第14章 結婚

 気がつくと、近藤がぼくの上にのしかかっていた。その重さも心地よかった。近藤はまだぼくの中にいた。近藤がゆっくりと起きあがり、ぼくの目を見て言った。
 「すごくよかった」
 「そう?」
 「ホントだよ」
 近藤はぼくににっこりと微笑みかけてきた。ぼくは言おうか言うまいか迷っていたけど、言うことにした。
 「あの、わたしね」
 「何だよ」
 「初めて行っちゃった」
 「えっ!? 初めて?」
 「ええ」
 「女として5年も松本って男とセックスしてたのに?」
 「そうなの。今まで、今日みたいな絶頂感を覚えたことはないわ」
 「どうしてだろう?」
 「あなたが上手かったから」
 「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、そんなことはないだろう?」
 ぼくは考える。松本とは、ホントの意味で愛し合っているという感情はなかった。松本はぼくのことを本気で愛してくれていたようだけど、ぼくの方は、借金を払ってくれた恩人、囲ってくれているパトロンに過ぎなかった。それに、結果としての性転換には満足してはいたものの、ぼくの意志を無視して無理矢理やられたと言う思いがぼくの心の奥底にあって、どうしても松本を心から愛することができなかった。
 今日、絶頂を覚えることができたのは、きっとぼくが近藤のことが好きだからではないかと思う。
 「近藤君? あなた、昔、わたしのことが好きだって言ったわね」
 「あ、ああ。言ったよ」
 「あの時、わたし、男だったけど、女のわたしも好きだと言ってくれる?」
 「もちろんだよ。男とか女とか関係ないんだ。俺は、おまえという人間が好きなんだ」
 ぼくは近藤にキスをして話しを続けた。
 「わたしね。今の今まで気がつかなかったけど、ずっとあなたのことが好きだったみたい。男同士で愛し合うことに嫌悪感があったんだけど、今はわたし女でしょう? だから、好きな人と愛し合えるって感じて、行っちゃったんじゃないかと思うわ」
 今度は近藤がぼくにキスした。
 「なあ、一緒に暮らさないか?」
 「えっ!? 近藤君、まだ独身なの?」
 「ああ」
 「どうして?」
 「おまえ以上に愛せる女が現れなかった。それだけだ」
 「わたしが帰ってこなかったら、どうするつもりだったの?」
 「一生独身だったかな?」
 「馬鹿ね」
 「馬鹿はないだろう? おまえのことが忘れられないって言ってるのに」
 「ふふ。ありがと。でも、ホントに、わたしなんかでいいの?」
 「いいに決まってるよ」
 「子ども、産めないよ」
 「君がいてくれればいい」
 「ホントに?」
 「ホントさ。正式には結婚できないけど、一緒にいてくれれば、俺は満足だ」
 通常なら、近藤が言うとおり、ぼくたちは結婚できない。だけど、ぼくは女の戸籍を持っている。だから、近藤が本気なら、誰にもとやかく言われることなく結婚できるのだ。
 「近藤君、ちょっと見せたいものがあるんだ」
 「何を?」
 「ちょっと待って、取ってくるから」
 ぼくは、ベッドから起きあがって、バッグを取りに行った。バッグの中から、運転免許証を取り出す。
 「ジャーン」
 「何だよ。免許証じゃないか?」
 「そう。運転免許証。わたし、車の運転ができるの」
 「それは分かったけど、それがどうしたんだよ」
 「よく見てよ」
 近藤は、ぼくの免許証をじっと見つめていた。
 「あれ? 後藤美晴?」
 「そうよ。今のわたしの名前」
 「あれ、あれ? ちょっと待てよ。運転免許証には、男女の区別は書いてないけど、名前は戸籍のものだよな」
 「そうよ」
 「・・・・てことは?」
 「分かった?」
 「戸籍が後藤美晴だってことは、もしかして、戸籍の性別も・・・・」
 「そうよ。わたしは、宮本勇一じゃなくて、後藤美晴。性別は女なの」
 「ど、どうして?」
 「松本がどこからか手に入れてきたの。どうやったかは知らないわ。ともかくわたしは戸籍上も女なの」
 「じゃあ、俺と結婚できるんだね」
 「その通りよ」
 「やったあ」
 近藤はぼくを抱きしめた。ホントにぼくと結婚する気のようだ。当然のことながら、ぼくも嬉しい。だって、これまでずっと愛人で、一度は妻と呼ばれてみたかったから。

