腎換丹の送り主の記録より

 ぼくが中山家を訪れたとき、中山恵と君原仁美が仲良く肩を寄せ合って、出て行くところだった。ぼくは、ふたりの後ろ姿を見送った後、中山家の玄関のブザーを押した。
 「まあ、先生。どうぞお上がりになってください。主人が待っておりますわ」
 中山恵の母親がこれ以上ないという笑顔でぼくを迎えてくれた。
 「ふたりは今帰ったようですね」
 「そうなんですよ。さあ、さあ、どうぞ」
 ぼくが応接室に入っていくと、中山恵の父、中山五郎が両手をついて、深々と頭を下げた。
 「先生。何とお礼を申し上げて良いやら。恵があんなに元気になったのは、すべて先生のお蔭です。本当にありがとうございました」
 「中山さん、どうか頭を上げてください。ぼくは何もしてませんよ。ちょっと手を貸しただけですよ」
 「いや、先生。ご謙遜なさらなくてもよろしいです。今まで、どんな名医と呼ばれる人も治せなかったんですから」
 「治ったのは、あのふたりが偶然知り合ったからですよ。そうでなかったら、治っていませんよ」
 「しかし先生がふたりにあの薬を送ったから治ったのではないんですか?」
 「あの薬はきっかけに過ぎません。あの薬がなくても、早晩ふたりは回復したでしょう」
 「いや、いや。先生がいい薬を見つけて下さったお蔭ですよ」
 「あの薬は、ごく軽い安定剤なんですよ。そんな大それた効果はありませんよ」
 「ええっ、そうなんですか?」
 「そうなんです。飲んでも少し眠くなるだけで、効果という効果はありません。送った十三錠をいっぺんに飲んでも数時間眠るだけでしょう」
 「それで治してしまうなんて、やっぱり先生は名医だ。先生、お礼に一献差し上げたいのですが、受けていただけますか?」
 「いや、お気持ちは嬉しいのですが、真っ昼間からそういうわけにはいきませんよ」
 「まあ、そう遠慮なされずに。おおい、母さん。早くお出ししないか」
 「はい、あなた。用意できております。先生、ありがとうございました。まあ、おひとつどうぞ」
 断りきれずに、ぼくは真っ昼間から酒を飲む羽目になってしまった。中山の両親の喜びも分かるから、無碍に断るわけにもいかなかったのである。
          *
 中山家を辞して、ぼくは病院の部屋に戻って、あのふたりのことを思いだしていた。中山恵と君原仁美、ふたりともほぼ同じ病態にあった。性の認識が混乱していたのである。性同一性障害と言えばそうなのだが、いわゆる性同一性障害とは異なる特異な病態だったのである。
 中山恵は、幼い頃、双子の兄であった美樹が、誤って池に落ちて水死してからおかしくなったという。兄の美樹が死んでから、一人遊びする恵を観察していると、美樹になったり、恵に戻ったりしていたという。精神科のドクターの診察で、典型的な二重人格と判明した。
 投薬により人格はひとつとなって、自分は恵であると認識出来るようになったが、性に関しては女ではなく、男のままで、どのような治療を行っても改善が見られなかった。
 成長して、胸も大きくなり、生理も存在するのにも関わらず、女であるという認識がなく、恵は自分は男であると思いこみ、男言葉を使い、服装も振る舞いもまったく男性であった。そんなことを知らない人間にとっては、恵は男装して男言葉を使う、ちょっと変わった女の子としか見られなかったのである。
 いっぽう、君原仁美は、やはり幼い頃、可愛がってくれた母親が亡くなってからおかしくなった。名前も女のような名前であったし、父親のために家事をすることによって拍車がかかり、女の人格が存在する二重人格となった。
 仁美の場合も、治療により、人格の分裂はなくなったが、自分を女だと思いこむようになった。仁美の場合も自分の体が男であるという認識が全くなかった。生理などあるはずはないのにも関わらず、仁美は月に一度必ず体調を壊していた。その時、本人は生理になったと漏らしていたという。
 君原仁美は女言葉を使う、おかまみたいな男として、虐めにあったらしい。友達もできなかったから、父親に買い与えられたコンピューターに没頭し、その能力は誰もが舌を巻くほどであった。コンピューターソフトのプログラマーとしては一流で、仕事を頼む方としては、女言葉を使おうと女装しようとも関係がなかったのである。
 一般的な性同一性障害の場合、考えている性と実際の性が異なることに気づいているが、このふたりに関しては、実際の性が考えている性と異なることに敢えて気づこうとしないのである。不思議と言えば不思議な病態なのだ。
 ただ、恵は髪を伸ばし始め、服装も少し女らしいものを着始めており、いっぽう仁美も、スカートよりもジーンズなどの男らしい服装を始めていたから、改善の方向へ向かい始めていたのは事実である。しかし、いつになったら完全に治癒するかはまったく分からない状態であった。
 自分を男だと思いこんでいる女と、女だと思いこんでいる男がインターネットを通じて出会ったのは、偶然ではあるが幸運でもあった。しかも双方が一目惚れであったことがいい結果をもたらしたのである。
 ふたりとも性の認識が曖昧であったから、初めは互いに紹介された性であると認識していた。恵をあげて言うならば、恵は自分を男だと信じ、君原仁美は女だと思っていた。
 しかし恵は、周りの人間と比べてみて、仁美は女ではないらしいことに心の奥底で気づく。そうして仁美が恵の前にはっきりとした男として現れたとき、恵は仁美に愛されるために女に戻らざるを得なかったのである。
 そのためにはきっかけが必要であったが、たまたまぼくが送った薬がきっかけとなったようだ。彼女の本当の心理状態は測りがたいけれど、とにもかくにも恵は本来の性に立ち戻ることが出来たのである。薬の中に書いた説明書が暗示となって、おそらく恵は今後自分を男と思うことなく、一生女として暮らすことになるだろう。
 君原仁美についてもまったく同じ理由で、今後はまともな男として暮らしていくことになると思われる。
          *
 恵が働いていたコンビニの店長へのインタビュー
 「中山君、結婚するんですか。それはよかったですね。もちろん相手は男ですよね。
 初めてうちに来たときの様子ですか? 確か、彼女が大学に入った年の5月の連休が明けた時くらいだったと思いますよ。アルバイト募集の張り紙を見て応募してきたんですよ。
 いや、初めは、髪は短かったですよ。まるで少年でしたね。その時は、ちょっとボーイッシュな女の子だと思っていましたけど、ほんと、言葉遣いから態度まで、まるで男の子なんですよね。ビックリしましたけど、真面目でよく働いてくれるから、ずっとバイトして貰ってたんですよ。
 髪の毛ですか? 髪を伸ばし始めたのは、大学院に入ってからでしたかね。見かけは女の子らしくなったなと思っていましたけど、言葉遣いも態度も相変わらずでしたね。
 ボーイフレンドの話ですか? 聞いたことがないですね。どんな女の子が好みだとか言う話題ばかりでしたし、最近は好きな女の子が出来たという話をしていたから、レスビアンらしいという噂は本当なんだなあと思ってましたよ。わたしも彼女に合わせて話をしてましたけど、ほんと、あの時は真剣に悩んでましたね。
 結婚相手はあの山本君なんですか。そうですか。あのふたりは気が合ってたみたいですからねえ。初めて会ったときから。
 彼女がバイトに来てくれなくなるのは痛いけど、お幸せにとお伝え下さい」

