第十一章 終わりよければ、すべて良し

 三月始め、出勤の準備をしていると、電話が鳴った。知らない電話番号だ。誰だろうと思いながら、受話器を取った。
 「もしもし、真琴か?」
 「もしもし、柳井さんなの? どうしたの? こんな時間に」
 「真琴の本名を教えてくれないか?」
 「えっ!? わたしの本名を? そんなこと聞いて、どうするの?」
 「いいから、教えてくれ」
 いつも優しい柳井に似合わない命令口調だった。
 「大林誠よ」
 「オオバヤシ・マコトだな。どう書くんだ?」
 「大きな林に、誠実の誠よ」
 「大きな林に、誠実の誠。大林誠だな。生年月日は?」
 「生年月日? 昭和五十一年五月十一日よ。ねえ、何に使うの?」
 「内緒だ。そのうち教える。ところで、真琴は、実家には帰っているのか?」
 「実家? 生まれた家には、家出してから一度も戻っていないわ」
 「帰るつもりはあるのか?」
 「変なこと聞くのね。どうして?」
 「どうなんだ? 帰るつもりはあるのか?」
 「ないわ。わたしは独りぼっちよ」
 「ぼくがいるじゃないか。分かった。また連絡する」
 ぼくがいるじゃないかという言葉は嬉しかった。美樹が彼の元に行った今、ぼくには、心の許せる相手は、差し当たって柳井しかいない。
 ぼくがいるじゃないか。ぼくがいるじゃないか。ぼくがいるじゃないか。ぼくは何度も心の中で反復した。嬉しくて、涙が出た。

 その電話から二週間あまり、柳井はぼくのマンションに顔を出さなかった。ぼくがいるじゃないかと柳井は言ったのに、捨てられたんじゃないかと、心配で心配でならなかった。
 三月半ばの日曜日、柳井が真っ昼間にぼくのマンションにやってきた。こんなことは今まで一度もなかった。
 「真琴、連絡しないですまなかった。あちこち飛び回っていたものだから」
 「もう来てくれないのかと思ったわ」
 ぼくは、半分涙声で、柳井の胸に飛び込んだ。
 「すまん。これを見てくれ」
 柳井がぼくに手渡したのは、役場の封筒に入った書類だった。
 「何? これ」
 「中を開けてみれば分かるよ」
 封筒を開いてみると、中から、戸籍謄本が出てきた。長谷川美紀。昭和五十一年六月二十二日生まれ。本籍は、大阪府になっている。
 「どういうこと?」
 「説明するよ。実はね。この子は、ぼくが担当していた患者だったんだけど、身寄りがなくってね。ぼくが身元引受人になっていたんだ」
 「何の病気なの?」
 「クローン氏病って言う、腸の病気だ。調子がよくなって、市内の病院に預けていたんだけど、今月の初めに、急変して亡くなってしまったんだ」
 ぼくには、柳井の意図するところが分からなかった。
 「分からないわ。こんな亡くなった女の子の戸籍なんか、どうするの?」
 「真琴にあげようと思ってね」
 「えっ?」
 「その戸籍を使ってもいいってことだよ」
 「この女の子の戸籍を?」
 「そうだよ」
 「そんなこと言っても、この子はもう亡くなったんでしょう? 使えって言われても、役に立たないんじゃないの?」
 「亡くなったのは事実なんだが・・・・、彼女が亡くなったとき、真琴と年齢が近かったことを思い出して、・・・・こんなこと悪いと思ったんだが・・・・、診断書を偽造して、真琴が死んだことにした。・・・・真琴は、大林誠は、戸籍上は、もうこの世にはいないんだ」
 「ええっ!!」
 「長谷川美紀は、生きていることになっている。・・・・つまり、君にその長谷川美紀になってほしいんだ。・・・・勝手なことをしてしまったけど、いいだろう?」
 「わたしが長谷川美紀になるってことは、・・・・わたし、戸籍上、女になれるのね」
 「そういうことだよ」
 どう表現していいのか分からなかった。手にした戸籍が使えるのなら、ぼくは完全に女として暮らせる。
 「嬉しいだろう?」
 「そりゃあ、勿論嬉しいわ。でも、ばれないの?」
 「大丈夫。絶対誰にもばれやしない。ぼくと君の秘密だ」
 ぼくは、戸籍謄本を握りしめた。
 「ところで、来月、ぼくは転勤になるんだ」
 「えっ!? どこに?」
 「熊本だよ」
 「熊本! そんなに遠くに? もう会えなくなるじゃない。まさか、これは手切れ金代わりだなんてことは・・・・」
 「心配するなよ。一緒に連れていってやるよ」
 「でも、奥さんもいるし・・・・」
 「あれ? 言ってなかったかなあ」
 「何を?」
 「節子は、二年前の冬死んだんだよ。白血病でね」
 「ええっ!! 亡くなった?」
 「ああ、だから、今は独身なんだ」
 「でも、子供さんがいるじゃないの」
 「男手ひとりだし、忙しくて、いつも帰れないから、去年の春から、博多の両親に預けているんだ」
 「そうだったの。まさか一緒に暮らしてくれるなんて・・・・、そんなことはないわよね」
 「そんなことがあったらどうする?」
 柳井の目を見た。嘘を言っている目じゃなかった。
 「嘘でしょう!? ほんとなの?」
 「何のために、その戸籍を手に入れたと思っているんだい?」
 「えっ!? まさか、そんな・・・・」
 ぼくと一緒に暮らしてくれると言う言葉。柳井がぼくにくれた長谷川美紀と言う女の子の戸籍。次に柳井の口から出てくる言葉は予想がついていた。ぼくはその言葉を今か今かと待った。
 「結婚してくれるかい? 年が随分離れているけど」
 予想していた言葉が聞こえたのに、自分の耳が信じられなかった。
 「そんなこと・・・・、冗談でしょう?」
 「冗談じゃないよ」
 「ほんとなのね。夢じゃないのね」
 「ほんとさ。夢でもない。オーケーかい?」
 オーケーに決まっている。他に返事があろうはずがない。
 「その代わり、披露宴はなしだ。ぼくは再婚だし、君が若すぎるから、表沙汰にしたくないという理由でね」
 「披露宴はいいわ。でも・・・・」
 「分かってるよ。結婚写真だけはふたりで撮ろう。ぼくも君のウエディングドレス姿を見てみたい」
 一緒に暮らせるだけではなく、女として、柳井と結婚できる。ぼくは、道行く人に、自分の幸せを叫んで回りたい心境だった。

