七月十六日(金)

 女がわたしに抱かれて喘いでいる。形の良い乳房が揺れる。長い髪を掻き分けて顔を見ると、わたし自身だった。
 ギョッとして目が醒めた。昨日までのことは夢だったと思いたかった。

 夢ではなかった。起き上がってまず感じたものは胸だ。胸が重い。胸が昨日よりかなり大きくなっていた。だが、もうびっくりしなかった。裸になって、ドレッサーの鏡に自分の姿を映してみた。昨日風呂場で見たよりさらに女らしくなっている。どこがどう違うのかうまく表現できないが、昨日と今日でまったく違う。もちろん胸の大きさは違うが、さらに肩幅が狭くなっているようだ。体が丸みを帯びている感じだ。腰のくびれがはっきりしている。
 「美奈子、美奈子。ちょっと来てくれ」
 「誰? お父さんなの?」
 声も違う! 女のような甲高い声だ。振り返って鏡をもう一度見てみた。そして手で触って確かめた。喉仏がない。部屋のドアが開いて、美奈子が入ってきた。入ってきて、一瞬、ぽかりと口を開けた。
 「美奈子!」
 「お、お父さんなの」
 美奈子はわたしの体を頭のてっぺんから足の先まで、まじまじと見つめた。
 「そうだよ」
 「本当に」
 「消えずにすんだが、完全に女になってしまった」
 「どうして?」
 「分からない。薬のせいに違いない」
 「どうするのよ?」
 「今は、どうしようもない。どうしようもないよ」
 「お父さん。聞きにくいことだけど、パンツの中はどうなっているの?」
 「何もないよ」
 「えっ」
 「いや、何もないことはない。ここも女になっている」
 「ほんとに」
 「一昨日からおかしかったんだが、昨日の夕方には完全に女のものになっていたよ。おまえには言えなかったけれどね」
 「信じられないわ。腟もあるの?」
 「あるみたいだな」
 「子宮は?」
 「そんなこと、確かめようがないよ」
 「それはそうね。・・・・わたしにはお父さんがいなくなって、お姉さんができたわけだね」
 「な、何を馬鹿なことを言う」
 「だって事実でしょう? お父さんは失踪していることになっているし、今わたしの目の前にいるひとは、わたしより少し年上に見える若い女のひとよ。そうでしょう?」
 「そう、そうだな。・・・・おまえはいやに冷静だな」
 「お父さんが死んでしまうと思ったら、こんなに冷静ではいられないけど、姿は変わっても生きているんだもの。昨日までとは違うわ。前向きに考えなくちゃ」
 「それはそうかもしれんが。お父さんは急には変えられないよ。先週まで、ちゃんとした男だったのに、お姉さんだと言われても」
 「すぐに慣れるでしょう。死んだ気になれば」
 「それはそうかもしれないな。しかし・・・・」
 美奈子はまるで楽しんでいるかのように話しをする。

 「ねえ、話し方変えないとおかしいわ。お父さんは若い女なのよ」
 「うーん。ちょっと待ってくれ。すぐには無理だ。元に戻るかもしれんし」
 「期待しないほうがいいんじゃないの。今は、若い女のひとに成りきる方が良いような気がするわ。わたしの感だけど」
 「・・・・そうするしかないかな」
 美奈子の感だけではなく、私自身もそう感じ始めている。
 「そうするしかないわ。お父さん。・・・・お父さんじゃおかしいわね。呼び方を考えないと。ひとが聞いたら変に思うわ」
 「うちの中ではいいんじゃないのか?」
 「いいけど。外に出たとき、お父さんって呼んじゃいそうよ。とにかく何か名前を考えましょう?」
 「名前ねえ」
 「自分で決めたら?」
 「そんなこと急に言われてもねえ」
 「利明だから、利子」
 「いやだ。どうせなら下を取って、明子にしよう」
 「いいわね。明子。明ちゃんね」
 「明ちゃんか。まあいいだろう」
 「その言い方、変えようよ。やっぱりおかしいよ」
 「分かりました。努力します」
 「何着るの?」

