目覚めたとき、先週と同じように山本の腕に抱かれていた。山本にせがんで、もう一度した。仁美のことは忘れていた。
(まだ午前7時だ。きのう錠剤を飲んだのが10時だったから、まだ時間はある。今日は慌てないでいい)
「美樹。服を着てぼくについてきてくれ」
ベッドから抜け出した山本が、真顔になって言った。
「どうしたの?」
「何も聞かないで、ついて来るんだ。いいね?」
今までと少し違った山本の目に、何も言えずに急いで服を着た。髪にブラシを掛け、ドレッサーを前にちょっと化粧してみた。山本は化粧の臭いは嫌いだと言ったけど、ホテルから出ていくのに、まったく化粧しないと言うわけにも行かないとおもったのだ。
部屋を出ながら、ドリカムの「嬉し恥ずかし、朝帰り」のフレーズが頭に浮かんだ。あの詩の気持ちが今はよく分かる。
玄関に降りるとタクシーが待っていた。ぼくが準備をしている間に山本が頼んでいたようだ。
タクシーで着いた場所を見てびっくりした。そこは仁美のマンションだった。
(仁美と同じマンションに住んでいるなんて・・・・。何という偶然だろう?)
信じられない面もちでついてゆく。信じられないことがまだまだ続いた。山本は仁美と同じ階のエレベーターのボタンを押したのだ。どんどん歩いていく山本が立ち止まったドアの表札には、君原と書いてあった。ぼくは他の部屋のドアをきょろきょろと見回した。そのドアは間違いなく仁美の部屋に通じるドアだ。
(山本と仁美はどんな関係なんだ? そうか。初めて山本に出会ったときに、何処かであったことがあると思ったのは、仁美に似ているからなんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう。兄弟? イヤ違うな。仁美も一人っ子だから、山本と仁美は縁戚関係、従兄弟くらいだろうか?)
山本はポケットから鍵を取り出してドアを開けた。
「中に入って。さあ、早く」
言われるままに中に入る。部屋の中を見回してみたけれど、仁美はいなかった。
(何処へ行ったんだろう。ほとんどいつもいるのに。コンビニに買い物でも行っているんだろうか?)
「コーヒー入れるから、座って待ってて」
山本の口調が変わった。
(えっ?)
ミルの音。コーヒーの香り。いつかと同じだ。山本がコーヒーをカップに入れて、テーブルに置きながら話し始めた。
「美樹は、ここに来たのは初めてじゃないね」
「うん」
「そう、ここは君原仁美の部屋だ。今、美樹は仁美とぼくはどんな関係だろうかと思っているだろうね」
「う、うん」
「こんなこと言っても、信じてもらえないと思うけど、実は・・・・」
「実は何なの」
ぼくは薄々気づき始めていた。これから山本が言うことに。
「実は、ぼくは・・・・、ぼくは君原仁美なんだ」
「ええっ」
やはり予想したとおりだ。ぼくは驚いて見せて、話を続けさせた。
「美樹に、以前変な別れ方をしたひとがいるっていっただろう?」
「ええ。中山恵一さんって言ってたわね」
「そう。何とか彼の気持ちが知りたいと思っていたら、ある日、変な薬が送られてきたんだ」
「変な薬?」
「その薬を飲むと男になってしまうんだ」
「ええっ!」
仁美にもぼくと同じ薬が送られていたんだ。いや違う薬かもしれない。ぼくは女に、仁美は男になる薬だ。しかし同じような薬に違いない。
「効果は二十四時間。あと二時間ほどしたら、ぼくは元に戻るんだ」
「信じられない」
「本当なんだ。男になって、山本明と名乗って、ケイに近づいたんだ。そして、仲良くなってケイの本心を知ることが出来た。お蔭で仲直りが出来たんだ。だけど困ったことになったんだ」
「困ったこと?」
「美樹がケイにそっくりだと言っただろう?」
「そう言ったわね」
「あの時、美樹はケイの従妹だろうと言ったら、言葉を濁したから、きっとそうだと思ったんだ。それを確かめようと、男に変身して美樹の後を尾けたんだ。男の姿の方が、ばれないだろうと思ったんだ」
「分かるわ」
「美樹は買い物を始めてしまって、ケイと接触しそうもないから、直接ケイとの関係を聞くしかないと思って、偶然を装って美樹に近づいたんだ」
