第6章 葬式

 今日は3月31日。美佐を殺してしまった日だ。美佐の死体が見つからないまま1年が過ぎてしまった。ぼくは相変わらず、二重生活を続けている。よくばれないものだと、自分でも不思議に思う。
 このまま美佐の失踪届を出してしまって、男の生活に戻ろうと思った。しかし、美佐の死体がずっと見つからないで、例えば5年先に見つかったとしよう。死後5年か6年か区別が付くだろうか? 恐らく区別は付かないだろう。そうなると、見つかった死体が誰であるか探すとき、失踪者を調べられたら、美佐にたどり着く可能性がある。そうなったら、死体を遺棄したのはぼくだと疑われるのは目に見えている。折角美佐が生きているように見せかけてきた、この1年の苦労は水の泡になってしまう。
 何か良いアイデアはないだろうか? 美佐の死体が見つかれば、ことは簡単なのだが・・・・。

 仕事場でも、あれやこれやとぼんやり考えていた。
 「おい、矢野」
 「あ、何ですか?」
 フロアー長が、ちょっとおかしげな顔をしてぼくに囁きかけてきた。
 「おまえ、浅田のこと、知ってるか?」
 「浅田のことって、そう言えば今日は出てきてませんね」
 ぼくはフロアの中を見回す。
 「昨日で辞めたんだ」
 「えっ!? 辞めちゃったんですか?」
 「ああ。電話で辞めると言ってきた」
 「どうしてまた急に?」
 「彼女にはある秘密があったんだが、おまえ、知ってたか?」
 浅田加世子の秘密!? あのことだろうか? 鎌を掛けているのかも知れないと思って、ぼくは惚けることにした。
 「何の秘密ですか?」
 「ホントに知らないのか?」
 「何だろう・・・・」
 「おまえ、一時親しかったから、知ってたんじゃないかと思ってな」
 「親しかったって、勝手にみんながそう思いこんだだけですよ。彼女の秘密なんて、ぜんぜん知りませんよ」
 「そうか・・・・。実はな。彼女は・・・・男だったんだ」
 「ええっ!!」
 ぼくは精一杯驚いて見せた。
 「やっぱり知らなかったのか。ニューハーフだったんだよ。ニューハーフ」
 「嘘でしょう」
 「嘘じゃない。コンピューターフロアの山田が誘われて、ホテルに行ったらしい」
 「ホテルに・・・・」
 「山田のやつ、驚いたの何のってなかったって言ってたよ」
 「そりゃそうでしょうね。女だと思って抱いたら、男だったりしたら」
 「そうか。おまえ知らなかったのか・・・・」
 「当たり前でしょう? フロアー長が、いつ結婚するんだって、ぼくに迫ったとき、結婚してなかったら、その気になってたところですよ」
 「はは、そうだったな」
 「そうですか・・・・。男だったんですか。信じられないですね」
 「いや、ほんと」
 浅田加世子がいなくなって、何故か寂しくなった。男と女の二重生活をしているぼく。浅田加世子に共通の部分を見ていたのかも知れない。

 その日の帰り、立川で電車を降りて、いつものカットサロンへ寄った。昭島に越してきてから、ずっとここを利用している。店はかなり混んでいた。40分近く待たされた。
 「矢野さん、どうぞ」
 「はい」
 「ジャケット、お預かりします」
 「お願いします」
 椅子に腰掛けてカットが始まったとたん、睡眠不足と仕事の疲れで眠り込んでしまった。夢の中で、良いアイデアを思いついた。
 ぼくの方から、美佐の死体を埋めてある場所を警察にたれ込むのだ。女声でやれば、ぼくがたれ込んだとは思われないだろう。美佐の死体が見つかったところで、失踪届を出せばいいのだ。死後1年の死体と失踪したばかりの女が同一人物だなんて誰も思わない。
 何と言ってたれ込もうか? 不審な車を見た? 1年前だぞ。そんなのおかしい。雑木林の中におかしなところがある? あんなところへ足を踏み込む理由がない。
 2,3日考えてみよう。急ぐ必要はない。いい言い訳が見つかれば、すぐにでも実行できるんだから。その前に、発見されることだってあるだろうし。
 「矢野さん。終わりましたよ」
 「あ、ああ。もうすんだんですか?」
 「お疲れのようですね」
 「ちょっと寝不足で」
 「夜更かしは体に毒ですよ。リキッドは付けなくてよかったですね」
 「はい」
 「お疲れさまでした。はい、ジャケットどうぞ」
 「すみません」
 あれ? ちょっと違和感を覚えた。それがなんだか分からなかった。

 マンションに帰ると、いつものように女装した。たれ込みの良いアイデアを思いついて、女装ともおさらばだ。そう思いながら、鼻歌混じりに食事の準備をした。
 「あれ? 醤油がないや」
 買い置きの醤油瓶の中にもまったく残っていなかった。
 「買いに行くしかないな」
 そう呟きながら、エプロンを外して財布を握りしめ、マンション近くのコンビニへ出かけた。

