ぼくはホモだと告白した大久保大介。沖中は、沖中ミチルの名誉を守るためにそんな告白をしたと思っていた。ところが、大介はホントにホモらしいのだ。
5月の連休が過ぎたある日、大介がミチルの部屋をノックした。美津子なら、すぐに部屋の中に入ってくる。大久保親子がミチルの部屋をノックしたことがなかった。だから、ノックの音がしたまま誰も入ってこないので、空耳かと思っていた。
するともう一度ノックの音がした。今度は空耳ではないことは確かだった。
(誰だろう? ミチル?)
(さあ、幽霊かしら?)
(幽霊なんかいるものか)
(とにかく返事をしましょう?)
「誰?」
ドアの方を向いて恐る恐る返事をした。
「ぼく。大介」
その声のホッとしながら、首を傾げた。
「なに? なんの用?」
「ちょっとお願いがあるんだ。入ってもいい?」
(ミチル? どうする?)
(変なことはしないと思うけど)
(じゃあ、入って貰うよ)
(うん)
「どうぞ」
大介は、そっとミチルの部屋に入ると後ろ手にドアを閉めた。
「ごめん。勉強中に」
「いいのよ。なに? お願いって」
大介はもじもじとしてなかなか言い出さない。
「なによ? 早く言いなさいよ」
強く言うと、ついに意を決したように言い出した。
「実は・・・・。実は、下着を買ってきて欲しいんだ」
「し、下着を?」
下着くらい、自分で買いに行けばいいじゃないかと思った。
「男の子のものじゃなくて、女の子のものが欲しいんだ」
「ええっ!!」
「ぼく、みんなにも告白しただろう? ぼく、女の子になりたいんだ。下着も女の子のものを着たいんだ。だから・・・・。でも、学校じゃあ知られていても、外の人は知らないだろう? 女の子の下着なんて買いに行けないから」
「あ、あなた、ホントに、ホモなの?」
「ホモって言い方は、みんなから見ればそうなんだろうけど、ぼく自身は女だと思っているから、男の子が好きになるのは当然なんだ。ぼくとしてはヘテロだと思っているんだ」
「あ、ああ。そうなの・・・・」
わかるような気がしたけれど、どうも理解できなかった。
「買ってきてくれる?」
そう言って頼む仕草はまるで女の子のように見えた。
「いいけど。サイズは?」
「計ってあるよ。これでお願いするよ」
大介は沖中に小さなメモを手渡した。
「下着だけでいいの? 服は、いらないの?」
「お母さんの服が少し残っているから」
「お母さんの服って、ちょっと地味じゃないの?」
「けど、お金がないから」
「そうか。そうよね。わかった。とにかく、下着、買ってきてあげるわ」
「助かるよ。それと、ついでにお願いがあるんだけど」
「なに?」
「うちのお父さんはこのことを知らないんだ。どうせ知られるとは思うけど、しばらくは黙っていて欲しいんだ」
「わかったわ」
「じゃあ、お願いするよ」
大介は音も立てずにミチルの部屋を出て行った。
(へえ、信じられないわ。ねえ、お父さん?)
(まったくだ)
(ホモだったら、女の子には興味がないから、覗かれたり、いやらしい目で見られたりする心配はないわね)
(ああ。少し楽になるね)
翌日の学校の帰り、沖中は街のデパートのランジェリー売り場に寄った。初めてそこへ行ったときは、ちょっと目のやり場に困ったのだったけれど、ミチルにお父さんは立派な女の子なのよと言われて、ショーツとブラジャーを買ったのだった。それから3度目の買い物だったから、もう平気になっていた。
(Mサイズか。あんまり派手なものはダメだろうな?)
(そうね。それなんかいいんじゃないの?)
それは空色のショーツだった。レースの部分も可愛かった。
(これ。自分のにしようか?)
(同じものをふたつ買う?)
(洗濯したときにばれなくてすむかな?)