「あの時、わざとぶつかったのね」
「そうなんだ。君と何とか接触でき、喫茶店で話しているうちに、どうしようもなく美樹が愛おしくなってしまってね」
「本気だったのね」
「自分がほんとは女であることを忘れて、本気で美樹を好きになってしまった。美樹が初めてここに来たときから感じていたんだけど、ぼくは美樹に一目惚れだったんだ。ケイに似ているという理由だけではなく、何て言ったらいいかなあ。どうも説明できないんだけど」
「わたしには、あなたの言うことがよく分かるわ」
「分かってくれるんだね。女のままだったら、仲の良い友達で済んだんだけど、男に変身できるものだから、男として美樹と仲良くなりたくて」
「男として?」
「そう、男として美樹を手に入れたくなったんだ。ぼくは性格が男なんだと思う」
「そうかもしれないわね」
ぼくは、仁美のチャットやメールの書き方が男みたいなのは、単に女だから馬鹿にされるとか言った理由ではなく、そんな性格から来ることを今初めて理解した。
「最初のデートの時は、そんなつもりはなかったんだけど、偶然が重なって、美樹と一夜をともにすることになったんだ」
「初めから、ホテルに連れ込むつもりじゃなかったのね」
「誓って言うよ。初めはそのつもりはなかったんだ。ここに帰り着いたときには、良心が痛んだ。でも、美樹のことが忘れられなかった。あの時、変身が解ける時間が近づいていて、慌てて別れたものだから、ケイと仲直りしてからも、どうしてももう一度会いたくなったんだ。ただ、昨日で最後にしようと思った。ぼくは、ずっと男のままではいられないから、美樹を不幸にすると思ったんだ」
「だから、あんなフランス料理の店や、スイートルームを予約したのね」
「美樹との思い出にしようとね」
「わたしはどうなるの? あなたがいなくなって、悲しまないと思ったの?」
「悲しむと思った。美樹もぼくを愛してくれていると実感できたから。だから、今朝あのまま別れられなかった。こうして説明すれば、分かってくれると思ったんだ」
仁美は今にも泣き出しそうだ。ぼくはしばらく仁美を虐めてやろうという気持ちになっている。
「分からないわ。どんな言い訳をしても、あなたは女に戻ってしまうんじゃないの。あなたは、自分の欲望を満たすためだけにわたしを抱いたのよ」
「そうじゃない。ぼくは美樹を愛している」
「でも、もうすぐ女に戻ってしまうんでしょう?」
「・・・・手がない訳じゃあない」
「えっ」
これには、ぼくの方が驚いた。どんな手があると言うんだ。
「あの薬の効果は、二十四時間だと言ったね」
「ええ」
「二個飲むと効果が四倍になるんだ」
「それでも四日でしょう?」
「三個飲むとさらにその四倍になる。つまり十六日間効果が続くんだ。一錠増える度にその四倍になる」
「どういうこと?」
「薬はあと八錠残っている。全部いっぺんに飲めば、計算上は約四十五年は元に戻らない。今はまだ薬が効いている。もし、薬が切れる前に飲めば、その四倍だから、一生元には戻らないんだ」
そんなことは、腎換丹の説明書きには何処にも書いていなかった。仁美の方には、そんな注意書きが入っていたに違いない。
「わたしのために、男になったままでいて!」
仁美は何て答えるだろうか? 仁美はまた泣き出しそうになった。
「美樹も、ケイも愛している。どちらも選べない」
「このまま時間が経てば、あなたは女に戻ってしまうわ。どうするの? ほんとはわたしを愛していないんじゃないの?」
仁美はとうとう泣き出してしまった。
「選べない、選べないんだ。ぼくは何て馬鹿なことをしたんだ。美樹に近づかなければ良かった。そうすれば、こんなつらい思いをしなくて済んだのに・・・・」
仁美の気持ちはよく分かる。ぼくだって同じだ。仁美を虐めるのはもう止めにした。ぼくは口調を変えた。
「きみの飲んだ薬は、腎換丹て言うんだろう?」
「・・・・どうしてそれを」
「きみらしくないね。まだ分からないのかい?」
仁美は涙で濡れた瞳でぼくを見つめた。
「ま、まさか」
「やっと分かった?」
「ケイ、ケイなのね」
仁美は女言葉になった。
「そうだよ。ぼくも腎換丹を飲んで、ぼくは女になったんだ」
