近藤と結婚して、5年の月日が流れたある日、近藤が少し暗い顔をして帰ってきた。
「どうしたの?」
「君の両親が見つかったよ」
「えっ!? ホント?」
「ホントだ。大田村だ」
「大田村? そう言えば、遠い親戚がいるって言ってたわ。でも、どうして、分かったの?」
「大田村で小さな病院をやってる男が、高校の同級でね。あ、おまえも知ってるだろう? 山崎という男だ」
「山崎さん? 覚えてないわ」
「そうか。まあ、いいや。その山崎が看取った人が、おまえのお父さんらしいって言ってきたんだ」
「看取ったって・・・・、死んだってこと?」
「・・・・そうなんだ。胃ガンだったらしい」
「胃ガン・・・・」
「今晩通夜で、明日葬式らしいが、どうする?」
「どうするって?」
「線香の一本でもあげてやった方がいいかなと思ってね」
「行きたいけど、わたし、行けないわ」
「どうして?」
「どうしてって、わたし、女なのよ。なんと説明したら・・・・」
「説明なんていらないよ。誰にも告白なんてする必要はない。ぼくの妻ということでいいさ。君が心を込めて焼香すればいいと思うよ」
「・・・・そうね。そうするわ。じゃあ、一緒に行ってくれるのね」
「ああ、そのために年休を取ってきた」
「ありがとう」
「君のためだ。それくらいのことはするよ」
近藤の思いやりに涙がこぼれた。
翌日、高速を下って速見インターで降り、大田村へ向かった。葬式は小さな公民館で営まれていた。
50人あまりの出席者だったけど、心温まる葬儀だった。痩せて年老いた母が、喪主の席にいた。
「このたびは・・・・。ぼく、近藤です。勇一君の親友だった」
「ああ、遠いところをありがとう」
消え入るような声で母は答えていた。
「ぼくの妻です」
紹介されて、ぼくは母に頭を下げた。ぼくを見た母の目に何かが見えた。母は一目でぼくだと見抜いたようだった。だけど、そんなことは一言も言わなかった。
「遠いところを・・・・。顔を見てやってください」
心を込めて焼香し、お棺の小さな扉を開いて、父の顔を見た。父もまた痩せて、小さくなっていた。思わず涙が溢れてきた。大声を上げて泣きたかった。だけど、それは許されない。
葬儀が終わって、霊柩車が出発する直前になって、母が近藤のそばにやってきた。
「誠次君。骨を拾う人が少ないの。手伝って貰っていいかしら?」
近藤はきょとんとしていたが、ぼくには分かっていた。母は、やっぱりぼくだと分かっていて、ぼくに骨を拾えと言っているのだ。
焼き場に向かう途中、近藤が不審そうに聞いてきた。ぼくの考えを伝えると、なるほどと膝を叩いた。
父の骨を拾って、母と別れるとき、母がぼくの元にやってきた。ぼくの手を握りしめて、涙をいっぱい浮かべて、一言言った。
「幸せ?」
「はい。幸せです」
「元気で長生きするのよ」
そう言い残して、母は親戚の車に乗り込んでいった。
「やっぱり、お母さんだな。君が勇一だと見抜いていたみたいだね」
「ええ。詳しく事情を話すべきかしら?」
「いいんじゃないか? 過去の事情を知ってどうなるってものじゃない。お母さんは、おまえが生きていて、幸せに暮らしていることを知っただけで満足だろう」
数日たって、ぼくの元へ小包が送られてきた。母からだった。表書きには、近藤美晴様と書かれていた。葬儀の際に、近藤が住所氏名を記帳していたから、ぼくの居場所を知ったようだ。
中を開けてみると、幼い頃の写真や、小学校から高校までの卒業アルバムが入っていた。一つの封筒も入っていた。
『近藤美晴様へ。
勇一の写真を送ります。あなたの手元にあるのが相応しいと思うからです。
体を大切に。死ぬまであなたの幸せを祈っています。
宮本八重子』
