第3章 泥にまみれた鶴

 ふたりを誤魔化して、『ファッションヘルス・パラダイス』と書かれた、いかがわしい場所で働き始めた。
 最初のお客は、30前後のトラックの運転手だった。
 「新人だってねえ。頼むぜ。溜まってんだ」
 2000円をわたしに手渡しながら、その男はにやりと笑った。
 「よろしくお願いします」
 トランクスの上から優しく撫でてやり、トランクスの穴からペニスを取り出す。若い割にあんまり固くなっていなかった。
 「元気が今ひとつね」
 「あれ? どうしたのかな? 緊張してんのかな?」
 「すぐに元気にしてあげる」
 右手で握って、ゆっくりしごきながら、左手の指でカリの部分や紐の部分をそっと刺激してやった。見る見るうちに固くなってきた。
 「うううっ。い、いいぜ! 行きそうだあ」
 5分もしないうちに爆発してしまった。
 「気持ちよかったぜ。あんたは上手い。また来るからな」

 初日は、3人だけだった。それでも3000円。コンビニで貰う給料の倍。5時間働いていたときのほぼ5割り増し。殆どの男が10分以内に終わる。楽な仕事だ。恥や外聞を考えなければ、こんなにいい仕事はないと言える。
 翌日も、トラックの運転手がやってきた。
 「また来たぜ。今日は、もう少し保たせるからな」
 そう言ったが、5分と保たなかった。
 「くそう。あんたは上手すぎる。明日は、10分は保たせるからな」
 「明日も来てくれるの?」
 「ああ、また来てやる。あ、そうそう。俺の仲間を連れてきた。楽しませてやってくれ」
 入れ替わりに入ってきた男は、元永という男の高校の後輩で、25だと言った。
 「彼女に振られちゃってさあ。このところ、ご無沙汰なんだ。かなり溜まってるんだ」
 「今だけ、彼女になってあげるわ」
 「年下がいいけどな」
 「贅沢言わないでよ。お姉さんの方が、テクニックがいいのよ」
 わたしは、一体何をしていた女なのだろう。同じようなセックス産業に勤めていたのだろうか? 男を相手にするのになれているような気がする。
 「先輩よりも保ったわね」
 「そんなこと言ったら、殺されそうだよ」
 「黙っててあげるわ」
 「また来るよ」
 「彼女を見つけて、やって貰いなさい」
 「見つかるまで来る」
 「あんまり稼がせないでね」
 「・・・・そうだな」
 はにかみながら、出ていった。

 次第にお客が増えてきた。一日10人前後相手をするようになった。実働1時間前後、雰囲気を盛り上げるために話しをする時間を入れても2時間で、1万円の稼ぎ。こんなところで働く女が抜けられなくなるはずだ。

 「なあ、八重ちゃん。今日は口を使ってくれないか? 倍、出すからさあ」
 わたしは、この店では八重と名乗っていた。何となくその名前が浮かんだからだ。フェラチオを要求されるのは、初めてじゃない。それまで、ずっと断ってきていた。
 「・・・・元永さん、いつも来てくれるからねえ」
 「そうだろう? なあ、頼むよ」
 口を使ったって、本番する訳じゃない。そう割り切ってやってやることにした。
 「分かった。やってあげるわ」
 4000円手に入ったけど、店には黙っていて、1000円だけを差し出した。店にはばれていない。

 一週間ほどして、フェラチオして余分にお金を貰っていることが店にばれた。
 「八重ちゃん、困るなあ。道義違反だよ。半分出して貰わないと」
 「フェラしようとしまいと、経費は同じでしょう?」
 「そんなこと関係ないんだよ。稼ぎの半分を店に出す。それがこの店のルールだ。分かったな。不満なら、止めてもいいんだぞ」
 わたしを勧誘したときとはうって変わったやくざのような態度に、わたしは恐れおののいた。実際、入れ墨をしているから、やくざなのかもしれない。
 「これまでの分まで出せとは言わない。次の分から、半分出すんだぞ。いいな」
 「・・・・はい」

 実入りが3000円から2000円に減るけど、こそこそすることがなくなって、安心してフェラチオで稼げるようになった。
 一日2万円が手に入るようになって、わたしはふたりを説得して、バラック小屋から2DKのアパートを借りて移った。ホントはもっといいアパートだって借りられたのだけど、コンビニで働いていると誤魔化していたから、そうもできなかった。
 いい食事をさせてやり、いい服も着せてやれる。人に言えない仕事をしながらも、わたしは満足していた。