「ひどいわ。初めから分かってたのね」
「違うよ。きみが仁美だと知ったのは、さっきここに来てからだよ。それまでは疑いもしなかった。どこかで会ったことがある人だなあくらいだよ」
「ほんとに?」
涙で潤んだ仁美の目が何とも言えない。
「嘘なんか言わないよ」
「そうだったの。良かった。別の人を愛したんじゃなくて。でもどうして女になってわたしに近づいたの?」
「バイト先に佐和ちゃんって女の子がいるのは知ってるよね」
「うん」
「ぼくはきみに振られたと思ったんだけど、本心が知りたくて。彼女と話していたら、女同士なら、本心を聞かせるかもしれないと言われたんだ。だから」
「そうだったの」
「きみは、美樹になったぼくに一目惚れだと言ったよね」
「うん、言った」
「ぼくも山本になったきみを好きになったんだ。男の時も何だか凄く気が合うなあと思っていたんだけど、女になったら、どうしても忘れられなくて。ぼくは、男の時も女の時も、仁美も山本も好きだったんだよ」
「わたしとケイは同じだったのね」
「そうなんだ」
「良かった。これで悩まなくて済むわ」
「きみは男と女とどっちが良い?」
こんな事を聞いたのは、はっきりとした理由がある。黙っていれば、ぼくは男に、仁美は女に戻ってしまうのだ。それで一件落着する筈だ。だけど、ぼくは・・・・、ぼくは女の方が良い。背も低いし。チャットの時に女言葉を使ったり、髪を長く伸ばしているのは、ぼくの心の奥底に、女になりたいという願望があるからだ。きっとそうだ。男と女の両方を経験して、女になりたいと思った。ただ、仁美が女に戻ることを希望したら、それに合わせて、ぼくは男に戻るつもりだった。
「どちらも良かったけど、わたしは女に戻るのが自然でしょう?」
「それはそうなんだけど、周りのことは無視して、自分の事だけ考えたら、どっちが良い?」
「わたしが男を選んだら、あなたはどうするの?」
「男同士より、異性の方が良いだろうから、女になるよ」
「それでいいの?」
「仁美に合わせるよ」
「そんなこと言われても困るわよ。あなたに無理はさせたくないもの」
仁美の選択は、言わなくても予想がつく。仁美は男を選択したがっている。ただ、ぼくに気を使っているのだ。ここはぼくの方から言い出した方が良さそうだ。
「ぼくは、女の方が良いんだ。きみに気を使っているんじゃないから心配しないでいいよ。ぼくはきみより、背も低いし。スカート穿いたり、お化粧したりするのは大変だけど、ぼくは自分が女になった方がふさわしいような気がするんだ」
「本当に?」
「ほんとだよ」
「それを聞いて安心したわ。わたしの方は、男の方がしょうにあっているような気がしていたの」
「じゃあ、意見が一致したところで、薬を飲もう」
「薬、持ってきているの?」
「きみと一緒にいるときに、切れたらいけないと思って持ってきているんだ」
「あとで後悔しないわね」
「もちろんだよ」
ふたりともケースに残った薬は八錠ずつ。今飲めば、一生ぼくは女で、仁美は男だ。お互いに顔を見合わせて、まるで心中するかようにして、薬を飲み干した。
目が覚めたとき、時計は午後三時を回っていた。一度にたくさん飲んだから、眠る時間が長くなったようだ。起きあがって確かめた。ぼくは女のままで、隣で眠っている仁美は男のままだ。
仁美を揺すると目を開けた。
「仁美、ぼくを一生愛してくれよ」
「もちろんだわ、ケイ」
「抱いてくれ、お願いだよ」
ベッドルームに行って、またしてしまった。二度も。昨夜よりも今朝よりも感じた。騙しているという罪悪感がなくなったせいだろう。
「この先どうしよう?」
「どうしようって?」
「二人でいる間はいいけど・・・・。わたしは、会社にほとんど行かなくて済むし、わたしに直接会ったことのある人間は数えるほどしかいないからいいけど、ケイの方が心配だよわ
「なるようになるだろう」
「大丈夫かなあ?」
「論文も終わって、卒業を待つだけだから。転居して女として暮らせば大丈夫だよ。ドクター課程に進めなくなったのは残念だけど」
「ごめんね。わたしのせいで」
「謝らなくていいよ。むしろぼくが望んだことだから」
