今日は金曜日だ。予定では、ぼくの論文の添削が済んでいるはずだった。助教授室に顔を出すと、沢田助教授は不在だった。
研究室に戻ると伝言を書いたメモがぼくの机の上にあった。添削はほぼ終わったが、もう一度チェックするから、月曜日まで待ってくれと言う内容だった。
(やった! 時間が出来た。すぐにアパートに戻ろう)
南に見つからないように、そうそうに研究室から姿をくらました。
アパートの帰り着くと、まだ10時だった。女に変身して仁美のマンションに行くことにする。
薬を飲んでふっと眠ったあと、女になっていた。ジーンズに買ってきた提灯袖の服を着て、鏡を覗いてみた。
(ふふ。結構似合っているよ)
髪の毛の両サイドを三つ編みにして、いつもと雰囲気を変える。口紅を引いて、ウエストポーチの中に入れておいた。
タンスの中と探って、無地のハンカチとポケットティッシュも入れておく。これで準備OKだ。
白のスニーカーを履いて部屋を出た。部屋の外には誰もいなかった。
(良かった。今日は誰にも出会わなかった)
前回と同じルートをたどり、正午ちょっと前、仁美の部屋のブザーを押すと、眠そうな顔をしたパジャマ姿の仁美が顔を出した。
「ああ、美樹さん。今起きたところ」
相手が女だからだろうか、仁美はひとつ大きなあくびをした。
「あら、もうお昼よ。昼食用にピザ買ってきたの。一緒に食べようと思って」
「ありがとう。顔洗ってくるから、中に入って待っていて!」
寝室のドアが開いていて、ベッドが見えた。寝具やカーテン類はピンクで統一されている。枕元にはぬいぐるみがいくつか並んでいた。柄に似合わず、少女趣味だ。
一方、リビングの中は相変わらず散らかっている。床の上にいくつかのコンピューター関係の雑誌が広げられたままだし、ジャケットやスカートがソファーの上に乱雑に置かれていた。
(いつもこんな調子みたいだな)
持ってきたピザをテーブルの上に置くと、床に放り出されていたコンピューター雑誌を手にとって仁美が戻って来るのを待った。
トイレが流れる音がして仁美が戻ってきた。乱れていた髪の毛にはブラシが通されていたけれど、化粧などはしていない。つるんとして綺麗な肌だなとぼくは思っていた。
「わあ、おいしそう」
ピザが入っているケースの蓋を少し開けてみて仁美が嬉しそうな声を上げた。
「コーヒー入れるね」
「お願いします」
「お砂糖は要らないわよね」
「はい。もちろん要りません」
キッチンからコーヒーミルの音がしている。しばらくすると良い香りが部屋に漂い始めた。ぼくはいつもインスタントだ。本物のコーヒーが毎日飲める身分に早くなりたい。
「はい、どうぞ」
仁美がコーヒーの入ったカップをふたつ持って戻ってきた。そのコーヒーを飲みながら、ピザを囓った。
「このピザおいしいわね」
「バス停の前のピザ屋さんのだよ」
「ああ、あそこの? こんなに美味しいなんて、知らなかったわ」
手ぶらじゃいけないと思って、バス停に降りて初めに目に入った店で買っただけなのに、結構おいしい。ものも言わないで、ふたりでピザを頬張った。
ピザを食べ終わると、仁美はコーヒーのおかわりを注いだ。ぼくは先日ファミレスで見かけたOLがやっていたのを真似て、ティッシュで唇を軽く拭いてから、口紅をバッグから取りだして引き直した。仁美の方はまったくのすっぴんのままで、化粧など考えていないようだ。女同士だからだろう。
