男になって、三日目が過ぎた。部屋の中にあった食料はすべて食べ尽くした。
「明日になったら、部屋を出るしかないわね。岩橋に話しをしよう」
そうするしか方法を思いつかなかった。
夕方になって、その岩橋がまた部屋のノブを回した。
「まだ、帰ってない。三日も帰らないなんて、事故にでも遭ったんじゃないかしら・・・・」
心配してくれて嬉しかった。わたしのことを色狂いなんて言ってたけど、あれはちょっとした軽口よね。
「美保なら、今朝、男の人を歩いているのを見かけたわよ」
あれは隣の部屋の伊藤の声だ。
「ええっ!? どこで?」
「大学通りで」
「大学通りで?」
「うん」
「どんな男の人だった?」
「背が高くて、茶髪の人。学生風だったよ」
「学生? 美保にしては珍しいわね。いつも中年の人なのにね」
「だから、美保じゃないって思ったんだけど、あの横顔、間違いないわよ」
「そう。若い男の所に行ってんだ。だから、帰ってこないんだ」
「わたしの顔を見ても、ぜんぜん知らんぷりなのよ」
「あなたに取られるって思ったんじゃないの?」
「そうかもね」
斉藤に男を取られるはずがないじゃないのと思った。
「でも、妙な格好してたな」
「妙な格好って?」
「美保らしくもなく、男の服を着てたのよ」
「男の服を?」
「それもダブダブの服。自分の服じゃなくって、男に借りたって感じ」
「へえ。どうしてかしら?」
「わからないわ」
岩橋と伊藤はそんな会話を交わしながら、自分の部屋へと戻っていった。
「わたしが別にいる!?」
わたしは考える。わたしは、わたし自身が男になった、男に変身したと思っていた。だけど、わたしが別にいるってことは、しかも男の服を着たわたしが別にいるってことは、わたしとこの人の体が入れ替わったってこと?」
どう考えてもそうとしか思えなかった。
「精神が入れ替わるって話しは聞いたことがあるけど、体が入れ替わるなんて話しは聞いたことないけど・・・・」
だけど、体が入れ替わったと考えるしかなかった。
「大学通りって言ったわね。この人も学生らしいから、あのあたりでうろうろしていれば、誰かが見つけてくれるかも。そしたら、わたしになったこの人に会える。そうしよう。でも、服が・・・・。わたしになったこの人は、男の服を着て何とか外にでているようだ。だけど、わたしの方は・・・・」
着るものがないのだ。女が男装しても誰も不思議には思わないけど、男が女装しようものなら、変な目で見られてしまう。しかもこの体格で女装するわけにもいかず、例えそうしようとしても、わたしの服はこの人の体にはまったく入らない。
「困った・・・・」
それでも何とかこの男の人のアパートを探しに行かなければならないと、着るものを工夫することにした。
タンスの中を引っかき回し、押入の中の衣装ケースを引っぱり出して、ふたつのアイテムを取りだした。
ひとつは、伸縮性抜群のスパッツ。パンツ代わりに穿くことにした。かなりきついけど、何とか穿けた。
二つ目は、わたしには大きめのダッフルコート。何とか袖は通せた。しかし、袖は手首と肘の真中ほどしかないし、丈も短い。
「ひどい格好ね」
鏡を見て呟く。
「でも、わたしの体へたどり着くまでの辛抱よ」
夜陰に紛れて、寮を抜け出すことにした。
「夕食と入浴が終わって、みんなが部屋に戻った頃を見計らって・・・・」
寮を抜け出すのは、そう簡単ではなかった。みんな、いつまでも起きている。ドアを開けようとすると他の部屋から人が出てくる気配。わたしは、ハッとしてドアを閉める。
午前3時を回った頃、物音ひとつしなくなった。わたしは、財布を握りしめると、ようやくドアを開いて抜き足差し足で廊下を進み階段を下りていった。玄関ドアの鍵を外して外に出たときには、ぐったりと疲れていた。
人通りは少ないけれど、変な格好をしているから、物陰に隠れながら大学通りへ向かって歩いていった。
「人通りが多くならないと、この人を知ってる人には巡り会わないわね」
公園の中にあるトイレの裏手の小さな小屋の陰に隠れて夜を過ごした。
夜が明けてきた。犬を連れて散歩していた小母さんに好奇の目で見られた。わたしは下を向いてやり過ごした。
「着るものを何とかしなくちゃ」
ちょっと先にユニクロの看板があるのが目に入った。
「あそこなら、安くていいものがあるわ」
開店時間まで、隠れて待つことにした。
午前10時まで、まるで浮浪者のように膝を抱いてじっと座っていた。お腹がすいたけど、服さえ手に入れば、どこの食堂にだって行ける。
ユニクロの開店に合わせて、わたしは店内に走り込んだ。店員たちにじろじろ見られたけれど、そんなことには構わず服を選んだ。
綿のパンツにTシャツ、それにフリースの上着を買った。靴下に安い靴も買った。何しろわたしは裸足だったから、靴だけは必要だった。
「すぐに着ますから」
そう言ったとき、店員はどうぞと言いながら首を傾げた。
「女言葉じゃいけないんだ。気を付けなきゃ」
カーテンを引いて着替えた。
「女物のパンツが見えないようにスパッツは穿いたままにしよう」
ババシャツとダッフルコートは、ユニクロの袋に詰めて置いた。
「これなら、どこへでも行けるわ。いや、行けるぞ」