 もう一度したけど、さらにいい気持ちだった。休憩時間を過ぎてしまって、超過料金を取られてしまったけど、近藤はにこにこ顔だった。
 市内に帰り着いたのは、午後6時過ぎだった。
 「家に寄らないか? 夕食を一緒に取ろう」
 「あなたのご両親がいるんでしょう? まずいわ」
 「そうかな? ばれやしないよ」
 「ばれたらどうするの?」
 「大丈夫だって。まさか美晴が勇一だなんて思わないよ」
 「そうね。大丈夫よね。・・・・わたしのこと、なんて紹介するの?」
 「もちろん、フィアンセ」
 「フィアンセがいるなんて話してあるの?」
 「話してない!」
 「突然フィアンセなんて、おかしいんじゃない?」
 「ビックリさせようと思って隠していたってことにする」
 「ああ、それならいいわね。あ、ちょっとそこで停めて」
 「何するんだい?」
 「手ぶらじゃいけないわ。フィアンセの家に行くのよ」
 「それもそうだね」

 ロシアケーキの詰め合わせを手に、近藤の実家を訪れた。近藤は現在福岡の高校で体育の教師をしていて、一週間の予定で帰省していた。
 「ただいま」
 「お帰り、どこへ行ってたの? あら? この方は?」
 「母さん、紹介するよ。後藤美晴さん。実は、結婚を約束してるんだ」
 「ええっ!?」
 「後藤です。これつまらないものですけど」
 ぼくは用意した手みやげを近藤の母親に手渡した。
 「お父さん、お父さん。誠次が女の人を連れてきたわよ」
 近藤の母親は、慌てふためいて、奥へ消えていった。
 「上がれよ。父さんに紹介する」
 「ホントに大丈夫かしら?」
 「母さんが気がつかなかったみたいだから、大丈夫だろう。父さんが気づくはずがないよ」
 「そうね。じゃあ」
 高校を卒業して以来の近藤の家。懐かしさがこみ上げてきた。ぼくは近藤に連れられて、座敷へと入っていった。しばらくして、近藤の父親が、ズボンのベルトを締めながら、姿を現した。この年代の男性らしく、ステテコ姿ででもテレビを見ていたのだろう。
 「初めまして。後藤美晴と言います」
 「あ、誠次の父です」
 「突然押し掛けて申し訳ございません」
 ぼくは深々と頭を下げて挨拶をした。
 「ぼくが呼んだんだ。両親に紹介するって」
 横から近藤が説明する。
 「そうか。まだかまだかと思っていたが、ようやく見つかったか」
 「うん。彼女と結婚したいと思ってるんだ。いいだろう?」
 「おまえが連れてきたんだから、何も言うことはないが、美晴さんと言ったかな? あなたのご両親はいいのかな?」
 「あの。わたし、両親は高校時代になくなって、一人なんです」
 「姉妹も親戚もいないの?」
 「はい」
 「そうか・・・・」
 「美晴はひとりぼっちなんだ。俺が守ってあげたいんだ。いいだろう?」
 「別に家柄とか何だとかは関係ないからいいが・・・・」
 そう言いながら、父親はちょっと不満げな表情を見せた。
 「いいんだね」
 「おまえが後悔しなければ、父さんは別に言うことはない」
 「後悔なんてするもんか。父さん、ありがとう」
 近藤はぼくのそばに座って肩を抱いた。
 「よろしくお願いします」
