第一章 ミキとマコトの秘密

 ぼくは、テーブルを挟んでマコトと向かい合い、受験参考書を見ながら、鉛筆を走らせていた。二時間あまりひと言も互いにものを言っていない。いいかげんに疲れたぼくは、鉛筆を机の上に置いて、マコトに話し掛けた。
 「なあ、マコト。男より女の方がいいと思わないか?」
 マコトは、テーブルから顔を上げて、何を突然言い出すんだというような顔をしてぼくを見た。
 「え!? 何だって?」
 「だからさあ、男より女の方がいいと思わないか?」
 「どうしてだよ?」
 マコトもそろそろ疲れてきたのか、鉛筆を机の上に置くと、伸びをしてひと呼吸おいた。
 「だってさあ、女はこんな風に一生懸命勉強する必要がないじゃないか」
 「えっ!? そうかなあ」
 「そうだよ。男の場合は、勉強していい大学に行かないと、それもさあ、ある程度名前が通ったところじゃないと、いいところに就職できないんだから。稼ぎが悪ければ、いいお嫁さんは来てくれないし・・・・」
 「そうだなあ」
 「女の場合はさあ。そんなに頑張らなくたって、結婚してしまえばいいんだろう? 永久就職ってやつだよ。稼ぎのいい男を見つけて結婚できれば、大学行かなくたって、中卒でもいい訳だろう?」
 「そりゃ、そうかもしれないけど、中卒って訳にはいかないだろう? 男の学歴が高ければ、それに見合った学歴が必要じゃないかな?」
 「・・・・まあね。だけど、短大程度でもいいだろう。大学だって、別に一流でなくたっていいんだから」
 「ううん、確かにそうかもしれないなあ。だけど、永久就職も大変なんじゃないかなあ。うちの母さんなんて、朝早くから起きて、炊事に洗濯、掃除や買い物で、一日中働いているし、最近パートに出始めたから、毎日疲れ切ってるみたいだよ」
 「でもさあ、家族のためにって、目的があってやってることだろう? 勉強なんて、大きくなっても役に立つかどうか分からないだろう?」
 「ミキの言うとおりかもしれないけど、役に立つか立たないかは、先になってみないと分からないんじゃないか?」
 「もしかしたら、役に立たないかもしれないんだろう? うちの父さん、法学部出てるけど、やってるのは土建屋だよ。大学で勉強したことなんて、全然役に立ってないみたいだよ。今こうやって勉強してるのは、将来役に立つことを勉強してるんじゃなくて、ただ単に良い学校に行くためだけだろう? この先、中学3年間と高校3年間の6年も勉強しなきゃならないんだよ。うまくいかなけりゃあ、浪人もしなけりゃいけない。大学も4年あるし・・・・」
 「要するに、勉強したくないんだな、ミキは」
 マコトは、さらりとそう言った。痛い所を衝かれてしまった。まったくその通りだ。それでもぼくは話しを続けた。
 「小学校からこんなに勉強するのは、日本くらいじゃないのか?」
 「シンガポールは、もっとすごいって聞いたことがあるよ。中国だって」
 「そう?」
 「男に生まれたんだから、諦めなよ」
 「あああ、女に生まれりゃよかったなあ。そしたら、こんなに勉強しなくても良いし、綺麗な可愛い服も着られるのになあ・・・・」
 マコトは、ちょっと軽蔑したような顔をした。
 「ミキは、女の服を着てみたいのか?」
 ぼくは、ちょっとどきりとした。マコトには、ぼくの心の中が見えるのだろうか?
 「そ、そう言う訳じゃないさ。女だったらって言う話しさ」
 「確かに女の服の方が、男の服よりはいいよな」
 マコトの同意が得られて、ぼくはちょっと安心した。
 「そう思うだろう? 男の服はダサいよな。色だって黒とか青ばっかりで・・・・。ピンクや赤なんて着ていたら、じろじろ見られるし・・・・」
 「中世のヨーロッパじゃ、男の服も結構派手だったみたいだね」
 「そうだろう? どうして今みたいに地味になっちゃたんだろうね」
 「ぼくには、分からないよ」
 「中世に戻らないかなあ。そしたら、ピラピラの服も着られるのに・・・・」
 「ミキ! やっぱ、女の服を着たいんだろう?」
 マコトの目に、消えかけていた軽蔑の光が、また宿った。
 「ち、違うよ」
 「ふうん」
 マコトは、ぼくの言葉を信用していない。もっときっぱりと否定しないといけなかった。そう思ったが、後の祭りだ。
 「もうこんな議論は止めようよ。勉強しなけりゃ。明日は、入試なんだから」
 「そ、そうだね」
 そんなマコトの言葉に、ぼくは救われた思いがした。これ以上話を続けると、ぼくの本心が露呈されそうだ。
 ぼくたちは、再びテーブルに向かい、鉛筆を走らせた。