 ぼくは、さっそく美樹に電話した。
 「美樹! わたし、柳井さんと結婚することになったの」
 「ええっ!? 結婚って、どういうこと?」
 美樹の驚きようったらなかった。。
 「柳井さんの奥さん、二年前に亡くなっていて、今は独身なの」
 「だからって、結婚はできないでしょう?」
 「女の戸籍が手に入ったの」
 「どこから、どうして」
 「それは内緒。だから、正式に結婚できるの」
 「正式に結婚! いいなあ。何て名前の戸籍なの?」
 「長谷川美紀って言うの。昭和五十一年六月二十二日生まれだから、年齢は同じよ」
 「ミキって、どう書くの? まさかわたしと一緒じゃ」
 「ううん。違うの。美しいに、二十世紀の紀って書くの。糸扁に己ね」
 「ああ、あの美紀ね。長谷川美紀かあ。そうすると、柳井美紀になっちゃうのね」
 「そうなるわね。美樹にも、そんな戸籍が手に入るといいね」
 一瞬の間があって、美樹が声を少し落として答えた。
 「正式な結婚はしたいけど、わたしの方はだめよ。山本が性転換したわたしと暮らしていることは、みんなが知ってるもの」
 「どうして、みんなが知ってるの?」
 「あれ? 真琴、知らないの?」
 「何を?」
 「先月末発売の写真週刊誌に、山本建設重役、妻と離婚して、美人ニューハーフと同棲! って、でかでかと出ていたのを、真琴、見なかったの?」
 「ぜんぜん知らなかったわ」
 「そう言うわけだから、だめなのよね」
 「そんなことになってたんだね」
 「でもね。山本は、世間から、何と言われようとも、わたしとは絶対別れないからって言ってくれたの」
 「山本さんって、凄い人だね」
 「わたしが、選んだ人だからね」
 「ごちそうさま」
 「わたしは今のままでも幸せだからね。まあ、とにかくおめでとう。で、披露宴は?」
 「柳井さんが再婚だから、披露宴はなし。と言うより、わたしを知ってる人がいたら困るからじゃないかと思ってるの」
 「そうかもね」
 「でも、写真は撮るから、できたら送るね」
 「送るって、ここに持って来られないの? それとも、何処か遠くに行くの?」
 「うん。柳井さんが、熊本に転勤になったの。だから、美樹とは簡単に会えなくなるわ」
 「そう、熊本なの。随分遠いところに行くのね。でも、電話はできるわね。落ち着いたら、電話して。待ってるから」
 「うん。このことは絶対内緒よ。美樹にだけ言うんだから」
 「分かってるわ」
 「じゃあね」

