約束したのに、真琴から電話がなかった。マンションに電話しても、留守電になっていた。ぼくは、いらいらし始めていた。
連絡が付いたのは、日曜日の夜遅くだ。
「ごめん、ごめん。恭子が離してくれなくて」
まるで、元に戻ることを忘れてしまったような真琴の言い方に、ぼくは声を荒げた。
「真琴! 元に戻るんじゃなかったの?」
「そうは言ってもね。昨日の朝から押し掛けられて、帰ったのがさっきだよ。連絡しようがなかったんだよ」
「・・・・来週は、必ず来てよね」
「行けると思うけど」
「絶対来てよ。元に戻るんだから・・・・」
「恭子が来なければ行くけど、来たら絶対行けないよ。そうだろう? 幹に会いに行ったのがばれたら、恭子はもう二度と帰ってこないよ。幹は女に見えるんだから、浮気してると思われるよ。それでもいいのかい?」
ぼくと浮気!? そんなことなんてと思ったが、今のぼくの姿を考えれば、確かに真琴の言うとおりだ。恭子が、香川純子との件を忘れてくれたことだって奇跡に近いのに、浮気しているなんて思われたら、今度こそ最後だ。
「・・・・分かったよ。少し待つよ」
「そうしてくれ。恭子が帰省するか、旅行にでも行ったら、幹に会いに行くから。いいね」
「うん」
ぼくのところに来られないのは恭子のせいだと、真琴は言ったけど、本当だろうか? 真琴の方が恭子にのめり込んで、元に戻りたくなったのじゃあないだろうか? そんな疑念が頭の片隅を過ぎった。もし、そうだとすれば、そんなの困るよ。ぼくは、元に戻りたいんだ。だけど、そのことは真琴に質せなかった。
真琴としての日々が、一日一日と過ぎて行った。ぼくは、毎日ゲイバー勤め。金曜日には必ず柳井がやってきて、抱かれる。土曜日、真琴からの連絡はなかった。次の土曜日も、その次の土曜日も・・・・。
年末になって忙しくなり、休みを取れなくなって、ぼくは毎日ゲイバーへ出勤した。柳井の方も、忘年会やらで、十二月は結局一度しかぼくの前に顔を出さなかった。勿論、真琴からの連絡はなかった。そろそろ冬休みで、帰省するはずだ。年が明けるまで待つか。半ば諦めた気分で、ぼくは毎日を過ごしていた。
年が明けても、ゲイバーは忙しい。休む暇もない。休んだのは、元旦だけだった。
第二週の金曜日、ほぼ一ヶ月ぶりに柳井がやってきた。ぼくは嬉しくて堪らなかった。抱かれるのが嬉しいんじゃない。ぼくは寂しかったのだ。今のぼくには話し相手がいなかったからだ。ほんとは、真琴が来てくれるのが一番なのだけど、真琴には連絡が付かない。だから、今、ぼくが一番頼りにしているのは、柳井なのだ。このまま元に戻れなくて、柳井に捨てられたら、ぼくは自殺してしまうかもしれない。
久しぶりの柳井とのセックスは、すっごくよかった。全身が痺れたようにしばらく動けなかった。ぼくは柳井に抱かれるのが、すごく嬉しくて堪らない。
「柳井さん、今日は特別よかったわ」
「ぼくもだよ。ぼくは、君なしでは生きていけないよ」
嘘かほんとか分からないけど、ぼくは幸せな気分で、柳井に抱きついて眠った。ただ、その時間は短い。柳井は、遅くなっても必ず自宅に戻る。柳井が帰ったあと、ひとりでベッドに寝るのは、寂しくて堪らなかった。
ぼくが女で、柳井の奥さんだったら、どんなにか幸せだろうかと思うことも、一度や二度ではなかった。
こんな思いも、もし元に戻れたら、ただの夢の中の出来事になってしまうんだろうなと思う。
心の片隅で、早く真琴と連絡を付けて、元に戻らなくちゃと思いながらも、真琴と連絡が付かないことをいいことに、ぼくは、柳井とのセックスを楽しんでいた。
一月末、久しぶりにぼくは真琴に電話した。ところが、それまで留守電のメッセージだったのに、受話器から流れてきたのは、『現在この電話は使われておりません』のNTTのメッセージだった。電話番号を押し間違えたと思った。しかし、やり直しても、聞こえてきたのは、やはり同じNTTのメッセージだった。
