第12章 またもや看護学生に

 「あれ?」
 美保と付き合う約束をした翌日の朝、目覚めるとまた美保になっていた。
 「何だよ。また俺になりたいって思ったのか?」
 俺は呆れながら服を着た。最初のように袖をまくり、ズボンの裾をあげて、サンダルを履いて、美保の住む看護学生寮へと向かった。今日は、袋に俺の服を詰めてきた。
 「美保。朝っぱらから、どこへ行ってたの?」
 岩崎とか言う女が声を掛けてきた。
 「ちょっと、お散歩」
 「そう。でも、なんて格好なの?」
 「わたしの勝手でしょう?」
 「そりゃそうだけど・・・・」
 不思議そうにする岩崎を残して、俺は階段を上り美保の部屋の前に立った。辺りを見回し、誰もいないことを確かめ、ドアをノックした。返事はない。
 「俺だよ。開けてくれ」
 小さな声で言うと、ガチャリとドアが開いた。
 「よかった。来てくれたのね」
 男の俺が発する女言葉。ゾッとした。俺は、部屋の中に入って鍵を閉めた。
 「何でまた、俺になろうなんて思ったんだよ」
 「思ってないわよ」
 「じゃあ、どうして入れ替わったんだよ」
 「知らないわよ。あなたがわたしになりたいって思ったんでしょう?」
 「アホ、言うなよ。誰が生理中の女になりたいなんて思うかよ」
 「あ、そうだ。ナプキンあててる?」
 「ナプキンなんて持ってない」
 「すぐにあてなきゃ」
 美保が、生理用のサニタリーショーツとか言うものにナプキンを張り付けて、俺に手渡してきた。俺は肩をすくめながら受け取って、穿いていたトランクスを脱いで、それを穿いた。
 「この状態で元に戻ると情けねえな」
 「そうかもしれないけど、今はしてないと・・・・」
 「そりゃそうだ」
 「その袋は?」
 「おまえが着る服を持ってきた。ここには男物が置いてないだろう?」
 「ありがと。気が利くのね」
 「この前、ひどい目にあったからな」
 「そうね」
 俺と入れ替わった美保は、Tシャツにジーンズを着て、その上からジャケットを羽織った。
 「寮のみんなが出かけてから抜け出せばいいわね」
 「みんながいなくなるのはいつ頃だ?」
 「8時半くらいかな? だから、9時には抜け出せるわ」
 「今日は、8時50分から講義なんだ。それまでに抜け出して、講義を受けに行ってくれないか?」
 「講義? いいわよ。大学生として講義を受けられるのね」
 「そう言うことだよ」
 「やったあ」
 俺になった美保は大喜びだ。そうしながら、俺の前に跪いた。
 「迫村さんも出かけて貰わないといけないわ」
 「えっ!? 授業があるのか?」
 「授業というか、今日は看護実習なの」
 「看護実習!?」
 「そうよ。医師会病院へ行って、看護の実習をするのよ」
 「それって、看護婦の格好をするのか?」
 「そうよ」
 「へえ、看護婦の格好かあ。なんか、面白そうだな」
 俺は嬉しくなって笑顔になった。
 「変な想像してるんじゃないの?」
 見透かされて、俺は舌を出した。
 「看護婦さんにサービスして貰うんじゃなくって、あなたがサービスする立場なのよ」
 「あ、そうか」
 実は、看護婦の格好をしているソープを想像していた。
 「それに、看護婦の仕事って、そう簡単じゃないわよ」
 「・・・・元に戻らなかったら、やるしかないんだろう?」
 「そうね。でも心配なことがあるわよ」
 「何だよ。心配なことって?」
 「看護婦の服を着ているときに元に戻ったらどうするの?」
 そう言われて、俺も俄に心配になった。ナース服を着た俺の姿を想像して、ブルッと震えた。
 「そうか。それもそうだな・・・・。じゃあ、休むか?」
 「それがね。そうもいかないのよ」
 「どうしてだよ」
 「かなり休んだから、今日行かないと落第してしまいそうなのよ」
 俺は腕組みをして考える。
 「じゃあ、行かざるを得ないか・・・・」
 そうは答えたものの、ナース服を着て男に戻った俺を想像して、やっぱりちょっと二の足を踏んだ。考え込んでいると、美保が言い出した。
 「わたし、考えたんだけどさあ」
 「なにをだよ」
 「今まで、眠って起きたら、入れ替わっているから、昼間は入れ替わらないんじゃないかなって思うのよね」
 フンフンと俺は納得する。
 「なるほどね。だけど、まだ二回だけだよ。自信があるか?」
 「ないわ」
 簡単に答えた。
 「そうだろう?」
 俺はまたもや考え込んだ。
 「わたしのために行ってくれる? 落第したくないから」
 目をちょっと潤ませて俺を見つめる。男の俺が目を潤ませて俺を見つめるんだよ。気持ち悪いよ。
 「仕方ないな。昼間のうちに元に戻らないことを祈るしかないよ」
 「戻らないように祈ってるわ」
 「ああ」

