「美樹って子と仲がいいんだね」
「ええ、美樹とは何故か気が合うの」
幼い頃の親友同士で、美樹はほんとは真琴だったのよ、なんてことは言えなかった。
「性転換してるって聞いたけど、ほんとなのか?」
「ほんとよ」
「ふうん。真琴、どんな風になってるか、見たことがあるのか?」
「どんな風にって、あそこのこと?」
「勿論だよ」
「この前、ここに遊びに来た時、ちょっと見せてもらったんだけど、本物の女と変わらないと思うわ」
「ほんとに?」
「ほんとよ」
「へえ、そうなんだ」
柳井は、少し興味を持ったようだ。言わなければ良かった。美樹に柳井を取られそうな気がする。
美樹は、柳井の急所を知っている。もし美樹が柳井に近づいたりしたら、落とされるのは目に見えている。
「真琴。おまえ、性転換しないか?」
それからしばらくたって、柳井がベッドの中で煙草を吸いながら、そうぼくに言った。
「えっ!? どう言う風の吹き回し? 先月こそ、ペニスがある感じがいいって言ってたのに」
「気が変わった。どうだ?」
「あなたがしろと言うのなら、してもいいけど・・・・」
「ほんとは、おまえが女だったらと思ってたんだ。もし、真琴にその気があるのなら、費用はぼくが出すよ。どうだ?」
ぼくは、もう元の自分には戻れない。真琴として生きるしかないのだ。真琴として生きる以上、柳井との関係は切れない。真琴としてのぼくの精神は、完全に柳井に依存している。柳井が望むなら、ぼくは性転換でも何でもやらなければならない。
「性転換したら、ずっと一緒にいてくれる?」
「ああ」
「きっとよ。捨てないでね」
「約束するよ」
柳井の約束がどこまで信用できるだろうか? しかし、柳井は今の美樹が真琴だったときからずっと付き合っている。もう、七年近くになる。こちらから言い出したんじゃないから、約束は守ってくれるのかもしれない。
二ヶ月後、ぼくは美樹と一緒に、美樹が手術を受けたシンガポールの病院へ向かった。美樹の紹介ということで、ドクターは快く引き受けてくれた。
手術前日、ぼくは不安でならなかった。うまくいかなかったらどうしよう、うまくいっても柳井に気に入って貰えなくて、捨てられたらどうしようと。手術をしないと返事をしても、柳井はぼくを捨てるとは決して言わなかっただろうなと思うと、ここまで来たことを後悔していた。
点滴をされ、手術台に乗ってからも迷っていた。
手術は三時間かかった。と美樹から聞いた。でも、寝ている間に終わってしまったから、なんと言うことはなかった。
最初に包帯を交換する時、ペニスの膨らみのなくなった股間を見て、とうとうここまで来てしまったなとちょっと悲しくなって、涙がこぼれた。もう完全に引き返せなくなった。
ぼんやりしているとき、美樹が病室にやってきた。
「どう? 気分は」
「悪くないわ。・・・・とうとう完全な女になったのね」
「ペニスを隠さないで良くなって、世の中変わるわよ」
「楽しみにしてるわ。でも、どうして柳井さんは気が変わったのかしら。わたしが女だったらいいなって言ったけど」
「教えてあげようか?」
意外な美樹の言葉に、ぼくは少し嫉妬気味になった。ぼくが分からないことを、美樹が知っているなんて!
