第2章 鶴の恩返し

 二ヶ月が過ぎた。わたしは、沼田父子とともに暮らしている。わたしはまるで妻のように切り盛りしていた。妻のようにと言っても、家事だけのことで、沼田老人は、70を越えているからか、まったくその気がない。良一の方は、年だけは食っているが、まるで小学生のようなもので、わたしに性的興味を持っていない。

 「美晴さん、いつまでここにいてくれるかのう?」
 「えっ!? いつまでって・・・・」
 「あんたの命を助けた恩は充分返して貰った。もう、ここを出ていった方がいいんじゃないのかね」
 「あ、ええ。でも、どこに行く宛もないから・・・・」
 「そうか、そうじゃのう・・・・」
 沼田老人は、しばらく腕組みをして考えていた。
 「美晴さん。良一のことをどう思う?」
 「どう思うって、いい人だと思うわ」
 「まさか、あいつと一緒になってくれるつもりはないだろうね」
 「ええっ!?」
 驚いた。だけど、沼田老人の目を見ると、本気のようだ。
 「知恵は遅れておるが、素直ないい子じゃ。どうじゃろう?」
 「・・・・そうですね」
 「やっぱり無理じゃろうな。知恵遅れの上に、こんな生活をしておるんじゃから」
 「あ、いえ、そんなことは・・・・」
 「忘れてくれ。あんたの好きなようにしてくれ」
 知恵遅れとか、稼ぎがないかという前に、わたしは良一のことが気になるようになっていた。わたしを母のように慕ってくれる良一。まるで天使のようだと思っていた。
 誰もわたしを捜していない。わたしは必要とされていないのだ。だけど、ここには、わたしを必要としている人がいる。結婚までは、まだ考えられないけれど、もうしばらくここにいようと決めた。
 このままここで暮らしていくためには、今のままではだめだ。わたしが少しでも稼げば何とかなるかもしれない。そう思ったわたしは、パートの仕事を探すことにした。

 川のこちら側には、わたしが働けるような場所はなかった。川向こうはと言うと・・・・。
 「南部地区に住んでる? お断りだ。どんなに美人でも、あそこの住人は雇えない」
 「南部地区? だめ、だめ」
 何軒断られただろうか? これほど差別がひどいとは思わなかった。わたしは、南部地区の住人ではないけれど、そうでないという証拠がない限り、雇ってくれそうもない。
 諦めかけたとき、雇ってくれるコンビニが見つかった。
 「いいよ。仕事は午前10時から、午後4時まで。昼休みは1時間。つまり、5時間というわけだ。時給は、450円。いいかな?」
 「時給450円!?」
 「いやなら、やめてもいいよ」
 南部地区に住んでいるのに雇ってやるんだから、我慢しろと言う様子だった。お金に困っていなかったら、断るところだけど、仕方がない。
 「お願いします」
 「じゃあ、明日からでも」
 「明日から伺います」

 沼田老人が拾ってきた自転車に乗って、コンビニに勤め始めた。一日2250円の収入。昼ご飯として店でパンと牛乳を買って食べる。持って帰るのは、2100円あまり。それでも、これまでの収入からすれば大きな収入だった。だから、かなり食事の内容がよくなった。
 「すまんな。美晴さんの世話になって」
 「いいんです。命を助けて貰ったんですもの。これくらいじゃ、安いくらいです」

 それから十日ほどたって、わたしは、意を決して命の恩人である良一を布団の中に誘った。ところが、良一はキスの仕方すら知らないのだ。キスしてやったら、唇を拭って困惑した顔をしていた。
 わたしは胸をはだけて見せた。その時の良一は、嬉しそうな笑顔になった。だがしかし、わたしの乳首に吸い付いて眠ってしまった。
 「女とセックスすることなんて、教えてやってないもんじゃからのう・・・・」
 わたしが沼田老人に報告すると、そう言って溜息を付いた。

