第22章 大介の秘密

 大久保大介は、膨らんだ胸を両手でそっと包むようにして、ニッコリと微笑んだ。
 (もうちょっとね)
 鏡の中の自分に向かって語りかけた。鏡の中の大介はちょっとはにかんだような表情で大介を見ていた。
 (誰もあなたのこと、男の子だなんて思わないわね)
 大介は、鏡に映った姿を見て若い頃の自分そっくりだと思った。
 (大介、ごめんね。でも、わたしは女に戻りたいの。それに、あんなヤツに男の子を残してやるわけにはいかないの)
 大介は大介ではなかった。大介の中に死んだ大久保博子の魂が宿っていた。

 あの日、夫から気をつけて行けよと言って眠気覚ましのコーヒーを手渡された。ないことがあるなと思いながらも、そんな心遣いをしてくれる夫に感謝して家を出た。
 中学生になったばかりの大介は、入学式に来られなかった博子の両親に学生服姿を見せようと、きっちり学生服を着込んでいた。
 2時間ほど走ってからサービスエリアに車を停めて、ふたりでコーヒーを飲んだ。ひどく苦いコーヒーだと思ったけれど、眠気覚ましだから濃く入れたんだろうと思っていた。
 サービスエリアをでて15分ほどたったあたりから、急に眠気が差してきて一生懸命眠気をこらえた。眠気をこらえていると、幻覚のような症状が現れ、いけないと思ったときにはガードレールにぶつかった衝撃を体に覚えた。そのあと、しばらく意識を失っていた。
 気がついたとき、ひっくり返った車の中にいた。横を見たときの驚きは今でも忘れない。頭と口からから血を流し、色を失った自分の姿を見たからだ。
 (ドッペルゲーゲン?)
 自分自身を見たものは死ぬという話を聞いたばかりだった。しかし、相手が死んでいて、自分は生きている。少しホッとした。
 けれど、それは大きな間違いであることにすぐに気がついた。首筋に妙な堅いものを感じたからだった。手で触れてみると、それは学生服のカラーだった。ゆっくりと自分の体を見て、自分の姿を見たとき以上にびっくしりた。
 (これは、大介の体。どうして・・・・)
 自分が大介になっているなら、大介は自分の中にいる。博子はそう結論した。
 「大介! 大介!!」
 自由になる左手で、自分の体を揺すってみた。しかし、何の反応もなかった。
 (大介が死んでしまった。いえ、死んだのはわたし・・・・)
 混乱の中で、博子は再び意識を失った。

 意識を取り戻したとき、博子は病院のベッドの上にいた。目を開いて真っ先の飛び込んできたのは、心配そうな顔をした博子の母・咲子の顔だった。
 「お母さん」
 そう言って母に抱きつこうとすると、母は妙な顔をした。その顔を見て、博子はひっくり返った車の中での出来事を思い出した。
 布団の中に手を突っ込んで、胸を触ってみた。膨らみはなかった。真っ平らな胸だった。股間にあってはならないものを触れた。
 (夢じゃなかったの・・・・)
 博子の頭は混乱していた。しかし、確かめなければならないことだけはわかった。
 「お、おばあちゃん。お母さんは? お母さんはどうなったの?」
 博子の母は、涙をこぼし始め、博子を抱きしめた。イヤ、母は博子を抱きしめたのではなく、孫の大介を抱きしめていることが博子にはわかっていた。
 「お母さんは・・・・」
 「死んだの?」
 博子の母は小さく頷いた。魂の入れ替わりなどと言うばかげたことを博子は信じたことはなかった。しかし、それが現実に起こっていた。
 「どうして!」
 息子と自分のどちらかが死ななければならないとしたら、絶対に自分の方が死を選ぶだろう。息子の体は生きている。しかし、魂は死んだ。自分の体とともに。
 「神様! どうして、あんたはこんなひどいことをするの!!」
 博子の母は、その叫びを母を失った子供の叫びとして聞いただろう。

