第九章 真琴が戻ってきた

 五月になり、もうすぐ二十三の誕生日だなと思いながら、仕事を終えてマンションへ帰った。
 部屋の鍵を開けようとしていると、後ろから声をかけられた。
 「やっと帰ってきたのね。待ったわよ」
 時間は、午前3時。こんな真夜中に、声をかけられるなどと思ってもみなかったから、ぼくは、心臓がひっくり返るくらいビックリした。
 振り向いてみると、目の前に若い女が立っていた。白いワンピースを着て、白の高いハイヒールを履いた、背の高いスタイルのいい女だ。長い髪は黒く、艶やかだ。まるで、ファッション雑誌から抜け出てきたような印象を覚えた。
 その女には見覚えがあった。そう、女は、ぼくが中学校入試のあとに女装したときのぼくそのものだった。
 「ま、まさか。真琴!?」
 「ドアを開けてよ。中で話しをしましょうよ」
 ドアを開けると、女はさっさと部屋の中に入り、ソファーに腰掛けて、部屋の中を見まわした。
 「ちっとも変わってないのね。わたしは、こんなに変わったのに」
 そんな言葉は、以前この部屋で聞いた覚えがある。
 「ほんとに、真琴なの?」
 「真琴は、あなたでしょう? わたしはミキ」
 「どうして、そんな格好を・・・・」
 「コーヒー、入れてくれない? 話しはそれからよ」
 コーヒー豆をミルで挽き、コーヒーメーカーに仕掛け、急いで真琴の向かいのソファーに座った。
 「どう言うことなの?」
 「あの時、あなた、あんなことで元に戻れると思った?」
 「・・・・確信はないけど、それしかないと・・・・」
 「わたしはだめだと思ったわ。元に戻れるのなら、すぐにでも戻れるはずよ」
 「・・・・」
 そうかもしれない。そうでないかもしれない。
 「わたしは元に戻ることを諦めて、もう一度、頑張ることにしたの」
 「もう一度頑張る? と言うことは・・・・」
 「言ったでしょう? わたしは、女の格好が好きなの。男の格好でいたくないの。だから、体を改造することにしたの」
 そんな言葉を聞くまでもない。その姿を見れば、一目瞭然だ。ぼくになった真琴が、女装するために、佐山幹の体に女性化を図ったことは明らかだ。
 「・・・・じゃあ、女性ホルモンを飲んでいるの?」
 「そうよ」
 ぼくは、ぼくになった真琴のぐっと盛り上がった胸に目を落とした。
 「胸は?」
 「あの時、もう十九だったでしょう。遅くにホルモン始めたから、あんまり大きくならなかったのよね。だから、豊胸術を受けたわ」
 「豊胸術・・・・わたしより・・・・大きいみたいね」
 「どうせ手術するなら、大きいほうがいいと思ってね。Cカップにしてもらったわ」
 ぼくの視線は、ぼくになった真琴の喉へ向けられる。
 「喉仏もないみたいだけど・・・・」
 「そうよ。手術して取っちゃったわ」
 「タマは? タマまで取ったんじゃあ」
 「取ったわ。当然でしょう? 取らないと女性ホルモンの効果が出ないからね。それに、邪魔だし」
 何て事だ。ぼくの体を台無しにして!
 「わたしの体なのよ! なのに・・・・」
 「元に戻れないのなら、わたしの体よ」
 「・・・・それはそうかもしれないけど、元に戻れたらどうするのよ!」
 「元になんて、金輪際戻れっこないわ」
 「どうしてそんなことが、あなたに分かるのよ」
 「分かるわよ」
 「例え分かっても、わたしに何の相談もなく、勝手に体を改造することなんてないじゃないの。どうして相談してくれなかったのよ」
 「相談したって、結論は同じでしょう?」
 「同じじゃなかったかもしれないわ」
 「同じよ!」
 「同じじゃないわ」
 「今更そんなこと言っても、もう手遅れだわ」
 そう、もはや手遅れだ。ぼくは頭を抱えた。もう元に戻れても、どうしようもない。ニューハーフが、ニューハーフになるだけだ。
 「父や母が悲しむわ」
 「あなたのご両親? あなたのご両親なら、先週、あなたの実家に行って、会ってきたわ」
 「えっ!?」
 「勘当されちゃったわ」
 「勘当された!」
 「そう。二度と佐山家の敷居を跨ぐなって」
 ぼくは泣いた。
 「どうして泣くのよ。勘当されたのは、わたしなのよ。元に戻れないのは、初めから決まっていたのよ。入れ替わったときから諦めてないといけなかったのよ」
 「諦めきれないわ。諦めきれるわけがないじゃないの!」
 「柳井さんとは続いているの?」
 「続いているわ」
 「仕事は順調なの?」
 「・・・・順調よ」
 「じゃあ、文句はないでしょう? 仕事もちゃんとあるし、愛してくれる人もいるんだから」
 「そう言う問題じゃないのよ。元に戻れるかもしれないと言う希望があったから、真琴として一生懸命生きてきたのに・・・・」
 「どうしても、元に戻りたかったの?」
 「当たり前じゃないの! それが本来の姿でしょう?」
 「嘘よ、嘘。あなた、本気で元に戻ろうとしたことがあった? 良く胸に手を当てて考えてみなさいよ。あなたが嬉しそうな顔をして、柳井さんと腕を組んで歩いているのを見たわ。あなたは、真琴であることに満足していたはずよ」
 「・・・・そんなことは・・・・」
 そんなことはないと言いたかったが、言えなかった。何とか本来の自分に戻りたいとは思っていた。しかし、今のままでもいいとも心の片隅で思っていた。それは真琴の言う通りだ。
 「ほら、何にも反論できないでしょう。わたしの言うとおりでしょう? あなたが本気で元に戻ろうと思わなかったから、わたしは痛い目を見て女の姿にならなきゃいけなかったし、愛する人もあなたに奪われたのよ。わたしは被害者なのよ。わたし、あなたに文句を言われる筋合いはないわ」
 「あなたが勝手なことをしなければ、元に戻れていたかもしれないのに、わたしこそ被害者だわ。それに、元はと言えば、あなたが、酔ったわたしをこのマンションに連れてきたせいじゃないの!」
 ぼくは、怒りと絶望感で、感情のコントロールができなくなってきた。
 「帰って! あなたの顔なんて見たくないわ。さっさと出て行って!!」
 「出て行くわよ。幹の分からず屋!」
 ぼくになった真琴は、怒ったようにばたんとドアを閉めて出て行ってしまった。
 ぼくは絶望感の中、一晩中泣き明かした。死のうと思って、フラフラとベランダまで、歩いていった。けれど、飛び降りる勇気はなかった。死んだところで、何も解決しないのだ。