「何か知ってるの?」
「実はね。わたし、柳井さんと寝たんだ」
「えっ! 美樹! 柳井さんと寝たの?」
「そうよ。わたしの処女をあげたの」
「ひどいわ。柳井さんを誘惑するなんて」
「柳井さんは、性転換したわたしとのセックスが気に入ったみたいなの」
美樹は柳井とのセックスを思い出すような素振りで、そう言った。
「ひどい、ひどいじゃないの」
ぼくの目から涙がボロボロと流れ落ちた。
「話しを最後まで良く聞いて。ほんとは、真琴が考えているように、真琴から柳井さんを奪うつもりだったの。だけど、柳井さんは、真琴のほうが好きなんだって。だから、性転換したわたしとやってみて、真琴にも手術を受けさせる気になったって言うわけ」
美樹は、ぼくに向かって笑顔を見せた。しかし、その目には、ぼくに対する嫉妬が浮かんでいた。
「え? ということは、美樹と寝なければ、柳井さんは、わたしに手術を受けさせようなんて思わなかったって言うの?」
「そう言うことね。わたしとは、ただの浮気。柳井さんは、真琴を愛しているわ。悔しいけど・・・・」
美樹は窓際にゆっくり歩いていって、見るとはなしに、窓の外を見始めた。
「もともとは、美樹のものだったのに・・・・」
「仕方ないでしょう? こうなってしまったんだから」
「じゃあ、柳井さんは、本気でわたしを愛してくれるのね」
「間違いないわ」
振り向いた美樹の目に涙が光っていた。ぼくは美樹に対してほんとに申し訳ない気持ちになっていた。
しかし、ぼくは嬉しかった。ぼくに性転換手術を受けさせると言うことが、柳井の思いつきでないことが分かって。
二週間して帰国した。手術さえ受ければいいと思っていたのに、膣拡張をしなければならないと知って、ちょっと愕然とした。
「美樹、あなたも拡張やってるの?」
「当たり前でしょう? やらなきゃ、腟が無くなっちゃうんだよ」
「完全になくなるの?」
「そうよ。人間の体は、そう言う風になってるの。人造腟は、体から見れば、単なる傷だから、治そうとするのは当然よね。傷が治るってことは、腟が無くなるってことなのよ」
「そうなんだ」
「わたしは、別に男と寝るために性転換した訳じゃないから、なくなったって構わないけど、真琴は違うでしょう? 柳井さんのために、膣拡張は絶対しなきゃだめよ。そのために性転換手術を受けたんだから」」
「分かったわ。ちょっと痛いけど頑張るわ」
ぼくが入れている膣拡張用のシリコン棒は、現在は1・1/8インチのものだ。このところ手術直後のような痛みは減ったけど、入れるとやっぱり痛い。深さは五インチ程度。つまり、十二センチちょっとと言うところだ。柳井のペニスは、もう少し大きいような気がする。しかし、ぼくのペニスは小さかったし、余った陰嚢の皮膚を移植して延長してもらって、可能な限りの奥行きを作ってもらったんだから、これでも感謝しなければならないくらいだ。
美樹はどういう積もりか知らないけれど、膣拡張を手伝ってくれると言う。
「自分じゃ、腟の入り口がどこにあるか分からないでしょう?」
それが、理由だ。けれど、ぼくには、どうもそうではないように思える。美樹は、ぼくの腟の中にシリコン棒を入れることを楽しんでいるのだ。ちょうど、男が女をバイブレーターで弄ぶようにだ。
ぼくの方はと言えば、柳井とするときの予行演習だと思って、美樹に好き勝手にやらしている。勿論、ぼくも美樹の膣の中にシリコン棒を入れてみて、自分の中にどんな風に入っているか、想像している。
手術がすんで一ヶ月後から、お店に復帰した。みんなに変わったね、わたしもしようかなと言われた。しかし、そう言うみんながみんな、そう思っているわけではない。性転換してしまったら、本物の女に負けることが分かっているからだ。
膣拡張は、一日四回忘れずにやっている。朝十時、目覚めてすぐ。夕方四時、出勤前。午後十時、店に出ている間も人の目を盗んでやっている。大抵はお店のトイレの中。そして寝る前だ。拡張は順調に進んでいる。
「真琴、拡張の状態はいいけど、自分の意志で、絞められるようにしないといけないわよ」
「えっ!? 絞めるって?」
「今のままじゃ、ただの穴よ。膣はペニスを絞め付けないといけないのよ。ちょっとわたしの中に指を入れてみなさいよ」
ぼくは、右手の中指を美樹の中に入れてみた。指がぎゅっと絞め付けられた。
「どうするの?」