 博子が首の骨を折って即死状態だったのに対し、大介の体は数カ所の切り傷と打撲ですんだのは奇跡的だった。
 ところが、検査検査で退院したのは3ヶ月後だった。博子の魂が入り込んだ大介の様子がおかしいと親戚のものが言ったために、そんないらぬ検査が行われたのだ。その間に大久保博子の葬式は終わり、大介となった博子は、祭壇に祭られた自分の遺骨と対面することとなった。
 博子は、遺骨を前にしてぼろぼろと涙を流した。
 「いつまで泣いているんだ。泣いたって母さんは戻ってこないぞ」
 夫・浩のそんな言葉は励ましのようにも聞こえたが、博子にとっては無駄なことをするなと言うように聞こえた。
 浩は、事故の報を聞いて病院へやって来たが、息子の顔を見て、チッと舌打ちしたようだった。その表情は、博子と一緒に死ねばよかったのにと言うものだった。
 このとき博子は、浩が持たせてくれたコーヒーに何か入っていて、事故を起こさせて自分と大介を殺そうとしたのではないかと疑った。疑いはやがて確信へと変わっていった。
 そう考えたとき、博子の魂が大介の体の中に生きているなどと言わない方がいいと結論した。
 (大介として暮らしながら、わたしと大介を殺そうとした証拠をつかもう)
 妻を殺そうとする動機は何か? 博子はジッと考えた。
 (死亡保険金? たかが1000万のために危険を冒すとは考えにくい。となると・・・・)
 女しかないと結論した。浩は、かつて仕事以外のことで外泊したことはなかった。しかし、昼間自由がきく営業マンだ。外回りをしているときに、どこかで女と逢い引きしていたに違いないと思った。
 浮気相手を確かめるために浩を尾行すればいいのだろうけれど、学校へ行かなければならない身だから、それもままならなかった。

 ある日のこと、夕食をすませて片づけをしていると、浩が帰ってきた。
 「お父さん、ご飯は?」
 「食ってきた」
 ちょっと酒臭かった。どこかで酒を飲みながら夕食をすませたらしい。
 「それ、しまっておいてくれ」
 ポンと放り出したのは、保険証だった。表を見ると、大久保博子の名前が二本線で消されていた。博子はちょっと悲しくなった。
 「男の癖して、めそめそするな! 泣いたって、死んだものは生き返らない!!」
 そんな言葉は、博子にとっては冷たいとしか思えなかった。保険証を手にして、いつもの場所に置きに行った。博子はふと保険証の中を開いてみた。
 (大庭クリニック?)
 大久保博子の名前が記載されていた受診病院に覚えがなかった。
 (なに? これ?)
 浩が、博子の名前を騙って薬を手に入れたと考えた。博子は浩に見つからないように電話帳で大庭クリニックの住所と電話番号を調べた。
 (ずいぶん遠くだな。ウイークデーは行けないけど、土曜日なら何とかなりそう)
 すぐには行けなかった。浩が家にいてゴロゴロしていたからだ。

 一ヶ月後、浩が朝からゴルフに出かけてようやく大庭クリニックを訪れることができた。
 博子は窓口の女性に声をかけた。
 「すみません。大久保ですけど、お母さんの、大久保博子の薬をいただけますか?」
 「大久保博子さん? ちょっと待ってね」
 女性はごそごそとカルテを取り出していた。
 「お薬だけでいいのね?」
 目の前にカルテが開かれた。そこには、医者が診察した記録があった。つまり、薬だけを取りに来たのではなく、大久保博子と名乗る女性が診察を受けたことを示すものだった。
 「はい」
 「保険証を確認したいんだけど」
 大久保博子の名前を二本線で消された保険証など持ってこられない。
 「すみません。お母さんに薬を取って来てって言われただけで、預かってこなかったんです」
 「そう。じゃあ、仕方ないわね。今度でいいから持ってきてね」
 「わかりました」
 30分ほど待たされて、お大事にと言われて薬の入った袋を手渡された。クリニックを出て中身を確かめてみた。
 (やっぱり睡眠薬だ。替え玉を使って、大久保博子の名前で睡眠薬を手に入れて、わたしに盛ったんだわ。替え玉の女性は、不倫の相手の可能性が高いけど・・・・)
 警察なら、受診した女性のことを聞けるだろうけれど、今の博子にはそんなことは無理のように思えた。
 (どこかに手がかりはないかしら?)

