第15章 第2の証拠

 松浦麗子は精力的に動き回っていた。
 (コーヒーに睡眠薬を入れたのは、亡くなった沖中愉司の妻・美津子に間違いないわ。事故に見せかけて夫を殺したんだわ。殺すには動機が必要だわ)
 麗子は保険の外交員を装って隣近所の奥さん方に沖中家についてそれとなく聞き込みをした。
 「仲がよかったってことはないけど、悪いってこともなかったわね。普通でしょう?」
 「夫婦喧嘩もなかったんですか?」
 麗子は聞いてみた。
 「美津子さんは、旦那さんに手を挙げられてことがないって自慢してたわね」
 「そうそう」
 誰に聞いてもだいたいそんな返事だった。
 (家庭不和はないようだ。となると、お金かな?)
 沖中愉司が死んで、5年前借金して買った家のローンが消えた。2500万相当の家が手に入ったことになる。さらに保険金が支払われていた。世帯主の男はみなそうだろうが、沖中愉司は生命保険に加入していた。死亡時3000万が支払われるものだったが、事故特約に入っていたから、倍の6000万が美津子に支払われた。
 簡易保険、勤めていた会社からの見舞金などを合わせると、9000万ほどの収入があったことになる。
 (殺すには充分な動機か・・・・)
 しかしと麗子は考える。麗子にとって、結婚して男と暮らすと言うことは理想だった。
 (夫を殺してまでお金が欲しかったのか?)
 これまで夫殺しをした女の殺人動機は、ギャンブルなどにのめり込んで借金を重ねた末だった。
 (美津子にギャンブル癖はない。それは聞き込みから確かだ。考えられるもう一つの動機は、・・・・男だ)
 美津子に男がいたという証言は今のところなかった。しかし、麗子はそれしかないと考えていた。
 (沖中愉司が亡くなって二か月になる。そろそろ動き出すかも)
 麗子は美津子の尾行を開始した。

 一週間がなんの動きもなく過ぎ去った。
 (違ったかな? コーヒーの睡眠薬は間違いだったのかしら?)
 沖中家の玄関から、セーラー服の女の子が飛び出てきた。
 (可愛いな。わたしもあの年頃には、あんなセーラーを着たいと思っていたけど、叶わなかったんだよね)
 そう思いながら、沖中愉司の娘・ミチルの後ろ姿を見送った。
 (今日も徒労に終わりそう。もう諦めようかな)
 そう思い始めて2時間がたった頃、美津子の姿が玄関に現れた。買い物かなと思ったが、いつもTシャツに綿のスカート姿なのに、ワンピースを着ていた。心なしか化粧も濃いような気がした。
 (間違いない。今から密会に出かけるんだわ)
 麗子の女の勘がそう伝えていた。麗子は、それとなく美津子を尾行し始めた。

 団地を出て、買い物に出かけるときには立ち止まるバス停を過ぎ去っていった。美津子がちらりと後ろを振り返った。ビックリしたが、麗子には気がつかなかったようだった。
 表通りに出て、美津子は辺りをきょろきょろと見回している。誰かに見られていないか警戒しているようだった。
 麗子のそばを走り抜けていった白いマークUが、美津子のそばに停まった。美津子は、さっと見回してからそのマークUにスッと乗り込んだ。運転手の背格好と髪型から、麗子は男だと判断した。
 (やった! みつけたぞ!!)
 麗子は、手を挙げてタクシーを止めた。乗り込んで運転手に指示した。
 「あの白いマークUを追って」
 運転手は返事をせずに車を走らせた。
 「あれ、あれ。今左折した車よ」
 「運転しているのは旦那さんかい?」
 突然運転手が話しかけてきて、麗子はちょっとどきりとした。
 「あ、いえ、違います」
 「じゃ、なに? あの女性の浮気調査?」
 そう答えておくのが無難だと思った麗子は、そうなのと答えた。
 「一ヶ月前にも、女性の探偵さんを乗せたけど、最近女性の探偵さんて多いの?」
 そんなことを聞かれても困るのだが、麗子は機転を利かせた。
 「男の探偵が尾行すると目立つでしょう? 今日みたいなウイークデーには女性の方が目立たなくていいのよ」
 「なるほど、なるほど」
 ウンウンと運転手は頷いている。

 マークUは、市街から少し離れたモーテル街へと入っていき、そのひとつに消えていった。
 「どうするの? 出てくるところをパチリかい?」
 運転手はカメラのシャッターを押す仕草をした。麗子は頷いた。
 「ありがとう」
 麗子は料金を支払ってタクシーを降りた。運転手が助手席のウインドウをおろして麗子に聞いた。
 「あとで迎えに来てやろうか?」
 「あ、いえ。結構です」
 「そう? じゃあ、頑張ってな」
 そう言い残してタクシーは走り去っていった。麗子は道路の反対側の草むらに隠れて二人の乗った車が出てくるのを待った。