 バイト仲間の佐田良介へのインタビュー
 「へええ、結婚するんですか。それはおめでとう。まさか相手は女じゃないでしょうね。やっぱ、男ですか。そうでしょうね。
 彼女との付き合いですか? ぼくがここでバイトを始めたのが、四年前だから、その時以来ですけどね。初めて会った時、可愛いなと思って、デートに誘ったんですよ。そしたら、何を馬鹿なことを言うんだというような目で見られましてね。あとで店長に彼女はレスビアンらしいと聞かされて、なるほどと納得したんですよ。
 普段はまるで男と話しているようでしたね。服装も男子学生と変わらないしね。ぼくはそんな女には興味ないから、店ではほとんど話もしなかったですよ。彼女もぼくを嫌っていたみたいですから」

 コンビニの店員、石井佐和子へのインタビュー
 「中山さんですか? 彼女、ほんと、まるで男の子でしたね。わたしとは結構仲が良かったから、いろいろ話はしたけど、女の子らしいところはまったくなかったですよ。化粧もしてなかったし、男性タレントやファッションの話をしてもぜんぜん興味なしって感じでしたもの。
 レスビアンらしいって噂ですか? 知ってますよ。わたし、レスビアンに興味があって、彼女にちょっと迫ったことがあったんだけど、わたしじゃダメだったみたい。
 ええっ。結婚するんですか? 信じられない。そうですか。おめでとうと言って置いて下さい」