 一緒に勉強している大林誠は、ぼくの幼なじみで親友だ。同じ年の同じ月に生まれた。ぼくが五月十七日が誕生日で、誠は五月十一日生まれだ。背丈もほとんど同じ。家も歩いて五分くらいの距離にあるから、物心ついた頃からいつも一緒に遊んでいた。顔は似てないが、ふたりとも美男子の部類に入ると、ぼくは思っている。
 ぼくの名前は、佐山幹。幹と書いてミキと読む。父親が、社会の幹となるような大人物になるようにと付けてくれた名前だ。ぼく自身は、幹という名前が気に入っているのだが、名前を呼ばれたときに、女と間違えられるのが難点だ。これまで、幾度となく女と間違えられた。
 明日は、私立中学の入学試験がある。中高一貫教育の有名進学校で、毎年東大に十人以上が合格するという学校だ。合格すれば、勉強勉強でがんじがらめになることは目に見えているが、両親がしきりに進めるから受けざるを得ないのだ。
 学歴偏重社会の矛盾が指摘されてはいるけれど、結局のところ、学歴がなければ、この世を上手く渡っていけないのだ。特に男は・・・・。誠が言うように、男に生まれた以上、逃げ出すことはできないのだ。

 入試が終わった。受験会場の教室を出ると、誠がぼくを探しているのか、校庭でキョロキョロしていた。ぼくは急いで誠のそばに駆けていった。
 「誠、どうだった?」
 「だめだろうな。幹は?」
 「できたと思うけど・・・・」
 「ふたりとも合格できるといいな」
 「そうだな」
 ふたりで肩を並べて、正門に向かって歩き始めた。他の受験生は、みんな母親が付き添っているのに、僕らはふたりとも誰も付き添ってくれなかった。ぼくも誠も、両親が共働きだから、仕方がないけど・・・・。
 「幹、帰りにうちに寄らないか?」
 「いいよ。今日は、することないから」

