七月二十四日(土)

 昼間のうちに、美容室に行って、少しカットしてもらい、軽くパーマをかけた。その後、デパートに行って、女性の従業員を捕まえて、ワンピースを選ばせて二着買った。服に合わせて靴も揃え、下着も新しいものを仕入れた。わたしは浮き浮きしている。まるで恋人に会いに行くみたいに。

 デパートを出ようとして、化粧品のコーナーで化粧の仕方を教えている所にぶつかった。自分で化粧するのには少しは慣れてきているが、一度プロにやって貰うことにした。厚化粧すると会社で怒られるからと言って、化粧を施して貰った。さすがに上手だ。可愛く仕上がった自分を鏡で見て満足した。口紅一本では安いものだ。
 新しい下着に、新しい服、新しい靴を履いて家を出た。バス停に向かって歩いているとき、今のわたしと同じ年くらいの女性に出会った。その女性を見て、すぐに家へ引き返した。女にはアクセサリーが必要だ。それに手ぶらではおかしい。
 家に戻って、恭子のアクセサリーケースを探った。ネックレスとイヤリング、指輪をした。もちろん指輪は右の指にした。服の色に合わせたバッグを持って、再度家を出た。

 午後六時ぴったりに陽一の部屋のドアをノックした。
 「やあ、いらっしゃい、美香さん。待ってたよ」
 「お邪魔します」
 陽一は満面に笑顔を浮かべて、わたしを部屋の中に招き入れた。部屋に入ると、いい匂いがした。テーブルの上にたくさんの料理が並べられ、冷えたワインが置かれていた。
 「見違えたよ。綺麗だよ」
 「ありがとう。着飾って来るつもりじゃなかったんだけど」
 「そこに座って。ワイン飲めるだろう?」
 「まだ、未成年だけど、少しなら飲めるわ」
 「えっ。未成年なの?」
 「二ヶ月前に十九になったばかりよ」
 「そうは見えないけど。ぼくより年下で良かった」
 やっぱり十九歳はあんまりだったかな。そう思ったが、片桐美香と名乗った以上、十九歳でなければおかしい。そう思った。あの戸籍謄本に拘るつもりはなかったのだが、美奈子と話したときに十九歳にしようと決めておいたし、片桐美香の年齢も丁度十九歳だったからだ。
 「いくつだと思っていたの?」
 「いや、内緒。怒るといけないから」
 「怒らないから、言って」
 「二十三,四だと思った」
 「ひどいわ。そんなに老けて見える?」
 「いや、今より険しい顔をしていたからね。今は二十一かな」
 「知っててそういうの、ひどいんじゃないの?」
 「ごめん、謝る。ところでぼくはいくつに見えるんだい」
 陽一はせいぜい大学を出たばかりに見える。二十三,四と言われたから、お返しに意地悪を言ってみた。
 「三十かな」
 「いくらなんでもそれはひどいよ。二十五以上に見られたことなんかないのに」
 「嘘よ。二十四、どう?」
 「二ヶ月前だったら、ピンポンだよ」
 「じゃあ、二十五ね」
 「そう、どんどん食べてね。お光さんは料理がうまいから」
 「お光さんて言うのね、お手伝いさん」
 「本当は光子と言うんだ。だからお光さん。光の子って書くんだけどね。ぼくが生まれる前から家に勤めている人だよ」
 陽一はわたしのワイングラスにワインを注ぎ始めた。
 「ふーん。ところで、新しい手掛かりは?」
 「ごめん、見つからなかった」
 手掛かりはある筈だが、見つからなかったと言われれば、陽一の部屋にそのまま留まるわけにはいかない。他のことを期待していると思われたくなかった。
 「もう帰る」
 立ち上がりかけたわたしを陽一は慌てて制した。
 「待って。待ってくれよ。手掛かりはあるんだ。きみが最初に来た日に見つけたノートが唯一の手掛かりなんだ」
 「あのノートが? あなた、関係ないって言ったじゃないの」
 「いや、関係あるんだ」
 「見せて」
 「ノートは逃げないよ。飲んで食べてからでもいいだろう?」
 それもそうだ。ここまで来たら、慌てる必要はない。
 「そうね」

 ワインのせいか、わたしは可愛い女を演じている。二週間前まで自分が男だったこともトルコで女を買ったことも忘れ、生まれた時から女だったように陽一に接している。いや、違う。これはワインのせいじゃない。これもあの薬のせいだ。姿かたちだけではなく、感じ方も女になっていっている。
 いつのまにかわたしは陽一に全裸にされ、寝室のダブルベッドの上で愛撫されていた。くすぐったくて堪らないけれど、陽一の為すがままにされている。
 「きょうは優しくしてね」
 自分の口からこんな言葉が出るなんて信じられなかった。どうしてこんな言葉が出るのだろうかと訝りながら、わたしはベッドに横たわっている。陽一はわたしの声が聞こえなかったのか、何も言わないでわたしを愛撫し続けている。一昨日とは違って、とても優しく扱っていてくれる。今日はキスをした。わたしの方から。陽一が入ってきた時、痛くなかったと言えば嘘になるけれど、一昨日ほどではなかった。陽一がわたしの中で果てた時、ちょっとだけ熱くなったような気がしたけれど、感じるとまではいかなかった。
 恭子とわたしが結ばれた時、恭子は処女だったはずだが、声を上げて悶えていた。あれは演技だったのだろうか? わたしも陽一のためにもっと感じた振りをすれば良かったのだろうか? 少し後悔した。わたしは陽一を愛し始めている。そう思う。女として。そんな自分をぜんぜん変だとは思わない。不思議だ。