 次の夜、わたしは良一のトランクスを下げてやって、フェラチオをしてやった。良一は驚いたような顔をしていたが、気持ちよさそうに、わたしの口の中へ射精した。
 フェラチオしながら、わたしは何か思い出しそうになった。だけど、すぐに消えてしまって思い出せなかった。翌日も、その翌日も良一にフェラチオをしてやった。記憶が戻る兆しはもう二度と現れなかった。
 5日目の夜、わたしは、口で刺激して勃起した良一のペニスをわたしの中へ導いた。
 「動かして。そう。そうするのよ。うまいわ。そうよ」
 良一はわたしの手で童貞を失った。翌日から、良一は、わたしの誘導なしにわたしとやれるようになった。だけど、それは簡単なものだった。キスをして、乳房をちょっとの間弄び、まだ濡れてきていないわたしの中へ挿入すると、あっと言う間に行ってしまう。
 わたしとしては不満が残るけど、満足そうにしている良一を見ていると、これでいいのだと思っていた。

 わたしが沼田父子に助けられて半年が経った。朝食事を作って、食べさせ、3人一緒に仕事に出かける。夕方買い物をして帰って、夕食の準備。夕食後、近くの銭湯まで歩いていく。沼田老人と良一は、わたしが銭湯から出てくるのをいつも待っている。沼田老人は、部屋の隅でわたしたちに背を向けて眠り、わたしたちは夜の生活をする。
 わたしの身元が分かったとき、こんな生活をしているのが分かったらどうなるだろうかと思うことがある。しかし、わたしは信じる道を歩いている。誰にも後ろ指を指される筋合いはないと思っていた。

 「こどもはできんのか?」
 ある日、沼田老人がわたしに尋ねた。
 「そうね。できないわね」
 避妊しているわけではない。どうしてできないんだろうか? ・・・・そう言えば、わたし、ここに来てからずっと生理がない。
 「それはおかしいな。一度今村先生の診察を受けてはどうじゃ」
 「診察って、こんなこと、婦人科の仕事でしょう?」
 「今村先生は、何でもやれるんじゃ」
 「へえ、そうなの」

 沼田老人とそんな話しをした翌日の夕方、仕事帰りに今村医師の勤める診療所を訪れた。診療所には、今村医師の他にひとりの看護婦がいた。丸顔のそばかすがいっぱいの可愛い子だ。年齢は、26,7くらい。部落側で見かけた子だ。今村医師は、差別などまったく念頭にないようだ。
 「やあ、美晴君。記憶は戻ったかな?」
 今村医師は、今日も白のTシャツに、綿パン姿だった。
 「いえ、まだです」
 「どうした? 風邪でも引いたか?」
 「違うんです。先生? 婦人科もやれるんでしょう?」
 「やれるよ」
 「わたし、生理がないみたいなんです」
 「できたのか?」
 今村医師は、わたしと良一が関係を持っていることを沼田老人から聞かされているようだ。にこりと笑ってそう聞いてきた。
 「そうじゃなくて、良一さんとそんな関係になる前から、生理がないみたいなんです」
 「生理がない? ほう? 何故だろう?」
 「調べていただけますか?」
 「分かった。診察してみよう」
 「どうするんですか?」
 「腟式超音波を使って、お腹の中を見てみよう。ベッドの上に仰向けになって」
 いわゆる婦人科式の診察台がないので、ショーツを脱いで、スカートをあげ、普通の診察台の上で膝を立てて少し開いた。今村医師は、しばらくわたしのそこを観察していた。
 「ちょっと気持ち悪いよ」
 外陰部が消毒され、ぬるりと器械が入ってきた。今村医師の真剣な表情が見えた。しばらくして、今村医師は、クスコを取り出して、わたしの中を観察していた。
 「さあ、終わったよ。下着をつけて」
 わたしはショーツを穿いて、スカートを下げて、今村医師の前に座った。
 「どうでした?」
 「こどもができないはずだよ。君には子宮がない」
 「子宮がない!?」
 「何かの病気で、子宮を取ってしまったんだろう」
 「でも、おなかに傷がないのよ」
 「腟式子宮摘出術と言って、膣から機械を入れて子宮を取ってしまう方法があるんだ。お腹に傷が残らないから、結構喜ばれるんだ」
 「・・・・そうなんですか。わたし、子宮がないんですか」
 「そうだよ。だから、諦めるしかないね」
 「良一になんて言ったら・・・・」
 「良一は、セックスしてこどもができるなんて思ってないから、大丈夫だろう」
 「・・・・そうね」
 子宮がないと聞かされて、ものすごくショックだった。まるで、女じゃないと宣告されたように感じた。
 子宮がなくなって、自殺を図ったのだろうか? そんな気もするけど、違うと心が叫んでいた。わたしくらいの歳の女が、そんなことくらいで自殺など計るはずがない。自殺未遂だとすれば、もっと重大な問題があったに違いない。