 ぼくは、そのまま店に行き、柳井について熊本に行くから、お店を辞めることをママに伝えた。
 「可愛がってもらいなさいよ」
 結婚のことは話さなかったのだけど、ママは何か察したようにそう言った。
 「ありがと、ママ。長い間お世話になりました」
 ママは、涙を流して見送ってくれた。

 翌日、ぼくは柳井と一緒に、婚姻届を出しにいった。係りの男は、ぼくと柳井を見比べて、こんな若い女と再婚できるなんて、と言うような顔をしていた。

 三月末の土曜日、ぼくと柳井の荷物を新居へ送りだしたあと、ぼくと柳井は車で高速を西へ向かった。最近買い換えたばかりのマジェスタは凄く乗り心地がいい。
 車は、太宰府インターで高速を降りた。柳井の実家に寄って、ぼくを両親と娘に紹介するためだ。
 「ただいま。帰ったよ」
 「お帰り、一郎。遅かったわね」
 「土曜だから空いてると思ってたら、春休みだろう? 結構混んでてね。紹介するよ。美紀だよ」
 玄関に出てきたのは、目元が柳井に似た上品そうな女性だった。柳井の母親だ。ぼくはちょっと緊張した。
 「美紀です。よろしくお願いいたします。これ、つまらないものですけど、お土産です」
 「まあ、まあ、そんなことしなくてもいいのに。美紀さん、若いのね。いったい、おいくつ?」
 「二十三です。もうすぐ、四になります」
 「二十三!!」
 柳井の母親は目を丸くしていた。柳井は四十五歳。ふた周り近く違うのだ。驚くのも無理はない。
 「一郎、帰ったか。おう、この人と再婚したのか? よくもまあ、こんな若い人と。どうやって騙したんだ?」
 奥から出てきた柳井の父親は、柳井によく似ていた。柳井を白髪にして、皺を増やした感じだ。
 「父さん、何て事言うんだよ。ぼくたちは、年齢差を越えて愛しあってんだからね」
 「そうか、そうか。美紀さん、よく来てくれましたな。一郎の父です」
 柳井の父親も、柳井と同じ様な優しい目をしていた。
 「美紀です。よろしくお願いいたします」
 「こんな中年で不男の、どこがよかったんだい? もっと若いのがいただろうに」
 そんな風に聞かれることは予想がついていた。ぼくは、車の中で考えていた答えを言った。
 「わたし、父が早くに亡くなって、父みたいな頼りがいのある人が好きなんです。今の若い人じゃあ・・・・」
 「なるほど、なるほど。おい、美穂はどうした。早く降りてくるように言いなさい」
 美穂というのは、柳井のひとり娘だ。確か今度中学二年になると聞いている。どんな娘だろう?
 二階から降りてきた柳井の娘、美穂は、ぼくを探るような目で見た。目のぱっちりした可愛い娘だ。今のぼくに、ちょっと似たところがある。
 「死んだお母さんに似てるのね。安心したわ。お母さんと似てない人を連れてきたら、うんと虐めてあげるつもりだったけど、仲良くしてあげるわ」
 「これ、美穂。あなたのお母さんになる人なのよ。仲良くしてあげるってことはないでしょう?」
 「わたしとこの人は親子じゃないもん」
 そう言って、美穂は二階へ逃げるように上がっていった。
 多感な時期の娘だ。父親が再婚するのを快く思うはずがない。仲良くしてあげると言われただけでも、御の字だ。

