大家に引っ越すことを連絡して、荷物の整理を始めた。沼田父子のものは、雑巾のように薄汚れた衣服くらいしかなかったので捨ててしまうことにした。
沼田老人が使っていたブリキの缶を捨てようとして、ふと中を開いてみた。ブリキ缶の底に、新聞の切れ端と、免許証が入っていた。その免許証を見て、ビックリした。わたしの写真が貼られていたのだ。
近藤美晴。昭和37年7月15日生まれ。本籍大分県大分市。現住所福岡市香住ヶ丘になっていた。ゴールドカードで、有効期限が切れるまで、まだ3ヶ月あった。
沼田老人が、わたしに名前を付けたとき、空が美しく晴れ上がっているから、美晴にしようと言ったが、あれはわたしの本名を知っての上で付けた名前だったのだ。
新聞の切れ端を手に取ってみると、『夫の四十九日に自殺?』の文字。『福岡市志賀島の海岸で、近藤美晴さん所有の自家用車が発見され、すぐ近くに遺書と揃えられた靴が見つかった。この日は夫・誠次さんの四十九日にあたり、後追い自殺したものと思われる。なお、遺体はまだ見つかっていない』との記事が書かれていた。
沼田老人は、わたしの身元を知っていた。知っていながら、どうしてわたしに黙っていたのだろうか?
もう一度ブリキ缶の中を見ると、沼田老人の若い頃らしい写真が入っていた。綺麗な奥さんと一緒に写った写真だった。その女性は、どこかわたしに似ていると思った。沼田老人は、わたしに奥さんの面影を見ていたのかもしれない。妻に面影の似たわたしを側に置いておきたかったのに違いない。だから、引き留めておくために、わたしの身元が分からないと嘘を言っていたのだろう。
新聞の記事によれば、もう死んでしまっているけれど、わたしには夫がいた。他の家族はどうなっているんだろうか? こどもがいるのでは? いても立ってもいられなくなった。あんな仕事をしていたことが知られるかもしれないけれど、帰らないわけにはいかない。
「今村先生。そう言うわけですから、免許証に書かれた福岡の現住所を尋ねてみます」
「分かった。家族がいたら、そこへ帰るんだね」
「・・・・はい。先生には、ご心配をかけましたけど、家族がいるのなら、わたし、帰らなければ」
「そうだね。お金は? お金はあるのかい?」
「あと、3万ほど・・・・」
「3万じゃあ、旅費を出すとなくなってしまうだろう。わたしが餞別をあげよう」
「そんなわけには・・・・」
「いいから、取っておきなさい。お金はあって困るものじゃない」
「すみません。必ずお返ししますから」
今村先生は、餞別として、わたしに5万円の入った封筒を手渡してくれた。わたしのような女のために、どうしてここまでやってくれるのだろうか? 涙が出た。
バッグに荷物を詰め、テレビやいくつかの家財道具を今村医院に預けて(帰って来なければ、使って貰うか捨てて貰うつもりで)、福岡へ向かった。
1年前まで住んでいた家にたどり着けば、記憶が戻るのでは思った。だけど、まったくその徴候はなかった。免許証に示された住所にある家は、まるで見覚えのないものだった。表札は近藤ではなく、山本になっていた。免許証の住所をもう一度確かめた。間違いない。わたしは呼び鈴を押した。
「はい、どなたでしょうか?」
「あのう、近藤さんを訪ねてきたんですけど、ここじゃなかったですか?」
「さあ、先月、不動産を通じてここを買ったから、わたし、知らないんですけど」
「そうですか?」
諦めて門を出ると、不思議そうな顔をしている女性に出会った。
「近藤さんじゃ、ないですか?」
「はあ。あのう、わたしをご存じなんですか?」
「あなた、生きとったの?」
「え、ええ。わたし、近藤美晴ですよね?」
女性は首を傾げる。
「ええ。近藤さんに間違いないと思いますが・・・・」
「わたし、記憶をなくしてしまって・・・・」
「記憶喪失・・・・」
「わたしの家族はどうしてます?」
「ご主人が亡くなって、他には家族はおりませんよ」
「そう・・・・。わたしには、こどもはいなかったんですね」
「できないって悩んどったわね」
「そうですか。じゃあ、わたしか夫の両親は、ご存じないですか?」
「あなたのご両親は亡くなったって聞いたけど、ご主人のご両親が大分にいるはずよ」