 醤油の2合瓶を買って、マンションへ戻っていった。玄関まで来ると、管理人さんと上野さんが二人して立っていた。
 「こんばんは」
 「ああ、矢野さん。あなた、どこに行ってたんですか?」
 ふたりはただならぬ様子でぼくに歩み寄ってきた。
 「お醤油を切らしちゃって、そこのコンビニまで」
 「探してたんですよ」
 「えっ!?」
 「ご主人が大変なんですよ」
 「はあ?」
 ご主人が大変? 一体何のこっちゃ?
 「さっき警察から連絡があって、ご主人が事件に巻き込まれたそうなんです。すぐに行きましょう」
 「あのう・・・・」
 訳が分からず、戸惑うぼくを上野さんが急き立てた。
 「急いでくれって言ってました。わたしがお送りしますから」
 「どこに・・・・」
 「立川総合病院だといってました」
 「立川総合病院・・・・」
 「さあ、早く」
 ご主人って、ぼくのことだよな。ぼくはここにいるよ。事件に巻き込まれてなんかいない。何かの間違いだ。それなのに、上野さんに手を引かれて、車に無理矢理乗せられてしまった。
 何が何だか分からないけど、病院に着いたら、間違いだって言えばいいだろう。ぼくは、醤油の2合瓶が入った袋を膝に乗せて、助手席にかしこまっていた。

 10分ちょっとで立川総合病院に着いた。警官がロビーで待っていた。
 「すみません。矢野さんの奥さんを連れてきました」
 上野さんは、すべてを取り仕切っているような態度で警察官に話しかけている。
 「矢野亮平さんの奥さんですね」
 「は、はい」
 「ご主人が、いわゆる親父狩りに遭われましてですね」
 「親父狩り!?」
 「目撃者の話では、中学生か高校生らしいのですが、3,4人の若い男たちに襲われて、重傷を負ってます」
 「あのう・・・・」
 人違いだと言おうとしたが、警察官はたたみかけてきた。
 「着ていたジャケットに矢野というネームが入っていまして、内ポケットの中に名刺が入っていましたので、電話差し上げたのですが、どなたもお出になりませんので、マンションの管理人さんに電話したという訳なんです」
 ジャケット? 名刺? どう言うことだ? 訳が分からない。何かの間違いだと言おうとしたが、思いとどまった。
 病院に収容されている人物がぼくではないことを証明するには、ぼくを呼び出さなければならないのはないだろうか? ぼくは美佐に化けている。美佐としてのぼくが姿を消して、矢野亮平として姿を現したらいいのか? イヤ、不審に思われてしまう。最悪、ぼくが美佐を演じていることがばれてしまう。
 「集中治療室にいます。すぐに行きましょう」
 「は、はい」
 行くしかない。困ったぞ。矢野亮平がいない理由は・・・・。出張中と言うことにするか? イヤ、そんなことは会社に聞けば嘘だとすぐに分かってしまう。
 病院の廊下を走るようにして歩いて行く警察官のあとを、上野さんと一緒に歩いて行った。どうしようかと考えているうちに、集中治療室へ着いた。
 「すみません。矢野さんの奥さんをお連れしました。中に入ってもいいですか?」
 警察官が集中治療室のドアを少し開いて尋ねた。
 「ちょっと外で待っていてください」
 若い看護婦らしい声が、突っ慳貪にそう答えた。
 「矢野さんの奥さんなんですよ」
 「今はちょっとだめです」
 警察官は肩を竦める。中の様子がおかしい。看護婦がばたばたと走り回っていた。しばらくして、集中治療室のドアが開いて、白衣を着たドクターらしい男が出てきた。
 「矢野亮平さんの奥さんはあなたですか?」
 「は、はい」
 「矢野さん、わたしの言うことを落ち着いて聞いてください」
 ぼくはドクターを見つめた。
 「矢野亮平さんは、たった今、亡くなりました」
 「はあ・・・・」
 「手は尽くしたのですが、なにぶん頭部をひどく損傷されておりまして・・・・」
 ぼくはぼんやりドクターの言うことを聞いていた。
 「奥さん、気を確かに」
 上野さんがぼくを支えるように抱いた。
 「奥さん、ご確認をお願いします」
 ご確認って言ったって、ぼくでないのは確かだが、集中治療室の中で死んだのが、矢野亮平で、ぼくはその妻と言うことになっているから、確認せざるを得ない。
 ガウンを着せられ、使い捨ての紙製の帽子を被せられて、ベッドサイドに連れて行かれた。ベッドの中を覗き込むと、顔が腫れ上がって、人相が分からなくなった男が横たわっていた。
 体格はぼくよりやや大きいが、痩せていて色白で、顔を見なければ、ぼくだと言ってもおかしくはない。
 「ご主人に間違いないですね」
 「はい、間違いありません」
 違うと言えば、矢野亮平を呼び寄せねばならないのではと言う考えに支配されていて、何も考えずにそう答えてしまった。そう答えてしまってから、矢野亮平が死んでしまったことになったら、ぼくは一生美佐として生きなければならないことに気がついた。しまった。とんでもないことをしてしまった。しかし、もう取り返しはつかない。
 困った、困ったと考える。考えているうちに、いいアイデアを思いついた。警察にたれ込んで美佐の死体を発見させればいいんだ。死体が見つかったところで、美佐を失踪させ、ぼくは生きていましたと名乗り出ればいい。うん、いいアイデアだ。

