第9章 新たなる誕生

 久しぶりに帰ったマンションは、かび臭い臭いがした。ベランダ側のサッシを開け、換気扇を回して空気を入れ換えた。
 病院へ出かける前に掃除していたが、結構埃が溜まっていた。掃除機をかけたあと、買い物に出かけた。冷蔵庫には、冷凍食品が少し残っているだけだったからだ。
 いつものスーパーへ入って、卵、豆腐、牛肉、ぶた肉、鶏肉、野菜類、米、インスタントコーヒー、食パン、ペットボトルジュース、冷凍食品、諸々。袋が四つもできてしまった。
 体格は小さかったけど、男だったときには、これくらいの荷物は簡単に持てた。しかし、今日は、ふうふう息を切らせてマンションへ戻った。
 長かった入院生活の所為でもあるが、何よりも女性ホルモンによる筋力低下のためだった。
 買ってきたササニシキを2合洗って、炊飯器にかけてから、バスルームの掃除をして、お湯を溜め始めた。料理を作るのが先かなとは思ったけれど、汗をかいたので、風呂に入ることにした。

 サッシを閉めてカーテンを引き、着ていたものを洗濯機に放り込んで、裸になった。ベッドルームに入って、姿見に全身を映してみた。
 喉仏を取りに行ったのに、喉仏だけでなく、ペニスも睾丸もなくなってしまった。姿見に映ったぼくの姿は、それと知らないで見れば、完全な女だ。ぼくは女として生まれ変わった。新たな誕生だ。
 元々白い肌。それが女性ホルモンの所為できめが細かくなっている。体毛も薄くなった。脇毛を処理しなくちゃ。
 肩幅はやや広いけれど、これくらいの肩幅の女性はいくらでもいる。胸は女性ホルモンを中断していた所為で、少し小さくなったけれど、女性ホルモンを再開したら、Bに戻るだろう。
 今回の入院で、大きな収穫は、ストレスのために体重が減って、ウエストが細くなったことだ。退院する前に測ってみたら、57センチになっていた。ヒップは、やや小さい。しかし、この方がヒップの大きな女よりかっこいい。
 顔は美人とは言えないかもしれないけれど、可愛い部類に入ると思う。自画自賛かな? 髪の毛。そう。髪の毛を何とかしないといけない。明日にでも美容室へ行こう。そのために喉仏を取りに行ったのだから。

 お湯に浸かると、入院生活の疲れがじわりと染み出て、体が軽くなっていくようだった。腋毛を剃ってから、体を入念に洗った。髪の毛も洗ってリンスしておいた。美容室に行くとき、汗くさい髪の毛で行きたくなかった。
 まだ普通のショーツは穿けない。生理用品を宛てたサニタリーショーツを穿いた。ノーブラで、パジャマじゃなくネグリジェを着てみた。
 姿見をもう一度見た。風呂上がりのぼくは、かなり可愛い。鏡の中のぼくがにっこり笑った。可愛い女に見つめられたような気がして、心の中にいる男のぼくが、ちょっとどきどきしていた。
 鏡の中の女は、ぼくだよね。肩を竦めた。

 豚のロース肉を使ってソテーを作り、ホワイトソースを作ってかけた。野菜を炒めて添えて、夕食の出来上がり。結構美味しくできた。ぼくは、主婦をやっていける。主婦になるには、夫がいるけど・・・・。
 夫がいるってことは、結婚するってことだよね。結婚したら・・・・、夜の生活があるよね。せっかく腟を作ってもらったんだから、セックスはしてみたいとは思う。だけど、今のぼくがセックスをする相手って、男だもんね。男に抱かれるぼくをまだ想像できないよ。

 横溝医師が、帰り際に少しならアルコ−ルを飲んでもいいと言った。片づけが終わってから、テレビを見ながら、缶ビールを飲んだ。久しぶりのアルコールで、ぼくはすぐに酔ってしまった。アルコールにはかなり強かったのに、弱くなったものだ。
 ベッドの中に潜り込んだ。気持ちがいい。やっぱり我が家が最高。

 翌日の目覚めも最高だった。何も触れない股間に手をやってみて、夢じゃないんだなと再確認した。
 ネグリジェを脱いでブラをして、キャミソールを着て、普段着のワンピースを着た。ぼくはもうすっかり女だ。
 インスタントコーヒーにトースト、野菜サラダの朝食を取り、近くの美容室へ出かけた。
 朝早かったので、すぐに椅子に案内された。
 「いかが致しましょうか?」
 「ちょっと入院していて・・・・。わたしに似合うようにしてください。お任せしまします」
 「そうですね。これなんていかがでしょうか?」
 そう言って、ぼくにヘアスタイルのカタログを見せた。よく分からないけれど、そのモデルは可愛くカットされていた。
 「ええ、お願いします」
 背中まで伸びていた髪の毛を肩の高さに切りそろえられ、パーマをかけられ、ブローされると、見違えるように綺麗になった。自分で綺麗と言ったら悪いかな? 女はみんなそうじゃないの?
 綺麗になったはいいけれど、9800円も取られた。男の理髪はせいぜい4000円しか掛からない。女のは高すぎる。
 そう言えば、化粧品も結構するし、衣装や靴も男よりたくさん必要だ。無駄とは言わないけれど、女になって、思わぬ出費がある。