 「美香。どうだった?」
 「少し体の中が熱くなった感じがするわ。テレビや映画なんかで見る女のひとみたいには感じなかったけど」
 「正直だな。今までにした女はそんなに多くはないけど、みんな白けるくらい大袈裟に喘いでいたんだけど」
 「喘ぐなんて、思ってもみなかったわ」
 陽一は少ししょんぼりしたようだ。
 「あれは演技だったのかな。結構自信持ってたのに・・・・。ぼくのやり方が悪いのだろうか?」
 「そうじゃないわ。わたしが慣れていないからよ。まだ二回目だから。分かっているでしょう?」
 「そう言ってくれて、安心したよ」
 「あなたのせいじゃないわ」
 「次ぎは美香がもっと感じてくれるように頑張るよ」
 「わたしもね。ところで、ノート見せてくれる?」
 「そこの二番目の引き出しに入っているけど、気をつけて扱ってくれ」
 「どうして?」
 「見たら分かるけど、薬品なんかの影響でぼろぼろなんだ。下手に扱うと形がなくなって何と書かれているか分からなくなるんだ」
 「そうなの」
 「だから、別のノートに書き写しているところなんだ。ぜんぜん進んでいないけどね」
 机の引き出しを開けると、実験ノートの横に、若返り薬のアンプルの入ったケースが置いてある。これも手掛かりのはずだが、さりげなく聞いてみる。
 「このA,B,Cって書かれているケースは何?」
 「後で説明するよ」
 「ほんと。今にも崩れそう。ごめんね。この前、乱雑に扱ったから、読めなくなったところがあるでしょう?」
 「大丈夫だよ。心配しないでも」
 「ぜんぜん分かんないわ。何が書かれているの?」
 「若返りの薬の作り方だよ」
 やった。やはりこのノートが手掛かりだ。嬉しくなって飛び上がりそうな気持ちを抑えて、冷静を装って尋ねた。
 「若返りの薬?」
 「そう。若返りの薬」
 「そんなものがあるの?」
 「あるんだ。あるんだが・・・・」
 それまで明るかった陽一の顔が曇った。
 「えっ。どうしたの」
 「若返り始めたら停まらないんだ」
 「停まらない? するとどうなるの?」
 「精子と卵子まで戻って、そして消えてしまうんだ」
 「ということは」
 「そう。きみの友達のお父さんももうこの世には存在しない。うちの親父もだけどね」
 「そんな。嘘でしょう?」
 「事実なんだ」
 陽一はかなりの事を知っているようだ。彼の言葉が正しければ、父親の本田社長も間違いなく消失している。こんな関係になったのだ。陽一の知っていることをすべて話してくれるだろう。
 「そんなの若返りの薬でもなんでもないじゃないの」
 「いや、動物実験では成功しているんだ。親父が北田所長と話しているのを聞いたんだ。薬は三種類あって、その量の組み合わせが難しいみたいなんだ。人間で実験するわけにはいかないけど」
 「実験してたんでしょう?」
 「・・・・そうだ」
 「ほかに副作用はないの?」
 わたしは若返りに成功したが、女になってしまった。陽一はそんな副作用があることを知っているだろうか?
 「分からないよ。みんな消えてしまったから」
 陽一は、副作用については知らないようだ。
 「どうするのよ。こんなノート捨ててしまったら?」
 「量さえ分かれば素晴らしい薬なんだ。若返れるんだよ。きみは興味ないのか?」
 「女はいつでも興味があるわ。二十歳にだってなりたくないもの」
 「だろう? だから研究を続けるのさ。うまくいけば、ふたりで若返って、人生をやり直せるよ」
 「もし、うまくいったとして、元に戻せる薬は作れるかしら」
 「元に戻すって」
 「若返ったあと、都合が悪いから、元に戻すとか」
 「別に元に戻らなくてもいいんじゃないの?」
 「若くなってしまったら、自分が自分でなくなるじゃないの。誰も認めてくれなかったらどうするのよ。そうなったら、元に戻るしかないでしょう?」
 「・・・・それはそうだな。元に戻す薬かあ。分からないけど、やってみる価値はありそうだな」
 若返りの薬でさえ、不完全なのだ。元に戻る薬なんて絶望的な気がした。
 「あのアンプルは何なの?」
 「若返りの薬さ」
 「実物なの?」
 「そう、あと二回分しかない」
 「使えるの?」
 「使えるが、その使い方が分からない。へたをすると消えてしまうからね。投与量を決めるためには量が少なすぎる。動物実験のデータを書いたノートがあるはずなんだが、見つからないんだ」
 「そうなの」
 「だから、きみの今持っているノートを解析して、薬をたくさん作って、最初からやり直さなければならないんだ」
 動物実験のデータを書いたノートはわたしの手元にあるが、あるなんて言い出せなかった。どうして手に入れたか、詰問されるに決まっている。そうなったら、今の関係が崩れてしまう可能性もある。この関係を壊したくない。
 「分かったわ。明日から、書き写すの手伝ってあげるわ」
 「助かるよ。仕事も覚えなければならないから、どうしようかと思っていたんだ」
 「わたしは一日中暇だから、作業はどんどん進むわよ」
 「美香」
 「なに?」
 「もう一度、いいかい。君の顔を見ていると、またしたくなった」
 「わたしも」