 「美晴さん、おいくつ?」
 近藤の母親が、お茶を出しながらぼくに聞いた。ぼくは、戸籍謄本に書かれている生年月日を思い出して答えた。
 「25です」
 近藤がぼくの顔をちらりと見た。ぼくは、肩をすくめ舌を出した。ふたつ年を誤魔化すことになるけど、仕方がない。
 「お仕事は何を?」
 「高校を卒業してから、東京のスーパーに勤めていたんですけど、東京の暮らしがイヤになって、九州へ帰ってきたんです」
 「東京のスーパー・・・・。どこで誠次と知り合ったの?」
 そう聞かれて、失敗したことに気がついた。近藤は福岡在住。東京で働くぼくとの接点がない。
 「きょ、去年、東京へ研修に行っただろう?」
 「ええ、そうだったわね」
 「あの時、夜飲みに出て、スナックで偶然出会ったんだ。福岡出身だと言うことで、なんか気があってさあ」
 「へえ、スナックでねえ」
 両親とも、妙だなと言うような顔をしている。
 「美晴の前でこんなこと言いたくはないけど、その日から大人のつき合いをしてるんだ。分かった?」
 「誠次の一目惚れ?」
 近藤の母親が聞いた。
 「美晴に一目惚れされたんだ」
 「あら? 誠次さんが誘ったのよ」
 「そうだったかな?」
 「そうよ」
 「分かった、分かった。二人が仲がいいことは充分分かった。美晴さん、時間も時間だし、よかったら、夕食を一緒にしよう」
 こういう場合の当然の反応として、ぼくは近藤の顔を見る。
 「食ってけよ。母さんの料理は旨いんだぜ」
 「あんまり厚かましいわ。初めてお邪魔したのに」
 「よろしいですわよ。食べていらっしゃい」
 もう一度、近藤の顔を見る。
 「母さんもこう言ってるから、な!」
 「じゃあ、お言葉に甘えまして」
 ぼくと近藤の連係プレーは上手く行っている。
 「すぐに用意しますわ」
 そう言って、母親はキッチンへと消えていった。
 「あのう。お手伝いします」
 立ち上がろうとするぼくを誠次が制した。
 「今日はいいよ。美晴はお客様だから」
 「だって、そう言うわけにも・・・・」
 「いいから、いいから、ここでじっとしてろよ」
 「ところで、美晴さん? 今晩はどこに泊まる予定かな?」
 「あ、まだ決めてません」
 「よかったら、ここに泊まって行きなさい。布団もあるし、里子の残したパジャマくらいあるだろう」
 「イエ、そう言うわけには」
 「泊まってけよ。お金が勿体ない」
 嬉しそうな近藤。肉体関係があると告白しているから、何の障害もないのだ。
 「それじゃあ、お言葉に甘えまして」
 「福岡で育ったという割には、博多弁が出ないんだね」
 また間違いを犯した。確かに父親の言う通りだが・・・・。
 「わたし、博多弁が嫌いなんです。だから、苦労して標準語に直したんです」
 「はあ、そうですか」
 「あの、やっぱりお手伝いします」
 近藤の手を振りきって、キッチンへ入っていった。あんまり話すとぼろが出そうだったからだ。
 「あら? よろしいのよ」
 「イエ、女の役目ですから」
 「そう? あなた、いい嫁になるわ。誠次があなたのような人を連れてきて、ホント嬉しいわ」
 ぼくはにっこり笑って手伝いを始めた。

