第14章 戻らない!?

 三つ年上の姉が結婚した。俺の結婚は、いつになるのだろうか?
 「27,8になったら考えるかな? だけど、美保はひとつ年上だものなあ。俺が27、8と言うと、美保は、30近くになってしまう。それまで待ってくれるだろうか? それとも、別れることになるのだろうか?」
 別れることなんかないよなと美保の横顔を見ながら思った。

 ある日のこと、食後のコーヒーを飲みながら、美保が俺に聞いた。
 「ねえ、何か気がつかない?」
 「何がだよ」
 「わたしをよく見てよ」
 「おまえがどうかしたか?」
 「もう・・・・。少しは気づいてよね!」
 美保はかなり膨れる。
 「何を気づけって言うんだよ」
 俺も憮然として美保を睨んだ。
 「ヘヤスタイルを変えたのよ。気がつかないの?」
 そう言えば、ストレートから、少しカールがかかっていた。シャギーって言うのか、毛先も以前のように揃ってはいなかった。
 「にあわねえな」
 「似合うって言われたわよ」
 「誰にだよ」
 「カットしてくれた人」
 「そりゃそうだよ。自分でやっといて、似合わないなんて言えるかよ」
 「・・・・でも、この方が大人っぽく見えるでしょう?」
 「見えねえ。頭だけ、借り物みたいだ」
 「せっかく高いお金を出したのに・・・・」
 「いくらしたんだ?」
 「1万8千円」
 「1万8千円!!」
 「・・・・そうよ」
 「ばっかじゃないのか? そんな髪型に1万8千円だなんて」
 「馬鹿はないでしょう?」
 「馬鹿だよ。大馬鹿だ」
 「もう。知らない!!」
 美保は怒ってアパートを飛び出ていった。
 「そんなこと言ったって、似合わないものは似合わないんだから・・・・」
 俺はブツブツ言いながら、コーヒーを飲んでいた。

 美保は帰ってこなかった。今夜は寮に戻ったようだ。
 「機嫌が治るまで帰ってこないかな?」
 そんな簡単な気持ちでベッドに入った。

 目が覚めて、久しぶりの違和感に襲われた。
 「この胸の感じは、ブラジャーの感じだ」
 頭に手をやってみると、髪の毛が長い。
 「やっぱりそうか・・・・」
 確認しなくても分かっていたけれど、俺は股間に手を伸ばしてみた。
 「入れ替わってしまった。美保のやつ、困ってるだろうな」
 男子禁制の看護学生寮で困り果てている美保の顔を思い出す。
 「俺が非難されるか・・・・。助けに行ってやるか」
 そう思ってベッドから起き出した。
 「あれ!?」
 俺の部屋じゃなかった。部屋は美保の寮の部屋だった。
 「体が入れ替わったんじゃなくて、心が入れ替わったのか? どうしてだろう? ま、いいか。それなら、助けに行くこともないな」
 安心したが、安心するのはまだ早かった。
 「美保! 食事に行かないの?」
 「行くわ」
 俺は簡単にそう答えて、着替えて食堂へ降りていった。
 「早く食事を済ませて実習に行かなきゃ」
 そう話している声が聞こえた。
 「実習!!」
 今日一日、俺は美保だ。看護学生として病院へ実習に行かなきゃならない。
 「参ったな」

 前回、看護学生として一日を過ごした。だけど、ぜんぜん覚えていない。今日も、怒られ、罵られて一日が過ぎた。
 ほとんど泣きそうになって、俺のアパートに行った。

 「何しに来た?」
 部屋に入るなり、俺になった美保が突っ慳貪にそう言った。
 「何しに来たはないだろう?」
 「ふんだ」
 「こんなの困るよ」
 「わたしを怒らせた罰よ」
 「これは罰なのか?」
 「そうじゃないの」
 「・・・・そうか」
 「反省してる?」
 「・・・・ああ」
 「その髪型似合うでしょう?」
 「病院で、みんなに似合うって言われたよ」
 「そうでしょう?」
 にこにこ顔になった。
 「食事作ってくれる?」
 「俺が作るのか?」
 「女の役目でしょう?」
 いつも俺がそう言っていたから、そう言われてしまった。
 「俺、料理なんてできないよ」
 「嘘。少しはできるでしょう? さあ、早く作って!」
 「分かったよ。作ればいいんだろう?」
 「そう言うことよ」
 キッチンで包丁を動かしながら、俺は俺になった美保に聞く。
 「なあ、今晩、どう?」
 「いやよ」
 「いいじゃないか。久しぶりに入れ替わったんだ。楽しもうぜ」
 「今日から生理がはじまんの。だから、駄目」
 「生理? そういやあ、腰が重いと思った」
 「ナプキンつけてよ」
 「分かったけど、おまえ、生理中の方が燃えるって言ってなかったか?」
 「わたしが女ならそうだけど、今は生理中の女とやりたくなんかないわ」
 「そんなこと言わないでさあ・・・・」
 「だめ!!」
 「元に戻ったときに、してやんないからな」
 「イヤだって言ってもやるくせに」
 俺に言葉を継げない。肩をすくめて料理を続けた。