「今まで寝てたの?」
「急ぎの仕事が入って、ほとんど徹夜よ。6時頃寝たの」
体をひねって背伸びをして見せた。
「わあ、じゃあ悪かったわね」
「いいわよ。もう起きていたんだから」
「大丈夫? 寝不足じゃない?」
「普段から睡眠時間は5時間だから、大丈夫よ」
口元に笑みが浮かんだ。嘘は言っていないようでぼくは安心する。
「凄いな。わたしなんか、7時間寝ないと眠くて」
「慣れね。そのかわり、週に一度10時間くらいぐっすり眠るの。そうしたら、もうパワー全開よ」
「ああ、なるほど。貯め寝するのね」
「そういうことね。ところで、話は変わるけど、あなた、わたしの知ってる人によく似ているけど、うちはどこ?」
「太平町ですけど、誰ですか? わたしに似ている人って」
「中山恵一っていうんだけど、知ってる?」
まさかぼくが女装しているなんて事は思ってはいないだろうけど、突然ぼくの話題になってどぎまぎした。心を落ち着けるために、ちょっと話の腰を折った。
「すみません。足が痺れちゃった。足崩してもいいですか?」
「いいわよ。遠慮しないで」
そうは言ったものの、いくらジーンズだからと言っても胡座を組むわけにはいかない。いや、男が女装してるんじゃなくて、女の子になっているわけだから、胡座を組んでも別におかしくはないとは思うのだけれど・・・・。
膝を揃えたまま、足を開いてお尻を床に付けた。以前、南がコンパの時にこうしていたのを見ていたからだ。男だったらこういう格好は出来ない。関節が随分柔らかくなっているようだ。
「もう一度、名前を聞かせて。何て名前の人?」
カモフラージュのため、ぼくは聞き直した。
「中山恵一よ」
「中山恵一? 知らないわ」
ぼくは大きく首を傾げて見せた。
「ほんとにあなた、彼と関係ないの? 妹とか言わないでしょうね」
「その中山さんには妹さんがいるんですか?」
彼女がぼくとチャットしたとき、一人っ子だと言った覚えがあるのだが、覚えているのだろうか? 覚えていなければ、どう言い訳しようか?
「・・・・そう言えば、一人っ子だと言ってたわね」
「そうでしょう?」
(良かった。覚えてた。いちいち言い訳してたら堪らない)
「従妹とか」
「そんなこと言ったら、キリがないわ。中山恵一なんて人、知らないわよ!」
「ふうん。でも、ほんとによく似ているのよ。髪の長さも同じくらいだし、この前コンビニで会ったときは、彼が女装しているのかと思ったくらい」
(わあ、疑っていたんだ。そんなことおくびにも出さないで)
心の中ではぼくはかなり動揺していた。けれど顔に出さないように芝居を続けた。
「まさか。わたしはれっきとした女よ。疑るんだったら、わたしの胸触ってみる?」
「いいわよ。似てはいるけど、声は甲高いし、喉仏もない。あなたの顔は女の顔だもの。彼とは違うわ。それに、・・・・男のシンボルもないようだし」
仁美の視線がぼくの股間に向いていた。
「やだ。さっきからじっと見てるなと思ってたんだ」
「ごめん。でも、ほんとに似ているのよ、ケイに」
「彼のことケイって呼んでるのね。仁美さんとどういう関係の人ですか? 恋人ですか?」
(我ながら、うまい聞き方だ。さあ、仁美は何て答えるだろう?)