 4人で夕食を囲んだ。久しぶりの団らん。涙が出るくらい嬉しかった。近藤の両親は、ぼくが近藤の幼なじみで親友だった宮本勇一だなんて露も疑っていない。
 夕食がすんで、ぼくは近藤に頼んで、駅に預けてあったボストンバッグを取りに出かけた。
 「ばれなかったみたいだね」
 「よかったわ」
 「絶対大丈夫だっていっただろう?」
 「ええ、でも、話しの辻褄を合わせるのが大変ね」
 「そうだね。でも、どう転んでも君が宮本だったなんて思いもしないだろうね」
 「そうみたいね」
 ボストンバッグを持って戻ると、入浴させられた。まさか他人の家に泊まろうなんて思っていなかったから、パジャマを持っていなかった。近藤の姉の里子が残したというパジャマを出してくれたので、それを着てリビングへ行った。
 「今年は里子が帰れないと言うので、ちょっと寂しい思いをしていたんだ。美晴さんが来てくれて嬉しいよ」
 そう言いながら、近藤の父親は、嬉しそうに近藤とビールを飲んでいた。ぼくと、最後に入浴した近藤の母親も加わって、テレビを見ながらビールを飲んだ。
 「もう寝ようか?」
 近藤がそう言いだしたのは、午後11時だった。
 「お布団、敷いてありますからね」
 二階に上がってみると、布団がふたつ並べて敷かれていた。近藤はにやりと笑った。
 「だめよ」
 ぼくは機先を制してそう言う。
 「いいじゃないか。両親公認だから」
 ホントはぼくだって、やりたかった。だけど、近藤の両親が下で、ぼくたちの様子に聞き耳を立てていると思うと、恥ずかしくてうんと言えなかった。
 「だめだったら」
 「聞こえるぜ」
 逃げ回るぼくを押さえつけて、近藤は挑んできた。とうとう拒否できずに、応じてしまった。やり始めると、聞かれているんじゃないかと思う気持ちが、かえって興奮を高め、大きな声を上げてしまった。
 「もう、最高!!」
 近藤はそう耳元で囁いた。ぼくだって、よかった。最高の夜だった。

 翌朝目を覚ました時、降りていくのが恥ずかしかった。でも、着替えて降りていったとき、近藤の両親は、笑顔でぼくを迎えてくれた。ホントにいい人たちだ。ずっと上手くやっていけそうだ。
 その日の午後、ぼくと近藤は福岡へ向けて出発した。

 式は秋にしようと決めたけど、その日から同棲を始めた。ぼくには住む場所がなかったからだ。
 そして、晴れた秋空の広がる10月の大安吉日。ぼくたちは、教会で結婚式を挙げた。教会で式を挙げるのに、何も大安でなくてもいいのだと思うけど、近藤の両親が、どこで結婚式を挙げようとも、大安がいいのだと言って譲らなかった。
 ぼくは他人の戸籍を使っているわけで、誰も結婚式に招待することができない。だから、近藤もぼくに配慮した形で近藤の親戚と数人の同僚だけを招待した。大勢の招待客を呼んで式を挙げたかったらしい近藤の両親は、教会での式だけで済ませることに少々不満気味だったけど、近藤の説得に屈した。
 真っ白なウエディングドレスを着て、神父の前で誓いの言葉を述べるとき、ぼくは幸せな気分になった。ニューハーフクラブにいたとき、松本に囲われていたとき、なしえないと思っていたことが実現して、嬉しくて涙がこぼれた。

 ハネムーンから帰ると、新婚生活が始まった。新婚の若奥さんと呼ばれると、頬が赤くなった。ぼくと近藤は相思相愛の仲のいい夫婦として、近所でも職場でも評判になった。ただ家に中では、ちょっと違う。
 「美晴、お茶!」
 「はい。ちょっと、待って」
 「おい、新聞は?」
 「あっ! まだ入れてない。すぐ持ってくる。待ってて」
 「行って来る」
 「行ってらっしゃい」
 ぼくは、三つ指をついて近藤を送り出す。ぼくは、遠藤周作の『大変だア』の冒頭に出てくる塙静江のように近藤に仕えている。近藤がそうしろと言った訳じゃない。ぼくの方がそうしたかったからだ。女はそうあるべきだという、ぼくの男としての潜在意識がそうさせるのかもしれない。
 近藤は、浮気の一つもせずに、職場と家の間を行ったり来たりする毎日。まるで振り子のようだ。夜の生活でも、ぼくを必ず絶頂へ導いてくれる。ぼくは、幸せだ。

 ぼくは近藤の妻としての役割を充分に果たしている。ただ、会う人ごとにこどもはまだか、病院へは行ったのかと言われるのには閉口する。女は子供を産むためだけに存在するんじゃないと言ってやりたいところだ。