第3章 デート

 その日、真田弘勝は仕事中から浮き浮きしていた。そんな様子を見て、同僚の今村論がニヤニヤしながら尋ねた。
 「おい、真田? 何かいいことがあったみたいだな」
 「な、なにがだよ。何もいいことなんてないさ」
 「嘘つけ! 顔に書いてあるぞ」
 「何が書いてあるって言うんだよ?」
 真田は近くの壁にある鏡を覗き込んだ。にやけた顔が映っていた。
 「ほら、見ろ。いいことがあったって顔に書いてあるだろう?」
 「そうかなあ」
 真田は鏡に向かって顔を左右に振った。
 「白状しろ! この野郎!!」
 「何にもないって」
 「それが何にもないって顔かよ。絶対いいことがあったって顔だ!」
 「まだだよ」
 「まだ?」
 アッと声を上げて真田は舌を出した。
 「まだってことは、今日あたりいいことがあるんだな?」
 「ま、まあね」
 ちょっと恥ずかしげに真田は頭を掻いた。
 「まさか、松浦麗子じゃないだろうな?」
 「へへ、それがそうなんだ。今日の仕事が終わったらデートなんだ」
 ほうと驚きの表情を浮かべて、今村は事務所の中にいる松浦麗子の様子を窺った。松浦麗子は、机に向かって何やら書類を書いていた。
 「信じられんな。彼女がデートに応じるなんて」
 「俺も信じられないくらいさ」
 「一発やれそうか?」
 今村は下卑た笑いを浮かべる。
 「やれるかもしれないな」
 真田も笑みを浮かべ舌なめずりをした。
 「あれは準備してるのか?」
 「あれ?」
 「あれだよ。それとも、できちゃった婚でも狙ってるのか?」
 「あ、ああ、そうだな。昼休みにでも、買いに行っておこう」
 「備えあれば憂いなしだ。まあ、頑張れよ」
 夜起こるかもしれないことを思って、真田はにんまりと笑みを浮かべた。

 真田が乗った宅配便が駐車場から通りに向かって走り出していくのを、松浦麗子は溜息混じりに見送った。
 「もう断り切れなかったものね・・・・」
 麗子がこの宅配便の会社に就職してから約半年がたった。麗子はそれほど美人ではないが、男好きのする顔をしていた。だから、何人かの男たちに誘われた。飯を食いに行こうとか、一緒に酒を飲みに行かないかなどという誘いだ。
 麗子を誘う目的は、ただそれだけではないことがわかっていた。男たちはその後のことを期待していることが明白だった。
 「もし会社の人間とつき合うとしたら、真田さんしかいないんだけど・・・・」
 いい男というのなら、真田よりいい男はいる。しかし、真面目そうで、麗子の好みに近い男は真田だった。
 「真田さんなら、わたしのことを理解してくれて大切にしてくれそうだし」
 そんな勘も当てにはならないことを麗子自身はよく知っていた。これまで、そんな勘を信じて何度も痛い目に遭っていたからだ。
 「これを持っていった方がいいわね」
 バッグの中に忍ばせたコンドームを麗子はそっと確認しておいた。

 太陽が山陰に隠れて暗くなり始めた駐車場の車の中で、真田はイライラしながら腕時計を見た。
 (もう出てきてもいい頃だが・・・・)
 バックミラーで従業員出入り口を見た。麗子はまだ来ない。仕事を終えた真田がロッカーで着替えて事務所の前を通ったときには、麗子はすでに仕事を終えて裏のロッカールームに姿を消していた。
 (俺のためにおめかしいてるんだろうな)
 そう思うと股間が堅くなった。ウインドウの外を見回してから、上着のポケットに入れているコンドームを確かめた。
 (これを使うチャンスは来るだろうか?)
 真田は、配達中に立てたプランを頭の中で再確認した。
 「ごめん。遅くなって」
 そんな声にハッと我に返ると、運転席の外に麗子が立っていた。イヤ、その瞬間には真田はその女性が麗子だとは気づかなかった。昼間の事務服の彼女とはあまりにかけ離れていたからだ。
 細い肩ひもで釣られた濃いブルーのワンピースが似合っていた。運転席の覗き込んだ麗子の胸の谷間が目に飛び込んできて、真田の股間は再び堅くなった。
 (綺麗だ)
 昼間と違って、濃い目の化粧をした麗子の顔を見て、真田は惚れ直したと思った。
 (こんな女と結婚できたら嬉しいな)
 そんなことを思った。
 「乗ってもいい?」
 「あ、ああ。どうぞ、どうぞ」
 麗子は車の前から回り込んで、ドアを開いて助手席に乗り込んできた。膝丈ほどだったワンピースの裾が持ち上がって、太股の半分が露わになった。
 他のパーツの割に細いんだなと真田は感心しながら、エンジンをかけた。
 「どこに行くの?」
 「ちょっと汚いけど、うまい魚を食わせてくれる店があるんだ。そこでいいかな?」
 「お魚、大好き」
 「じゃあ」
 真田はハンドルを切った。