 同級生、南和子へのインタビュー
 「中山のこと? うん、大学に入ってからの付き合いだわね。結構可愛い顔してるんだけど、話してみるとまるで男なのよね。言葉は勿論だけど、中山は何もかも男って感じ。わたしは、女同士だし、研究も同じ分野を選んだから、少しは話をするけど、他の人は気持ち悪がって、あんまり近寄らなかったみたいね。まあ、わたしと話をするって言ったって、中山は研究の話しかしなかったなあ。
 レズって噂? そうねえ。そうじゃないの? 入学したときは髪も短かったし、ほとんどジーンズにTシャツでしょう? スカートなんか穿いたの見たことがなかったし、男に興味がなかったみたいだから、レズじゃないかなって思ってたんだ。えっ、わたしがその噂を流したって? 冗談じゃないわよ。
 ここだけの話だけど、彼女は間違いなくレズよ。去年の暮れだったけど、中山が休むって電話が入ったんだ。声は中山だと思ったんだけど、女言葉なのよね。おかしいなと思って、あなた誰よって聞いたら、泡食っちゃってさあ。きっとレズの相手だなあって思ったんだ。何日かして中山に聞いてみたら、振られたって言ってたけどね。
 だけどビックリしたなあ。沢田助教授を中山のアパートに連れていった時ね。中山がワンピース着ているのを見たんだ。わたし、彼女がスカート穿いてるの見たのは初めてよ。しかも口紅なんかしちゃってさあ。女らしくすると可愛いのよね、中山は。負けたなって思ったよ。
 ええっ、あの時そばにいた、あの格好いい男の人と結婚するんですか。信じられないなあ。彼女、絶対レズだと思ったんだけどなあ。
 羨ましいなあ。あんないい男と。とにかく良かったわね。おめでとうって、言っといてね」

 沢田助教授へのインタビュー
 「中山君ですか? 彼女は優秀ですよ。女の子は彼女くらいの年になると男にかまけてしまって、研究何かしなくなるものなんですけどね。
 それに性格がいいですよ。男みたいで、気っ風もいいし。わたしは好きですよ。えっ、レスビアンって噂があったんですか? 知らなかったなあ。わたしは研究さえ進めてくれればいいですから。
 ああ、あの時の青年と結婚するんですね。結婚式に招待されてますけど、彼女に研究を続けさせてもらえるように、良く頼むつもりです」

 喫茶店バンビのマスターへのインタビュー
 「ああ、あのふたりのことですね。彼の方は以前からよく来てましたけどね。最初はちょっと女っぽいなと思ってたんだけど、スカート穿いてきたときはちょっとビックリした覚えがありますよ。だけど、自然なんですよね。仕草も女らしくて、話してて違和感がないんですよね。黙って座っていたら、誰もが女の子だと思っていたみたいですよ。お客さんがナンパしようとして、男だと分かってビックリしてましたもんね。
 彼女を連れてきたときは、もっとビックリしましたよ。彼女の方は、まるで男でしょう? おかまとおなべの組み合わせなんて見たことなかったから、どうなるのか興味津々でしたよ。
 ところがね。彼女を二度目に連れて来たときは、彼は男のように振る舞っていたし、彼女は可愛い女を演じてましたよ。どうなってんだろうなと思ってたんだけどね。次に来たときは、またおかまとおなべだよ。面白かったねえ。その次来たときは、うんとサービスしてやったよ。楽しませて貰ったお礼にね。また店に来てくれるように言って貰えますか? うんとサービスするから。
 えっ、あのふたり結婚するんですか。へええ。今はふたりはどうなってんですか? 普通の男と女。そうですか。なんか有り触れた結末ですねえ」
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 あれから三ヶ月後、中山の両親から、お礼の手紙とともに、ふたりの結婚式の写真が送られてきた。蝶ネクタイに銀色のスーツを着た君原仁美と純白のウエディングドレスを着た恵が幸せそうな笑顔を浮かべて写真に収まっていた。どうやら、ふたりは完全に治癒したようだ。
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 さらに一年後、可愛らしい赤ん坊を抱いたふたりの写真が送られてきた。幸せ一杯のふたりを見て、ぼくは羨ましく思う。
 ぼくは引き出しの中から、錠剤を取りだして、コップの水で飲み込んだ。それから着ていたスーツも下着も脱いで、タンスの中から、ショーツとブラを取りだして身につけ、お気に入りのドレスを着て、鏡に向かって化粧を始めた。
 ぼくにも君原仁美みたいな、ぼくにお似合いの相手が見つからないかしら。