 いつもの元永がやってきた。元永は週に3,4回はやってくる。
 「なあ、八重さん。一発やらしてくれないか?」
 「本番のこと?」
 「そうだよ」
 「それだけはダメ!」
 「そんなこと言わないでさあ。頼むよ。減るもんじゃないだろう?」
 「それだけはダメ。絶対やらない」
 「だめかよ。あああ、金、貯めてきたのになあ」
 そう言って、一万円札をわたしの目の前にかざした。お金はいくらあってもいいけど、本番だけはしたくなかった。
 「ダメだっていったら、ダメよ。諦めて」
 「そうか。ダメか。じゃあ、諦める。口でやってくれ」
 元永以外にも、本番を要求されたが、全部断った。良一に悪いと思ったからだ。入籍はしていなくても、夫がいるのだから。

 「美晴ちゃん。コンビニってのは、そんなにいい給料をくれるのか?」
 沼田老人が、ぽつりとそう言った。
 「あ、ああ。最近売り上げがよくって。給料を上げてくれたの」
 「時給、いくらじゃ?」
 「あ、えっ! 時給は・・・・」
 「ホントにコンビニで働いているのか?」
 「あ、はい。いつものコンビニで」
 「今日店に行ったが、いなかったな」
 「と、トイレに行ってたから・・・・」
 「2時間もトイレか?」
 もう言い訳できなかった。
 「良ちゃんには言わないでね。実は・・・・、ファッションヘルスで働いてるの」
 「ファッションヘルスか・・・・。まさか、本番まではやってないじゃろうな」
 「それだけはしてない! わたしは良ちゃんのものですから」
 「そうか。・・・・良一には黙っていよう。美晴ちゃんは、儂たちのために頑張ってくれてるんだからな」
 「こんな仕事しかないから・・・・」
 「儂らのことは忘れて、どこぞ、他のところへ行けば、そんな仕事はしなくてすむじゃろうに・・・・」
 「いいんです。命を助けていただいたお礼ですから」
 「もういいと言ってるのに」
 「わたしの気が済みませんから」
 「そうか・・・・」
 ゴホゴホと咳をしながら、沼田老人は、床の中に入った。

 元永は、店に来るたびに本番を要求してくる。様子を伺ってみると、他の女の子たちは本番をやっているようだ。本番に応じないのは、この店の中ではどうもわたしだけらしい。指先だけの簡単な仕事と言いながら、次第に深みにはまらせてしまうようだ。こんなこと、以前もあったような・・・・。そんな気がする。

 沼田老人の様子がおかしい。咳ばかりしていて、床に横になっていることが多くなった。
 「風邪じゃよ」
 そう言ったが、熱はなかった。風邪じゃない。そう思ったわたしは、今村医師の往診を頼んだ。
 「余計なことをしよって・・・・」
 にくたれ口を叩きながらも、嬉しそうな顔をしていた。
 「美晴さん、ちょっと」
 今村医師に呼ばれたとき、イヤな予感がした。
 「風邪じゃないな。おかしいよ」
 「何なの?」
 「肺癌かもしれない」
 「肺癌!」
 「恐らくぼくの手には負えないだろう。大きな病院へ連れていった方がいい。紹介状を書いてあげよう」

 紹介状を持って、山の手にある市民病院へ沼田老人を連れて行った。
 「保険がないんですか? 高くなりますよ」
 保険がなければ、まともな人間じゃないというような目で、受付の女性がそう言った。
 「すぐに手続きします。今日のところは自費でお願いします」
 「分かりました」
 病院の中は、患者で溢れていた。少しはまともな服を着せてあげたのに、沼田老人は、まるで浮浪者のようだ。わたしたちを見ると、周りの人間は少し距離をおいて座り、空間ができた。こんなことには、もう慣れたはずなのに、悔しい思いが募る。同じ人間なのに、人は人を見かけで判断する。
 2時間待たされて、診察室に呼ばれた。
 「南部地区の人か・・・・」
 若い医者はあからさまに嫌な顔をした。紹介状をざっとみると、沼田老人をベッドに休ませて、簡単に診察し、看護婦に指示を出した。
 「胸部レントゲンを撮りましょう。CTも取りたいところだが、保険の手続きを済ませてからにしよう。それでいいですね」
 ちょっとは気を使ってくれたようだ。わたしはレントゲン室へ沼田老人を連れていった。咳だけで、元気だと思っていたのに、沼田老人は、フウフウと肩で息をして、歩くのがやっとなのだ。困り果てていると、通りがかりの看護婦が声をかけてきた。
 「車椅子、お持ちしましょうか?」
 「あ、はい。お願いいたします」
 病院の職員は冷たそうに見えたのに、案外優しくしてくれる。少し安心した。

