第8章 取り違え

 「イヤ、そうじゃない。手術はうまくいった。うまくいったんだが・・・・」
 横溝医師のその言葉には、妙な響きがあった。
 「じゃあ、どうして?」
 「実はね・・・・。今日、もうひとつ手術があると言ったね」
 「はい。そう聞きました」
 「その手術が終わってから、君に手術をするはずだったんだ」
 「初めは、そうおっしゃってました」
 「君の手術の方が簡単だから、先に済ませようとしたんだが、看護婦の方は、予定通りと思いこんでいてね」
 「と言うと・・・・」
 「予定通りに、先に手術する方を手術室に入れたと言うから、その患者さんが受けるはずの手術を君にしてしまったんだ」
 「ええっ!! それって、取り違えたって事ですか?」
 「端的に言うと、その通りだ」
 「わたしに何の手術を・・・・」
 「性再評価手術だ」
 「性再評価手術って、もしかして・・・・」
 インターネットでその言葉を見たことがあった。
 「そう。いわゆる性転換手術だ」
 「性転換手術・・・・」
 ぼくは気が遠くなった。
 「すまない。しかし、君は将来女になるつもりだったんだろう?」
 「そんなこと・・・・」
 「違うのか?」
 ぼくはボロボロと涙を流した。喉仏の小さな男もいることだし、喉仏がなくなっても、男に戻れるはずだった。ほとぼりが冷めれば、男に戻る予定だったのに、性転換手術だなんて・・・・。
 「ニューハーフの中には、ペニスが必要な連中もいるが、君もそうなんだな」
 ぼくには返答ができなかった。横溝医師が考えていることは、ぼくにはあてはまらないのだ。しかし、それは言えなかった。
 「いずれにしろ、もう元には戻せないんだ。アフターケアーを含めて、きちんとやってあげる。予定通りの喉の手術もしてあげたし、料金も取らない。だから、勘弁してくれ。この通りだ」
 横溝医師はぼくに深々と頭を下げた。
 「絶対元に戻せないんですね」
 「ああ、無理だ」
 ぼくは大声をあげて泣いた。こんな事になるなんて・・・・。あの日掛け違ったボタンは、元に戻せないままだ。

 「予定の手術をしてやらなければならない。失礼するよ。傷が痛むときは、看護婦に言ってくれ」
 横溝医師が病室を出て行ってから、急に股間が痛み始めた。ぼくは、ナースコールを押した。
 「友永さん、痛むの?」
 「はい」
 「大手術を受けたんですからね。はい、注射しますよ。5分ほどで効いてきますから、ちょっとの辛抱ですよ」
 痛みが止まると言うよりは、無理矢理眠らされて、痛みを感じなくすると言う感じだった。しかし、そうでもしないと、無茶苦茶痛いのだ。結局朝までに痛み止めを3回注射してもらった。

 夜が明けて、ぼくはカーテンの向こうにある隣のビルの壁を見つめていた。どん詰まりだな。溜息が出た。
 しかし・・・・。しかしと考えてみる。性転換して女になったと言うことは、ぼくにとっては悪いことではない。ぼくは今、矢野美佐として生きている。男に戻るのは障害が多すぎる。この方が、矢野美佐として生きて行くには好都合だ。
 通常性転換して女になっても、戸籍が男だから、結婚はおろか就職もおぼつかない。しかし、ぼくには矢野美佐という女の戸籍がある。女として生きていける。
 結婚? それだけはないな。いくら体が女になって、戸籍も女だからと言って、男に抱かれるなんて、とてもその気にはならない。
 ともかく、ぼくは殺人の罪も、保険金詐欺の罪も免れることになる。性転換はその代償と思うしかない。ただでやってくれたんだから、むしろ感謝してもいいくらいだ。そう考えることにした。

 「もう、落ち着いたかな? イヤ、まだ無理だろうね」
 横溝医師が、気の毒そうな顔をして、病室へ顔を出した。
 「元に戻せないのなら、泣いても喚いても無駄だと分かりました。先生を恨みません。だから、わたしに精一杯の治療をしてください」
 「そう言って貰えると、心が治まるよ。全力で、治療をしよう」
 「お願いします」
 「じゃあ、ちょっと傷を見せてもらおう。膝を立てて、少し開いてごらん」
 「はい」
 T字帯を外され、ガーゼを剥がされた。横溝医師はぼくの股間を覗き込んで消毒し始めた。ジンジンとした痛みが再び襲ってきた。
 「先生、痛い」
 「ガーゼをしたら、痛み止めをしてあげよう」
 「傷の状態はいいですか?」
 「最高だよ。仕上がりもいいはずだ」
 「いいはずだって、まだ分からないんですか?」
 「まだ腫れているからね。腫れが引けば、恐らく完璧な女だ。ストリッパーにだってなれるよ」
 「ストリッパーなんてなりません!!」
 「冗談だよ。それくらい綺麗になるってことさ」
 「ほんとに?」
 「わたしの腕を信じなさい」
 「はい。先生を初めて見たときから、信頼できる先生だと思っていましたから」
 「それはありがとう。取り違えさえなかったら、その信頼はもっと大きかっただろうね」
 「そんなことありません。今でも信頼してます」
 「君は、人間ができているね。さあ、次は喉を見せてもらおう」