 自分でもどうしようかと思っていたことを聞かれた。この体だ。変な格好は出来ない。だが・・・・。
 「まさかスカート穿けなんて言うんじゃないだろうな。いやだよ」
 「それより、下着よ。そんな男もののパンツじゃ、おかしいよ」
 わたしはトランクスを穿いていた。美奈子が言うように、確かにおかしい。
 「それはそうだけど」
 「わたしのは貸せないけど、お母さんのものがあるでしょう? ショーツもブラも」
 「お母さんのパンティーを穿けというのか?」
 「悪い? だって、別の女のひとに穿かせるわけじゃないし。お父さんが穿くんだから、いいんじゃないの。お父さんとお母さんは一心同体だったんでしょう? お母さんだって許してくれるわよ」
 美奈子の言うことは正論だ。反論の余地がない。
 「そうかなあ」
 「どうしてもいやだったら、下着つけないで服を着る?」
 「そういうわけにもいかないだろう。・・・・分かったよ。仕方ない。出してくれ」
 そう答えざるを得なかった。恭子のパンティーを穿く羽目になるなんて思いも寄らなかった。
 「ショーツはどれでも入りそうだから、一番可愛いやつ。これね」
 「美奈子、許してくれよ。そんなもの、いくらなんでも穿けない。もっとおとなしいやつにしてくれ」
 「仕方がない。それじゃあ、これならいいでしょう?」
 「う、うん」
 美奈子に背を向けて、トランクスを脱いで、白のシンプルなパンティーを穿く。妙な気分だ。
 「ブラはっと。お父さん、サイズを測らせて」
 「サイズ?」
 「ブラはサイズを合わせないといけないのよ。サイズが合わないと気持ち悪いだけよ」
 「分かったよ。早く測ってくれ」
 「アンダーが六十八のトップが八十三か。差が十五だから、ええっと、Cカップか。母さん、Cカップのブラなんか持ってたかしら。Bじゃなかったかなあ」
 「BとかCとか、どうやって計算するんだ」
 「そのうち分かるわ。あった。あった。C七十があった。ホックで調節すれば大丈夫よ。さあ着けてみて」
 「向こう向いてろよ。恥ずかしい」
 「何よ。女同士でしょう」
 「元に戻った時、恥ずかしいじゃないか。ブラジャーはどうして着けるんだ」
 「ホックを前で留めて、一番内側で良いと思うわ。そうそう。それからぐるっと回すの。カップの中に胸を入れて、そうよ。それから肩紐を架けるの。どう?」
 「うん、何かすっきりした感じだよ」
 「してない時より、気持ちいいでしょう」
 「そうだな。裸であそこをぶらぶらさせていると、なんとなく気持ちが悪いんだ。落ち着きが悪いと言うかな。そんな時、締まりの良いパンツを穿くと気持ち良くなるんだ。そんな感じだな。おまえには分からんだろう?」
 「分かるわけがないわ。ぶらぶらさせたことないから」
 「服は何を着ようか?」
 「スカート穿けないって言ったじゃないの。昨日のジーンズ、汚れてないからもう一日穿いたら? 上は自分で探しなさいよ。ご飯作るから降りる!」

 美奈子は何を怒っているんだろう? 譬えが悪かったかな。そうかもしれない。箪笥からピンクのTシャツを取り出して着た。今の姿なら、赤でもフリフリが付いていても着られそうだ。ジーンズを穿いてみると、昨日はヒップが余っていたのに今日はきついくらいだ。鏡に映った自分の姿を見た。
 「悪くない。髪を切りに行かなきゃ」
 ブラシで髪をといてから後ろで括って、下に降りるとコーヒーとトーストの焼ける匂いがした。
 「あれ! 今日は洋食かい」
 「土曜日は急いでいたから作ったけど、いつもご飯に味噌汁でしょう? お父さんと二人でコーヒーを飲みながら、トーストを囓るっていうのを一度やってみたかったの」
 「そうだな。コーヒーにトーストも悪くない」
 「言葉、やっぱりおかしいよ。人が聞いたら何というかな。変な女だなって思われるわよ」
 「わかりました。気をつけます」
 「食べ終わったら、髪の毛少し切らない?」
 「そうしようと思っていたんだ。美容室がどこかにいくのかい?」
 「今日はわたしが切ってあげる。女であることにもう少し慣れないと外に出られないでしょう?」
 「それはそうね」
 「うん、いい。その言い方でいいわ」