どきどきしていた。
「恋人・・・・じゃないけど、気になってる人」
「気になってる人?」
「そう。自分では何でもないと思っているんだけど、何だか気になる存在なのよね」
(やったあ。ぼくの事、気にしてくれているんだ)
「この前、ちょっと変な別れ方したものだから、連絡し辛くて」
「変な別れ方って?」
仁美はちょっと考え込む。ぼくに話していいかどうか迷っているようだ。
「彼って、とっても可愛いのよ」
「可愛いのと変な別れ方がどう関係あるの?」
「いいから、聞いて」
「わかったわ」
「それでね、わたしのこと、とっても大切にしてくれているみたいなの」
話が見えなかった。だからぼくは黙って聞いていた。
「わたしね。すぐにでも誘ってほしかったの」
ぼんやりと話が見えてきた。
「誘って欲しかったって、ホテルに?」
「そうなの。でも、彼ったら、その気がありそうなのに言い出せないのよ」
「で、あなたの方から誘ってしまった?」
「そうなの」
「女の口からそんなこと言ったら男はビックリするわね」
「言ったあと、しまったって思ったわ。わたし、ふしだらだって思われているんじゃないかって」
「冗談だって言えばよかったのに」
「それがね。つい、いつもの調子で、逆に、ケイは意外とうぶなのねなんて言ってしまったの」
「悪い癖なのね。改めた方がいいわ」
「そう思う・・・・」
「で、彼、そこまで言われたら誘ってくれたんでしょう?」
「誘ってくれたんだけど・・・・、突然来ちゃったの」
「お客さんが?」
「そう。もう2、3日先だと思っていたのに」
「仕方ないわよ。仁美さんみたいな生活してたら乱れるのが当たり前だもの」
山本から聞いていた知識が役に立った。山本に感謝感謝。彼の推理が正しかった。仁美は急に生理になってしまったんだ。だからあの時、急に立ち止まって何かを考えているように見えたんだ。
「わたし、動揺しちゃって、ケイに何も言わずに別れてしまったの」
「その時、正直に言うべきだったわね。誘ったけど、生理になっちゃったなんて戯けて言って」
「そう、そうすれば良かったのね」
「ちょっとしたことなのにね」
「うん。わたしのせいだと思うと、仕事が手につかないのよね。気になって」」
「思い切って連絡したらどうなの?」
「勇気がないの」
悲しそうに言った。
「待ってると思うわ」
「そう思う?」
「思う。思う」
「そうかなあ。待ってるかなあ・・・・」
恋する乙姫の表情だった。
「彼を愛してるの?」
これがもっとも聞きたかったことだ。
「愛してる? ・・・・そうかもしれないわ。こんなに切ないんですもの」
ぼくはもう大喜びだった。心の中で万歳を何度も叫んでいた。
「彼からは連絡がないの?」
「一度、チャンスがあったんだけど、ちょうど大切なお客さん来てしまって、それ以来なしのつぶてなの。わたし、嫌われているんだわ」
あの時、ぼくがチャットに加わったとき、お客が来たからと言って、いなくなったのは本当だったんだ。ぼくの方こそ、仁美に嫌われたと思っていたのに、確かめてみないと分からないものだ。
「彼があなたのことを嫌っているかどうか、わたしとしては、やっぱり直接話をした方がいいと思うの。絶対それがいいわ」
「そうかなあ。そう思う?」
「絶対よ。案外、彼も待ってたりして。彼って、気が小さいんでしょう? 自分からホテルに誘えないほど」
「・・・・そうね。うん、連絡してみよう。まだ会って一週間もたっていないのに、こんな話をしちゃって。でも良かったわ、あなたが来てくれて。胸のつかえが降りそうよ」
「良かったね。あら、もうこんな時間。随分長居してしまって。そろそろお暇しなくちゃ」
知りたいことを聞いたら、もうここにいる必要はないのだ。ぼろが出ないうちに退散しなくては。
「まだ、いいわよ」
「お仕事に差し支えるでしょう。あとで恨まれるといけないから」
仁美は時計を見上げた。
「そうね。そろそろ仕事もしなくちゃいけないわね」
「じゃあ、また遊びに来ます」
「いつでも遊びに来て。あなたとは何だかひどく相性がいいみたい。ケイと同じくらいに」
ケイと同じくらいと言われてちょっとどきりとした。
「じゃあ、また来ます。さよなら。彼とうまくいくように祈ってるわ」
「ありがとう。また来てね」
