第20章 それでも愛している

 沢渡慎仁は、週刊誌を見つめていた。週刊誌を持つ手が心なしか震えていた。
 『睡眠薬殺人事件解決のヒロインは、実はニューハーフ!!』
 そのタイトルが頭の中を駆けめぐっていた。話題となっている性転換女性は、沢渡が愛した三浦冴子に間違いがなかった。
 (彼女が男だったなんて・・・・)

 沢渡が当時三浦冴子と名乗っていた石田健介に出会ったのは、1年半ほど前のことだった。
 研究室には食堂などがなかったから、昼休みになると弁当持参の数人を除いて近くにあるレストランなどに出かけていた。
 「今日はカトレアに行こうか?」
 今は大学に戻っている保田公雄と共に研究所の近くにある喫茶店へ行った。店の奥にある席に陣取って雑誌を読んでいるとウエイトレスがやってきた。
 「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
 テーブルの上にお冷やの入ったコップを置きながらウエイトレスが尋ねた。
 「俺は、日替わりでいいや。沢渡は?」
 「そうだな。俺も日替わりでいいよ」
 「じゃあ、日替わりふたつ」
 「お飲物はどういたしましょう? 先にお持ちしましょうか?」
 「アア、そうしてくれ」
 「マスター! 日替わりをふたつお願いします」
 ウエイトレスが立ち去っていくと、保田が沢渡に話しかけた。
 「見かけないウエイトレスだな。新人かな?」
 「そうみたいだな」
 「結構可愛い娘じゃないか。おまえ、興味ないのか?」
 「ぜんぜん」
 実際その時、猿渡はウエイトレスの顔をじっくりとは見ていなかったし、研究のことばかりが頭にあって女どころではなかった。
 「そうか。俺はいいと思うけど」
 「なら、アタックしろよ」
 「そうだな」
 保田は、ウエイトレスの尻や足をジッと眺め、日替わりを持ってくると、胸のあたりを覗いてみていた。
 沢渡は、その時彼女の顔をあらためてジッと見た。
 (まあまあだな)
 それがその時の沢渡の印象だった。決して一目惚れとか言うことはなかった。

 週に1、2度その喫茶店に顔を出すのだが、保田は彼女から名前を聞き出した。
 「三浦冴子って言うそうだ。彼氏はいないらしいぞ」
 「そう」
 その時も気のない返事をした沢渡だった。

 「もしかして、彼女、おまえに気があるんじゃないか?」
 保田がそう言いだしたのは、彼女をカトレアで見かけてから20日ほどたったときだった。
 「どうしてだよ?」
 「皿の上を見ろよ」
 「皿の上?」
 沢渡はテーブルの上に置かれた定食の皿を見つめた。
 「皿がどうしたんだ?」
 「よく見ろよ。トンカツの大きさが違うだろう?」
 そう言われて皿に載ったトンカツを保田のものと見比べてみた。大きさが明らかに違うようだった。
 「偶然さ」
 「偶然じゃないぜ。先週からおかしいと思っていたんだ。おまえに皿の方が量が多い」
 「嘘だろう?」
 「じゃあ、確かめてみるか?」
 「ああ」
 半信半疑ながら沢渡は保田の言葉を確かめることにした。

 翌日から、毎日カトレアに行ってみた。沢渡は保田の言葉を信じざるを得なかった。カップに入ったコーヒーの量も沢渡のものはなみなみと注がれていた。
 「言ったとおりだろう?」
 「まあ、そうみたいだな」
 「俺は諦めるから、おまえ、アタックしてみろよ」
 「あ、うん」
 返事はしたものの、沢渡は動かなかった。それを見かねて保田がお膳立てをした。
 「彼女を映画に誘っておいたからな。一緒にいってこい」
 保田の好意を無駄にしたくなかったから、沢渡は指定された待ち合わせ場所に向かった。もちろん、ちょっと気取った格好をして。