(それはそうだけど、大介が穿いたのをわたしたちが穿かなければならなくなるかもよ)
(そうか。じゃあ、この色違いを買っていこう)
同じデザインの白とごく薄いピンクと空色のものを買った。
(次はブラだね)
ショーツと同色のものを買うことにした。ミチルのサイズはCカップだけど、大久保大介が指定してきたのはBカップのブラだった。
(サイズが違うと、洗濯したときにばれるかもね)
(それよりも、毎日ふたつ洗濯に出たら不審に思われないか?)
(あ、そうか・・・・。大介、どうするつもりなんだろう?)
沖中たちが考えることじゃないと判断した。
「ありがとう。助かるよ」
嬉しそうな顔をして、大介は買い物袋を受け取った。
「いつ、着るの?」
「夕食がすんで、お風呂に入ったら部屋で着替えるんだ。夜はお父さんたち、部屋には来ないから」
「そう。洗濯はどうするの?」
「お風呂に入ったとき洗って、部屋に干しておく」
「うちのお母さんに見つからないかしら?」
「ぼくの部屋は覗かないから大丈夫だろう? それにばれたときはばれたときさ。どうせ、そのうちばらさなきゃいけないんだから」
「そう・・・・」
沖中としては非常に複雑な心境だった。
夕食がすみ、沖中は入浴して部屋に帰った。しばらくして、大介が階段を上ってきて部屋に中に入った。沖中は、耳を澄まして大介の部屋の様子を窺った。わずかに衣擦れの音がするような気がした。
(どんな格好してるんだろうな?)
(さあ)
(見せて貰おうか?)
(そうだね)
美津子と大久保浩はまだ階下にいた。美津子は片づけを終えて入浴しているようだし、大久保浩は水割りでも飲みながらテレビを見ているようだ。
沖中は、ドアをこっそり開けて、大介の部屋のドアを小さく叩いた。
「誰?」
囁くような小さな返事が戻ってきた。
「わたし」
ドアが少しだけ開いた。白いブラウスにチェックのミディ丈のスカートが見えた。
「なに?」
「ちょっと見せて」
大久保大介はちょっと躊躇ったようだが、ドアを開いて沖中を招き入れてからすぐにドアを閉めた。
「へえ・・・・」
沖中は唖然とした。ブラウスとチェックのスカートがよく似合っていた。髪の毛は短いままだけど、うまく女の子のようにセットし直してあった。
「化粧、できるのね?」
「あ、まあ」
中学生がするにはちょっと濃いめの化粧だったが、まったく女の子に見えた。
「信じられないわ・・・・」
「黙っててよ」
「勿論だけど。ホント、女の子みたい」
「わたし、これがホントの姿なの」
大介はくるっと回って見せた。
「胸には何を入れてるの?」
Bカップのブラジャーをしているのだろう、きちんとした膨らみがあった。
「伝線したストッキングだよ」
「そんなもの、どこから手に入れたの?」
「君のお母さんが、ゴミ箱に捨てたのを拾っておいたんだ」
「準備してたんだ」
「そうだよ」
「いつからそんなふうに?」
「・・・・1年前からかな?」
沖中が大介を見かけたとき、内気で頼りなさそうな子だとは思ったが、女になりたいと思っているとは考えなかった。
「どうするの? 将来、女の子になるつもりなの?」
「ええ。女性ホルモンを打って、胸を大きくして、邪魔なものは取り除くつもりよ」
「本気なの?」
「勿論!」
その表情は妙な自信に満ちていた。
大介がホモで、女になりたいと思っているという話が父親の大久保浩の耳に入ったのは、それからまもなくのことだった。PTAの会合で噂を聞いた美津子が大久保浩に報告したのだ。
「大介! おまえ、何を考えている!!」
バシッと音が響いた。大介の頬を叩いた大久保浩の方が痛そうに顔を歪めて手を押さえていた。
「ぼくは女になるんだ。あんたには止められないよ」
まるで他人に言うように大介は宣言して部屋に上がっていった。翌日から、大介は朝から女装し、どこから手に入れたのかセーラー服を着て学校へ通い始めた。学校から戻ってきても、すぐにスカートに履き替えた。何度殴っても、どう説得しても女装を止めないので、とうとう大久保浩は根負けして諦めてしまった。