驚いたぼくは、すぐさま、ぼくになった真琴がいるはずの学生マンションへ向かった。辿り着いたマンションの部屋には、佐山幹の表札はなく、別人の名前が出ていた。ぼくは、ドアをどんどんと叩いた。
中から出てきたのは、痩せぎすの、お世辞にも美人とは言えない、色の浅黒い女だった。
「どなた? 何の用?」
女は、女特有の、美人に対する嫉妬を露わにして、つっけんどんにそう言った。
「ここに佐山さんって人が住んでたはずだけど・・・・」
「さあ、知らないわね。ここが空いたって不動産屋さんに聞いたから、引っ越してきただけで・・・・」
ドアを閉めようとする女に、ぼくはなおも食い下がった。
「いつ? いつ、ここに引っ越してきたのですか?」
「先々週よ」
「先々週・・・・」
年が明けてすぐだ。
「不動産屋さんは、どこですか?」
「丸西不動産よ。もう、いいでしょう?」
「ありがとうございました」
女は、胡散臭そうな顔で、ぼくを見送って、バタンとドアを閉めた。
ぼくは、電話帳で丸西不動産の住所を調べ、タクシーで乗り付けた。
不動産屋の主人は、赤鉛筆片手に、新聞に熱中していた。どうも競馬の欄を見ているらしい。
「すみません。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
不動産屋の主人は、ぼくが部屋を借り来たのかと思ったのだろう。新聞を机の上に置くと、笑顔で立ち上がった。
「どんな部屋が、ご希望ですか?」
「部屋を借りに来たんじゃないんです。西区の、学生マンションあけぼのの201号室にいた佐山幹さんは、いつ、どこに越したか分かりませんか?」
部屋を借りに来たんじゃないと分かって、あんまりいい顔はしなかったけれど、結構親切に教えてくれた。美人で若い女は、こんな時、得だ。
「ちょっと待ってよ。西区の、学生マンションあけぼのの201号室ねえ。あけぼのマンション、あけぼのマンションと。・・・・何号室だって?」
「201号室です。201号の佐山さんです」
「201号の佐山ね。・・・・ああ、これだな。越したのは、暮れの25日だね。引っ越し先は、うちじゃあ、分からんね。帰省先に聞いたらどうかね?」
「去年の25日ですね。帰省先に聞いてみます。ありがとうございました」
ぼくになった真琴に最後に電話したのは、20日前後だった。忙しくて電話する暇がなかった。まさか、ぼくに黙って引っ越してしまうなんて、思ってもみなかった。どうしようか?
ぼくは、偽名を使って、ぼくの、佐山幹の自宅に電話して、引っ越し先を聞くことにした。
「もしもし、わたし、大学で同じ専攻をしている村上純子って言います。レポートの件で至急連絡したいことがあるんですけど、佐山さん、おられますか?」
「幹ですか? 幹は、こちらには帰っていませんけど。マンションにいませんでしたか?」
久しぶりに聞く母の声は、元気そうだった。母に会いたい。そう思ったが、それは叶わぬことだった。
「マンションって、西区のあけぼのマンションでしたね」
「そうですよ」
「電話番号、教えて貰っていいですか? レポートの期限が明後日なので、急いで連絡しないといけないから・・・・」
「分かったわ。電話番号はね・・・・」
母に教えてもらった電話番号は、ぼくの記憶の中にある、もはや主のいなくなった電話番号だった。母は、引っ越し先は勿論のこと、引っ越したことすら知らない。どう言うことなんだ!
ぼくは、昼間の時間を使って、大学でぼくになった真琴を捕まえようと、門のそばで待った。一週間通い詰めたが、ぼくになった真琴は見つけだせなかった。
まさか大学に来ていない!? そんな・・・・。村上恭子にのめり込んで、元に戻りたくなくなったのだろうか?