 その日は、柳井の実家に泊まって、翌日、大宰府インターから再び高速へ昇り、南下して熊本へ向かった。一時間足らずで、新居のマンションへ着いた。
 一週間は、荷物の片付けに追われた。柳井は、新しい病院で外科医として働き始め、ぼくは、婚姻届を出したときから考えていたことを実行に移した。マンションから程遠くないコンピューター専門学院へ入学したのだ。ソフトプログラマーになりたいという思いが立ちきれないからだ。これなら、男も女もない。
 柳井は、午前七時半に出かけてゆき、帰ってくるのは午後八時過ぎだ。家事をいろいろと済ませても時間は有り余るほどある。無為に過ごすのは、勿体ない。
 ウィークデーは、柳井を送り出したあと、家事を済ませて、学院へ通学する。授業が終わると、買い物などをして帰り、夕食の準備をして柳井の帰りを待った。
 セックスは週に二度ほど。ぼくは毎日でもいいのだけれど、柳井は毎日疲れて帰ってくるので、そうそうは要求できない。ただ、毎日ぼくのそばでいっしょに寝てくれる。それだけでも満足している。結婚前、ベッドの中で、部屋から出て行く柳井の後ろ姿を見送っていたことを思えば、セックスなんて、なくてもいいくらいだ。
 土曜日は、お土産を持って、柳井の実家へ向かう。柳井が忙しくなければ、柳井の車で、忙しければ、高速バスで。
 仲良くしてあげるわの言葉通り、美穂はぼくを受け入れてくれている。ぼくと美穂は年令が十も離れていないので、少なくとも父親の柳井や、祖父母よりは話しが合うのだ。
 勉強を教えてやり、天神やキャナルシティーへ一緒に買い物にも行くようになった。親子というよりは、中の良い姉妹と言ったところだ。

 熊本に来てから、一ヶ月ほどたった頃、美樹から電話が入った。
 「美紀、どう? 落ち着いた?」
 「うん、片付けも終わったし、だいぶ慣れたわ」
 「柳井さんは元気にしてる?」
 「転勤早々忙しいみたいだけど、元気にしてるわ」
 美樹は、ぼくのことより柳井のほうが気になるみたいだ。当然だろうけど。
 「美樹はどうなの?」
 「わたし? わたしは元気よ。あ、そうそう。あなたの実家に行ってきたわよ」
 「勘当されてたんでしょう? 良く家に入れてくれたわね」
 「山本が何してるか言ってなかったかなあ」
 「聞いてないわ。いつも、優しく抱いてくれるって言う話ばっかりだったから」
 「そうだったっけ。山本は、大手建設会社の専務なの」
 「あっ、そうか。そう言えば、この前、山本建設重役、妻と離婚して、美人ニューハーフと同棲って言ってたわね」
 「山本は、社長の息子なのよね」
 「美樹は、いい人捕まえたんだね」
 「それでね、あなたのお父さん、今はわたしのお父さんね。仕事を回してもらってるの。勿論、それとなく頼んでよ」
 「ほんと! ありがとう。親孝行してくれてるのね」
 「そういうこと。お父さんは、わたしが山本と同棲していることを知ってるでしょう? だから、仕事が回ってくるのは、わたしが、山本に頼んでいるからだってことを察したみたいなの。しぶしぶだけど、勘当を解いてくれたの」
 「わあ、よかったじゃない。で、どう? 父や母は?」
 「お父さんはねえ、仕方ないなあって顔してるよ」
 「そうだろうね。母のほうは?」
 「お母さんはねえ、結構喜んでいるよ。わたしが出入りするのを」
 「えっ!? どうして?」
 「美紀ん所は、男ばかりの三人兄弟でしょう?」
 「うん」
 「お母さんとしては、女の子が欲しかったみたいなんだ。だから、わたしが帰ると、一緒に買い物に行こうって、きかないんだ。可愛い服を一杯買ってもらっちゃった」
 「ほんと。よかった。両親のこと頼むわよ。わたしは死んだことになっているから、あなたの両親には、何もしてやれないから」
 「あれ? 大林の両親は、二人とも死んでるんだよ。知らなかったの?」
 「えっ!? 二人とも亡くなったの?」
 「父は事故で、母は子宮癌だったんだよ」
 「そう、そうだったの。わたし、あなたの実家にはまったく顔を出してなかったものだから・・・・」
 「だからね。わたしは、親孝行できる両親ができて嬉しいんだ。ごめんね。両親を取っちゃって」
 「いいわよ。わたしには、柳井の両親がいるから・・・・」
 「そうだったわね」
 「柳井さんの娘さんはどう?」
 「美穂? 美穂は、可愛い子よ」
 「美穂ちゃんって言うの? あなたに似てるでしょうね。会わなくても分かるわ」
 「どうして分かるの?」
 「柳井が初めて、当時のわたしに出会ったとき、どうして誘ったか分かる?」
 そう問われて、ぼくははたと思い当たった。美穂の、お母さんに似てるのねという、あの言葉だ。
 「亡くなった柳井の奥さんに似てたからなのね」
 「ピンポン! 大当たり! そうじゃなかったら、いくら酔ってても、わたしを誘いやしないわ。だから、あなたと柳井の娘さんは、他人から見れば、血が繋がっている様に見えるはずよ」
 「そうかもしれないわね」
 「ところで、写真、まだなの? 待ってるのよ」
 「ごめん、今度の土曜の午後撮りに行くつもりなの。もう少し待って」
 「分かったわ。うちは撮ったからね。今朝送ったから、明日にはそちらに着くわよ。わたしのウェディングドレス、すっごくよく撮れてるから、あなたも負けないように、いい写真撮ってね」
 「わあ、早く来ないかなあ。楽しみにしてるわ」
 「じゃあ、また電話するね」
 「ありがとう。またね」
 美樹からの電話が切れたあと、ぼくはふと考えた。今のぼくが、柳井の亡くなった奥さんに似ているってことは・・・・。