 子宮がないと言われたショックも冷めやらぬ数日後、コンビニでの勤めを終え、帰宅の準備をしていると、店長がやってきた。
 「沼田君、明日から、午後だけでいいよ」
 突然、店長がわたしにそう言った。
 「午後だけって、わたし、困ります」
 「申し訳ないが、午前の売り上げが少ないから、そうせざるを得ないんだ。ホントは、午後も辞めて貰いたいんだが、君はよく働いてくれるから、3時間だけでもと思ってね。すまんが、そうしてくれ。その代わり、時給を500円にするから。頼んだよ」
 時給が500円になったとしても3時間では1500円だ。1500円ではとてもやっていけない。
 これまで、切りつめられるだけ切りつめて、食料以外のものも買ってきた。沼田父子やわたしの衣服や毛布などだ。それももう買えなくなる。
 わたしの衣服を買ったと言っても、わたしが持っているのは、目覚めたとき着ていたブラ一枚と、ショーツ4枚。安物のワンピースが二枚だけだ。贅沢した訳じゃないけど、もう少し収入がほしい。
 そうは言っても、新たな仕事は見つかりそうもなかった。1500円でもないよりましだ。そう考えて、コンビニ勤めを続けた。

 それから数日後、自転車に乗って帰宅していると、50がらみの男が自転車の前に立ちふさがった。
 「ちょっと、君。ちょっと、待ってくれよ。怪しいものじゃないんだ」
 わたしは警戒心を露わにして、自転車を停めた。
 「君にぴったりの仕事があるんだが、働いて見るつもりはないか?」
 「仕事があるんですか?」
 「そうだ。君なら、絶対やれるよ」
 「どんな仕事ですか?」
 「やる気があるんだったら、説明するが・・・・」
 「説明してくれないと・・・・」
 「あそこでは、あんまり稼げないんだろう?」
 「どうして知ってるんですか?」
 「ま、蛇の道は蛇でね。困っている女性を助けるのがわたしの仕事なんだ」
 「そう・・・・。でもやっぱりどんな仕事か先に説明していただかないと」
 「そうだな。手先を使う仕事だ」
 「手先を使う仕事?」
 「簡単なものだよ。上手くやれば、一時間で、4、5000円にはなる」
 「4、5000円!?」
 「そうさ。どうだ? やってみるか?」
 その時、不思議なことに急にまた何かを思い出しそうになった。昔同じようなことがあった。しかもひどい目にあった。そんな記憶だ。
 「お金は欲しいけど、そんなにお金になる仕事なんておかしいです。お断りします」
 「そうか。それなら仕方がないな。じゃあ、気が変わったら声をかけてくれ。俺はいつもこのあたりでうろうろしているからな」
 わたしは、急いでその場を離れた。