「およそのやり方は教えるけど、あとは練習よ。これができなきゃ、柳井さんはわたしのものになるわよ」
そう言われて、ぼくは一生懸命ストレッチをやった。なかなかうまくいかない。泣きそうな気分になる。柳井が美樹に取られてしまう。しかしある日、偶然絞め方が分かった。自分で指を入れても、簡単に絞め付けることができるようになった。
「真琴、上手くやれるようになったじゃない」
「あなたがアドバイスしてくれたおかげよ。でも、あんなこと言わなかったら、柳井さんはあなたのものになっていたかもしれないのに」
「わたしは、フェアーにやりたいの」
美樹がぼくににっこり微笑んだ。美樹は、今でも柳井を愛している。しかし、柳井の心が絶対自分に向かないことを知っている。だから、美樹は本気でぼくから柳井を奪うつもりなんてない。ぼくの状態を最高にして、柳井を満足させたいと思っているのだ。それが、美樹なりの、柳井に対する愛情表現なのだ。
「美樹は、あなたは、わたしのほんとの親友だわ」
「これまでもずっとそうだったし、これからもずっとそうだよ」
美樹が、性転換したら世の中変わっちゃうよと、ぼくに言ったが、あの言葉は本当だ。小さくてもペニスがあることがばれると嫌なので、衣服にはいつも気を使っていた。そんな心配が一切必要でなくなったのだ。美樹が穿いていた、あのベルベットのホットパンツも穿けるのだ。夏になったら、美樹と一緒に、ビキニで泳ぎに行こうと計画している。
柳井は、ぼくを抱きたくて堪らないらしいが、手術後だと言うことで、気を使って、ぼくを抱こうとしない。アナルセックスだったら可能なのに、それさえもしようとしなかった。ぼくは、フェラチオを最大限にしてあげている。
手術がすんで三ヶ月経った。1・1/2インチの拡張棒が楽に入り始めた。傷もまったく痛くない。もうできそうだ。
仕事が速く片づいたからと、マンションに直接やってきた柳井に、ぼくはさり気なく迫った。
「初めてするときは、美味しいワインに、美味しいお料理を食べて、感じのいいところがいいわね」
「真琴、どこがいい?」
「そうねえ、ラパンがいいかな。ホテルは、城西グランドホテルのスウィート」
「いいよ。予約してやろう。いつがいい?」
「今からじゃ、どう?」
ぼくの言葉に、柳井は察したようだ。
「真琴! もうできるのか?」
「柳井さんが望むならね」
柳井は、嬉しそうな顔をして、電話をかけ始めた。
ワインも美味しかった。ラパンのフランス料理も美味しかった。それよりも、女としての初めての夜は、素晴らしかった。
アナルセックスも、ぼくにとっては凄い快感を得られる方法だ。しかし、いつも不潔感と罪悪感を伴う。腟を使ったセックスは、そんな不潔感や罪悪感がない分、集中できるのだ。
それに、ぼくに施された性転換手術には、ある工夫がなされている。美樹が同じ工夫を受けた最初の患者だと、あのドクターはぼくに言った。
最近の性転換手術では、感じるクリトリスを作ることは当たり前になっている。ぼくと美樹に施された工夫とは、Gスポット代わりの部分を膣の中に作ることだ。
クリトリスは、ペニスの神経を使って感じるように作られているが、ペニスの神経は二本ある。残されたもう一本の神経を、ペニスの皮と共に、膣の壁の中に埋め込んでしまうのだ。こうすると、膣の中にインサートされたペニスにその部分が刺激されて、感じることができるのだ。
柳井が、ぼくの唇にキスしたり、首筋に舌を這わせながら、胸を揉む。男と違ってニューハーフは全身どこでも感じるようになるといったが、今日はさらに感じ方が激しかった。
柳井の舌が、乳首へと降りてきて、指がぼくのクリトリスに触った。衝撃的な快感だ。指は、しばしぼくのクリトリスを弄んでから、下へと移動してきた。そこはもうぐっしょりと濡れていた。
クリトリスを触られたから濡れたんじゃない。食事が済んで、コーヒーが出る頃から、ぼくは、そのあと起こるであろう出来事を想像して、興奮していたのだ。何だか気持ちが悪くなって、席を立ってトイレに行ってみると、ショーツにシミができるくらいになっていた。
柳井の指が、ぼくの腟の中へと入ってきた。その指をゆっくりと出したり、入れたりする。奥に入るとき、例のGスポットにあたるのか、クリトリスを触られたときと同じような刺激がぼくを襲った。ぼくは、気持ち良くって、声にならない声をあげた。