 車を走らせながら、真田は麗子の太股をチラリチラリと覗き見た。
 (ホントに綺麗な足をしているな。足首だって細い。・・・・てことは、あそこの締まりも・・・・。ウヒウヒウヒ)
 そんなことを考えながら、ふと麗子の方を見ると、彼女が妙な目で真田を見ていた。
 「運転するとき、いつもそんなふうにニヤニヤしてるの?」
 「あ、いや、そう言う訳じゃ・・・・」
 真田は慌てて真顔に戻す。
 「変な人」
 ここで機嫌を悪くするといけないと真田は考えを巡らせた。
 「松浦さんとデートできるなんて嬉しくってさあ」
 と言い訳をすると、麗子はニッコリと笑った。
 「あそこだよ」
 赤提灯のぶら下がった店先に真田は車を滑り込ませた。車を降りると真田は、サッと助手席の方へ走っていき、ドアを開いてやった。
 「ありがとう」
 両足を揃えて車の外に降りてきた麗子の胸の谷間を真田はもう一度しっかりと見つめた。
 (すげえな。ホントすげえ谷間だよ。あの間に頭を埋めたいぜ)
 「いらっしゃい!」
 暖簾をくぐると威勢のいい声が掛かった。
 「おやっさん、奥の席、空いてる?」
 「空けてるよ」
 「サンキュウ」
 真田は麗子を奥の席へを誘った。
 「汚くなんてないじゃない」
 小さな声で麗子が囁いた。
 「でも綺麗というわけじゃないだろう?」
 「そりゃそうだけど、これくらい普通だわ」
 店の中を見回しながら、麗子は座布団の上に座った。
 「松浦さんと初めてのデートなのに、こんなところで悪いんだけど」
 「とんでもない。こんなとこ、好きよ」
 「それを聞いて安心した」
 そこへ店の親父がおしぼりを持って現れた。
 「店は汚いけど、料理は美味しいよ」
 話を聞かれていたなと真田は肩をすくめた。
 「何にする? 真田さん?」
 「おやっさんに任せる」
 「任せるか。わかった。最初は生ビールから行くかね?」
 「生でいいよね?」
 真田は麗子の同意を求めた。麗子は頷く。店の親父は麗子の方を見てから言葉を続けた。
 「真田さんが女性を連れてくるなんて初めてのことだから、せいぜいサービスさせていただくよ」
 そう言い残して、店の親父は戻っていった。真田は親父の機転に感謝感謝だった。実のところを言うと、その店に女性を連れてくるのは麗子が初めてではなかった。つい先月も、スナックで知り合った女性と来たばかりだった。
 「真田さん、女性とデートなんてしないの?」
 おしぼりで手を拭きながら麗子が真田に尋ねた。
 「デートなんて高校以来だな」
 赤面するような嘘だった。
 「そう? もてそうだけど」
 「ぜんぜんさ。女性と出会う機会がないだろう?」
 「ほんと? 配達先で出会ったりしないの?」
 「お客さんの顔、見たりしないからなあ」
 そんな返事に、麗子はあんまり信用していない目で真田を見た。
 「お待ち! 生ビールに、関鯖のお造りだよ」
 「わあ、美味しそう」
 「おやっさん、予算オーバーしないように頼むよ」
 真田は心配そうな顔で、店の親父に言った。値段表に書かれた関鯖・時価という文字が気になったのだ。
 「わかってる、わかってる」
 そんな返事を残して消えた親父から、真田はお作りの皿に目を戻した。脂ののった鯖の刺身が載っていた。
 (これは絶対に高いな)
 麗子は、そんな真田の思いも知らずに早速箸を動かし始めた。
 「こりこりしていて美味しいわ。真田さんも食べたら?」
 「あ、ああ」
 真田も一切れ取って醤油を付けて口に運んだ。美味かった。他の店では、関鯖といいながら、普通の鯖を関鯖と称して出している店もあると聞いていた。しかし、これは正真正銘関鯖に間違いないと思った。
 生ビールもよく冷えていてうまかった。
 「大丈夫なの?」
 「えっ? なにが?」
 「車でしょう?」
 「これくらいじゃ酔わないから」
 「でも、酒酔い運転の罰則が厳しくなったのよ」
 「見つからなきゃいいさ」
 「見つかったら、困るでしょう? 仕事にも差し支えるし」
 「・・・・そうだな。じゃあ、ちょっと控えめに」
 酒気帯びでもかなり厳しい罰則があるんだけどなと思いながらも、関鯖の美味さとビールの美味さに、ついつい飲み過ぎてしまうふたりだった。
 「なんだい? これは?」
 「地鶏のミンチに野菜を加えて団子にしたもの。あんかけにしてみたがどうだい?」
 真田は一口噛ってみた。
 「美味い!」
 「そうだろう? お嬢さん? どうだい?」
 「美味しいわ」
 「そう言ってもらえると腕の振るい甲斐がある」
 料理場に戻って次に持ってきたのは、赤出しだった。鯛のカマが入っていた。
 「おやっさん、ホントに大丈夫なの?」
 真田が心配そうに尋ねた。
 「聞いてる予算内でやってるから、心配するなよ。さ、さ、食べた食べた」
 「いくらの予算なの?」
 松浦麗子がこっそりと真田に尋ねた。
 「飲み代込みで、ひとり5000円」
 「へえ、ホントに大丈夫かしら?」
 「そうだろう?」
 そんなふたりの心配をよそに、次から次へと料理が運ばれてきた。最後の料理は、焼きおにぎりだった。
 「美味しいけど、もう入らない・・・・」
 松浦麗子は胃のあたりを押さえた。
 「俺も」
 「満足してくれたかな?」
 エプロンで手を拭きながら、店の主人がふたりのテーブルにやってきた。
 「大満足だけど・・・・」
 「ご会計は丁度でいいよ」
 店の主人は、指を一本立てた。
 「ホントにいいの?」
 「普段、儲けさせて貰ってるからね。今日は特別。他のお客さんには内緒だよ」
 「助かるよ」
 「せいぜい利用してくだされ」
 真田が会計をすませている間、麗子はそのそばに付き添っていた。財布の中をチラリと覗くと、真新しい一万円札が数枚入っていた。この日のために下ろしてきたらしい。
 次はどうするのかしらと麗子は思った。
 (もう少し飲みに行くのかしら? それとも、どこかのモーテルにでも誘うつもりかしら?)
 毎度ありの声に送られて、ふたりは店の外に出た。
 「ごちそうさま。美味しかったわ」
 ご馳走して貰った女にはこのひと言が必要だ。
 「喜んでもらえて嬉しいよ」
 「どうする?」
 そう聞かれて、真田は迷っていた。モーテルに誘うにはまだ早すぎた。かと言ってさらに飲むには車のことが気になった。
 「酔い覚ましにちょっとドライブしようか?」
 「捕まったらまずいわよ」
 「あの山の山頂まで行こう。あそこの方向なら、パトカーはいないし、駐車場から見る夜景が素晴らしいんだよ」
 「ホントに? じゃあ、行くわ」
 車に乗り込み、真田は車を発進させた。