「大分・・・・。住所はご存じないでしょうね?」
「聞いたことないけど、あなたの失踪届を出しているでしょう? 警察に行ったら、教えてばもらえるじゃないですか?」
「そう。ありがとうございました。すぐに警察に行ってみます」
警察署に行き、事情を説明した。失踪届を取り消して貰い、亡夫・近藤誠次の両親の現住所を教えて貰った。すぐに近藤の両親の元へと向かった。
大分駅から、教えて貰った住所へタクシーを飛ばした。着いた家も記憶になかった。
「ごめんください」
顔を出した老女は、わたしの顔を見て呆然と立ちつくした。その顔にも覚えがなかった。
「美晴さん・・・・、あなた、生きとったの?」
「わたしは、やっぱり美晴なんですね?」
「どういうこと? あ、ここじゃ何だから、あがって」
「は、はい」
「あなた! あなた!! 美晴さんが帰ってきたわよ」
リビングに通されると、白髪の老人が座っていた。懐かしいような気がしたが、記憶は戻らなかった。
「美晴さん、生きとったのか?」
「はい。でも、以前の記憶がないんです」
「記憶がない?」
わたしは、海岸で倒れていたところを沼田父子に助けられたことから、話して聞かせた。もちろん、あの仕事をしていたことは伏せた。
「美晴さん、これからどうするの?」
「お二人以外は、わたしには親族らしい人はいないし、そのお二人も、記憶のない今のわたしにはまるで他人で。どうしたらいいのか・・・・」
「そう。娘夫婦が一緒だから、ここには住まわしてあげられないわね。どこかアパートでも借りる?」
「借りるには、お金もいることですし・・・・。娘さん夫婦がいらっしゃるのなら、わたしがいなくてもいいですね」
「え、ええ」
「今村先生の病院へ戻ります。お金を借りてきていますし、記憶のないわたしがここにいれば、かえってご迷惑でしょうから」
「大丈夫なの?」
「1年も暮らしてこられたんですから、大丈夫だと思います」
「何か力になれることがあったら、遠慮なく戻ってくるのよ」
「はい。ありがとうございます。その時はよろしくお願いいたします」
近藤の家を出るとき、当座の生活費にと5万円を手渡してくれた。亡くなった夫の保険金や福岡の家を売ったお金があるのではないかと思ったけれど、わたしには他人としか思えない。何も言わずに受け取って、今村医院へ戻った。
「お帰り。どうだった?」
今村医師はすごく嬉しそうな笑顔でわたしを迎えてくれた。
「わたしにはこどもはいないようです。わたしの両親も亡くなっていました。亡くなった夫の両親が大分にいたんですけど、ぜんぜん思い出せなくって」
「そうか。もしかすると、記憶が戻るかと思ったんだが・・・・」
「まるで赤の他人のように思えるから、こっちで暮らした方がいいと思って」
「そうだね。記憶が戻って、こっちがイヤになるまでいてくれ」
「イヤになったりしません」
「そう言ってくれると嬉しいな。ところで、美晴君は、もうすぐ39になるんだね」
「あ、はい。そうですね」
沼田老人が33と言ったから、33で通し、1年たったから、34のはずだったけど、免許証の誕生日を見ると5歳もさばを読んでいたことになる。
「美晴君は若く見えるね。34のままでもよかったんじゃないか?」
「確たる証拠がありますから」
「そうだな」
翌日から、再び今村医院の事務員として働き始めた。忙しいけど楽しい職場だ。後ろめたさもない。今村医師は、わたしに迫ったりしない。わたしをあんな仕事から救い出すだけが目的だったようだ。ますます好きになった。
3年たって42歳の誕生日を迎えた日、今村医師が、誕生日のお祝いにと食事に誘ってくれた。
食事が終わって、今村医師は、いつものにこにこ顔から、まじめな顔になってわたしに言った。
「今日は、美晴君にお願いがあるんだ」
「お願い? いったい、何でしょうか?」
「ぼくと結婚してくれないか?」
驚いたのってなかった。わたしは、呆然として今村医師に顔を見た。
「いいだろう? 返事は?」
「待ってください。わたし、先生のおかげで今はまともな仕事をしているけど、あんな仕事をしてたんですよ。汚れた体なのに、先生となんか・・・・」