舌が降りてきて、ぼくの股間を這いまわる。その繊細な刺激とともに、ぼくの排出した粘液をペチャペチャとすする音が、ぼくをさらに興奮させた。
柳井がぼくの中に入れようとして這い上がってきたとき、ぼくはそれを拒否して、柳井のペニスにむしゃぶりついた。柳井のペニスは、堅くそそり立って、どくどくと脈打っていた。柳井はいつになく興奮しているようだ。
「真琴! もういい。早く仰向けになれ!」
アナルセックスのときは、ほとんどいつも、バックスタイルだった。今日は正常位でできる。
柳井が入ってきた。指以上の刺激が体を駈けぬけた。柳井が腰を動かすたびに刺激が脳天へと到達した。
ぼくは、柳井を抱き絞め、唇を、舌をむさぼった。
柳井に突かれるたびに、快感が体を突き抜けていく。快感で朦朧とする意識の中で、ふと思い出した。そうだ。絞めなくちゃと。しかし、体に力が入らなかった。
ぼくは、次第に上り詰めてゆき、柳井がぼくの中に、ぼくの腟の中に射精した瞬間、最高点に達した。
「あああっ!」
ぼくの体は痙攀したように波打ち、ぼくの腟が柳井を強く絞めつけるのを自覚した。柳井がぼくの中で、二度三度と痙攀するのを感じながら、ぼくは快感とともに意識が遠のいていった。
意識がなくなったのは、ほんの数秒だったようだ。柳井が、ぼくの上で、はあはあと荒い息をしていた。
「真琴、最高に良かったよ」
「わたしもよ。最高の初体験だったわ」
「よく絞まるんだな。まるで万力で締められたようだよ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。ほら、また締まっているよ」
ぼくは、それを感じると共に、快感の大きな波がふたたび押し寄せてくるのを自覚した。
「美樹とどっちが良かった?」
柳井が驚いたような顔をして、ぼくを見つめた。
「・・・・どうして、そんなこと知ってるんだ」
「美樹に聞いたの」
「そうか。美樹から聞いたのか」」
「美樹とわたしは親友なのよ。何でも話すの」
「・・・・美樹には、無理やり誘われたんだよ」
「言い訳しなくてもいいわ。それも知ってる。で、どうだったの」
「言わなくても分かるだろう?」
「良かった。あなたが美樹に取られるんじゃないかと思って心配したんだ」
「金輪際それはないよ。ぼくは真琴を愛しているんだから」
「愛してるって、言ってくれるのね」
「そうだよ」
「愛してるって、初めて言ってくれたのね! ねえ、もう一度言って! お願い!」
「愛してるよ、真琴」
「嬉しい!!!」
こうしてぼくの初体験は終わった。人生最高の夜だった。
翌朝、ぼくはまだ前夜の余韻を楽しんでいた。鼻歌を口ずさみながら、洗濯物を干していると、美樹がやってきた。
「真琴、初体験はどうだった?」
「最高だったよ。でも、どうして昨日したって知ってるの?」
「昨日の8時頃、ここに来たのよね。そしたら、あなたが嬉しそうな顔をして、柳井さんの腕にすがり付いて出て行くじゃない。きっと二人でホテルに行くんだなって思ったの」
「そう。出かけるのを見ていたの」
「わたしの入る隙間はないって感じだったよ。だからね、わたし、昨日は自棄酒飲みに行ってたの」
「自棄酒? あなた、あんまり強くないでしょう? どれくらい飲んだの?」
「ちょっとだけね」
「ちょっとだけ?」
「カクテルをほんの三杯だけよ」
「それくらいだったら、大丈夫ね」
「それでね。三杯目のカクテルを頼んだ時に、ナンパされちゃったの」
美樹は、嬉しそうな顔でそう答えた。
「ナンパされた?」
「そう。柳井さんよりちょっと年上くらいかな? とっても素敵な人なのよ」
美樹は少女のようにはにかんで下を向いた。
「最後まで行ったの?」
「当然、との字よ」
「その人、気がつかなかったの?」
「気がつくって? 何をよ」
美樹はとぼけたような顔で澄ましていた。
「何をよは、ないでしょう? あなたが男だってことよ」
「わたしは女よ。女以外の何物でもないわ」
「気がつかなかったのね」
美樹は、にっこり笑って頷いた。
「来週も会う約束をしてるの」
「いいの? 黙ってて」
「気づくまで、黙ってるわ」
「悪い人ね、美樹は」
美樹は、ふふんと笑ってコーヒーカップを傾けた。
「そうだ、真琴。彼がいつ頃気付くか、賭をしない?」
「賭? あなた、ほんとに悪い人ね」