 マンションも自分のものだし、ぼく自身の死亡保険金などが入った貯金もかなりある。当面は生活には困らないけれど、遊んでいては、そのうちお金もなくなってしまう。それに、何かしていないと退屈で堪らない。
 そう言うわけで、ちょっと離れたコンビニで、パートとして働き始めた。時間給740円。5時間ほど働く。これ以上働くと、自由な時間がなくなる。お客相手にも慣れているし、レジも打てる。生活のために働くんじゃないから、楽なものだ。

 傷の状態はいい。毛が生え揃って、傷そのものはまったく目立たなくなった。クリトリスは触るとまだ痛い。
 先日、下り物がすっかりなくなったので、普通のショーツにジーンズを穿いて買い物に出かけた。そしたら、ジーンズの固い布が当たって、歩く度に痛かった。デパートに飛び込んで、スカートを買ってすぐに着替えた。しばらく、ジーンズは穿けそうもない。
 膣拡張は順調に進んでいる。と言っても、最近一番大きなサイズのシリコン棒を入れ始めたところだ。サイズを上げる度に痛みがある。この痛みが消えるのは、いつのことだろうか?

 退院してから何事もなく2週間が過ぎ、ぼくは再び横溝医院を訪れた。
 「元気そうだね」
 「はい、いたって」
 「喉の傷はすっかりいいね」
 「切ったのが分からないくらいです」
 ぼくは首を反らせて、溝口医師に見せた。
 「わたしに腕はいいだろう?」
 「はい。先生にやって貰ってよかったです」
 「下の方はどうかね?」
 「いいと思いますけど・・・・」
 「男と寝てみたか?」
 「い、いえ。とんでもないです」
 「そうか」
 横溝医師はちょっと不思議そうな顔を見せた。ぼくが男とやるためにこんな格好をしていると思っているから、仕方ないのかもしれない。
 「ちょっと見せて貰おう」
 「ちょっとじゃなくて、じっくり見てください」
 「言葉の綾だよ」
 ぼくは診察台の上に上がった。このときになって、ぼくは初めて気が付いた。内科、外科、泌尿器科、皮膚科とだけ書いてある病院に、婦人科の診察台があるなんておかしい。それに、クスコという膣の中を調べる器具もおいてあるのだ。性転換手術を違法に日常的にやっている証拠だ。それを告発するつもりはないけれど・・・・。
 「痛い」
 「膣拡張をちゃんとやっているのか?」
 「やってます」
 「嘘付け!」
 お尻をピシャリと叩かれた。
 「一番大きなシリコン棒を入れてます!」
 「ホントか?」
 「ホントです」
 横溝医師がしばらくいなくなった。再び姿を現したとき、シリコン棒を手にしていた。
 「ホントかどうか、試してみたら分かる」
 「一番大きなシリコン棒を入れているのは嘘じゃないです。だけど、一昨日から入れ始めたところです」
 「なるほど。それなら嘘じゃないな。しかし、今頃は、スイスイ入るようになっていないといかんな」
 そう言って、手にした太いシリコン棒をぼくの中につっこんだ。
 「痛あいいーい」
 「こんなことじゃ、男とできないぞ!」
 「まだ、するつもりはありません」
 「そうか? そんなこと言ってると、後悔するぞ」
 「後悔なんてしません。先生、痛いから、もう抜いてください」
 「だめだ。15分我慢しろ」
 「そんなあ・・・・」

 婦人科診察台に縛り付けられたまま、シリコン棒を入れられているぼく。まるでサドマゾのポルノみたいだなと思った。
 「さあ、15分経った。抜いてあげよう」
 「ああ、痛かった」
 ぼくは診察台から降りようとした。
 「ちょっと待ってくれ。まだ、台の上にいてくれないか?」
 「えっ? どうして?」
 「写真を撮らしてくれ」
 「ええっ!!」
 「仕上がりを記念に残しておきたいんだ」
 「そんなの恥ずかしいです」
 「顔を写す訳じゃない」
 「だってえ・・・・」
 「撮るよ。動かないで」
 パシャリと音がして、フラッシュが光った。恥ずかしいよう・・・・。

 「我ながら、最高の出来だと思うよ」
 できあがったばかりのポラロイドフィルムをぼくに見せながら、溝口医師が得意そうにいった。
 「わたしもそう思います」
 「どうだ? わたしは腕がいいだろう?」
 「はい。先生に手術して貰って幸せです」
 「料金を貰おうかな?」
 にやりと笑ってそう言う。
 「そんなあ・・・・」
 「冗談だよ。それにしても、君はわたしの手がけた中でも最高の出来だよ」
 「そうなんですか?」
 「ああ。恐らく誰も気づかないと思うよ」
 ぼくもそう思っていた。今朝ここへ来る前に、手鏡で見てみた。美佐のものや、インターネットのポルノで見る女のものとまったく変わりがなかった。敢えて言うなら、クリトリスがやや大きいくらいなものだ。