「関係ないさ。心が汚れていなければ、問題ない」
「でも、病院に来る患者さんがなんて言うか・・・・」
「美晴君と毎日やってると思われているよ」
「ええっ!?」
「美晴君を雇った目的は、そこにあるってみんなに言われているんだ」
「そんな・・・・」
「だから、今更なのさ。美晴君と結婚しても、誰もとやかく言わない。むしろきちんとした方が、ぼくの体面は保たれるんだよ」
「でも・・・・」
「それとも、ぼくとじゃあ、イヤか?」
「そ、そんなことありません」
「じゃあ、結婚しよう」
今村医師と結婚してしまった。わたし42歳、今村医師50歳だった。
金儲けのためではなく、患者のためだけに医療をしている今村医院の経営は、決していいものではなかった。だけど、恩を受けた患者さんにも支えられ、何とか倒産せずにやっていた。
わたしが今村美晴となって20年あまりがたった春。体調の不良を訴えていた今村が倒れた。肝臓癌だった。
半年あまりの闘病生活の末、今村は亡くなった。医師会の方針に反対して、独自の道を歩いてきた今村の葬儀には、いわゆる偉い人たちは一人も来なかった。しかし、いつも世話をしていた患者さんたちが大勢来てくれた。
今村には跡継ぎがおらず、今村医院は閉めざるを得ないと思っていた。しかし、こどもの頃今村に助けられたという青年医師が、今村の病院を継いでくれることになった。わたしは、その青年医師に病院を無償で譲り渡した。
どこか田舎にでも行って、ゆったりと暮らすつもりでいた。病院の明け渡しをするために、金庫の整理をしていると、一番奥に茶色に焼けたカルテが出てきた。カルテの表紙は、沼田美晴になっていた。
「わたしのカルテだ。どうしてこんなところに・・・・」
カルテを開いてみた。ドイツ語で書かれているから、よく分からない。辞書を片手に内容を調べてみた。
最初のページは、沼田老人の要請で、あのバラック小屋に往診したときのものだった。次のページの中程に、不妊を訴えて受診したときの記事が書かれていた。
一行目は、『外陰部:異常なし』。次は、腟内超音波検査の所見だった。『子宮:欠如』『卵巣:両側とも同定できず』。次ぎにクスコによる腟内の所見が書かれてあった。『正常腟壁ではない』。そして、次の行に、『外陰部異常なしを訂正する。MTF!』の文字。MTFは辞書には載っていなかった。何の略号だろうか?
MTF? 別の辞書にも載っていなかった。わたしは、60になってから始めたインターネットで検索してみることにした。
MFTが示すものが『male to female』、つまり男性から女性への性転換を示すものと知ってどれほど驚いたことか? わたしは、男だったの?
信じられなかった。沼田父子に海岸に倒れているのを発見されて以来、ずっとわたしは自分のことを女だと思って疑ったことはない。パラダイスで働いていたときだって、男は誰もわたしが女じゃないなんて言わなかった。その前だって、わたしは近藤誠次と結婚していたし、戸籍も女だ。しかも、カルテの記載がホントなら、今村は、わたしが元男性であったことを知った上で、結婚したことになる。そんなことがあり得るのだろうか? 嘘に決まっている。
「嘘よ! 嘘に決まってる!!」
しかし・・・・。今村が嘘の記述をするはずはなかった。
幼い頃の記憶が、戻りそうな予感がし始めた。記憶が戻れば、わたしが男だったのか女なのか分かるはずだ。
頭の中に、ある中学校の名前が浮かんだ。別府市、別府市立・・・・東中学校という名前だ。行ってみよう。そこに行けば、記憶が戻るような気がした。
別府駅で電車を降り、別府市立東中学校へ向かった。正門を入る。記憶は戻らない。近代的な鉄筋に建て替わり、50年前とはまったく違っていると、出てきた用務員に聞かされた。
スタンドに座って、こどもたちがスポーツをするグラウンドを眺めた。その時、記憶がフラッシュバックしてきた。
右手に野球部の練習場がある。あそこに、のちにわたしの夫となった近藤誠次がいた。左手奥にはテニスコート。初恋の人、遠藤ミチルの顔が浮かんできた。
思い出した。わたしの本名は、宮本勇一。わたしは男だった。