 窓から入る風が心地よい。真田はアクセルを吹かした。
 「危ないわ」
 「大丈夫だよ。ハンドルさばきには自信があるんだ」
 「でも、対向車が来たら危険だわ」
 車は対向車線にはみ出しながらタイヤを軋ませて登っていた。
 「ライトが見えるから、大丈夫・・・・。わああっ!!」
 角を曲がったとたん、目の前にライトがあった。そこは山の中腹あたりで、下り車線だけでなく上り車線も下り坂になっていて、互いのライトが下向きになっていたせいで、対向車の存在がわかりにくかったのだ。
 道が下っていたからスピードが乗っていた。ブレーキを力の限り踏んでハンドルを切ったけれど遅すぎた。
 ガシャンと言う音がした。
 (まだローンが残っているのに・・・・)
 真田は他人事のようにそう思った。

 「どうしたのかしら? もう帰っている時間なのに」
 沖中美津子は、時計を見上げた。午後9時を回っていた。その日は、ミチルは8時には塾を終えて、遅くとも9時には帰宅しているはずだった。
 「おかしいわね・・・・」
 美津子は、玄関を開いて夜道を眺めた。ミチルの姿はなかった。家の中に入ろうとして、ふと二軒先の角に自転車が放置されているのに気がついた。
 (あれは・・・・)
 美津子は、その自転車に駆け寄っていった。それはミチルが塾に行くときに使っていた自転車だった。
 (こんなところに鍵もかけずに自転車を放っておいて、どこに行ったのかしら?)
 美津子は自転車を押して家へ向かった。サイレンの音が聞こえた。救急車とパトカーのサイレンが入り交じっていた。
 「事故? まさか・・・・」
 不安が美津子を襲ってきた。