 と言うわけで、看護学生寮の食堂へ行って朝食を済ませると、俺は美保の手を借りて、長い髪の毛を纏めて頭の上にピンで留め、ナース服を着て、ナースキャップをかぶった。鏡に映った美保は、凄く可愛かった。
 「可愛いじゃないか」
 俺は鏡の中の美保、つまり今の俺の姿を見つめた。
 「あら? 今まで可愛いと思わなかったの?」
 鏡の向こうから、俺が聞く。
 「あ、いや。そんなことはないよ」
 疑るような目で見て、俺に看護実習の手引きという本を手渡した。
 「先輩の看護婦さんの言うとおりにしていてくれたらいいからね」
 「分かった。何とかやってみる」
 ちょうどその時、ドアがノックされた。
 「美保。行くわよ」
 「ちょっと待って。すぐ行くわ」
 そう答えると、俺になった美保が耳元で囁いた。
 「女言葉が上手いのね。そんな趣味があったの?」
 「馬鹿たれ!! お前のためにやってんじゃないか」
 美保はぺろりと舌を出した。勿論俺になった美保のことだ。
 「講義はどこへ行けばいいの?」
 「アパートに戻って、東の壁に貼ってある予定表を見てくれ。棚の中に置いてある教科書とノートを持っていって、講義の内容をノートに書いて貰えばいいよ」
 「分かった」
 「冷蔵庫の中にあるものを適当に食べてもいいからな」
 「分かったわ」
 「じゃあ、頼んだぞ」
 「あなたも頑張って」
 「ああ」
 ドアが叩かれた。
 「美保。まだなの?」
 「今行くわよ」
 ドアを開くと、斉藤という女が立っていた。俺は、中にいる俺になった美保が見つからないように急いでドアを閉めた。

 医師会病院は、看護学生寮から歩いて5分ほどのところにある。寮から40人ばかりのナース服に身を包んだ乙女たちがぞろぞろと歩いて行く。その集団がいくつかに分散し始めた。
 「俺はどこへ行ったらいいんだ?」
 困っていると、佐久洋子が俺の腕を掴んだ。
 「美保。一緒に行こう」
 行く場所が同じようだ。俺はホッとして、一緒にエレベーターに乗った。降りたのは、4回病棟だった。内科の病棟のようだ。
 ナースステーションへ行くと、本職の看護婦たちがカルテを見たりしながらうろうろしていた。
 俺を含む看護学生は、窓際に並んで申し送りが始まるのを待っていた。テレビなんかで、夜勤の看護婦が昼間の看護婦に申し送りをするシーンを見ていたから、そんなことが行われるのだろうと思っていたのに、婦長らしい年寄りのでっぷりと太った看護婦が今日も頑張りましょうとと言って、申し送りらしいものは終わってしまった。
 「立野さん。あなたは、401と402、411の検温をやって」
 「はい」
 と答えたものの、どうしていいのか分からない。その場に突っ立っていると、俺に検温しろと言った看護婦が、検温板なるものを手渡して言った。
 「実習をサボるから、何にも分からないでしょう? 早く行きなさい」
 ともかく401号室へ行くことにした。
 「立野さん。血圧計を持って行きなさい」
 血圧計ねえ。血圧なんて測ったことないけど、どうすりゃいいんだろうか? 血圧計を俺は見つめていた。
 「血圧の計り方を忘れたって訳じゃないでしょうね」
 「はあ・・・・」
 「まったく困った人ね。こうするのよ」
 厳しい言葉をかけながらも、親切に教えてくれた。
 「早く行ってきなさい」
 急き立てられて、俺は401号室へ行った。

 401号室は男部屋で、今にも死にそうなお年寄り、顔色が悪くてしかも人相の悪い男、青白い若い男、それにどこが悪いのか分からない元気そうな中年の男の4人がいた。
 「検温でえす」
 俺はできるだけ明るい声でそう言いながら部屋の中へ入った。
 「おっ! かわいこちゃん、久しぶりだな」
 病人らしくない男、森がにこにこしながら声をかけてきた。
 「ハイ。お久しぶり。体温測ってね」
 俺は体温計を渡す。3人は自分で脇の下に体温計を挿んでいるが、お年寄りはもたもたしていた。手伝ってやって、脇の下に入れてやった。
 しばらくして、体温計がピピピッと鳴った。
 「6度7分だな」
 「5度8分」
 「7度3分」
 名前を確かめて、体温板に記録する。お年寄りの体温計を取りだして見た。
 「8度2分。熱があるみたい」
 血圧を測ってみた。ぜんぜん上手く行かない。何度も何度も測ってみたけど、どうしても分からない。
 「おい、おい。大丈夫かよ」
 後ろから茶化す。
 「どうしたの?」
 ナースキャップに一本線の入った主任さんがやってきた。
 「測れないんです」
 「ちょっと代わりなさい」
 主任さんが血圧を測り始めた。
 「あら、かなり低いわね」
 「熱があるみたいです」
 「何度?」
 「8度2分です」
 「先生に連絡しなくちゃ。立野さん、あなたは他の人の検温を続けなさい。わたしが連絡してくるから」
 「分かりました」
 お年寄りは、具合が悪そうだ。横目で見ながら、他の3人の血圧を測った。上手く行った。
 「脈は取らないの?」
 そう言われて脈拍を測った。記録をすませて病室を出ようとすると、森にお尻を触られた。男だって、他人にお尻を触られたりしたら気持ち悪い。今は女だ。さらに気分が悪い。看護学生と患者がどう言う立場なのか分からないけど、俺は触られた瞬間、あまりのおぞましさに森のほっぺたを撲っ叩いてやった。
 「エッチ!!」
 「えへへへへ・・・・」
 俺に叩かれたほっぺたをさすりながら、森はニヤッと笑った。イヤなやつだ。