 「今日から、女性ホルモンを再開しよう。睾丸がなくなったから、量は以前の半分でいい。忘れずに飲むんだよ」
 「はい」
 「診察は、4週間おきでいいね」
 「何かあったら、ここに飛び込んできます」
 「よし。今日はこれまでだ」
 「ありがとうございました。失礼します」
 「あ、友永さん」
 「何ですか?」
 「もう、セックスしてもいいよ」
 「相手がいません」
 横溝医師は首を傾げた。
 「そうか? それなら、わたしが相手をしようか?」
 いつものジョークだと分かっていた。
 「お年寄りは嫌いです」
 「それは残念」
 「若くても、今のところ、やるつもりはないです」
 「勿体ない。折角の宝物が・・・・」
 「そのうち。そのうち、抱かれてもいい人が現れたら・・・・」
 「そんな男が現れたら、教えてくれ。君の趣味を見てみたい」
 「若くて、いい男でないと」
 「はは、じゃあ、4週間後に」
 「失礼します」

 新宿に出たついでに、買い物した。夏物の可愛らしいブラウスを買った。昼食を摂ろうとブラブラしていると、若い男に声をかけられた。
 「ねえ、暇?」
 「暇と言ったら、暇だけど」
 「一緒にお茶でも如何ですか?」
 ぼくは考える。お茶くらいならいいか。しばらく他人と話しをしていないから、世間話でもしたくなった。
 「いいわよ」
 すぐ目の前にあった、ツバメグリルに入ることにした。店は満員で、10分ほど待たされて、テーブルに付いた。
 「お昼したいんだけど、いい?」
 「ぼくもお腹減ってるから・・・・。特製ハンバーグでいいかな?」
 「ええ」
 「特製ハンバーグとコーヒー、ふたつずつね」
 「かしこまりました」
 店員が去っていくと、男はぼくをじっと見つめた。男にそんな風に見られたことがないので、ちょっとどぎまぎした。
 「ぼく、崎山徹」
 「わたしは、矢野美佐っていいます」
 「矢野美佐さん。いい名前ですね」
 「えっ!? そうかなあ?」
 「そう思いますよ」
 「旧姓は赤峰っていうんだけど」
 少し距離を置くためにそう言った。
 「えっ!? 旧姓って、結婚してるんですか?」
 「結婚してた」
 「バツイチ?」
 「・・・・そう言うことになるかな?」
 「若いのに、離婚したんですか?」
 「離婚じゃないの。旦那が死んじゃったの」
 「死んだ?」
 「1年ちょっと前、立川で、親父狩りにあって」
 「ああ、その事件なら新聞で読んだよ。あの人の奥さんですか」
 「そう。だから、今は独身」
 「よかった」
 「何が?」
 「旦那がいるのなら、拙いじゃないですか」
 「そうかな? 旦那様がいても、結構遊んでる人、多いんじゃないの?」
 「ぼくはそんなの嫌いだな」
 「・・・・まあ、そうよね」
 ぼくだって、そう思う。
 「仕事してるの?」
 「コンビニのパート」
 「ふうん」
 「あなたは?」
 「工学院大学の学生だよ」
 「あら? お勤めしている人かと思ったのに」
 「そんなに老けて見える?」
 「見える」
 サラリーマンには見えなかったけど、かといって学生にしては老けた男だった。
 「あっ! ひどいなあ」
 「学生さんが、わたしに声をかけたって事は、わたしは若く見られてるって事?」
 「違うよ。初めから、年上だろうと思ってた」
 「年上って、いくつに見えるの?」
 「28」
 「ひどーい」
 「お返しだよ」
 この崎山徹という、ぼくより三つ年下(美佐の年齢からはひとつ下になるが)の男。何だか話しが合う。3時間もツバメグリルに居座って、店の人の顰蹙を買ってしまった。

 「電話番号、教えてくれる?」
 「年上のバツイチなのよ」
 「そんなの、恋愛に関係ないよ」
 「あら、本気なの?」
 「ぼくは本気でなかったら、女の人に声をかけないよ」
 ホントかなと思う。浜田が、女を落とすためなら、それくらいの嘘はつくと言っていた。
 「崎山君の番号を教えて。気が向いたら、わたしの方から電話するわ」
 「是非電話してくれよ。ぼく、本気なんだから」
 「ちょっと考える時間を頂戴。いいでしょう?」
 「いいよ。電話待ってるから」
 中央線に乗り込むぼくを、千切れんばかりに手を振って見送ってくれた。彼がぼくの最初の相手になるのだろうか? 彼なら、抱かれてもいいななんて思いながら、電車の窓から外の景色を眺めていた。