 博子は、浩がいない留守に家中を探して回った。何もなかった。
 (どこかにあるはずだけど・・・・。もしかして、コンピューターの中?)
 博子はジッとコンピューターを見つめた。コンピューターのことはまったくわからない。スイッチの入れ方すらもわからなかった。
 (確か、あの子がコンピューターオタクだと言ってたわね)
 同級生の斉藤茂の顔を思い浮かべた。

 翌日、早速斉藤茂とコンタクトを取った。
 「コンピューターはマック? それともウインドウズ?」
 「あ、え? なに? それ?」
 「そんなことも知らないの?」
 斉藤茂は呆れて博子の顔を見た。
 「リンゴのマークが付いていた?」
 「・・・・なかったと思うけど」
 「マウスのボタンはいくつあった?」
 「マウスって何?」
 「これだよ」
 斉藤茂は、手元にあったマウスをぽんぽんと叩いた。
 「それと同じものだったと思うけど」
 「そう。じゃあ、ウインドウズだ。で、何をしたいの?」
 「とりあえず、ワープロ」
 日記などがあるかも知れないと思ったのだ。
 「わかった。・・・・マウスを知らないところを見ると、立ち上げから教えなきゃ行けないな」
 「うん」
 「こうするんだ」
 斉藤茂は、得意げにコンピューターの扱い方を教えてくれた。頭が混乱しそうになるが、目的がはっきりしているから、すぐに操作方法を覚えた。
 「画像とかは貼り付けられないの?」
 「できるよ」
 斉藤茂は、画像を保存してあるディレクトリーに移って、犬の画像をワープロに貼り付けた。
 「画像をどこに保存したか忘れちゃったときはどうすればいいの?」
 「検索をクリックして、そうだね、ウインドウズの場合はJPEGファイルのことが多いから、拡張子をJPGで検索してみればいいよ。こうするんだ」
 不倫相手の写真でも保存されていないかと思ったのだ。博子は、やり方をジッと見て覚え込んだ。
 「サンキュウ。あとは自分でやってみるよ」
 「わからなかったら、いつでも聞いてくれ」
 成績優秀な生徒というものは取っつきにくいと思っていたけれど、斉藤茂は気さくだった。いい子と仲良しになれたと博子は嬉しくなった。

 浩が朝早くからゴルフに出かけた日曜日、博子は浩のコンピューターを立ち上げてみた。習ったとおりにエクスプローラーでファイルを開いてみた。日記らしいものはなかった。
 次いでJPGの拡張子のついた画像を検索してみた。あるディレクトリーに多数のJPEGファイルが見つかった。
 ダブルクリックして、博子は目を覆った。モニター上に、アラレもない姿をした女性が描き出されたのだ。
 いわゆる填め撮りという画像や、拘束具で縛られ、腟にディルドー、肛門にアナルプラグを言う器具を差し込まれた画像が出てきた。
 ほとんどの写真は顔が手や衣服で隠されていたが、数枚ははっきりと映っていた。
 (だれだろう? これが浩の不倫相手だろうか? それとも、どこかから手に入れたものだろうか?)
 わからなかったが、その女性の顔を頭に焼き付けておいた。

