第15章 果てしなく願いは続く

 医者と言うのは、女にだらしないのが相場だけど、雪野は違った。雪野は、医師会病院へ赴任してから、丸3年半になるのだけど、女性関係の噂はまったくなかった。
 「雪野先生に連絡するときは、病院か、独身寮に電話すれば、必ずいるわ」
 そういわれていたけれど、確かにそうだった。宴会で飲みに行く以外に、ひとりで飲みに行くことなど、滅多にない男だった。
 面白くない男かなと思っていたけど、結構趣味が多く、話題に事欠かなかった。例えば、バイク。大学時代は、日本全国をツーリングして回ったらしい。全国を回っているから、いろいろな土地のことにも詳しかった。特にその土地の伝承に付いては、むちゃくちゃ詳しくて、話し始めると、一晩でも二晩でも話しそうな雰囲気だった。
 幼い頃から、アマチュア無線もやっていて、自作と言う無線機が部屋に幾つか並んでいた。
 読書量も半端じゃなかった。独身寮の床が抜けるんじゃないかと思われるほどの本が所狭しと並んでいた。俺が読むような推理小説は少なくて、ほとんどが文学書なのだから、驚かされる。
 雪野は女に対してまじめだと言ったけれど、俺と付き合い始めてからもその態度は変わらなかった。
 俺が交際をオーケーしたあと、すぐに両親の許可を得にやってきたし、簡単に俺の体を求めたりしなかった。
 俺と雪野が結ばれたのは、交際を始めて1年後の、婚約が成立してからだった。それも俺の方から誘ってやっとのことでホテルまで行った。そして、婚約してから半年後に、俺と雪野は結婚した。

 真っ白なウエディングドレスを着た俺は、結構綺麗だった。これで夢が叶った。夢が叶ったから、元に戻るはずだった。
 そう。あの日、美保とヘアスタイルの件で喧嘩する前の日、俺は姉の結婚式に出席した。姉のウエディングドレス姿を見て、『綺麗だ。もう一度女になれたら着てみたい』そう思った。
 俺と美保が入れ替わったのは、そんな俺の願いを叶えるためだったのではないかと思っていた。この仮説が正しければ、俺は美保の人生で一番輝かしい瞬間を奪ってしまうことになる。たとえ俺自身と結婚することになったとしてもだ。だから、黙っていた。
 その願いが叶った今、俺と美保は入れ替わって元に戻るはずだ。しかし、元には戻らず、俺は雪野と新婚旅行へ向かっていた。
 「元に戻らないのは、何故だ?」
 俺の仮説が正しくないか? それとも・・・・。

 ともかく、俺は美保のままで、雪野の妻として暮らしていくしかなかった。

 妊娠した。いわゆるハネムーンベビーだ。雪野はもちろん、周囲の人間はみんな喜ぶ。俺だってそうだ。女は子供を産むもの。そうなっている。
 苦しい9ヶ月が過ぎ去り、俺は女の子を産み落とした。初めて生まれた子どもを見たとき、至上の喜びが沸いてきた。
 「女って、素晴らしい!」
 だけど、次の瞬間、俺は恐れおののいた。俺の最後の願いが叶ってしまったからだ。

 なかなか元に戻らなかったとき、俺は、迫村浩二となった美保と一緒に、迫村浩二の姉の産んだ子どもを見舞いに行った。可愛かった。その子どもを抱く姉は、すごく幸せそうに見えた。その様子は、男では経験できないもののように見えた。
 「今は女だから、子ども、産んでみたいな」
 あのとき、そんな願いをしたのだ。そんな俺の願いが叶ってしまった。俺と美保はきっと入れ替わって元に戻る。
 「眠ったら、元に戻る」
 そう思った俺は、ずっと起きていた。しかし、午前3時を回った頃、俺は産後の疲れに抗し切れずに眠り込んでしまった。

 目が覚めると、俺はベッドの中にいて、髪の毛の長い女を抱いていた。女は美保によく似た可愛い子だった。俺は俺に戻っていた。
 俺は悲しくて、涙を流した。

 「どうした? 涙なんか流して」
 目を開けると、雪野の顔が目の前にあった。
 「あ、あなた!」
 「可愛い子を産んでくれてありがとう。疲れたろう」
 俺の髪をなでて、おでこにキスしてくれた。夢じゃなかった。また入れ替わってしまった。