 いつものウエイトレス姿からは想像できないように変身した彼女に、沢渡は胸が高鳴った。このとき、沢渡は彼女の虜になった。
 映画を見終わったあと、沢渡は食事に彼女を誘った。先輩に教えて貰っていたちょっと洒落た創作料理を出してくれるレストランだった。
 「美味しいわ」
 そう言いながら彼女は沢渡に笑顔を向けた。沢渡はその笑顔が可愛いと思った。その少し厚ぼったい唇を奪ってみたいと思った。
 その願望は、その夜実現した。どちらが言うともなく、ラブホテルの門をくぐったのだった。

 服の上から想像していたよりも豊満な胸。最近の女はみんな寸胴が多いのに、引き締まったウエスト。ヒップはやや小さめだが形がよかった。
 その厚ぼったい唇に銜えられたとき、思わず暴発しそうになった。プロの女以外にはフェラチオなどされたことはなかったが、プロ並み、いやプロ以上にうまいと沢渡は思った。
 その締まりの良さにも沢渡は感激した。感じれば感じるほど、その締まりがよくなっていったのだった。
 冴子の中で果てたとき、冴子が挙げた歓喜の声も素晴らしいと思った。

 その日から週に一度デートをし始め、それが週に二度となり、やがてふたりは一緒に暮らし始めた。
 共働きのような状態だったけれど、冴子は家事をきっちりとこなし、昼食用の弁当まで作ってくれた。研究が長引いたときなどは、夕食も届けてくれた。
 そんなとき、冴子は研究室のドアを閉めて沢渡を誘った。
 「排卵日は体が火照るの」
 そう言いながら、妊娠したら困るからと言ってコンドームをつけさせてセックスにふけった。
 生理中という5日間は決してセックスさせてくれなかったけれど、危険日を除けば、冴子の中に放出させてくれた。
 (結婚したい。冴子と一生を共にしたい)
 そう思い出したのは、一緒に暮らし始めて半年した頃だった。
 「冴子。結婚してくれないか?」
 ベッドの中で冴子に言うと、冴子は涙を流しながら頷いた。
 「こんな女でよかったら」
 沢渡は喜びで一杯だった。週末には両親に会わせようと準備に取り掛かった。しかし・・・・。
 翌日、研究所からアパートへ帰ると冴子の姿がなかった。
 (いつもは俺より早く帰っているのに)
 仕事で遅くなっているのかと思い、カトレアに電話した。
 「今朝、店にやってきて、沢渡さんと結婚するから店を辞めたいって言うんで、それはおめでとうって言ったんだ。まだ帰ってないの? 買い物でもしてるんじゃないの?」
 「あ、そうですか。わかりました。もう少し待ってみます」
 待てど暮らせど、冴子は帰ってこなかった。そのまま冴子は姿を消してしまった。そして、あの日、突然冴子が姿を現したというわけだった。

 (俺が結婚したいって言ったとき、涙を流したはずだ。それほど嬉しかったのだ。しかし、元は男だから叶わぬ夢と諦めて、俺の元から去っていったのだ。・・・・可哀相なヤツ。ああ、冴子。おまえの名前は冴子じゃないことはわかっている。しかし、俺にとっては、おまえは冴子だ。俺は今でもおまえを愛している。男だとわかった今でも。どこにいる? 冴子? 俺と結婚してくれ)
 沢渡にとって、三浦冴子こと石田健介は、最愛の女性だった。性転換して女になったなどと言うことはどうでもよかった。
 沢渡は、有給休暇を申し出て、自分の愛した三浦冴子を捜すために出発した。