 正門前からバスを乗り継いで、ぼくらの家の近くのバス停で降りた。誠の家の方が、ぼくの家よりバス停から遠くにある。ぼくは、鞄を家に玄関に放り込んで、ドアに鍵をかけると、誠と肩を並べて誠の家へ向かった。
 玄関の鍵を開けた誠のあとについて、ぼくは二階の誠の部屋へ上がっていった。
 「コーラ飲む?」
 「いいねえ」
 誠は、鞄を机の上に置くと、階下へ降りていった。誠の部屋は、六畳の洋室。勉強机にベッド。作りつけのクローゼットがある。誠は結構几帳面だから、部屋の中は綺麗に片づいている。ぼくの部屋とは雲泥の差だ。ぼくは、母親に、部屋の中が散らかっているから、片づけなさいと、毎日のように言われている。
 ぼくは、誠のベッドに座って、誠が部屋へ上がってくるのを待っていた。
 「お待たせ」
 しばらくして、誠がコーラの入ったコップを両手に持って上がってきた。
 「サンキュウ」
 コーラは凄く冷えていて旨かった。のどの奥でパチパチと炭酸が弾けた。
 「幹、昨日の話しの続きだけどね・・・・」
 「昨日の話しって?」
 「女の服が綺麗でいいなって、言ってただろう?」
 丸一日もたっていないのに、ぼくはそんな話しをしたことをすっかり忘れていた。
 「そんな話、したっけな。・・・・それがどうしたの?」
 「着てみるか?」
 「えっ!?」
 一瞬ぼくは、誠が何を言っているのか分からなかった。
 「今日は誰もいないから・・・・。幹が女の服を着たいって言うんなら、姉ちゃんの服を出してやるよ」
 「誠の姉ちゃんの服をか?」
 ぼくは、コーラの入ったコップを机の上に置くと、ごくりと唾を飲んだ。
 「そうだよ」
 「姉ちゃんにばれないか?」
 「大丈夫だよ。タンスに下がっているやつだったら、元に戻しとけば大丈夫さ」
 「いいのかなあ」
 「大丈夫、大丈夫」
 迷っていたのに、誠のその言葉に、ぼくは決心したように言った。
 「一度着てみたいとは思ってたけど・・・・。ほんとにいいの?」
 「絶対ばれないから」
 「誰にも言うなよ」
 「ふたりの秘密だよ。誰にも言わないから」
 「・・・・じゃあ、着てみようか」
 誠の姉ちゃんというのは、ふたつ年上の中学二年生だ。この時間だから、授業は終わっていないし、毎日塾に行っているから、まだ当分帰ってくる気遣いはない。勿論、誠の両親も仕事で、あと二時間は帰ってこない。ぼくは男ばかりの三人兄弟の末っ子で、女の姉妹がいないから、女の服を着てみたいという欲求はあっても、そんなチャンスはなかった。そのチャンスが、今訪れたのだ。
 ふたりで誠の姉ちゃんの部屋に行き、タンスを開いて、セーラー服を取り出した。ぼくはトランクスだけになって、そのセーラー服を着た。セーラー服のスカートは、襞が多いせいか、結構重い。サイズはぴったりだが、上着の胸の周りが緩い。
 「ブラジャーしてみるか?」
 「えっ!? ブラジャー?」
 「胸に膨らみがないから、おかしいよ」
 「いらないよ。そこまでしなくても」
 「遠慮するな。今日みたいなチャンスはないんだから」
 「・・・・そうだね」
 誠が、タンスの引き出しからブラジャーを取り出してきた。ぼくはいったんセーラーの上着を脱いで、ブラジャーをした。ブラジャーって言うやつは、胸が圧迫されて無茶苦茶苦しい。だけど、ぼくはそんなことはおくびにも出さなかった。女はいつもこんな苦しい下着を身につけているのかと、可哀想な気がした。
 「おっぱいの代わりに、何か入れないと・・・・」
 「そうだね。靴下でも丸めて入れようか?」
 「そうだね」
 タンスに畳まれていた靴下をブラジャーのカップの中に入れて、セーラーの上着を着た。誠が、ブラシを持ってぼくに近づいてきた。
 「な、何するんだよ」
 「ちょっと髪の毛を降ろしてみよう。そのままじゃあ、女の子に見えないよ」
 誠がぼくの髪の毛にブラシをかけて、前髪を降ろした。
 「幹、鏡見て見るか?」
 顔だけ映るような鏡じゃ、見てもしょうがない。
 「全身が映るような鏡があるの?」
 「隣の部屋にあるよ」
 「隣って、誠のお父さんとお母さんの寝室だろう?」
 「そうだよ」
 「いいのか?」
 「いいに決まってるさ。誰もいないんだから」
 誰もいないんだからという言葉は、ぼくに何しても大丈夫だという勇気を与えた。誠について、誠の両親の寝室へ入る。何してもいいんだと思う反面、ぼくはとっても悪いことしているような気分になった。いいのかなあと思いながら、セーラー服を着た自分の姿を見たいという欲求に負けた。
 誠に導かれて、ドレッサーの鏡の前に立った。鏡の中のぼくは、凄く可愛かった。
 「結構可愛いね」
 「自分で言うかなあ。幹はナルシストか?」
 「ナルシストって?」
 「自分で自分に惚れるってことさ」
 「ふうん。ナルシストねえ。でも、こんな女の子がいたら、付き合ってもいいね」
 「信じられないな。でも、確かに可愛いね」
 「ありがと。誠くん」
 ぼくは、トーンをあげて、女のようにそう言った。
 「気持ち悪う」
 そう言いながら、誠は、面白そうな顔をしてぼくを見つめた。ぼくは、女装したことで興奮している。スカートで隠れて見えないが、ぼくのペニスは固く勃起していた。