諦めかけたとき、村上恭子の姿を見つけた。恭子が真琴の行く先を知っているかもしれない。もしかすると、恭子と同棲を始めていたりして・・・・。
ぼくに連絡しないで引っ越す最大の理由は、それしかない。そう思ったぼくは、恭子の後を尾けていった。
恭子は大学近くの喫茶店へ入っていった。ぼくも続いて入る。店は混んでいないから、相席するわけにはいかない。話しをするきっかけが欲しい。
ぼくは、離れたテーブルに座って、恭子の様子を黙ってみていた。恭子は、文庫本を取り出すと、注文したコーヒーも飲まないで、読書に熱中していた。
結局きっかけを見つけられないまま、恭子は店を出て、大学に戻っていった。ぼくは、恭子が大学から出てくるのを待った。
午後四時二十分、恭子が出てきた。ぼくは後を尾けていった。恭子は、途中でコンビニに寄って買い物をし始めた。
早く帰れよ。そう思いながら、尾行を続けた。辿り着いた恭子の住み家は、男子禁制と玄関にでかでかと書かれた女性専用の学生マンションだった。ここにぼくになった真琴がいるはずがない。ぼくは、ガックリきて、とぼとぼとマンションまで歩いて帰った。
その日は、出勤時間に遅刻してしまった。ぼくになった真琴の行方が気になって、ショーもうまくいかず、ママにしこたま怒られた。
「マコちゃん! 何やってんのよ。そんな踊りしかできないのなら、もう二度と舞台には出さないわよ」
「・・・・すみません」
「もっと気を入れて踊りなさい。分かったわね」
「はい」
二度目のショーは、何とかこなしたものの、ママの機嫌はよくなかった。
その日の夜やって来た柳井は、店でのぼくの元気のなさを聞いていたのか、優しかった。ぼくになった真琴がいなければ、元には戻れない。どうしたらいいんだろうか? このままこんな生活を続けていかなければならないのだろうか? 柳井は優しい。ぼくは、柳井を愛しているとさえ思っている。しかし・・・・。
元に戻れないかもしれないと思えば思うほど、元に戻りたいという思いが募った。
それからと言うもの、二ヶ月間は毎日、ぼくになった真琴を捜して回った。しかし、見つけることができなかった。
恭子とも、顔見知りになることができた。だけど、恭子も行く先を知らなかった。恭子はあんなに愛していたのにと涙を流した。
ぼくになった真琴が消えてしまった。いったいどこに行ったのだろうか? 真琴がいなければ、ぼくは元に戻れない。それでも、いつかは戻ってくるだろうと、ぼくはぼくなりに、真琴として生きていくことにした。そうするしか、道はないのだ。
あっという間に、三年が過ぎ去った。ぼくは、二十二歳になった。この間、いろいろなことがあった。
ぼくが真琴として働き始めた当時に比べて、お店のメンバーの半分が変わった。ぼくは、お店のナンバースリーになった。ナンバーワンは、相変わらず由香里さんだ。ナンバーツーは、今は早苗さんだ。ただ、ショーでは、ぼくは早苗さんに次いで、ナンバーツーの位置を占めている。
美人ナンバーワンだった真弓さんは、昨年の夏死んだ。自殺だった。彼女は三十四歳だった。若いときはちやほやされても、年を取るに連れて、若いぼくらに人気が移行するのを感じていたらしい。一緒に暮らしてくれる男は勿論、友達もいなかったから、将来をかなり悲観していたとのことだ。
真弓さんの自殺は、ぼくやお店のニューハーフ達に少なからずショックを与えた。しかし、由香里さんは、割と平気な顔をしていた。
由香里さんは、他の店のニューハーフと一緒に暮らしている。男と暮らせるほど美人じゃないことを知っているから、一生一緒に暮らしていけるニューハーフと暮らすことを選んだのだ。つまり、お互いのことをよく知り尽くしている友達同士が暮らすようなものだ。どうしても男と暮らしたいと考えるより、その選択の方がいいような気がする。
ぼくはと言えば・・・・、ぼくには柳井がいる。しかし、いつどうなるか、先のことはまったく分からない。まだ元に戻れるかもしれないと言う希望があるから、由香里さんのような友達作りはしていない。もし、柳井に捨てられて、ぼくになった真琴が戻ってこなければ、ぼくは・・・・どうすればいいんだろう? ぼくになった真琴が、早く戻ってきてくれる日を待っている。ぼくには、それしかないのだ。
柳井との関係も、相変わらず続いている。ただ、昨年の暮れ、一ヶ月間まったくぼくに会いに来なかった。年末はいつものことだからとは思いながら、もしかすると、もう二度とぼくに会いに来てはくれないのではないかと不安な日々を送った。しかし年が明けてからは、柳井は週に二度三度と、ぼくの元に来るようになった。奥さんとの関係が冷めてきているのかもしれないなと思う。夫の愛人がニューハーフだと知ったら、奥さんはどう思うだろうかと変な気を回す。