 二日もすると、痛みは徐々に引いていった。ただ、消毒するときに、股間に痛みも何も感じない痺れたような部分があった。
 「今は神経が通ってないからね。しばらくすると、感覚が戻ってくるよ」
 その言葉にぼくは少し安心した。

 手術を受けて一週間目の水曜日が来た。
 「今日は抜糸をするよ」
 「痛いんですか?」
 「それほど痛くはないと思うが」
 ちくりちくりとした痛みがあったが、術直後の傷の痛みほどではなかった。
 「さてと、これからが本番だ」
 「まだ何かするんですか?」
 「人造腟の中に、化膿止めを染み込ませたガーゼを詰め込んである。それを抜かねばならないが・・・・」
 「痛いんでしょう?」
 「かなり痛いと言うがね」
 「どれくらい?」
 「みんな泣き叫ぶよ」
 大袈裟に言っているようには見えなかった。
 「麻酔してください。お願いします」
 「・・・・そうだな。特例を認めよう。佐藤君、デュプリバンを持ってきてくれ」
 「はい」
 しばらくして、看護婦が白い液体の入った点滴を持ってきた。
 「寝ている間に取ってあげるからね」
 白い液体が入り始めたとたん、ぼくは眠りに落ちた。目が醒めると、処置は終わっていた。
 「見たいんですけど」
 「手術したところを?」
 「はい」
 「もうガーゼをあてたから、明日にしよう。明日は、おしっこの管も抜けるだろうから、全体が見渡せるよ。いいね」
 「分かりました」
 しばらくして、骨盤の奥がジンジンし始めた。ぼくはナースコールを押した。
 「痛い、痛いです」
 「すぐに注射するから、待ってね」
 注射すると、すぐに痛みは治まった。どんな仕上がりになっているのだろうか? 横溝医師は、ストリッパーになれるくらい綺麗になると言っていたが・・・・。

 翌日の午後、約束通り横溝医師がやってきた。
 「見せてあげるけど、まだ腫れが引いてないことを考慮しておくんだよ」
 「はい。分かってます」
 「じゃあ、ご開帳だ」
 ガーゼが取られ、手鏡を手渡された。鏡で見ている目の前で、おしっこの管が抜かれた。鏡に映ったものは、とても見られたものではなかった。
 陰毛がないと言うだけでもグロテスクなのに、赤黒く内出血していて、初めて女の股間を見たときより、ずっとグロテスクだと思った。
 陰嚢のあった場所に縦長に傷があった。真ん中にどす黒い割れ目があって、その一番下にぽっかりと穴が空いていた。これが人造腟か・・・・。割れ目の一番上には、やはり赤黒い隆起があった。クリトリス・・・・。一応、女の持ち物は揃っているが・・・・。女のものには見えなかった。
 「綺麗になるよ。心配しないでいい」
 ぼくの不安が分かるのか、横溝医師はそうぼくに言い聞かせた。
 「気はすんだかね?」
 「はい。もういいです」
 ぼくは手鏡を横溝医師に戻した。
 「ホントに綺麗になるからね」
 「信じてます」
 「さて、今日からやって貰わなければならないことがある」
 「膣拡張ですね」
 「そうだ。手術を受けるつもりがなかったという割には、知ってるんだな」
 「インターネットで見ました」
 「そうか。それなら、話しは早い。これが拡張棒だ」
 横溝医師がぼくの目の前に差し出したのは、3本の白いシリコン製の棒だ。
 「細い方から、毎日四回腟の中に入れて、15分ほどじっとしておく。出し入れに痛みがなくなったら、大きいサイズにするんだ。いいね」
 「はい」
 「今日だけは、わたしがやってあげるから、明日からは自分でやるんだよ」
 ぼくは頷いた。
 「これはKYジェリーだ。これをたっぷりと付けて、入り口にあてて、少し前方へ向かって入れるんだ」
 「前方って?」
 「手元を後ろにして入れればいい。手をこちらに回しなさい」
 右手を股間に持って行くと、シリコン棒を手渡された。
 「さあ、こんな風だ。ゆっくり押し込んで」
 「い、痛い・・・・」
 「我慢して入れないと、腟が無くなってしまうぞ。せっかく痛い思いをしたのが無駄になってしまう」
 「でも、痛い」
 「さあ、入れるんだ」
 痛くて痛くて涙が出た。
 「さあ、奥まで入ったよ。このまま15分だ」
 骨盤の奥で、痛みが拍動していた。15分が長かった。痛みが治まった頃、シリコン棒が引き抜かれた。
 「要領は分かったかな?」
 「はい、なんとか」
 「一日4回だよ」
 「4回も・・・・」
 「4回以上してもいいよ」
 「とんでもないです」
 「セックスだったら、4回以上してもいいか?」
 横溝医師はにやりと笑っていった。
 「馬鹿なこと言わないでください」
 ぼくの剣幕に、横溝医師は肩を竦めた。
 「外見はともかく、膣はいい状態だ。君のペニスが大きかったから、楽々15センチの深さの膣ができたよ。余程の巨根でない限り、受け入れ可能だ」
 「・・・・そうですか?」
 「不満そうだな」
 「そんなことないです」
 膣がなければ女じゃないと思うから拡張する気になっていた。男とやりたいからやってるんじゃない。しかし、横溝医師はそんなぼくの思いを分かってはくれない。まあ、分かるはずもないだろうけど。
 「もう一週間もしたら退院できるからね」
 「もう退院ですか?」
 「ああ、それ以上いても、ここのまずい飯を食うだけだ。もっと美味いものを食って、栄養付けた方が、よくなるのが早いだろう」
 「先生の病院ですよ」
 「病院食はどこでもまずいと言うことになっている。はっ、はっ、はっ」
 横溝医師が病室を出て行き、看護婦に夜用と書かれた生理用品を付けたサニタリーショーツを穿かされた。ごわごわして気持ち悪い。女ってのは、毎月こんなもの身に着けてるんだなあと妙な感慨が浮かんだ。
 「おしっこしたあとは、消毒するから呼んでね」
 「はい。分かりました」