 その時、玄関から、がちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえてきた。
 「あれ!? 誰だろう。まだ、誰も帰ってくる時間じゃないのに」
 「誠! 帰ってるの?」
 階下から女の声がした。
 「やば! 母さんだ」
 「大変だ。こんなところを見つかったら、困るよ。早く脱がなきゃ」
 「幹、脱いだら、元のところに戻しておいてくれ。ぼくが、母さんを下で引き留めておくから」
 「た、頼む」
 誠が階下に飛んでいき、母親と話しをしている間に、ぼくはセーラー服を脱いで、誠の姉ちゃんの部屋にあるタンスに戻し、ブラジャーと靴下をタンスの元あった場所にしまった。それから誠の部屋に戻って、急いで服を着た。
 間一髪、誠の母親が部屋に上がってきた。
 「いらっしゃい、幹ちゃん。試験、どうだった?」
 「お邪魔してます。試験は・・・・、分からないです」
 「ふたりとも合格できるといいわね」
 「はい」
 セーラー服を着ているところを見られなくて良かった。冷や汗が流れた。その後は、ふたりとも、何食わぬ顔をして、久しぶりのファミコンに没頭した。

 それから二日ほどして、誠から電話が入った。
 「幹、今日も誰もいないんだけど、来るかい?」
 「えっ!? 誰もいないって?」
 「昼間はいつも誰もいないんだ。知ってるだろう? 今日は、セーラー服じゃないのを用意したんだ」
 もう一度、女の服を着てみたかったけれど、誠の母親に見つかりそうになったことを思い出して、ぼくは躊躇した。
 「もう、いいよ」
 そうは答えたものの、ほんとはぼくは、すぐにでも誠の家に飛んで行きたかった。
 「今日は絶対誰も帰ってこないから。来いよ。幹のために準備したんだから」
 ぼくのために準備した。そう言われて、ぼくは誠の家に行くことにした。
 「母さん、誠んちに行ってくるから」
 「五時には帰ってくるのよ。ファミコンばかりしてちゃ、だめよ」
 「はあい」
 自転車に飛び乗り、誠の家へと向かった。浮き浮きしながら誠の部屋に行くと、ベッドの上に服が用意してあった。今度は水色のワンピースだった。
 「これも、誠の姉ちゃんのか?」
 「そうだよ。可愛い服だろう?」
 「着てもいいの?」
 「いいよ。そのために用意したんだから」
 二日前と同じように、パンツ一丁になってブラジャーをして靴下を詰め込んだ。それから、ワンピースを着た。誂えたようにぴったりだ。セーラー服は膝まで丈があったが、ワンピースは、ずいぶん短かった。すごく恥ずかしかった。
 「これしてみて」
 誠がぼくに手渡したのは、セミロングのカツラだった。
 「こんなもの、どこから手に入れたんだ?」
 「母さんが昔していたやつだよ。タンスの奥にしまってあったのを見つけたんだ」
 「へええ」
 カツラを被ってみた。
 「こんなもんかな」
 「いいね。似合うよ」
 「鏡見てみたいな」
 「ちょっと待って。口紅してみようよ」
 「えっ!? 口紅?」
 「ぼくが塗ってやるからさ」
 断る間もなく、誠はぼくの唇に口紅を塗り始めた。
 「こんなもんだろうね」
 「どうなったか、見たい」
 「これで撮ってやるよ」
 誠が手にしてたものは、ポラロイドカメラだった。
 「証拠が残ると恥ずかしいよ」
 「ネガがないから大丈夫だよ。できた写真は、幹にあげるから、いらなければ、捨てればいいよ」
 「・・・・そうだね」
 パシャリ、ジーッと音がして、ポラロイドフィルムが出てきた。ぼくの姿が浮かんでくるのをワクワクしながら待った。
 「うまく写ってるね」
 浮き出た自分の姿を見て、ぼくはビックリした。すごく可愛い女の子に仕上がっていた。
 「へええ、ぼくって、こうすると可愛いんだね」
 「幹、とっても可愛いよ。ほんと」
 「ありがと、誠ちゃん」
 「ぼくちゃん、幹ちゃんと恋に落ちてしまいそう」
 「ははは」
 ぼくは、女装したまま1時間ほど誠の部屋で過ごした。

 中学入試の結果、ぼくは落ちて、誠は合格した。誠は、バス通になり、ぼくは自転車で近くの公立中学へ通い始めた。中学になって、塾通いも始まり、近所だというのに、誠とはなかなか会えなくなり、しだいに疎遠になっていった。