 隣の402号室は女部屋だった。女同士と言うことで気楽に検温をすませた。

 俺が俺であるとき、つまり男であるとき、同性である男は別に何にも考えなくてすむ気楽な存在だ。しかし、今俺が女として存在している状態では、男は汚らわしく、そばにいて欲しくない存在だ。森の行動が俺にそう思わせるのかもしれないが・・・・。

 402号室を出るとき、発熱していたお年寄りが個室へ移動させられていた。医者が青い顔をして指示を出していたから、かなり容態が悪そうだ。

 411号室のドアをノックして中に入った。
 「検温に来ました」
 俺をじろりと睨んだのは、401号室にいた顔色の悪い男よりもさらに人相の悪い男だった。
 「7度2分だ」
 体温を測っていたらしく、俺に体温計を手渡してそう言った。俺は、手首を取って脈を測った。
 「何しているやつだろうか? やくざかいな?」
 そう思いながら、血圧を測った。
 「いくらだ?」
 「えっと・・・・、180の96です」
 「そんなに高いはずはない」
 「でも、それくらいありますよ」
 「もう一度測れ」
 ちょっとムッときたが、もう一度測ってみた。
 「178の98です」
 「学生じゃなくて、ちゃんとした看護婦に測らせろ」
 むかついた。誰が測っても同じだと思うけどなと思いながらも、後で美保に迷惑になっちゃいけないといい子ちゃんになった。
 「じゃあ、あとで主任さんに測って貰います」
 「そうしてくれ」
 ナースステーションに戻り、主任さんに411号室での出来事を話した。
 「我が儘なのよね、あの人は。いいわ。わたしが測ってきてあげる」
 主任さんが411号室へ向かって立ち去ったあと、俺は411号室の患者のカルテを開いてみた。
 「県会議員! 威張ってるはずだ」
 俺は納得した。

 体温板に記録したものを看護カルテに移し直す。体温と脈拍はグラフにする。一緒に聞いてきた排尿回数と排便回数を記録する。そんな簡単なことをやるのに、昼近くまでかかってしまった。
 「昼食の準備をするわよ」
 主任の声に、ナース服の上からピンク色のエプロンをして、食堂のテーブルに昼食を並べていった。そうそう。エプロンをしてって、簡単に言ったけど、エプロンなどしたことのない俺にとって、エプロンひとつするのもそう容易ではない。
 「ぼく? 俺の飯はどこだ?」
 401号室の森が、俺に向かってそう叫ぶ。髪の毛をあげているから男の子に見えるかもしれないが、ナース服はスカートだろう? ぼくって呼ぶことはないだろうに。ムカッときた俺は声が聞こえなかった振りをして、他の患者さんの食器を並べた。

 昼食の準備が整うと、俺たち看護学生は寮へ戻った。昼食をすませてから、俺はアパートへ電話をかけた。
 「もしもし、美保です」
 《ああ、迫村さん。上手くいってる?》
 「ええ、ばっちりよ」
 《よかった》
 「そっちは?」
 《きついばっかりだったわ。大学の講義って、あんなものなの?》
 「そうよ。いつも退屈してるわ」
 《そう。がっかりしちゃった。看護学校の方がうんと役に立つことを教えてくれるわ》
 「そうかもしれないわね」
 《夕方、ナンパに行こうって、金城さんに誘われたんだけど、どうしたらいいの?》
 「行ってもいいけど、もし成功したら、あなた、やれるの?」
 《と、とんでもないわ》
 「でしょう? 体調が悪いとか何とか言って、断りなさいよ」
 《分かった。そうするわ》
 「夕方。そっちにいくから」
 《ここへ?》
 「あなたがここに来るわけにはいかないでしょう? ここは女子寮なんだから」
 《あ、そうね。じゃあ、待ってるわ》
 「じゃあ、夕方」
 電話を切ると、岩橋がにやにや笑って俺を見た。
 「彼氏なの?」
 「そう。デートのお約束」
 「あんたって、彼氏を作るのが上手なのね」
 「わたし、美人だもん。男が放っておかないのよね」
 俺はすましてそう答えて、寮を走り出て病院へ向かった。