目を覚まして時計を見たら、七時を回っていた。慌てて飛び起きてリビングに降りた。美奈子は起きていないようだ。どうしたんだろう。
「美奈子、美奈子!」
「何よ。どうしたの、お父さん」
眠そうな顔をした美奈子が部屋から出てきた。
「寝坊したのか? 朝食は?」
「今日は土曜日よ。休みじゃないの?」
「昨日言わなかったかな。休みじゃないんだ。土曜も日曜日もないんだ。今日も十時までに研究所に行かなきゃならん。おまえは休みか?」
「今日は第二土曜だから学校は休みよ。困ったなあ。今から作っていたら間に合わないでしょう? トーストで良かったらできるけど」
「何でも良いから作ってくれ。顔、洗ってくる」
「しょうがないなあ。今日はゆっくり寝ていようと思ったのになあ」
「済まんな」
歯を磨いて、顔を洗って髪を整えたが、鏡を見てちょっと違和感を覚えた。おかしいな。少し変だ。何だろう。
「わたし、また寝るから、玄関の鍵架けて行ってね」
美奈子が用意してくれたトースト、ハムエッグを平らげて、コーヒーを飲むと家を飛び出した。間一髪で八時のバスに飛び乗った。
研究所下のバス停に着いて降りると、所長が停留所の傍に車を停めて待っていた。動くのが不思議なくらい古いマークUだ。いや、この車は、発売当時はコロナ・マークUだった筈だ。あちこち錆が浮いている。こんな車に乗って町の中を走るのは勇気が要る。
「ちょうど君が来るころかなと思って、待っていたんだ」
「申し訳ありません。乗せていただけるなんて思ってもいませんでした」
「ぼろ車で済まんね。わしは車は動けば良いという主義でな。ははは」
「何年お乗りになっているのですか?」
「かれこれ二十五年くらいかな」
「二十五年!」
「もう部品がないそうだから、今度故障したら、買い換えねばならんがね」
「そうでしょうね。研究所用に買って貰ってはいかがですか?」
「そんなことができるのかね」
「できる筈ですよ。今度社長に頼んでみましょう。費用は会社の経費で落とせる筈ですから」
「それは助かる。わしは研究以外のことは疎いものだからな。きみが来て非常に助かるよ」
「これくらい何でもないですよ」
期限切れの薬品のリストを作成し、所長に渡しに行った。所長は顔をしかめて左腕を揉んでいた。机の上に注射器がある。明らかに自分の腕に注射をしたようだが、何の注射をしたのだろう。わたしが不思議そうな顔をして注射器を見るものだから、所長は自分から話しを切り出した。
「予防接種の有効期限が過ぎたものだからな。書類はそのテーブルに置いておいてくれ給え。確認したら、あとで発注して貰うから」
「分かりました。今から消耗品も確認しておきます」
「頼んだよ」
有効期限があるのか。あんな痛い注射を何回もしなければならないとは・・・・。何ヶ月毎だろう? そう思いながらも、自分に内緒で人体実験されているのではという懸念は、少し薄らいだ。
それにしても柳本という研究員はどうなっているのだろう。今日も来ていないようだが・・・・。所長に聞けば良かったのだが、注射器の件でつい聞きそびれてしまった。
昼食の弁当を今日も持ってこなかったので、控え室で昨日とは違うカップ麺を作って食べた。明日は弁当を持って来なくては。カップ麺ばかりでは、栄養失調になってしまう。美奈子は弁当を作ってくれるだろうか?
消耗品の確認はすぐにできた。定数不足のリストを作り、所長に渡すと、所長はひどく機嫌が良い。
「こんなに仕事熱心な職員は初めてだよ。みんな、一日で逃げ出してしまってな。明日からも頼むよ」
「明日は何をすればよろしいでしょうか? とりあえず、仕事はないようですが」
「明日になったら説明するよ。結構仕事はあるよ」
一日で逃げ出したか。やっぱりそうか。結構仕事はある? 本当だろうか。まあ、明日になれば分かることだ。午後四時、所長に挨拶をして帰宅の途についた。今日は体が軽い。バス停まで十五分で着いた。
家に着くと美奈子がいない。学校は休みといっていたが、いったいどこへ行ったのだろう。探していると、リビングのテーブルの上にメモが置いてある。同級生の家に遊びに行く。今晩はそこに泊まると書いてある。相手の名前も電話番号もない。まさか男の同級生ではあるまいか。そんなことはあるまい。美奈子に限ってと思いながらも、連絡のしようがないので、イライラが募る。帰ってきたら、こっぴどく怒ってやらねば。
仕方がないので、近くの寿司屋に出前を頼んで、ビールを片手にテレビを見ながら摘まんだ。ふと思い出して、近くのコンビにまで出掛け、二日間に消耗したカップ麺と自分用のカップ麺を仕入れた。美奈子がいないから、明日も弁当なしだ。近くに弁当屋でもあればいいのに、明日もまたカップ麺で辛抱しなければならない。美奈子は充分やってくれている。これ以上無理を言うわけのもいかないし、恭子が死んで、一年経つんだ。再婚相手でも探すか。少し頭の薄くなった中年男の嫁になってくれるような女性はいるだろうか? 多感な娘もいるし。ちょっと絶望的だな。
阪神・中日戦の放送は今日はない。洋画劇場を見たあと、スポーツチャンネルに合わせたら負けていた。明日は勝てよ。二勝一敗ならいいんだから。