君には勝てそうもない」
 「どうして?」
 不思議そうに首を傾げて、純子が聞く。
 「わたしにはナディアの他に愛する人が二人居る。上妻君は、君一人を愛している。君への愛の強さを比べられたら、どう考えてもわたしが不利だ」
 「そんなこと・・・・」
 カルロスはふっと笑った。
 「ナディア。幸せになるんだ。苦労した分だけ、君は幸せになる権利がある」
 「ホントにいいの?」
 「君の幸せのためだ」
 カルロスは、純子の頬にキスするとドアへ向かった。そして、振り返って言った。
 「もし、わたしの援助がいるときはいつでもいいなさい。もし、上妻君がナディアを裏切ったら、いつでも殺しに来てあげるよ」
 笑顔で純子にそう言って、俺にウインクした。
 「ありがとう、カルロス」
 「元気でな」
 カルロスは俺に近づいてきて俺の肩をポンと叩くと病室を出ていった。俺は純子のそばへ戻った。
 「やつはどう言う男だ?」
 「フィリピンで、お世話になった人よ」
 「愛してたんだな」
 「愛してたんだと思うわ」
 「思うって?」
 「地獄の底からわたしを助け出して、何もかもわたしに与えてくれた。だから、それに報いようとしたの。愛していると思ったけど、ホントは違っていたのかも」
 「カルロス自身もそのことに気がついていたんじゃないかな」
 「・・・・そうね」
 「退院はいつになるって?」
 「明日には退院してもいいって」
 「大変だ。すぐに式場を手配しないと」
 「すぐでなくてもいいわ」
 「俺の気が変わるかもしれんぞ」
 「そうなったら、カルロスが殺しに来るわよ」
 「あ、忘れてた」
 「ふふふ」
 幸せそうな純子。カルロスが、苦労した分だけ、幸せになる権利があると言った。苦労に苦労を重ねた光弘、イヤ純子を俺の手で幸せにしてやるのだ。

 病院を退院したその足で、貸衣裳屋に出かけ、俺はタキシードを、純子はウエディングドレスに着替え、教会に出向いて式を挙げた。
 「純子、綺麗だ」
 「あの時、もう着られないと思ったのに、ホントに嬉しいわ」
 純子は、ナディア・純子・片山から、上妻純子になった。

 俺の腕に抱かれて、うっとりとしている純子に俺は語りかける。
 「純子。幸せか?」
 「ええ」
 「カルロスに殺されないように、一生おまえを愛するよ」
 純子が満面の笑顔を見せた。
 「純子。その笑顔が、俺は好きだ。二度とおまえに悲しい顔はさせない」