ぼくはうきうきして仁美のマンションを出た。
(あなたに素晴らしい人生をお届けしますか。まさにそうなりそうだ。仁美がぼくのことを気に掛けていてくれた。ぼくの方が仁美を嫌いになってしまったのではとも言っていた。早いうちに連絡しなくちゃ)
早くメールを打ちたかったが、いま、午後3時過ぎだ。研究室には、論文の追い込みをやっている南を初めとする連中が残っているに違いない。この姿では研究室に行くわけにはいかないのだ。
(アパートにコンピューターがあればこんな不便な思いはしないのに)
マンションの玄関を出ながら思った。もう美樹として仁美に会うこともないだろう。けれど仁美は、気が合うからまた来てくれと言った。裏切るようで仁美に悪いなと思う。
バスを待っている間に思い直した。薬はまだある。薬がある間は、また美樹として会ってやってもいいなと。
バスを降りて、アパートへ向かって歩き始めてから、冷蔵庫の中身がほとんど空っぽになっていたのを思い出した。明日の朝まではどうせ男に戻れないのだから、そのまま買い出しに行くことにした。
いつもなら買い物籠を抱えて、肉や野菜を買うのはひどく気恥ずかしい。けれど、今日は女の姿だから、ごく当たり前の振りをして買い物できる。魚屋の前を通りかかったとき、店員と目が合った。
「お姉さん、安くしとくよ。どうだい。カレイのいいのが入っているよ」
「今日はいいわ」
「じゃあ、ブリはどうだい?」
「今晩は肉料理だから、また今度来るわ」
「明日は魚にしてよね」
「そうするわ」
ぼくは店員に向かってにっこり微笑んだ。男の姿で買い物するときはこんな会話をすることはない。買い物するときはいつも女に変身しようかなと本気で思った。
両手に買い物袋を抱えて、ショッピングセンターを出て行こうとしたとき、若い男にぶつかった。顔を上げてみると、山本だった。挨拶しようとして、すんでの所で思いとどまった。山本は今のぼくを知らない。危ないところだった。ぶつかった拍子に卵がいくつか割れていた。
「ああ、ごめん。ぼんやりしていたから」
「いえ、わたしの方こそ」
「卵が割れちゃったね。ちょっと待って。買ってくるから」
「いいわよ」
「いや。ぼくの責任だから、そこで待ってて」
山本は、人混みの中を駆け抜けていく。
(様になっているなあ)
ぼくも山本くらい背丈があったらなあと思う。
早く帰りたかったが、山本が女に対してどんな態度をとるか知りたくなって、ベンチに座って待っていた。もしかしたら、仁美と付き合うときに役に立つかもしれない。
5分ほどして、山本が卵のケースを抱えて戻ってきた。良いのにと言うのに、包みの中から割れた卵を取り出してゴミ箱に捨て、割れなかった卵と一緒に、抱えてきた卵のケースを包みの中に入れ直してくれている。
「お詫びと言っちゃ、何だけど、お茶でもどう?」
袋をぼくに手渡しながら、にっこりと微笑んだ。
「ぶつかったのは、お茶に誘う口実なの?」
「そんなことないけど、だめ?」
山本はぼくに向かってもう一度微笑む。女ならみんなころっと行きそうな笑顔だ。いつもこうして女を引っかけているんだろうなと思う。ぼくはぼくで下心があるから、素直に返事した。
「買い物疲れで、ちょうど、お茶したかったの。いいわよ」
「じゃあ、この先にレモンって喫茶店があるんだ。そこに行こう。荷物持つよ」
山本は、ぼくの持っていた袋に手を伸ばしてきた。
「いいわよ。そこまでして貰わなくても」
「いいから、いいから」
ぼくの手から、買い物袋をひったくるように取ると、振り向きもせずにどんどん歩いていってしまう。
ぼくも仁美に対して、山本くらい積極的にするべきだったと反省する。女の仁美に、あんなことを言わせたぼくが不甲斐ない。
(そう。ぼくがみんな悪いんだ)
「何にする? ぼくはレモンティー」
窓際のテーブルに腰掛けると、山本はぼくに微笑み掛けながらそう尋ねた。
「男の人がレモンティーなんて、珍しいわね。大抵コーヒーなのに」
「ここのコーヒーはあんまり美味しくないんだ。コーヒーなら、中央町のバンビが最高。ただ、ここからは遠いからね」
バンビの名前が出てきてビックリ。山本も就職浪人のくせに、いろんな喫茶店のことを良く知っているなあと感心する。
(それともナンパのテクニックだろうか?)