 バスルームで長さを切りそろえ、前髪を目の高さに揃えると、どこからみても立派な女だ。美奈子と並んで鏡を見ると姉妹のように見える。美奈子はわたしの遺伝子を半分受け継いでいるから、似ていても不思議ではない。
 少し化粧したほうがいいというので、美奈子に任せることにした。高校生の癖に化粧なんてできるのかと聞いたら、当たり前じゃない、と一蹴された。娘のことを何も知らない自分にあらためて気づいて、愕然となった。もう父親じゃないが。いや、精神だけは父親だ。この先、このままの姿でも父親として、美奈子を見守っていく義務がある。少しは娘のことを知る努力をしなければ。
 それにしても痛い。眉毛の形を揃えるといって、毛抜きで一本、一本抜くのだ。堪らなく痛い。不平を言ったら、女はみんなやっているんだから、我慢しなさいとまるで母親のように言われてしまった。薄化粧を施され、ピンク色の口紅を塗られた。鏡を見てびっくり。へえ、わたしも結構美人じゃないか。化粧を本格的にしたら、もっと美人になれそう。そう思うとうきうきしてきた。
 「どうかしたの。そんなににこにこして」
 「結構美人だなあ、と思ってさあ」
 「やあねえ、もう女になりきってるわ」
 「いくつくらいに見える?」
 「そうねえ。わたしより上には見えるけど・・・・、まあ、二十歳くらいかな」
 「じゃあ、十九歳にしとこう。いいだろう」
 「いいでしょう。まだすることがあるわ」
 「何でございましょうか。美奈ちゃん」
 「次はですね。腋毛の処理でございます」
 「腋毛?」
 「そうよ。お父さんみたいな若い女の子が、そんな腋毛でうろうろしたらおかしいわ。バスルームで剃ってきなさいよ。剃刀、棚に入っているから」
 「はい、はい。行って参ります」

 バスルームで腋毛を剃っていると、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。美奈子が返事をして玄関に出た。どうも警察のようだ。美奈子は打ち合わせ通りの話しをしている。月曜日に家を出たまま帰っていないと。会社も研究所も電話がつながらないから、捜索願いを木曜日の夕方出しましたと涙混じりに訴えている。なかなかの演技力だ。美奈子も美人だし女優になれそうだ。
 腋毛を剃り終わって、剃刀をしまおうとしたら、ドライヤーに引っかかって大きな音をさせてしまった。警察官に誰かいるのと尋ねられて、美奈子は言葉に詰まっている。仕方ない。父親が隠れていると思われてはいけないから出て行くしかない。
 「美奈子どうしたの? 誰か来ているの?」
 「警察の方が・・・・」
 「こんにちわ。美奈子、お父さんのこと話したの?」
 「今、話したところよ」
 「早く探してあげてください、お願いします。美奈子、叔父さんと二人暮しでしょう? 叔父さんが帰ってこないから、一人ぼっちで寂しいって言うから、来てあげてるの。だから、早く見つけてあげてください」
 「あのこちらの方は?」
 警察官の問いに美奈子が答える前に、わたしが口を挟んだ。
 「あっ、わたし、美奈子の従姉の明子です。明るい子って書きます」
 「従姉ですか。よく似てるから、姉妹かと思いましたよ」
 「従姉妹似っていうやつです。一緒にいると姉妹ですかっていつも言われるの。ねえ、美奈子」
 「う、うん」
 美奈子はわたしを見つめたままそう答えた。いつか警察がうちに来たら、そう答えようと考えていてよかった。警察官は信じたようだ。
 「利明叔父さん、見つかりそうですか?」
 「いや、まだ捜査に入ったばかりだからね。西崎さんで、十人目の大量失踪事件だから、かなり大掛かりな捜査になるでしょう。もし、お父さんから連絡とか、何か不審な電話とかがあったら連絡してください。これ、わたしの名刺です。署にいなかったら、伝言を頼んでください。必ず探してあげますから、心配しないで待っていてください。女の子だけで不用心だから戸締まりには気をつけて。それでは失礼します」

 警察官たちが帰ったあと、美奈子と二人で笑い転げた。
 「お父さん、やるじゃない。女の子だけじゃ不用心だからだって。あははは」
 「ははは、美奈子も大したもんだ」
 「これから、どうする?」
 「本田陽一に接触するしかないだろうな。研究所はおそらく警察が現場検証って言うやつをやっているだろうから入れないだろうし」
 「まだ、帰ってないのかしら・・・・。さっきの刑事さんに聞けばよかったね」
 「さっき、十人目の失踪事件ていってなかったか?」
 「確かそう言ってたね」
 「わたしが仕入れた情報では、いなくなったのは多くても九人だから、本田陽一も失踪者の中に入っているかもしれんなあ」
 「本当にいなくなっていたら、どうしようもないね」
 「このまま、ふたりで暮らしていくしかないかもね」
 「美奈子、それでもいいわ。お父さんと一緒なら」
 「どうしようもなくなったらね。もう少し頑張ってみようよ」
 「そうね」

 夕刊にでかでかと大量失踪者の怪という題で記事が載っていた。失踪者の名前の中に本田陽一の名前を見つけて、ちょっとがっくりきた。手がかりがなくなった。しかし、あのノートが手に入れば、何とかなるのじゃないかと期待していた。