 その夜遅くに帰ってきた柳井にぼくは尋ねた。確かめておきたかったことがあるのだ。
 「あなた、ちょっと聞きたいことがあるの」
 「なんだい? あらたまって」
 ぼくは柳井の向かいに座って、コップにビールをついでやった。
 「わたしって、亡くなった奥さんに似てるんでしょう?」
 「あ、そうだな。よく似てると思うよ」
 「・・・・それって、わたしは、・・・・わたしは、奥さんの代わりってこと?」
 「何を言い出すかと思えば、そんなことか」
 柳井は、ちょっと言いたくなさげに、コップのビールをぐいと飲み干した。
 「ねえ、はっきり答えてよ。どうなの?」
 「・・・・どうして、そんなこと知りたいんだよ」
 「知りたいわよ。わたしにとっては重要なことよ。亡くなった奥さんの代わりなのか、それともわたし自身を愛してくれているのか」
 「おまえは節子の身代わりじゃない。おまえを愛しているよ」
 「ほんとに?」
 「ほんとさ」
 「初めから? わたしと出会ったときから?」
 「・・・・」
 柳井は、急に黙り込んで、下を向いた。
 「ねえ、どうなの?」
 「・・・・どうしても知りたいのか?」
 「ええ」
 柳井は、ビール瓶からコップにビールを注ぐと、半分ほど飲んでから話し始めた。
 「はっきり言おう。初めは、そうじゃなかった」
 「そうじゃなかったって、わたしは奥さんの代わりだったってこと?」
 「そうだ」
 やっぱり・・・・。ぼくは、すごいショックを受けた。力が抜けた。
 「節子は、おまえを知り合う1年程前から白血病に冒されて、入退院を繰り返していた。それは、知ってるだろう?」
 「え、ええ」
 柳井の奥さんが、白血病で亡くなったことは聞かされていたが、そんなに以前から発病していたことは知らなかった。美樹は知っていたのだろうか?
 「そんな状態だから、夜の生活はとても無理だった。ぼくは、節子を心から愛していた。だから、浮気はしなかった。したこともなかった。だけど・・・・」
 「だけど?」
 「あの夜、おまえに出会ったとき、節子の若いときとそっくりのおまえに出会ったとき、つい誘ってしまったんだ」
 「わたしが、節子さんに似ていたから・・・・」
 「すまない。おまえが節子に似ていなければ、いくら酔っていてもおまえを誘いはしなかった」
 美紀から聞いたとおりだ。
 「はっきり言うよ。あの頃、おまえはぼくの性欲の捌け口だった。結婚してくれなんて絶対に言い出すことのない、これ以上ない安全な捌け口だったんだ」
 「ひどいわ。あなたのことをずっと愛していたのに・・・・」
 予想していたとは言え、そんな言葉が柳井の口から出てくるのは信じられなかった。涙がこぼれた。
 「美紀、今はぼくもおまえを愛している」
 「うそよ。今でもあなたは亡くなった奥さんを愛しているんだわ」
 「信じてくれ。節子は愛していた。だけど、今は違うんだ。おまえだけを心から愛している」
 柳井の目に涙が浮かんでいた。ぼくを愛してくれていることが分かった。亡くなった奥さんの代わりでも、いま、愛してさえくれればいいのだ。こんなことを聞かなければよかったと後悔した。しかし、柳井の口から意外な言葉が出てきた。
 「節子の容体が悪くなって、こんなことしてちゃいけない。いくらおまえが女じゃないからといって、節子にすまない。やっぱりおまえと別れようと思っていたんだ。だけど・・・・」
 「だけど?」
 「おまえ、4年程前から、急に変わったよな」
 「急に変わった?」
 「そうだよ。性格が、がらりと変わった感じだった」
 4年程前といえば、ぼくと真琴が入れ替わった頃だ。柳井は感じていたのだ。ぼくたちが入れ替わったことを。
 「ぼくは、おまえに惚れ直したんだ。ぼくが独身で、もしおまえが女なら、結婚したいって」
 「ほんとなの?」
 「嘘じゃない。ほんとのことさ」
 柳井は、入れ替わってからの真琴を愛してくれたってことだ。つまり、ぼくを愛してくれているってことだ。
 「節子が死んだとき、おまえと言う人間がいなかったら、ぼくは生きていけないところだった。おまえがいたから、生きる希望があったんだ」
 ぼくが生きる希望だった。これ以上の愛の表現はない。ぼくの涙は嬉し涙に変わった。
 「おまえと節子は別の人間だ。おまえは、節子の代わりじゃない。ぼくは、おまえを愛している。分かってくれ」
 ぼくは、返事をする代わりに柳井の胸にすがって泣いた。ほんとに、ほんとに、ぼくを愛してくれている。亡くなった奥さんの代わりじゃない。嬉しかった。