 「これは・・・・。すぐに、入院して貰いましょう。沼田さん、いいですね」
 レントゲン写真を見るなり、医者はわたしに向かって言った。レントゲン写真には、素人でも分かるような大きな影が映っていた。
 「はい。お願いします」
 入院手続きをしていると、福祉係という人がやってきた。
 「保険がないって聞いたけど、収入はどうなってます?」
 「あ、あのう。わたしがパートで・・・・」
 いかがわしい場所に勤めているなんて言えない。
 「あなたのご主人の収入は?」
 「ほんのわずかです」
 「入院費は払えそうですか?」
 「・・・・はっきり言って、難しいと思います」
 「じゃあ、医療保護の申請をしましょう。そうすれば、ただで治療が受けられます」
 「そうですか。それはありがとうございます」
 貯金は、30万ほどになっていた。だけど、すぐになくなってしまいそうで心配していたのだ。医療保護を受けられれば、安心して治療を受けさせられる。

 医療保護が受けられると言う前提で検査が進められていった。CT、気管支鏡検査が行われた。その間、点滴と酸素吸入が行われていた。
 「沼田さん、ちょっと」
 福祉係に手招きされた。深刻そうな顔をしている。
 「あのう、何か?」
 「沼田三郎さんは、住民登録されていません。だから、医療保護が申請できないのです」
 「ホントに?」
 「本籍はどこでしょうか? 本籍は分かれば、その県に連絡して、こちらで手続きをしてあげられます」
 「本籍ですね。ちょっと聞いてきます」
 病室に戻り、沼田老人に聞いてみた。
 「・・・・戸籍は、・・・・ないんじゃよ」
 「戸籍がないの? どうして?」
 「売った」
 「売った?」
 「金に困ってたからな」
 いくら金に困ったからといって、戸籍まで売ってしまうなんて・・・・。わたしは福祉係の元に戻った。
 「売っちゃったんですか? あそこの人はそんな人が多いんですよね。・・・・困りましたね。買ったの方も犯罪だから、本人が使うのは構わないでしょう。もう一度聞いてくださる?」
 「それが、どうしても言いたくないんですって」
 「それじゃあ、申請ができませんよ」
 「わたしが何とかします」
 「何とかって?」
 「自費なら診てくれるんでしょう?」
 「それはそうですけど・・・・」

 「沼田さん、ちょっといいですか?」
 入院して5日目の夕方、担当の医者に呼ばれた。CTのフィルムや、気管支鏡のポラロイドフィルムをわたしに見せながら、説明してくれた。
 「小細胞癌という極めて悪性度の高い肺癌です」
 「やっぱり、肺癌ですか。治るんでしょうか?」
 「あまりに進みすぎていて・・・・」
 そう言われなくても漠然と分かっていた。
 「どうすれば?」
 「放射線と抗ガン剤をやってみましょう。そうすれば、いくらか長く生きられます」
 「いくらと言いますと?」
 「このまま何もしなければ、一ヶ月。治療して上手くいけば、3ヶ月から、1年は生きられるでしょう」
 「上手くいっても1年なんですか?」
 「気の毒ですが、こうなってしまっては・・・・」
 「少しでも長生きして欲しいんです。お願いします」
 「でも、自費でしょう? 大丈夫ですか?」
 「お金なら、何とかします。どうかお願いいたします」
 「分かりました。できる限りのことはします」

 入院して2週間目に最初の支払い請求書が来た。その時点で、貯金は0になった。看病していたら、次回の支払いができなくなる。わたしは、夕方から、良一に看病を代わって貰い、働きに出た。それもある決心をして。
 わたしは、現在一日2万は稼いでいる。月に60万になるとしても、全額自費の治療費は月100万を越えると聞かされていた。治療費を支払って、良一とわたしが暮らしていくためにはそうせざるを得ないのだ。

 最初の客は要求しなかったから、フェラだけで済ませた。次の客は、あの元永だった。
 「なあ、八重ちゃん。そろそろ本番やらせて貰ってもいいだろう?」
 「いつも来てくれるからねえ・・・・」
 「えっ!? ほんと? ホントにやらせてもらえるの?」
 「いいわ。やったげる」
 「やったあ」
 愛撫も何もない、ジェリーをたっぷり塗ったコンドームを付けさせて、わたしの中に導く。まるで便器の中に小便をするように、元永はわたしの中に放出した。
 「最高だよ。時間がもう少しあるから、もう一発いいか?」
 「元気なのね。時間内なら、何発でもいいわよ」
 元永は、時間を延長して、3回わたしの中へ放出していった。元永が、外に出て他の客に告げたらしく、次の客にも本番を要求された。わたしは拒まず、それに応じた。
 本番に応じると、客から8000円貰う。そのうち、5000円がわたしの実入りとなる。同じような店では、店と折半だと聞いた。だから、手や口でやるより、遙かに実入りがいい。この店の女の子が皆本番をやっているひとつの理由だ。

 初日は、5万2000円になった。股間が痛い。こんなこと、ホントに毎日やれるのだろうか? だけど、支払いのためにはやらざるを得ない。命の恩人への恩返しなのだから。