すぐにわたしの体を探しに行こうと思ったけれど、とにかくお腹がすいていた。目にした食堂へ入った。
「いらっしゃい。何にしましょう」
「豚カツ定食を」
「豚カツ定食。毎度あり。豚カツ定食一丁」
「はい」
店の人はわたしに不審な目は向けていない。
「よし、よし。大丈夫だ」
「はい、お待ち」
出された豚カツ定食を平らげた。いつものわたしなら、半分も入らない量があっと言う間になくなっていた。
「やっぱ、男の人は違うわ」
感心しながら勘定を支払った。この時、店員の妙な視線に気がついた。そう言えばユニクロの時も、同じような視線を浴びた。
「ああ、これか」
わたしの手にした女物の財布を見つめる。
「彼女なんだ。俺の財布を持っていってしまったから、仕方なくこいつを使ってる」
言い訳がましく、そう言って店を出た。
わたしの体を持ったこの男はどうしてるだろう? 斉藤が外で見かけたというのなら、服を手に入れて出歩いているかもしれない。きっとわたしを捜していることだろう。
「どこにいるだろうか?」
見当も付かない。
「この人の身元を知っている人を見つけるのが先決ね。とすると、大学のキャンパスにいれば、誰かが声をかけてくれるでしょう」
わたしは、大学の門から入って正面にある芝生の上に腰掛けて、わたしに声をかけてくれる人物が来るのを待った。
それらしい男が通り過ぎていった。だけど、声をかけてはくれない。こっちから、わたしは誰でしょうとも聞けないから、誰かが声をかけてくれるのをじっと待っていた。
女子学生たちが横目でじろじろ見ながら通り過ぎる。
「何だよ!」
そう言おうとして気がついた。わたしは女座りをしていた。周りを見回す目もおそらく女のそれと同じだったに違いない。わたしは慌てて胡座に変えた。
午後6時になって、学生たちもまばらになってきた。
「ここの学生じゃないのかな? でも、男子学生がいるところと言えば、このあたりではここしかないんだけど・・・・。明日、もう一度来てみよう」
大学の門を出た。
「さて、これからどうしようか?」
看護学生寮に戻るわけにはいかなかった。かといって、行くところもない。
「明日の朝まで、どうしよう・・・・」
目の前に学生相手のファミレスがあった。
「ここは24時間営業だし、この人を知ってる学生が来るかもしれない」
ハンバーグランチを頼んで、時間をかけてゆっくりと食べた。コーヒーもゆっくり飲んだ。だけど、まだ午後7時半にもなっていなかった。
見回すと、学生らしい男が文庫本を見ながら、コーヒーを飲んでいた。
「あの男の人、わたしがここに来たときからずっといるわね。そうか。本を持ってくればいいんだ」
支払いを済ませ、いったん店を出ると、近くの本屋さんへ向かった。いつもの愛読書である女性自身を手に取ろうとして、元の場所に戻した。
「男の人が読む本じゃないわね」
仕方がないので推理小説を買うことにした。
「赤川次郎が軽くていいわね」
二冊買って本屋を出た。時計は、午後9時を指していた。少しうろうろしてから、ファミレスに戻った。
「ミートソースとコーヒー」
体が大きいせいか、今朝まで満足に食べていなかったせいか、お腹がすぐに減った。
ウエイトレスが去っていくと、わたしは文庫本を読み始めた。しばらくして運ばれてきたスパゲティーを一筋一筋と言っていいほどゆっくりと食べた。コーヒーもお代わりをして、チビリチビリと飲んだ。
午前0時を廻って、ウエイトレスの視線が少し気になったけれど、同じように長居をしている学生がいた。その学生が出て行くまでと、わたしも頑張った。
その学生が、午前1時に席を立って支払いを始めた。仕方なく、わたしも会計をすませて店を出た。
「さて、どうしよう・・・・」
暗い夜道をぼんやり歩いていると、髪の長い女性がふらりとわたしの前に出てきて立ちふさがった。
「ちょっと、あなた、暇?」
「は、はあ?」
「2万で、どう?」
その女性は、スカートの裾を持ち上げて、太股をわたしにさらした。わたしはぎょっとした。
「2万は高い?」
「け、結構です」
わたしは慌ててその場を走り去った。
「あんなところで男を捕まえて売春しようなんて、信じられない。・・・・2万かあ。わたしもセックスして指輪とか服とかを買って貰ったから、売春しているのと同じだったかな? わたしを抱く男は、例外なくわたしの体が目的だった。今度からは、そんな男は相手にしないようにしなきゃ」
駅前に24時間営業のサウナを見つけた。ここなら、ずっといても大丈夫だ。
「男の方だよ。男の方だよ」
そう言いながら行動しないと、女性用に入ってしまいそう。腰にタオル一枚だけの男たちの中にいるのは、何とも居心地が悪いけど、わたしは男、わたしは男と、言い聞かせて、リクライニングの椅子に横になって眠った。
目が覚めて、周りにいるのが全部半裸の男たちだと分かって悲鳴を上げそうになった。
「危ない、危ない。わたしも男だった。それにしても、まだ元に戻らないよ・・・・。まあ、こんなところで元に戻ったら、困るけど。寝てる間に元に戻らなくてよかった」
サウナを出た。時計は午前8時だった。ステーションビルでモーニングセットを注文して食べた。寝不足で頭が痛い。
「さて、また大学に行ってみるか」