「面白いじゃないの。ねえ、いつ頃気付くと思う?」
美樹に提案に、ぼくはじっと考え込んだ。
「そうねえ。美樹がゲイバーに勤めていることを知られなければ、ずっと気付かないでしょうね」
「ああ、わたしがそう言おうと思ったのにい・・・・」
「・・・・じゃあ、半年以内に、あなたの方が、彼に打ち明けてしまうってのに賭けるわ」
「うーん。それも捨てがたいわね」
「もう譲らないわよ」
「仕方ない。それで手を打つわ」
つまり、美樹の方から言わなければ、絶対気付かれないだろうと言うところでは、意見が一致していることになる。問題は、それを美樹が打ち明けることになるかどうかだ。
柳井は、金曜日以外にやって来る日がますます増えた。週に三,四回と言うこともある。会えた日は嬉しいのだが、帰っていく柳井の後ろ姿を見るのは辛い。このままぼくのそばにいてくれないかなと、叶わぬ願いを抱いた。
この頃、時々夢を見る。ぼくはキッチンで、朝食を作っている。柳井はコーヒーを飲みながら、テーブルに座って新聞を読んでいる。足元で、男の子か女の子か分からないけど、子どもが遊んでいる。食事が済んで、ぼくは子供と一緒に柳井を病院へ送り出す。庭には、バラの花が咲き乱れている。そんな情景だ。
目を覚ますと、それが夢だと分かっているのに、悲しくて涙を流した。
こうなる前、真琴と入れ替わる前のぼくの夢は何だったのだろう? ソフトプログラマーになって、村上恭子と結婚し、幸せな家庭を作る。子どもはふたり作るつもりだった。夢はもう何一つ叶わない。
柳井が訪れてきたときだけのつかの間の幸せ。それもいつまで続くか分からない。ぼくはこの先どうなるのだろう?
美樹の方は、彼にばれることなく、関係を続けているようだ。この頃は、随分明るくみえる。
二ヶ月ほどしたある日、美樹がぼくの部屋にやってきた。少し元気がないようだ。
「どうしたの? 彼とはうまくいってないの?」
「うまくいってたんだけど・・・・」
「何かあったのね」
美樹は、突然ボロボロと涙を流して泣き始めた。
「昨日の夜、彼に言われたの」
「何て? 別れてくれって?」
「違うの。妻と別れるから、結婚してくれって」
「まあ」
「彼の気持ちは嬉しかったわ。でも、そんなことはできないでしょう? だから・・・・」
「打ち明けたのね」
「そう」
「驚いたでしょうね。結婚まで考えたのに、男だと知って」
「そのまま黙って、帰っていったの。もう会ってくれないわ。彼を愛していたのに・・・・」
「可哀想に」
ぼくは、美樹を抱きしめて、一緒に泣いた。
美樹が帰ると言いだしたとき、自殺でもしやしないかと心配になった。しかし、美樹はそんなに弱い人間じゃない。きっと立ち直ると信じていた。
その翌日、美樹が再びぼくのマンションにやってきた。前日と違って、凄く明るい顔をしていた。
「どうしたのよ。何かいいこと、あったの? 別のいい人でも見つかったの?」
「そうじゃないの。彼が今朝来たの」
「彼って、例の彼なの?」
「そうなの。奥さんと別れてきたって」
「えっ!?」
「結婚できなくてもいいから、一緒に暮らして欲しいって」
「ほんとに?」
「ほんとなのよ。真琴! わたし嬉しくって」
「信じられないわ。そんな男がいるのね」
「今週の土曜日、彼のマンションに引っ越すことになったの。これ、電話番号よ。あっ! 名前言ってなかったわね。山本だからね」
「山本美樹って言うわけね」
「そうよ」
美樹は、嬉しそうに小躍りしている。
「彼の名前は?」
「洋平。山本洋平よ」
「いくつなの?」
「四十四歳」
「ええっ!? この前、柳井さんより上くらいって言ってたでしょう? ひとつ年下じゃないの」
「ちょっと老けて見えるからね」
「そうなんだ。それでもふたまわり近くは違うわね」
「真琴と柳井さんより、差は小さいわ」
「それはそうね。ところで、賭はわたしの勝ちね。賞品はないの?」
「賭? ああ、そうだったわね。わたしがうち明けちゃったからね。・・・・じゃあ、この指輪あげる」
美樹は、右手の薬指にはめた指輪を外して、ぼくに手渡した。
「いいの? これ、あなたのお気に入りでしょう?」
「いいのよ。山本に、もっといい指輪貰うから」
「そっかあ。じゃあ、いただいとくわ」
美樹が帰ったあと、ぼくは羨ましくて堪らなかった。一緒に暮らすことができるなんて・・・・。