 沢渡は、松浦麗子として働いていた職場を訪れた。ちょうど出てきた男を捕まえて尋ねてみた。
 「松浦麗子? あのおかま野郎のことか?」
 「ま、そうですけど、いますか?」
 「いるわけねえだろう? 恥ずかしくって、ここで働けるもんかよ」
 吐き捨てるように男が言う。
 「どこにいるかわかりませんか?」
 「あんた、おかま野郎のなんだい?」
 二度目のおかま野郎という言葉に、沢渡はかなりムッと来ていたけれど、ぐっと我慢して答えた。
 「彼女に貸しがあるもので」
 「貸し? あんたもあいつに貢がされたんだな?」
 愛している人のことを悪く言われて切れそうになるけれど、ここで妙なことを言うと彼女の居場所を教えてくれないかもしれない。
 「そう言う訳じゃないんですけどね。わかります? 居場所は?」
 「アパートじゃないか? もっとも、もう追い出されているかもしれんけどな」
 「アパートの場所はわかりますか?」
 「およその場所は知ってるけど、正確は住所は事務に聞けばいい。あそこの建物だ」
 ありがとうと礼を言って、沢渡は事務室に入って、中にいた女性に松浦麗子の住所を尋ねた。
 「松浦さんが男だったなんて信じられないわ」
 そう言いながら、アパートの住所を教えてくれた。ここでも松浦麗子との関係を聞かれたけれど、はぐらかしておいた。
 沢渡はすぐに教えられた住所へと向かった。

 教えられた松浦麗子の部屋には鍵がかかっていた。
 「松浦さんは、もう引っ越したわよ」
 隣の部屋から顔を出した中年の女性が沢渡に告げた。
 「どこに引っ越したかわかりますか?」
 「さあ・・・・」
 沢渡は途方に暮れる。
 「松浦さん、男だったんですってね?」
 「あ、そうらしいですね」
 「信じられないわ。・・・・あなた、松浦さんとどういうご関係?」
 「あ、いえ。ちょっと貸しがあるもので」
 その女性は、沢渡に疑いの目を向けてきた。
 「もしかして、松浦さんとつき合っていたひとのひとりね?」
 沢渡は黙ったまま突っ立っていた。
 「松浦さんを追いかけるつもりなの? 松浦さんは男なのよ」
 「ぼくは彼女が男だなんて思っていません。ぼくの中では女です!」
 そう宣言すると、その女性はにっこりと微笑みかけてきた。
 「そう。今時珍しく実直な方ね。そうだ。いいことを教えてあげましょう。彼女が出て行くとき、彼女によく似たひとと一緒だったわ」
 「彼女によく似たひと?」
 「そう。少し年がいっていたけど。あの女性、きっと、松浦さんの母親だわ」
 「すると・・・・」
 「松浦さん、実家に戻ってるんじゃないかしら?」
 「すみません。ありがとうございました」
 沢渡は深々お頭を下げると、階段を掛け下っていった。沢渡は、週刊誌に書かれていた石田健介の実家のある仙台へと向かった。

 仙台駅で降り立ち、タクシーに乗って住所を告げると、タクシーの運ちゃんは、記者か何かかねと尋ねてきた。めんどくさいので、そうだと答えた。
 「女になって、男に貢がせていたらしいね」
 「そんなこと、誰に聞いた!」
 血相を変えた沢渡に、運ちゃんはただの噂だと小さな声で答えて、それ以上言葉を発しなかった。