 退院して3日目、俺は美保の実家にいた。
 「美保、電話よ」
 「誰から?」
 「迫村さんって言う人よ。誰?」
 「友達よ」
 「友達って、男の?」
 「うん。貸して」
 俺は、母親から受話器を取った。
 「もしもし、美保です」
 《俺。迫村。赤ちゃんができたんだね》
 「え、ええ」
 《おめでとう》
 「ありがとう。どこから聞いたの?」
 《どこからって、10日前、一瞬入れ替わっただろう? 目の前に生まれたばかりの赤ん坊がいるんだ。君が産んだんだってすぐに分かったよ》
 「そうだったわね」
 《どうして、あの時一瞬だけ入れ替わったんだろう?》
 俺には想像がついていた。俺の考えは間違っていないだろう。俺は正直に言うことにした。
 「初めてわたしたちが入れ替わったあと、あなた、原因はあなたにあるって言ったでしょう?」
 《ああ》
 「あれは違うんじゃないかと思うのよ」
 《えっ!? どう言うことだ?》
 「あなたも男になりたいって思ったかもしれないけど、わたしもあの日の前日、金城と変な話しをしたのよ」
 《なんのだよ》
 「女になってセックスしてみたいなって」
 《・・・・つまり、入れ替わりは、美保のせいだと?》
 「うん。わたしのせいじゃないかなって思ってるの。しかも願いが叶うと、元に戻るんじゃないかな?」
 《なるほどねえ。女になりたいなんて思ったことはないって言ってなかった?》
 「女になりたいという意味じゃなくて、女としてのセックスを経験してみたいってことなのよ」
 《おんなじことだろう?》
 「・・・・そうかも」
 《二度目の入れ替わりは?》
 「私自身、つまり迫村浩二とセックスしてみたいなって思ったの」
 《なるほど。願いが叶って、元に戻ったってわけだ》
 「そう。だから翌朝すぐに元に戻ったのね」
 《3度目は?》
 「前の日に姉の結婚式に行ったでしょう?」
 《結婚式って言うと、もしかすると、ウエディングドレスを着てみたいって思ったんだな》
 「・・・・そうなの」
 《子供を産んだんだってことは、誰かと結婚したんだよな》
 「ええ」
 《じゃあ、結婚式でウエディングドレスを着たんだろう?》
 「着たわ」
 《何故元に戻らない》
 「ウエディングドレスを着る前に、次の願いをかけたの」
 《子どもを産んでみたいって言う願いだな》
 「そう」
 《子どもを産んだから、元に戻った。しかし、すぐにまた入れ替わった。何故だ?》
 「初美を、この子を、育てたいって願ったの」
 《ふうう・・・・。なるほどね》
 「ごめんね。わたしの我儘で、あなたの人生を奪ってしまったわ」
 《いいんだ。最初に言っただろう? もう女はいやだから、男になりたいって》
 「・・・・そうだったわね」
 《俺は今のこの人生で満足している。俺の願いも叶ったんだ。だから、心配しないでいいよ》
 「ありがとう。そう言ってくれると心が休まるわ」
 《初美ちゃんって言ったかな? 大きくなったら、また元に戻るんじゃあ・・・・》
 「初美の産んだ子どもを抱きたいって願っているから、それまでは大丈夫だわ」
 《それからあとは?》
 「孫が結婚するまで見届けたいって願うわ」
 《そのあとは?》
 「もう言わなくても分かるでしょう? 元に戻らないように、ずっと願いつづけるから、わたしは一生美保で、あなたは迫村浩二のはずよ」
 《分かった。安心した》
 「可愛い人ね」
 《え、なに?》
 「あなたの選んだ人」
 《あ、ああ》
 「わたしに似てるようだったけど」
 《当たり前だろう? 美保に似てない女なんか愛せるかよ!》
 「ほんとはわたしと・・・・」
 《それは言わないでくれよ。もう手遅れだ。お互い、愛する人がいるんだ。俺も来月結婚するんだ》
 「ほんとに?」
 《ああ》
 「おめでとう!」
 《ありがとう。・・・・じゃあ、美保、幸せになれよ》
 「ありがとう、迫村さんもね」

 俺たちはもはや元に戻ることはないだろう。俺は、雪野美保として、美保は迫村浩二として生きる。美保も俺もこれでよかったのだと思う。
 今日から、俺じゃなくて、わたしと言おう。
 「神様。あなたの妙な悪戯で、わたし、女としての人生を歩むことになったけど、幸せです。感謝します」