 その一週間後、再び店長に呼び止められた。
 「沼田君。すまないんだが、今日限りにしてくれ。経営が厳しくてね」
 「そんな。何とかなりませんか?」
 「君と心中するわけにはいかないんだ」
 一日1500円くらいの支払いで倒産する筈などないと思った。しかし、そうまで言われれば、仕方がない。
 「そうですか。じゃあ、しかたありませんね。大変お世話になりました」
 そう挨拶して店を出た。店を出てすぐに、あの男が待っていた。
 「よう。どうだい? やってみる気はないか?」
 あまりのタイミングの良さに、わたしはもしかするとと思った。
 「あなたのなのね。あなたが手を回して・・・・」
 「何のことだよ。俺が何をしたってんだよ」
 そう言った男の目が笑っていた。男が裏から手を回して、わたしを馘首にさせたのに違いなかった。
 「なあ、金がいるんだろう? 簡単な仕事なんだ。やるって言ってくれよ」
 明日から生活できない。うんと言わざるを得なかった。
 「具体的にどんな仕事なの? 手先の仕事って言ったけど」
 「あんたの手で、出してやる仕事さ」
 「出してやるって、あれを?」
 男の服装や態度から、予想は付いていた。
 「そうさ。しごいてやって、出させるのさ。別に本番してくれって言う訳じゃない。手を使うだけだ。どうだ? 簡単な仕事だろう?」
 週刊誌に主婦売春の話しが載っていた。だけど、手で出してやればいいだけだ。本番する訳じゃない。わたしにはお金がいるのだ。
 「やるわ。どこへ行ったらいいの?」
 「そう来ると思ったよ。店は午後5時から、午後11時までだ。時間があるんだったら、今から案内する」
 わたしは大きく深呼吸して答えた。
 「すぐに案内して」
 「じゃあ、行くか」
 案内されたのは、繁華街の少し外れにある雑居ビルの地下にある『パラダイス』と言う名前の店だった。須田というその男が、個室のドアを少し開けて中を見せてくれた。下半身裸の男が、下着姿の女にペニスをしごかれていた。
 逃げ出したくなったけど、お金がいるんだという切迫した思いが浮かんで、その場に留まった。
 「1回2000円だ。先に貰ってから始めるんだ。見たように、おしぼりの中に出して貰うから、上手くやれば、手を汚すこともない。2000円のうち、1000円は、持って帰っていい。1000円は店に入れてくれ」
 「1000円も店に?」
 「おしぼり代、光熱費、所場代。1000円じゃ安い方だぜ」
 「やればやるほどお金になるのね」
 「頭の回転が速いな。その通りだ。じゃあ、明日の午後5時。待ってるぜ。あ、それから、下着は新しいものがいいぜ」
 新しい下着なんてない。困り果てる。
 「下着も買う金がないのかよ。だったら、金を貸してやってもいいぜ」
 それだけはだめだと誰かがどこかで叫んでいた。こんなところでお金を借りたら、抜け出せなくなってしまうと。
 「いえ、いいです。清潔だったらいいんでしょう?」
 「ま、いいけどな。下着を着けなくたっていいんだがな」
 そう言って、津田はにやりと笑った。止めた方がいいぞと誰かが囁く。だけど、稼ぎがなくなってしまっては生きてはいけない。沼田父子を置いて逃げ出すわけにはいかないのだ。やるしかない。

 「ただいま」
 「遅かったな」
 「ちょっと忙しくて・・・・。良ちゃんは?」
 「美晴ちゃんを迎えに行ったんじゃが、会わなかったか?」
 「どこですれ違ったんでしょう? 探してくるわ」
 「いいよ。儂が行こう。夕飯を作っていてくれ」
 「はい。お願いします」
 夕食を作っていると、ふたりが帰ってきた。
 「お帰り」
 「は、早く帰ってこないから・・・・」
 「ごめんね、良ちゃん。ちょっと忙しくて遅くなったの。近道したものだから」
 「毎日、いつもの道で帰ってくれよ」
 「分かったわ。明日からは、同じ道から帰る」
 良一は泣きべそをかいていた。わたしがあんな仕事を始めたと知ったら、どんな顔をするだろうかと思うと悲しかった。だけど、三人がまともに生活していくためには、やっぱりやらなければ・・・・。

 夕食を済ませて、銭湯に向かいながら、わたしはふたりに嘘を付いた。
 「仕事の時間が変わったの。午後5時から、午後11時までなの。明日から、夕食が一緒にできないけど」
 「美晴と一緒に食べたい」
 「それは無理よ。4時半には出かけないといけないもの」
 「出かける前に食べればいいよ」
 「良ちゃん、良い考えだけど、夕食が午後4時くらいになるわよ」
 「うん、それがいい」
 「こら、良一! 無理を言うんじゃないぞ」
 「だって、美晴と食べたいんだもん」
 「分かったわ。4時に食べられるようにする。帰ってから、お夜食も作ってあげるわ。そうすれば、お腹も保つでしょう?」
 「わあ、嬉しいな」
 「一日4食になってしまうぞ」
 「少しずつ量を減しましょう。そうすれば、何とかなるわ」
 料理の献立を考えるのは大変だけど、良一のためだ。仕方がない。