 夜が白々と明けてきた。ぼくはベッドの中で泣きながら、じっと考えた。ニューハーフになってしまったのは、自分の意志ではなかったけれど、人生には、往々にして自分の意志でないことをしなければならないことはある。今の現状を受け入れて、真摯に生きることが大事なのではないかと。
 そうは思ったけれど、現状を受け入れるなんて、すぐにはできそうもない。三年も真琴として暮らしているというのに・・・・。

 玄関のチャイムの音で目が覚めた。ぼくは、泣き疲れて眠っていたようだ。時計は、午後二時過ぎを指していた。涙を拭いて、覗き穴から外を見てみると、ぼくになった真琴だった。ぼくはドアを開けず、大きな声で叫んだ。
 「何しに来たのよ」
 ぼくは、勝手なことをした真琴に、まだ腹を立てていた。
 「昨日はごめん。言い過ぎたわ。昨日帰って、あなたの言ったことを考えたの。確かに、もしかすると元に戻れていたのかもしれないわ。それなのに、あなたのことをちっとも考えないで、自分のことばかり考えて・・・・、ほんとにごめんね。わたしが悪かったわ」
 そんな真琴の言葉に、ぼくは落ち着きを取り戻した。大きな声を出した自分が、急に恥ずかしくなった。
 「ねえ、幹、喧嘩するのは、もうやめましょうよ。前のように仲良くしたいの。今度は、女同士として。お願い・・・・」
 覗き穴からぼくになった真琴の顔を見ると、涙を流していた。
 「分かったわ、真琴。わたしも悪かったの。わたしが本気で元に戻ろうとしなかったから・・・・」
 「中に入れてくれる?」
 ぼくは、ドアを開けて、ぼくになった真琴を部屋の中へ招き入れた。真琴は白のロングコートを着ていた。そのロングコートを脱ぐと、真紅のキャミソールに、黒のベルベットのホットパンツ姿だった。よく似合っている。
 「このまま生きるしかないのね」
 「ごめんね、幹。無理矢理わたしの世界に引き込んだ格好になって」
 「仕方ないわね。こうなる運命だったのよ」
 「ニューハーフは、ニューハーフなりに、生きられるわ」
 「・・・・そうね。変な希望を持つより、現状を受け入れて、一生懸命生きるほうがいいかもしれないわね」
 「ほんとにごめんね、幹」
 「もういいわ。あなただけが悪いんじゃないから。わたしも踏ん切りがついたわ」
 この三年間、真琴として上手くやって来れたのだ。この先もきっと上手くやれる。そうするしかないのだ。
 「幹、・・・・じゃない、これから、あなたのこと真琴って呼ぶけど、いい?」
 「その方がいいでしょうね。あなたは、ミキでいいわね」
 「勿論よ」
 もう三年あまりの間、真琴と呼ばれ続けている。もはや、幹と呼ばれることの方に、違和感を覚えるのだ。
 「ミキ、コーヒーでも入れようか?」
 「ご馳走になるわ」
 コーヒーをカップに入れて、ミキに差し出した。自分がこんな美人になるなんて思ってもみなかった。今のぼく自身もかなりいけてると思っていたけど、負けそうだ。
 「何じろじろ見てるの?」
 「ミキは、美人だなあと思って」
 「真琴には負けるわ」
 「本気じゃないでしょう?」
 「勿論よ」
 「ふふふ」
 「ふふふ」
 ぼくたちは、すっかり仲直りしていた。その時、ぼくはあることに気づいた。おやっと言う感じだった。
 「ミキ、ちょっと立ってみて!」