 翌日、山本と美樹の写真が送られてきた。美樹のウェディングドレス姿は、すごく綺麗だった。
 土曜日まで待てずに、ぼくは柳井を無理やり写真館へ連れていって写真を撮った。ぼくのウェディングドレス姿も結構いけてると思う。美樹は、わたしのほうが綺麗よと言ったが、ぼくらの写真は、写真館の玄関を一年飾った。ぼくの勝ちだというと、熊本は田舎だからだよと美樹に反論された。

 一年後、ぼくは、プログラマーとしての道を歩み始めた。高校時代からプログラム作成をやっていたから、学院なんて行かなくても良かったのだけど、その学院卒という資格が欲しかったのだ。幼い頃の誠との会話を思い出した。
 ぼくは、プログラマーとしての地位を着実に築いていった。

 さらに一年後、柳井は熊本の郊外に一戸建ての家を買った。六十五坪の小さな家だが、ぼくが夢の中で見た白い二階建ての家で、庭にはバラの花が一杯植えられていた。

 転居してすぐ、ぼくと柳井は、熊本駅へ美穂を迎えに行った。美穂がぼくたちと一緒に暮らすと言い出したのだ。ぼくは一も二もなく賛成した。
 この四月から高校生になる美穂が、電車から降りてきたとき、ぼくにそっくりだなと思った。二人で揃って立つと、まるで本当の姉妹のように見える。美樹の言ったとおりだ。
 周りにいる人たちは、ぼくたち三人をどう言う関係だと思っているだろう。恐らく、父親に連れられた、少し年の離れた姉妹だと思っているだろうなと心の中でほくそえんだ。
 年が離れているけれど、やさしい夫。自分の子供ではないが、姉妹のように仲の良い娘。夢に描いていたバラに囲まれた一戸建ての家。ぼく自身は、プログラマーとしても成功を収めている。男だったときの夢とは、少し異なったが、理想的な人生を手に入れた。

 あの時、ぼくと誠が入れ替わったのは、何の罰かは知らないけれど、こうしてつつがない人生を送れるようになったのは、ぼくが前向きに生きてきたせいだろうか。いずれにしても、終わり良ければ、すべてよしだ。イヤ、この先どんな困難が待ち受けているかもしれない。しかし、ぼくはどんな困難が襲って来ようとも、一生懸命それに立ち向かっていくつもりだ。そうすれば、道は必ず開ける。それが、この数年の人生で学んだことだ。

 「美穂! 鶴屋デパートに行って、パパによそ行きの服を買ってもらおうよ。うんといいやつを」
 「いいわね。美紀姉ちゃん」
 美穂はぼくのことを、そう呼ぶ。年がそんなに離れていないから、お母さんなんて、とても呼べないと言っている。ぼくも、美穂にお母さんなんて呼ばれたくはない。
 「パパ、早く! 置いてくわよ」
 ぼくは、娘のような振りをして、柳井に声をかけた。
 「ちょっと待ってくれ。ぼくはおまえたちほど、若くないんだから」
 柳井が、嬉しそうな笑顔で、近寄ってくる。
 「美紀、まるでぼくの娘みたいな振りをするなよ。おまえは、ぼくの妻なんだぞ。ぼくひとりが年寄りみたいで、こんなの困るよ」