ぼくは近藤の許しを得て、母に会いに行った。村はずれの小さな家の座敷に、母はぽつねんと座って、父の遺影に手を合わせていた。
「お母さん」
振り返った母は、涙をいっぱい浮かべて、ぼくに駆け寄ってきてぼくを抱いた。
「勇一、会いたかった・・・・」
「わたしも」
「女になったのね」
「どうしてすぐに分かったの?」
「母親ですもの」
「長い間心配をかけてごめんなさい」
「いいのよ。元気な姿を見せてくれたんだから」
「事情を聞かないの?」
「そんなことより、今のあなたが幸せかどうかが問題よ。どう? 幸せなんでしょう?」
「ええ、とっても」
「お父さんの葬式の時、あなたと近藤君を見ていて、そう思ったわ。あなたは幸せなんだって」
「わたしを心の底から愛してくれているわ」
「女になってよかった?」
「もちろん!」
「あなたが幸せに暮らしていてくれれば、お母さんは何にも言わないわ」
「生きているうちにお父さんに会いたかった・・・・」
「そうね。だけど、もうすんだことよ」
「お父さん、許してくれたかなあ。わたしが女になったこと」
「許してくれたわよ。あなたのことを愛していたんですもの」
そう思うことにした。きっと父も許してくれたと。
久しぶりに母の料理を食べた。懐かしさで胸がいっぱいになった。片づけを済ませ、母と一緒に入浴した。
「あなたが勇一だったなんて、信じられないわ。生まれたときから女だったみたいに見えるわ」
「わたし、生まれたときから女だったような気がするわ。だって、ひ弱で、女の子とばかり遊んでいたもの」
「そうかもしれないわね」
母の背中を流し、ぼくの流して貰った。母と最後に入浴したのは、小学校の4,5年だったと思う。こんな年になって、母と入浴するなんてこと、男だったら考えられないことだ。母とこんなに間近で話せる。女になってよかったと、もう一度思った。
ぼくと母は、今は他人と言うことになっているから、そうそう会いに行くこともできず、3ヶ月に一度だけ、近藤の許しを貰って会いに行った。
3年後、その母もまた、胃癌で亡くなってしまった。他人であるぼくは、喪主になれず、式場の隅で泣いているばかりだった。ぼくは、ひとりぼっちになってしまった。
「そんなことはない。俺がいるじゃないか」
近藤が優しくぼくを抱きしめてくれた。そうだ。ぼくには近藤がいる。愛する近藤が。近藤はそれまで以上に優しく、ぼくを包み込んでくれた。
幸せな時間が過ぎてゆき、ぼくはこのまま近藤の妻として、一生を終えるものだと思っていた。ところが、近藤と結婚して11年目の春、事件は訪れた。
「どうも最近疲れるなあ」
「肝臓でも傷めているんじゃないの? 病院へ行ったらどう?」
「そうだな、そうするか」
そう言って、朝出かけていった近藤は、そのまま入院となった。
「急性リンパ性白血病です」
医者に呼び出されて、そう宣告された。
「急性リンパ性白血病?」
「そうです。リンパ球という白血球の一種が癌化したものです。まず抗ガン剤で抑えて、落ち着いたところで、骨髄移植という手順になるでしょう」
「抗ガン剤・・・・」
翌週から、抗ガン剤が近藤に投与された。頭の毛は抜け、口の中は荒れてしまって、何も食べられなくなった。
「おまえの手料理を早く食いたい」
「早くよくなってね。うんと美味しいもの作ってあげるから」
そう約束したのに、ある日突然、意識がなくなって、そのまま黄泉の世界へと旅立ってしまった。
松本が死んだとき以上に泣いた。今度こそぼくはホントにひとりぼっちになってしまった。ひとは、独りで生まれ、独りで死んでいく。それは分かっている。だけど、独りでは生きていけない。
近藤が死ぬ直前に残した遺書が、ぼくの悲しみを増幅させた。ぼくは、そろそろ海開きとなる志賀島の海岸から、深い海の中へこの身を沈めていった。