男の子としての危険がなくなったから、沖中はセーラー服を着た大介と一緒に学校へ通った。途中で、池田華奈、松本亜由美と一緒になり、4人で登校した。
「大介って、こうしていると、ホントに昔から女の子だったみたいだわ」
「ありがと」
「大介じゃおかしいわね、ねえ、ミチル? 亜由美?」
池田華奈が言い出した。それは沖中も感じていることだった。まるで女の子に見える大久保大介に対して、大介君とは言いにくかったのだ。
「そうね」
「大介はどんな名前がいいの? なんて呼ばれたい?」
「・・・・博子」
大介は小さな声で言った。
「博子って、亡くなったお母さんの名前?」
「そう。わたし、お母さんの代わりに生きるんだ。女として」
「わかったわ。じゃあ、博子に決定! 今からわたしたちが大介のことを呼ぶときは博子って呼ぶわ。いいわね?」
「賛成!!」
「賛成!」
「じゃあ、3、2、1、0、スタート!」
そう言うわけで、沖中たちが大介のことを大久保博子と呼ぶことにした。その日のうちにその話は学校中へ広がり、大介はみんなから博子と呼ばれるようになった。
沖中愉司の一周忌がやってきた。沖中健司夫妻、美津子の姉・美代子夫妻、妹・美弥子夫妻を初めとして、葬式にやってきた親族の大部分がやってきた。
みんな喪服を着てやってきたが、葬式と違ったのは、みんな涙など流していないことだ。坊さんがやってきての法要が終わったあとは、宴会となったが、あちこちで笑い声が上がるくらいだった。まるで同窓会のようだと沖中は思った。
1年ぶりに会う親族に、体の調子はどうだとか、子供はどうしているかだとかの話ばかりで、沖中愉司の話はほとんど出てこなかった。『去る者は日々に疎し』とはこのことだと沖中は思った。
1周忌最後の挨拶に立った美津子は、型通りの挨拶をしたあと、大久保浩との再婚を発表した。
親族連中は呆れていた。とくに沖中家の親族はあからさまに非難の声を上げた。
「いくら一周忌が終わったからといって、愉司が可哀相じゃないか」
「3回忌が終わるまでまで待てないのか?」
そんな声に美津子はもう同居してるんですと答えた。その答えに親族たちはもう絶縁だと言い出す始末だった。それはそうかもしれないと沖中は思った。
美津子の親族はそそくさと帰路につき、沖中の親族は沖中の、つまり沖中ミチルの処遇について話し合いを始めた。
兄の健司が連れて帰ると言い出したときには、嬉しいような気がしたが、沖中は美津子の元に留まると宣言した。
「だって、学校を変わらなきゃいけないでしょう? それに、大久保の小父さんや大介君とも仲良しになってるから大丈夫よ」
そのひと言で、沖中は美津子と新たな義父、そして大介と暮らすことになった。
ところが、そんな生活は直ちに破綻することになった。一周忌が終わって二日目、3時限目の授業が終わると、教頭が沖中を呼びに来た。
「沖中さん、ちょっと校長室まで来てくれないか?」
「校長室? 何の用事ですか?」
校長室などに呼ばれたことはなかった。罰を受けるようなこともしていないし、逆に褒められるようなことも特に覚えがなかった。
訝りながら校長室へ行くと、大介も呼ばれていてソファーに座っていた。
「ビックリしないでくれ。君たちのお父さんとお母さんが逮捕された」
「えっ!!」
ふたり同時に驚きの声を上げた。
「それぞれの亡くなった妻と夫を殺した容疑だそうだ」
沖中と大介は顔を見合わせた。
「警察署で伯父さんたちが待っているから、すぐに行くように。学校の方は出席で処理しておくから。いいね?」
「はい」
(それぞれの亡くなった妻と夫を殺した容疑だって? あの眠気が関係あるのか? 疲れていたせいとばかり思っていたが・・・・)
沖中は、美津子をまったく疑ったことはなかったのだった。