 石田家は田んぼに囲まれた大きな屋敷だった。ゴクリと唾を飲み込んで、沢渡は門をくぐり玄関へと向かった。
 玄関先に水を撒いている女性がいた。その女性は沢渡の顔を見ると驚きの表情を浮かべた。
 「さ、沢渡さん・・・・」
 その女性は春菜と名前を変えた健介だった。
 「元気だったか?」
 「え、ええ。どうしてここへ?」
 「君の両親はご在宅かい?」
 「いますけど、どんな用事でしょうか?」
 「ちょっと話があるんだ。会わせてくれないか?」
 「会って、何をするつもりなの?」
 「会ってからだ」
 それまでの間、健介が関係した男たちから、騙された、慰謝料を払えなどとの苦情が寄せられていた。沢渡もそんなひとりだと健介は思っていた。だから両親には会わせたくなかった。
 しかし、毅然とした沢渡に気推されて、健介は座敷に沢渡を案内した。両親を呼んで、座敷に行くと、沢渡は両手をついて挨拶した。
 「沢渡慎仁と言います。お宅のお嬢さんと結婚の約束をしております。お嬢さんをわたしに下さい」
 その言葉に、両親は勿論、健介自身もビックリした。
 「き、きみ! 沢渡さんと言ったね。この娘がどういう娘なのか知ってるのかね?」
 「知っております。知った上で、お願いに上がっているのです」
 沢渡は、父親の顔をしっかりと見据えて答えた。
 「そ、そんなことはできん!」
 「どうしてでしょうか?」
 「この娘は、この娘は、・・・・男なのだよ」
 「今は女性です。そうではありませんか?」
 「確かに女性には見えるだろう。しかし、戸籍は男だ。男同士の結婚は許されてはおらん!」
 「正式には結婚できないかも知れません。しかし、養子縁組という手もあります」
 「し、しかし・・・・」
 「性別の変更を届け出て、うまく行けば、正式に結婚できるでしょう」
 「それはともかく、この娘は子供を産めないんだよ。それでもいいのか?」
 「子供を産ませるために結婚するのではありません。わたしはそこにいるお嬢さんを愛しているのです。愛しているから結婚したいのです。お願いです。わたしとお嬢さんの結婚を許してください」
 「君は正気なのか? ご両親はこのことをご存じなのか?」
 「両親は関係ありません。ホントのところを言うと、あなた方ご両親の許しを得る必要もありません。お嬢さんさえその気があるのなら、今からでも連れて行きます」
 父親は石田健介の顔を見た。健介は涙をボロボロと流していた。その涙は喜びの涙だった。
 「もし、いやだというのなら、婚約不履行で訴えます」
 「ホントにわたしと結婚したいというの?」
 涙声で健介が尋ねた。
 「ホントだよ。君なしでは生きていけない。一緒に暮らしてくれ」
 「お父さん・・・・。いい?」
 健介が父親の顔を窺った。
 「わたしにはなんと答えていいやら・・・・」
 父親は困惑していた。許すとも許さないとも言えなかったのだ。
 「石田家はこのようなお屋敷ですから、何かと噂も飛び交うことでしょう。お嬢さんはここにおられない方がいいと思います。わたしが責任を持って面倒をみますから、どうぞ、よろしくお願いいたします」
 沢渡は再び頭を下げた。
 「い、いや。わたしは春菜をやっかい払いにするつもりはない。沢渡さんが、どうしてもとおっしゃるのなら、この屋敷から嫁に出してやろうと思う」
 「お、お父さん・・・・」
 健介の父は、ずっと健介とは口をきかずにいた。だから、健介は父の言葉にむせび泣いた。
 「それでは、両親を連れて、あらためてお願いに参ります」
 沢渡はそう言い残して屋敷をあとにした。

 沢渡の両親は当然のごとく大反対だった。しかし、沢渡はガンとして曲げず、とうとう両親を説き伏せた。そして、一ヶ月後に約束通り両親を連れて、健介を嫁として貰い受けに石田家を訪れた。互いの両親は困惑していたが、当人たちは大喜びで婚約が整った。
 健介が性転換して春菜と名乗っていることは近隣の人たちに広く知れ渡っていた。しかし、父親は両親を亡くした遠縁の娘を預かっていて、石田家から嫁に出すのだと宣言した。大声で言った方が勝ちなのか、春菜となった石田健介があまりに女らしかったせいもあって、父親の発言の方が正しいのではと思う人も出てくるようになった。
 父親は、親戚を集めて盛大な結婚式をやってやり、健介は女として、沢渡の元へ嫁いでいった。
 この間、健介は、春菜への改名と性別の変更を願い出ていたが、改名は許されたが、性別の変更は認めて貰えなかった。
 「いいさ。許されるまで何度でも申請しよう。俺としてはともかく一緒に暮らせればいいのだから」
 「あなたみたいな人に出会えて、ホントに嬉しいわ」
 健介は長い旅路の末に幸せに辿り着いたのだった。

 あの日、あの事故がなければ、健介が事故の真相を探らなければ、誰かが健介のことを女ではないと雑誌に売らなければ、健介の運命は変わっていただろう。
 ひとの運命とはわからないものである。