 「事故死ですので、司法解剖に廻さなければなりませんがいいですね」
 「は、はい」
 「ご遺体は明日の夕方お返しいたします。どちらへお届けしたらよいでしょうか?」
 「どちらにと言われましても・・・・」
 「通常は、葬儀社にお届けするのですが」
 「奥さん、葬儀はどうするね?」
 上野さんが割って入った。
 「わたし、天涯孤独で親戚はいませんし、夫も両親が亡くなっていますから、葬式をしても来てくれるのはせいぜい会社の人たちだけでしょう。派手な葬儀はしなくても・・・・」
 赤の他人だから、葬儀なんてどうでもよかった。
 「じゃあ、マンションの集会所に。わたしが手配してあげましょう」
 「・・・・お願いします」

 マンションに向かう車の中で、もう一度考えてみた。これでいいはずだ。しかし、マンションに着く直前になって重大なことに気がついた。
 死んでしまったことにしたら、ぼくは職を失ってしまう。あとで生きていましたと名乗り出て、もう一度雇って貰えるだろうか?
 困った事態になった。しかし、今更訂正はできない。ともかく、しばらくはぼくは美佐を演じなければならない。あとのことは少し落ち着いてから考えることにした。

 さすが自治会長と言うだけのことはあって、上野さんの活躍はめざましかった。あれよあれよと言う間に葬儀の準備ができあがってしまった。
 翌日の夕方、ぼくと思われている遺体が集会所に運ばれて、通夜が営まれた。ぼくは、喪服の黒いワンピースを着て、棺のそばに項垂れて座り、夫を暴漢に奪われて亡くした妻を演じていた。
 通夜には数人にしか訪れなかった。ぼくにとってはそれは幸いなことだったが、ホントに自分が死んでもこれだけの人しか来てくれないのかと、ちょっと寂しくなった。
 翌日の葬儀も来てくれたのは10数人。寂しい葬式だ。
 「このたびは、突然のご不幸で・・・・」
 フロアー長の声だ。顔を見られたらばれる。ぼくは、ハンカチで目を押さえ下を向いて顔を隠した。
 「浜田です。このたびは・・・・」
 浜田が来てくれた。嬉しかったが、やはり顔を上げるわけにはいかなかった。

 いったいこの男は誰だろう。そう心の中で呟きながら、火葬場でぼくの身代わりになった男の骨を拾った。

 「奥さん、生命保険とかあるんじゃないか?」
 上野さんの世話焼きは、まだ続いていた。
 「あると思います」
 ぼくが出て行くこともなく、上野さんがいろいろと手配してくれ、保険金が手に入った。2000万の保険だったが、事故と言うことで倍の4000万が支給された。会社からも、給料と退職金、弔慰金の明目で、200万ほどが振り込まれてきた。
 マンションの残りの借金も支払わなくてよくなった。抵当権が外され、矢野美佐のものになった。

 多額の現金が入って、ぼくは浮き浮きしていた。だから、当初考えていた手順が狂い始めたことに気付かなかった。
 冷静になって考えてみると、ぼく自身の保険金を受け取った今となっては、美佐を失踪したことにして、ぼくが出てくるわけにはいかないのだ。なぜなら、そんなことしたら、保険金詐欺になってしまうからだ。
 美佐が保険金を手に入れようと、勝手にぼくが死んだことにしたと主張することにしよう。失踪した美佐の所為にして保険金詐欺の罪は免れるかもしれない。しかし、せっかく手に入れた保険金も没収されてしまう。マンションの抵当権ももう一度設定されてしまうだろう。職場に復帰できなければ、収入がなくなり、このマンションからも追い出されてしまう。
 保険金を受け取らなければ良かったと後悔した。しかし、今のぼくには収入の道がない。受け取らざるを得なかった。
 ぼくはもはや、美佐として生きるしか選択枝は残されていないのだ。無一文で、放り出されるわけにはいかないのだ。
 たった一言が、ぼくの人生を狂わせることになってしまった。いや、美佐が死んでしまったとき、ぼくの人生の歯車は既に狂い始めていたのだ。