 「なあ、頼むよ」
 食事がすんで風呂に入ったあと、俺は俺になった美保に迫った。
 「駄目だって言ったら、駄目!!」
 「勃起しているじゃないか」
 「絶対いやよ」
 その気のない女をその気にさせるより、その気のない男をその気にさせる方が簡単なのだが、美保ががんとして聞き入れてくれない。
 生理が始まって、オナニーもできない。俺はふてくされて寝た。

 すぐに元に戻るだろうと思っていたのに、何日たっても、美保の機嫌がよくなったあとも俺は美保のままだった。生理で重い腰を抱えながら、看護実習をこなした。
 「どうして元に戻らないんだろう?」
 「わたしに聞かれたって、知らないわよ」
 「そうだよな」
 「元に戻るまで、お互い、頑張るしかないわね」
 「ああ」
 項垂れながらも美保としてやっていくしかなかった。

 何故だかわからず、入れ替わったまま美保としての生活が続いた。毎日怒鳴られ貶される日々。髪型なんて変わるからだと美保を恨む日々だった。しかし、そうするうちに俺の考えが変わり始めていた。
 今回入れ替わったのは、ほんとに美保の髪型をけなした罰だろうか? ほんとはそうではないんじゃないかと思い始めていた。思い直してみると、最初に入れ替わった原因も、美保が俺に説明したものとは違うのではないかと言う気がしだしていた。原因は俺の方にある。そんな気がするのだ。
 あの日、俺と美保が初めて入れ替わった日の前日、俺は金城と飲んでいた。だから、はっきりとは覚えていないのだが、どうも酒の上での話しで、金城とこんな会話をしたような記憶がある。
 「おい、迫村? クリトリスと言うのは、発生学的に言うとペニスと同じらしいな」
 「なんだ? そりゃいったいどう言うことだ?」
 「つまり、もともと同じもので、女に生まれるときにはクリトリスになって、男に生まれるときにはペニスになるって事だよ」
 「へえ、そうなのか。どうしてそんなことを知った?」
 「医学部の佐久間に聞いたんだ」
 「そうか。じゃあ、間違いないな」
 「それでな。ペニスと同じ数の神経が、あの小さなクリトリスにはあるらしいんだ」
 「・・・・それがどうした?」
 「つまりさあ、それだけ感じるって事さ。ペニスの何倍も快感があるって事!」
 「なあるほど。へえ、そうなのか」
 「すっげえ、感じるんだろうな」
 「女になってみないと分からんなあ」
 「そうだな。ま、無理な話しだな」
 「無理だろうけど、ちょっと女になって、試してみたいな。そう思わないか?」
 「思う。思う。ずっと女になりたいなんて思わないけど、一度だけ、女になってセックスしてみたいな」
 「それいいな」
 そんな会話だったと思う。かなり酔っ払っていて話したことだから、すっかり忘れていたのだけど、美保と入れ替わった前後のことを考えていて思い出したのだ。
 金城が部屋から出て行ったあと、女になったら何をしようかって、考えながら眠り込んだのだ。女になってオナニーしたいとか、小便するところを見てみたいとか、男とセックスしてみたいとか、女風呂を覗いてみたいとか、そのとき考えたことがすべて実現した。そしてそのあと、俺たちは元に戻った。

 二度目に入れ替わったとき、俺は、もう一度女としてセックスしてみたい。それも俺自身と。そんな風に考えた。そしたら、入れ替わっていた。これも実現したから元に戻ったようだ。
 今回の入れ替わりは、俺がまたある事を望んだせいかもしれない。これは、ちょっとすぐには実現しようもない。そうすると、俺はしばらく元には戻れそうもない。

 俺の考えが正しかったらしく、俺たちは一向に元に戻る気配を見せなかった。美保に俺の考えを正直に話せば、俺の望みが叶うかもしれなかった。しかし、言い出せなかった。
 俺は、看護学生・立野美保として、美保は、工学部の学生・迫村浩二として暮らしていくしかなかった。
 あまり成績がよくなかったものの、俺は無事看護学校を卒業して、国家試験にも合格して、看護婦として、医師会病院で勤め始めた。
 一年後、美保の方も無事卒業してくれた。
 「俺、頑張っただろう?」
 「ええ、これで元に戻ったときも大丈夫だわ」
 この頃には、俺たちは、ふたりだけのときにも、俺は美保として、美保は俺として振舞っていた。
 「で、ちょっと話しがあるんだけど」
 「なに?」
 「俺、東京の企業に就職が決まったんだ」
 「東京? なんで東京なんかに?」
 「こっちじゃ、いい就職口がなくって」
 「そっかあ・・・・。東京かあ・・・・」
 「ああ、一緒に行けないだろうね」
 「仕事が楽しくなってきたところだし、それにあなたのご両親が、東京になんて行かせてくれないでしょう?」
 「そうだろうな。・・・・結婚するのは、まだ早いよね」
 「わたしはともかく、あなたが若いから、もう2、3年は待たないと、うんとは言ってもらえないでしょうね」
 「そうだな。・・・・それとも、できちゃった婚にする? そしたら、一緒にいられるよ」
 「そんなこと、あなたのご両親が絶対に許さないでしょう?」
 「そうだね」
 美保の両親は、美保にちゃんとした結婚をさせたがっていた。美保が次から次へと男を渡り歩いていたなんて事はまったく知らない。俺、すなわち迫村浩二と付き合っていることすら知らせていないのだ。できちゃった婚なんて、とんでもなかった。
 「しばらく遠距離恋愛になるわね」
 「仕方ないな」
 そう言い残して、迫村浩二となった美保は東京へと旅立っていった。