 40分後、マークUがモーテルから出てきて来た道を戻っていき始めた。麗子はそのとき失敗に気づいた。その通りは車が少なく、ましてタクシーが通りかかることなどまれだったのだ。美津子の乗ったマークUが走り去っていくのを見ながら、麗子は舌打ちをした。
 そのとき、麗子のそばに車が停まった。先ほどの運転手が顔を出した。
 「乗った、乗った。まだ尾行するんだろう?」
 「すみません」
 麗子は急いでタクシーに乗り込んだ。
 「女を乗せたあたりに戻るだろうね」
 運転手のそんな言葉に麗子は考えた。するべきことはもう済んでいる。今更ドライブをしたり、食事に行ったりはしないだろうと。
 「運転手さん、探偵になったら?」
 「若いとき、やってたんだけどね。食えなくって運ちゃんをやってるんだ」
 「そうなんですか。どおりで」
 運転手は自慢げな表情をバックミラーから麗子に送ってきた。

 しばらくして美津子の乗ったマークUに追いついた。運転手の予想通り、美津子を乗せたあたりに戻っていた。
 人通りが少なくなったところで、マークUは路肩に停まり、助手席から美津子が降りてきた。今度は、真っ直ぐ前を見たままで、たまたま停まった車の横を歩いているのよという様子で歩き始めた。
 「どうする? ここで降りてあの女性を追うのか? それともあのマークUを追うかね?」
 「女性の身元はわかっています。マークUの方を追って」
 「了解!」
 運転手は嬉しそうな顔をして、ウインカーを出して走行車線に戻ってマークUを追い始めた。

 マークUは、美津子の住む団地の丁度反対側にある団地の進入路へと向かった。
 「こんなに近寄って気がつかないかしら?」
 麗子の乗ったタクシーのすぐ前をマークUが走っていた。
 「大丈夫だよ。あまり狭い道に入らない限り、尾行しているなんて思わないよ。何たってこっちはタクシーだからね」
 二つほど角を曲がって、マークUはハザードランプを付けて駐車場へとバックし始めた。麗子の乗ったタクシーはその後ろに停まって、マークUが駐車場へ消えるのを待っていた。その間に麗子はその家の表札を確認した。
 (大久保か・・・・)
 大久保という表札の付いたその家を通り過ぎたあと、運転手が尋ねた。
 「さて、これからどうする?」
 「ちょっと隣近所の聞き込みをします」
 「そう? じゃあ、ここまでだね」
 「ありがとうございました。お世話になって」
 「いいってことよ」
 料金を支払うと、タクシーはUターンして団地を下っていった。

 麗子は再び保険の勧誘員を装って大久保のことを調査した。
 (へえ。自動車会社に勤めているの・・・・)
 大久保浩は45歳で、東京の私立大学を卒業したあと、しばらくは電気関係の会社に勤めていたが、父親が病気になって戻ってきて、今の会社に勤め始めたとのことだった。
 (沖中愉司さんの乗っていた車はトヨタじゃないわね。となると、これが二人の接点ではないわね)
 妻は1年前、交通事故で死亡と聞いて、麗子は引っかかった。
 (交通事故で死亡?)
 不倫している二人の配偶者がいずれも交通事故死だなんて偶然にしてはできすぎていると麗子は思ったのだ。
 (大久保の妻も事故に見せかけて殺されたのでは?)
 考えれば考えるほど、それが真実のような気がした。
 (いや、先入観は捨てよう。先入観を捨てて、事実関係だけを警察に報告すればいいのだ。予断を挟めば信用してもらえない)
 大久保には、中学2年生の大介という息子がいた。
 (沖中愉司さんの一人娘と同級生だ。接点はここか?)

 麗子は早速得られた情報を持って警察を訪れた。
 「また、あんたか! 警察は、あんたが思っているほど暇じゃないんだ。帰った、帰った」
 けんもほろろに追い出された。
 「馬鹿! あんた、どこに目が付いてるの? あんたの頭に付いているのは節穴なの? あんたなんか、警察官をやっている資格がないわ」
 大きな声で叫んだものだから、填原は怒りをあらわにして麗子に殴りかかろうとした。
 「何をやってるんだ! 一般市民に手を出すとは何事だ!!」
 填原の上司がやってきて、填原を叱咤した。填原は苦々しそうな顔をして自分のデスクに戻っていった。
 「填原のことはお詫びします。しかし、あなたの言動もちょっと行き過ぎですな」
 「行き過ぎなんかじゃなりません。事実です」
 「ほう。何故そんなことを?」
 麗子は、それまでの経緯を細々と話した。填原の上司・桜庭は、腕組みをして麗子の話を聞いていた。
 「確かにあなたのおっしゃるとおり、おかしいですな」
 「そうでしょう? わたし一人じゃこれ以上調べようがないんです。お願いです。よく調べてみてください」
 「わかりました。なんとかやってみましょう」
 桜庭がそう言ってくれて、麗子はちょっと安心した。
 「これからは、警察に任せてください。あなたが妙につつくと、証拠が隠滅される恐れがありますから」
 「わかりました」
 麗子は意気揚々と警察署を出た。