「じゃあ、わたしもレモンティーでいいわ」
「ぼく、山本って言うんだ。君は?」
「言いたくない。もう二度と会わないかもしれないのに」
「そんなこと言わないで、教えてくれよ。お願い」
参った。男のぼくでもつい引き込まれてしまいそうになる魅惑の目つき。山本はナンパの達人らしい。どうせ偽名だから教えてやることにする。他にいくつも偽名が思い浮かぶわけではない。仁美の所で使った偽名を使う。
「南よ」
「そう。南って言うのか。南なんて言うの?」
「聞きたい?」
「聞きたい」
「どうしても?」
「どうしても」
「仕方ないな。美樹よ。美しい、樹木のジュよ」
「南美樹さんか。良い名前だね。君にぴったりだよ」
こんな言葉はぼくの口からは絶対に出てこない。
「うまいのね。ナンパは得意なの?」
「ナンパだなんて、そんなつもりはないよ」
「嘘!」
「違うったら。・・・・実はね、君があんまり、バイト先の先輩に似ているものだから、妹さんか何かだと思ってさあ」
「本当? その先輩は何て名前なの?」
「中山さんって言うんだ」
「偶然ね。さっき行ってきたお友達にもそう言われたわ。ええっと、中山・・・・、中山恵一さんって言ってたかなあ」
まさか仁美と山本に接点はあるまいとは思ったが、用心するに越したことはない。惚けて、まったく知らない振りをする。
「先輩の名前が恵一って言うかどうか知らないけど、とにかく似てるんだ。ほんとそっくりさ」
「そんなに似てるの?」
「ほんと。先輩が女装しているのかと思ったくらい」
(知ってる人間は、やっぱりそう思うようだな。あんまりこの格好でうろうろ出来ないな。女になって仁美に会いに行こう何て事はしない方がいいかもしれない。アパートに帰ったら、服と下着も処分しなければ。篠田や南あたりに見つかりでもしたら、それこそ何と言われるか、分かったもんじゃない。こうして話せば、今のぼくが女だとみんな思うだろうけど、ちょっと見かけただけだったら、ぼくが単に女装していると見なされかねない)
「いやだなあ、わたしが男っぽいって事?」
「逆だな。先輩が女っぽいんだよ。背丈は君くらいしかないし、髪も君と同じくらい伸ばしているし、華奢だしね」
心の中でむっとする。
(痩せているのは栄養が良くないからさ。もっと金があれば、良いもの食って肥えられるのに)
「可哀想よ。先輩にそんなこと言っちゃあ」
「面と向かってそんなこと言わないさ。でも、いい人なんだ。何か、心が安らぐんだよなあ」
そんなことを言われると恥ずかしくなってしまう。しかし、ここは心を引き締める。
「変なの。あなた達、ホモなの?」
ぼく自身も山本といるとき、何となくほっとした感じがするのは確かだ。その気持ちがホモという言葉となって出てきた。
「違うよ。違うんだけど、何て言ったらいいのかなあ。・・・・そうだなあ。気分的にはホモかもしれないなあ」
ドキリとした。ぼくと山本は、出会って間もないし、同性だから、恋愛という形で二人の関係を考えたことはないけれど、異性ならば確かに恋愛感情に似たところがある。いわゆる一目惚れって言うやつだ。
今のぼくはそんな感情を引きずっている。今は女のぼくが、このまま山本と仲良くなってしまったら、とんでもないことになる。そんな予感がする。
そう思いながらも、逃げ出せないでいる自分に気づく。
「嫌だなあ、ホモなんて」
「当たり前だろう。実際そうだという意味ではなくて、気持ちの問題だよ」
「だけど、もし、その中山さんから好きだって言われたらどうするの?」
「そんなことはあり得ないよ。あったら、飛んで逃げるね」
「そうでしょうね」
ぼくは手を口元に持っていってクスリと笑って見せた。
「君から言われたら、すぐにOKなんだけどな」
「ええっ!」
ぼくは驚いて山本の顔を見た。
「だからさ。君は初対面のような気がしないんだ。ずっと昔から付き合っていたような気がするんだ」
「冗談言わないで。先輩の代わりをわたしにしろと言うのね」
「中山先輩のことは忘れてくれ。ぼくは君に一目惚れなんだ」
「うまいこと言って、何人の女にそう言ったの」
「君が初めてだよ」
「嘘!」
山本の目は真剣に見えた。
(これが彼のナンパ術なのだろうか?)