 その女性の身元はすぐにわかった。斉藤茂と仲良しになって、遊びに行ったときに、斉藤茂の家の近くでその女性を見かけたのだ。
 「茂君、ミチルにお勉強教えてやってよ」
 その女性は、斉藤茂に親しそうにそう言ったのだ。
 「いいですよ。じゃあ、今から一緒に勉強しましょう」
 「じゃあ、待ってるわ」
 家の方に戻っていく女性の後ろ姿を見ながら、博子は斉藤茂に尋ねた。
 「あの人、誰?」
 「ミチルのお母さんだよ」
 「ミチルって、沖中ミチルの?」
 「そうだよ」
 ちょっと活発な女の子だったなと顔を思い出した。
 「一緒に行ってもいいかな?」
 「いいんじゃないかな?」
 博子は、斉藤茂と共に沖中ミチルの家へ行った。
 「あら? 大久保君も一緒なの?」
 愛くるしい目をクルクルさせて沖中ミチルが二階から降りてきた。
 「お邪魔かな?」
 「そんなことないよ。上がって」
 ミチルの部屋は女の子らしい臭いがした。鞄から教科書とノートを取り出して、三人並んで勉強を始めた。
 しばらくしてミチルの母親がジュースとお菓子を持ってやってきた。博子は彼女をジッと観察した。
 髪の長さ、耳の格好、耳の後ろのホクロ、すべてがあの写真と一致した。
 (あの写真は全部ミチルの母親のものだわ。とてもあんなことをするようには思えないけど)
 コンピューターの画面一杯に映し出された痴態を思い浮かべて、博子は唖然として彼女を見つめていた。
 「大久保君って、お父さんがこのまえ亡くなった、あの大久保君?」
 「はい。そうです」
 ちょっと妙な光が母親の目に走った。
 「PTAを代表して、お葬式に行かせて貰ったけど、大久保君、いなかったわね」
 「入院していたものですから」
 「そう。力を落とさないでね」
 「ありがとうございます」
 白々しいことをと思ったが黙っていた。

 夫・大久保浩が沖中美津子と不倫していたことは間違いなかった。その沖中美津子が、大久保博子の名前を騙って睡眠薬を手に入れていたことも疑いはなかった。しかし、それは状況証拠にしかならない。確たる証拠を掴まなければ、浩の犯罪は立証できないのだ。
 博子は、家の中では浩を観察し、沖中家を訪れては沖中美津子を観察した。そうして、1年が過ぎ去っていった。

 沖中美津子の夫が事故で死んだという話を聞いたのは、ホームルームの時間だった。
 「ミチルは、腕を骨折しただけで助かったが、お父さんが亡くなってしまったんだ」
 博子はしまったと思った。しかし、もう手遅れだった。けれど、この機会に何かの尻尾を掴もうと奔走した。
 証拠を見つけるのは容易な話ではなかった。しかし、沖中ミチルのお見舞いに行ったとき、傷の入ったレジャーポットを見て、もしかしたらと思った。
 すっかり元気がなくなって別人のようになった沖中ミチルの口から、山頂でそのポットに入ったコーヒーを飲んだという話を聞きだした。
 博子は、そのポットをこっそりと持ち出して、コーヒーを少し入れてから、かつて手に入れた睡眠薬を溶かして沖中愉司の車の中に放置しておいた。それから、博子は声色を使って、事故車の中を調べろと警察に電話しておいた。
 しばらくして警察に電話すると、現在調査中だという返事が戻ってきた。どこまで捜査が進んでいるのかわからなかったけれど、ともかく博子は待つことにした。

 年が明けても警察が動く様子はなかった。しかし、それは博子が気がつかなかっただけで、水面下では動いていたのだった。
 春休みになり、浩が沖中美津子と再婚すると言いだした。ふたりがとうとう本性を出したと思った。
 沖中家で同居することになり、博子は沖中ミチルの向かいの部屋へと移り住んだ。美津子のよがる声が聞こえてきたときには、腹が立って殺してやろうかと思った。しかし、とてもそれはできそうもなかった。人を殺すには相当の覚悟がいるのだ。それに大人を相手に子どもとなってしまった自分が殺せるはずもないと諦めていた。

 ところで、博子は大介の体に入ってから、ずっと説明できない違和感に捕らわれていた。それは、女から男に変わったせいだと言うことはわかっていた。女に戻りたいと思っていたのだが、決心が付かなかった。
 そんなとき、沖中ミチルにいろいろな噂が飛び交い始めた。その噂は、男である大久保大介と同居していることに原因があった。
 (男だからミチルがいろいろ言われるんだ)
 博子は、もうひとりの被害者である沖中ミチルのためにも、男の体を女に改造しようと決めたのだった。

 浩と沖中美津子が逮捕され、その悪事が暴露され、博子はホッと一息をついた。
 (あとは女に戻るだけだわ)
 博子は、浩の口座から大久保大介の口座へ移された大久保博子の死亡保険金のうち、生活費として沖中ミチルに手渡すお金以外の金銭をすべて体の改造へと回した。そうして今や博子の体は、股間の一部を除いてすっかり女へと変身したのだった。