「どうせ転居するなら、ここに越してこない? 二人住めるくらい広いから」
「いいのかい?」
「いいに決まってるわ。どうせ結婚するんでしょう?」
「結婚って」
「元々男と女で、お互いに入れ替わっただけだから、結婚できるじゃないの。それとも結婚するのがいやなの?」
「とんでもない。結婚できるんだね」
「そうよ。手続き上は、あなたが君原仁美で、わたしが中山恵一になるけどね」
「大好きだよ。仁美」
「いつ越してくる?」
「すぐには無理だよ。帰って片づけしなくちゃ」
「じゃあ、あなたのうちに行きましょうよ。手伝ってあげるわ」
「何かおかしいね」
「なにが?」
「言葉さ」
「あはは、そうね」
「今から、ぼくは女言葉を使うから、仁美は男言葉を使うんだよ」
「はい、分かりました。じゃあ、三、二、一。スタート!」
*
バスに乗って、アパートの近くの停留所で降りて、ふたりでアパートに向かって歩いていると、向こうから見覚えのある女がこちらに向かって歩いてくる。南だ。どうしてこんな所にいるんだ。彼女の家は、ぜんぜん別の所にあるのに。
ぼくは目を合わせないように俯き加減に歩いた。南がどんどん近づいてくる。
(どうか気づきませんように)
そんなぼくの願いも空しく、南が手を挙げて、ぼくに走り寄ってきた。
「中山、どうしたの? 今日はスカートなんか穿いて。あなたに出会って以来始めてね。結構いいじゃないの。沢田先生があなたに話があるって言うから、連れてきたのよ。まだ、アパートの前で待っているかもしれないわ。わたしはすぐに帰る用事があるから、沢田先生を置いてきたの。早くアパートに帰って!」
南はそう捲し立てると、さっさと行ってしまった。ぼくは呆気にとられた。
(どうしてぼくがスカートを穿いているのを不思議に思わないんだ。化粧までしているのに。まるで、ぼくが前から女だったような話し方をした。どうなっているんだ)
「今のは誰だい?」
「大学院の同級生なの。どうしてわたしがスカート穿いているのに、不思議に思わないんだろう?」
「そんなこと言われても、ぼくにも分からないよ」
ふたりで首を傾げながら歩き続けた。アパートの前には沢田助教授が煙草を吸いながら、ぼくの帰りを待っていた。
「やあ、中山君。もう十分も待ったら、帰ろうかと思っていたんだ。帰ってきて良かった」
沢田助教授も、ぼくがスカートを穿いて、化粧をしていることをまったく疑問に思わない様子だ。ますます分からない。
「君の論文の出来が素晴らしいという評価でね。君がもし希望するなら、ドクター課程に進めるよう手配しようと思っているんだが、どうだね?」
何が何だか分からないまま、ぼくは応えた。
「願ってもないことです。よろしくお願いいたします」
「良かった。何度電話しても出ないから、南君に連れてきて貰ったんだ。じゃあ、ぼくの方で出来るだけのことはやって置くから、明日にでも正式な手続きに来てくれ。出来るだけ早い方がいいよ」
「分かりました。早速明日にでも伺います」
「それはそうと、君はその格好の方が可愛いよ」
そう言うと、沢田助教授はアパートのそばに停めてあったベンツに乗って走り去っていった。
「ケイ、どうなっているんだ?」
「わたしにだって分からないわよ」
訳が分からないまま、部屋の戻って引っ越しの準備をする。要らないもの、仁美と重複するものは捨てて、要るものだけ箱に詰める。
すぐに日が暮れたので、台所で仁美のために腕を振るって夕食を作った。
「ぼくより料理が上手だね。ものすごく美味しいよ」
「ほとんど自炊だもの。うまくなるわよ」
「ぼくだってと言いたいところだけど、ほとんど外食だものね」
「うんと美味しいもの作ってあげるわ。毎日」
食事を済ませて、荷造りをほぼ終えてから、ふたりで入浴した。そして、裸のまま、布団に入って抱き合った。
(今日は四度目かな)
篠田の部屋が嫌に静かだ。きっと壁に耳を当てて、聞いているに違いない。この前は、ビデオだったけど、今日は本物だ。聞かれているのではないかと思うと恥ずかしくて堪らない。けれど、声を出さないようにと思えば思うほど、感じてしまうのだ。知らずに声を出してしまっていた。