蜘蛛の巣にかかった蝶のように、どんどん逃げ出せなくなっていく。
「信じてくれよ。お願いだ」
山本はぼくの手を握りしめて、ぼくに目をじっと見ている。互いにじっと見つめ合ったまま数分が過ぎた。魔法にかかったように、ぼくは山本とキスしてしまった。キスしてしまってから、二人がいる場所が喫茶店の窓際だったことを思い出して、恥ずかしくなった。じっと俯いたまま、時間が過ぎていく。
「今日はもう遅くなるから、日を改めてまた会ってくれないか?」
「・・・・そうね」
何故か拒否できなかった。
(薬が効いている間は、ぼくは本物の女なのだろうか? 分からない・・・・)
山本に恋しているかもしれない自分に驚いてしまう。
(薬が切れてしまえば、元に戻るさ。どんな約束も不当たり手形だ)
そう思い直す。
「明日・・・・はダメだから、あさって日曜日の午後じゃあどう?」
「日曜日の午後ね。いいわ」
(明日と言われなくて良かった。変身が解けてすぐにまた変身するとどういう副作用があるか分かっていない。そう思いながら、一方では、馬鹿だなあ、明日だと言われても行かなければいいじゃないか。あさってもどうせ行かないんだろう)
そう心の中で呟いていた。
「じゃあ、午後一時に、さっき言った中央町のバンビって喫茶店で」
「ミュージック北沢の隣ね」
「知ってるの?」
「一度だけ行ったことがあるわ」
「必ず来てね。すっぽかしちゃ嫌だよ」
「分かったわ」
「ところで、美樹さんは何処に住んでるの?」
「それだけは教えない」
「じゃあ、電話番号だけでも」
「だめ!」
「ねえ、教えてよ」
これだけはだめだ。電話番号で、住所を調べて押し掛けられたら、ぼくが薬を使って女に変身していることがばれてしまう。変態だと思われかねない。頑強に断る。
「ごちそうさま。もう帰らなくちゃ」
「送っていくよ」
「だあめ! ついてきちゃ。ついてくるのなら、あさってのデートは、なしよ」
「荷物重そうだよ」
「いいったら、いいの」
「分かったよ。じゃあ、日曜の午後一時ね。忘れないでよ」
山本はバスで戻るらしい。ぼくにとっては好都合だ。山本がバスに乗り込んで、バスが発車するのを見送った。山本のためにしたのではない。尾けられないようにしたまでだ。思い切り手を振ってやった。バスの後部座席からぼくに向かって手を振る山本の笑顔にぼくの良心がチクチクと痛んだ。
(別にぼくでなくても良かったんだ。だから、すっぽかいしても大丈夫さ)
そう言い聞かせなからアパートに戻った。
買ってきたものを冷蔵庫に詰め込む。今日はトリ天を作った。キャベツを刻んで皿に盛る。買い物と同様、料理するときも女の方がストレスがない。
(何故だろう?
買い物とか料理とかは女の仕事という潜在意識がぼくの中にあるのかもしれないなと思う。心の奥深いところでは、ぼくは女を蔑視している。
(仁美のことはどうだろう?)
自立した一個の人間としての仁美。ぼくは彼女を尊敬している。どちらかというと男のような性格の仁美がぼくは好きだ。
夢の中に山本が出てきた。レモンで山本がぼくの手を握りしめて唇を合わせてきたシーンだ。ぼくは恥ずかしげもなく山本の舌を吸っていた。