 しばらくの間は、毎日電話をしていた。だけど、俺の仕事には、準夜勤や夜勤があって、昼間だけ働く美保とは、時間が合わなくなり、次第に電話の回数が減っていった。
 「寂しいな」
 ほとんど毎日肌を寄せ合っていたから、ひとりで眠るのがほんとに寂しかった。ただ、他の男と寝るなんて事は考えてもみなかった。

 半年経って、暮れの忘年会シーズンになった。病棟の忘年会の帰り、3人の同僚とともに、ドクターに送ってもらうことになった。
 ひとり降り、ふたり降り、最後に俺はそのドクターとふたりっきりになった。もちろんタクシーの運転手がいるから、変なことなどしようはずはなかった。
 アパートに着いて、御礼を言ってタクシーを降りると、そのドクター、雪野太一もタクシーを降りてきた。
 「立野君、ちょっと話しがあるんだが」
 「え、なんでしょう?」
 「突然こんなことを言って、驚くかもしれないけど、僕と付き合ってくれないだろうか?」
 「先生、冗談でしょう?」
 「冗談なんかじゃない」
 「将来のある先生が、看護婦なんかと付き合うなんておかしいですよ」
 「看護婦って職業が、そんなに卑下するような職業なのか?」
 「あ、いえ。そんなわけじゃ・・・・」
 「ぼくが医者で、君が看護婦だって事は、この際忘れて欲しい。ぼくはひとりの男として君のことが好きなんだ。だから付き合って欲しいんだ」
 雪野の目は真剣で、酒に酔ったせいではないようだ。
 「ちょ、ちょっと考えさせてもらっていいですか?」
 「ああ。いい返事を待ってるよ」
 酒の勢いでやっと告白したと言うような感じだった。雪野は再びタクシーに乗り込むと去っていった。
 「どうしようか?」
 東京へ電話して相談するしかない。もし、俺が雪野と付き合い、万が一結婚でもすることになったとしよう。結婚したあと、元に戻ったらどうなるのだろうか? 美保は自分の知らない男に抱かれることになるのだ。
 部屋に戻って、早速電話した。
 「もしもし、迫村さん?」
 《ああ、迫村です。いえ、いいですよ。ああ、あの取引の件ですね。うちに書類を持って帰ってます。明日の朝持っていきます。はい。明日の朝すぐに持って窺いますので。それでは》
 それだけ一方的に言って、電話が切られた。
 「どう言うことだ?」
 俺は考える。俺からの、女からの電話だと知られたくない相手が、そばにいたとしか考えられない。
 「美保に女ができた!?」

 翌日の昼休み、控え室で昼食を取っていた。
 「立野さん、電話。迫村さんって言う人からよ」
 「はい。すぐに出るわ」
 俺は電話を取った。
 「もしもし、代わりました」
 《ああ、俺。昨日はすまなかった》
 「女の人がいたんでしょう?」
 《・・・・そうなんだ》
 「いつから付き合ってるの?」
 《3ヶ月前から》
 「3ヶ月も前から・・・・。どうするつもりなの?」
 《結婚しようと思ってるんだ》
 「け、結婚!?」
 《ああ。俺たち、もう元には戻らないと思うんだ。俺は迫村浩二として、おまえは立野美保として一生生きていかなきゃならないだろう。できれば、俺はおまえと結婚したいと思っていた。でもね。おまえの親は、結婚するときは県内の男と結婚しろと言ってたよな》
 「ええ」
 《俺はこっちの仕事を辞めるわけにはいかないんだ》
 「だからそっちで女の人を見つけたのね」
 《ああ》
 「元に戻ったら、どうするの?」
 《もう3年以上も元に戻らないんだぞ。戻ると思うか?》
 以前俺が考えた仮説が正しければ、元に戻る可能性が高い。しかし・・・・。俺はその事を言い出せなかった。
 《おまえもいい男を見つけて結婚しろ。それが一番だ。じゃあな》
 結局、雪野から交際の申し出があったことを美保に言い出せなかった。俺は考えた。雪野と上手くいって結婚できれば、もし元に戻ったときには、美保は医者の妻になるんだ。元に戻らなければ、自分の選んだ女と暮らしていける。美保にとって何一つ悪いことはない。
 俺にしても、元に戻らなければ、医者の妻で、元に戻れば、美保の選んだ女を抱ける。メリットはあってもデメリットはないのだ。
 翌日、俺は雪野の申し出を受けた。