 おしっこしたくなって、トイレに行った。サニタリーショーツを下げ、腰掛け便器に座って、便器の中を覗き込みながらおしっこした。おしっこが便器中に広がって、顔にまで飛んできた。まともにおしっこできない!!!
 お尻から、内股まで、おしっこまみれになってしまった。サニタリーショーツも濡れてしまった。サニタリーショーツを脱いで、トイレットペーパーで拭いて外に出た。
 下半身丸出しのみっともない姿だけど、消毒しなければならないから、ナースコールを押した。
 「あら、あら、濡らしちゃったのね。しょうのないひとね」
 「だって、おしっこが飛び散るんだもの・・・・」
 「手術直後だから仕方がないけど、足を広げておしっこしなかった?」
 「はい」
 「両膝を付けて、おしっこするとそんなに飛び散らないわよ」
 「両膝を付けるんですか?」
 「そう。男の感覚では、そんなこと思いつかないでしょうけど、女でも膝を広げてすると飛び散ることがあるのよ」
 「へえ、そうなんですか」
 「勉強になった?」
 「はい」
 「あなた、素直ね」
 ぼくは肩を竦めた。消毒してもらって、新しいサニタリーを穿いた。
 次ぎにおしっこするとき、看護婦に言われたように両膝を付けてやってみた。少し内股が濡れたがうまくいった。

 膣拡張ははっきり言って痛い。止めてしまいたいけれど、ぼくの体にこの手術が行われたことを知ったとき、やらなければならないと決心していた。ぼくは一度決めたことはやり遂げる。そうもいかないこともあるけど・・・・。
 横溝医師に指導されたとおり、KYジェリーをたっぷり塗ったシリコン棒を入れているが、痛くて途中で何度も引き抜いてしまう。だから、一回の拡張に一時間は費やしてしまう。一日4時間も膣拡張に使っていることになる。なんて時間の無駄遣いだ!! 通勤よりひどい。しかし、他にすることもないから、頑張っていると言えば頑張っている。
 「まだ一番小さいのを入れているのか?」
 「だって、痛いんだもの」
 「君はいくつだ? まるで子供だな」
 「女になってまだ2週間ですもの」
 「それはそうか。しかし、もっと頑張らないと、狭くなってしまうぞ」
 「分かってますったら」
 「分かっていればいい」

 久しぶりに、手鏡で覗いてみた。内出血は引いて、少し陰毛が生え始め、見かけはよくなってきた。しかし腫れがまだ残っているから、綺麗とは言い難い。
 クリトリスも赤く腫れていた。触ってみると、ビリビリと電気が走ったような痛みが走った。そう。痛いのだ。クリトリスは、女に最も大きな快感を与える場所だと理解していた。しかし、今のぼくに付いているクリトリスは、痛いばかりで快感なんて感じない。これで大丈夫なのだろうか?
 「感じないよりいいだろう?」
 「でも、こんなに痛くっちゃ、セックスできません」
 「やっぱり男としたいか?」
 「い、いえ、違うんです」
 「大丈夫。そのうち痛みが減って、快感を覚えるようになる」
 「ほんとですね」
 「保証するよ。で、そろそろ退院するかね?」
 「もう大丈夫でしょうか?」
 「アメリカでなどでは、一週間で退院だよ。君はもう3週間以上入院している。充分すぎるくらいだよ」
 「でも、まだ下り物が・・・・」
 「もう10日もすれば出なくなる。生理だと思って対応すればいいよ」
 「消毒もいらないんですか?」
 「小便した後、ビデでよく洗えばいいだろう」
 「じゃあ、退院させていただきます」
 「くれぐれも膣拡張は忘れないように。それと、出血とか、いつにない痛みとかがあったら、すぐにここに来なさい。そんなことがなかったら、2週間後だ」
 「女性ホルモンは?」
 「まだだ。この次ぎ来た辺りから再開しよう」
 「分かりました。お世話になりました」
 ぼくは丁寧にお礼を言うと、横溝医院をあとにした。