 「どうしたのよ」
 「いいから、ちょっと立ってみてよ」
 ミキは、にやりとしながら、立ちあがった。ぼくの見間違いではなかった。
 「ミキ! ペニスは? ペニスはどうしてるの?」
 ベルベットのホットパンツは、ミキの腰にぴったりくっついていた。ペニスを隠す余裕はどこにもない。
 「気がついたのね」
 「気がついたって!?」
 「ご察しの通りよ。ペニスも取っちゃったのよ」
 「ええっ!!」
 「昨日言おうと思ったんだけど、あなた、ショックが大きかったみたいだから、言いそびれちゃって」
 「ペニスも取っちゃったの・・・・」
 「そうよ。性転換しちゃったの」
 「性転換って、腟も作ったの?」
 「そうよ。どうせ痛い思いをするのなら、そうしてもらった方がいいと思ったの。腟を使ったセックスもやってみたいしね」
 「腟を使ったセックスって・・・・、もう、したの?」
 「まだよ。積極的にしたいって訳じゃないからね。でも、もう、裸になっても、大抵の男は騙せるわ」
 「とうとう、そこまでやったのね」
 「やるって言ったでしょう? わたし、女装を極めたいのよ。どんな服を着ても、いえ、例え裸になっても、女を装えるってことは、すっごい快感よ」
 ミキの執念には頭が下がる。
 「あなたもやったら? すっきりしていいわよ」
 「毒くわば皿までってわけ? でも、柳井さんが許さないでしょうね」
 「そうかしら?」
 「この前、このペニスがある感じがいいんだって、あの最中に言ってたもの」
 「そう。なら、だめね。でも、お許しが出たら、やってみるといいわ。世の中変わっちゃうわよ」
 「考えとくわ」
 ニューハーフとして生きる決心もやっとしたばかりなのに、性転換までは及びも付かなかった。
 「真琴、ちょっとお願いがあるの」
 「何?」
 「実はね。真琴から、お店に紹介してもらおうって思って」
 「お店に?」
 「飛び込みで、ママに頼んでもいいんだけど、あなたに紹介してもらったほうが、入りやすいんじゃないかと思って」
 「古くからの友人としてね」
 「そう。友達として」
 「分かったわ。じゃあ、三時になったら、一緒にお店に行きましょう」
 「わたし、今、園尾美樹って名乗っているから」
 「ソノオ・ミキ? どう書くの?」
 「公園の園に、尻尾の尾。それに美しい樹よ」
 「分かった。園尾美樹ね。あら、もう、そろそろ支度をしなくちゃ」
 時計は、もう午後三時十五分前を指していた。ぼくは慌てて化粧して、着替えると、美樹と一緒に店へと向かった。

 ママに美樹を紹介したら、即座にオーケーが出た。それはそうだろう。美樹は美人でスタイルもいい。それに、完全性転換者だ。お客が増えるのが予想できる。ミキは店での経験があるから、すぐに追い抜かれて、ぼくはナンバーフォーになってしまうかもしれないなと思った。
 ところが、予想に反して、美樹はぼくの次くらいの人気に留まった。ゲイバーに来る連中は、完全性転換者に多少は興味があっても、完全に女の姿になってしまっては面白くないのだ。柳井がぼくに言ったように、女の姿で、ペニスがあると言う、そのアンバランスさがいいのだ。

 ぼくと美樹は、再び親友に戻った。ただ気がかりなのは、美樹が柳井にまだ未練があると言うことだ。何か問題が起きなければいいが・・・・。