朝、目覚めると、すぐに錠剤を一個飲んで、朝食を取りながら、変身を待った。午前七時には変身完了。ぼくは女になっていた。
新しい下着を取り出して着る。顔を洗ってから、乳液を塗り、口紅をした。どちらかというとオレンジ色の口紅だ。髪をブラシでとかして鏡で見るとまあまあの仕上がりだ。ジャンパースカートを着て外に出た。他に履くものがないから、前と同じサンダルを履く。
(ほかに履くものも必要になるだろうか? いつも同じものばかりと言う訳にはいかないなあ。金がいくらあっても足りやしない。早く決着をつけなければ)
前回は空振りだった。今日もそう簡単に仁美に会える筈はないがなと思いながら、例のコンビニの中に入っていくと、何と仁美の姿が見えた。
今日は真っ白なワンピースを着ている。すらりと伸びた足が綺麗だ。ただ、胸はぼくの方が大きい。ぼくはCカップ。仁美はおそらくA、せいぜいBだろう。比べたって意味はないのに、仁美のスタイルの良さに少し嫉妬気味になっている自分がおかしい。
しかし、何という幸運。もう何度か足を運ばなければならないだろうと思っていたので、嬉しくて飛び上がりそうになった。
(さて、どうやって仁美に声を掛けようか? ええい、なるようになるさ。突撃あるのみだ)
近くにあったポテトチップス、コンニャクジェリーを手にして、仁美にすたすたと近寄っていって、ぶつかるようにして棚のチョコレートを手に取った。
「あら、ごめんなさい」
仁美は、ちらりとぼくの方を見たけれど、何も言わないで、棚のチョコレート菓子を物色している。次はどうしよう。
「すみません。今何時ですか? 時計忘れちゃって」
「もうすぐ11時よ」
「ありがとうございます。あのう、失礼ですけど、あなたモデルさんか、何かですか?」
きっかけを作るにはちょっと言い過ぎたかなと言う思いがよぎった。
「えっ、違いますけど、どうして?」
「背も高いし、スタイルがいいから、てっきりモデルさんでもしているんじゃないかと思って」
「嬉しいわ。そんなこと言われたの初めてよ」
仁美は満面の笑顔を見せた。女はお世辞に弱い。モデルさんですかとは、ぼくもうまいことを言ったものだ。言い過ぎなんてことはなかった。仁美はにこにこしながら話に乗ってきた。
「お仕事、何されているんですか?」
「ただのOLよ」
「ただのOLなんですか。今日は水曜日だけど、お仕事はお休みですか?」
「休みと言えば休みだし、仕事と言えば仕事だし」
「ええっ、どういうことですか?」
ぼくはちょっと大袈裟に驚いてみせる。仁美の職業は知っている。知らない振りをして、出来る限り仁美の自尊心をくすぐるような質問をするように心がける。
「わたし、プログラマーなの」
「プログラマー?」
「そう、コンピューターソフトのプログラマーよ」
「わあ、格好いい!」
ぼくの言葉に、仁美は照れくさそうな顔をして話を続けた。
「格好いいって事ないけど、うちで好きな時間にプログラム組んで、できあがったら、会社に届ればいいの」
「じゃあ、毎日会社に行かなくても良いのね」
「そうよ。家が仕事場って事」
「いいなあ。憧れちゃうわ。実はわたし、最近ワープロ教室に通い始めたの。短大出ただけじゃ、なかなか就職できなくて」
自分でもビックリするくらい、口から出任せがぽんぽん飛び出してくる。
(ぼくって大したもんだよ)
「そうでしょうね。特にこの頃は、女の子の就職は厳しいから」
「初対面でこんな事お願いして悪いと思うんだけど、あなたの仕事場を見せていただけないかしら」
ぼくも随分図々しいなと思いつつ、モデルさんですか何て、煽ててやったから、きっとOKだろうだなんて内心では思っていた。
「うーん、散らかしいるからねえ。他人に見せるような仕事場じゃないわよ」
「お願い、お姉さま」
「お姉さまって、あなたいくつ?」
「22よ。お姉さまじゃいけなかったかしら」
「22なの? わたしより上かと思っちゃった」
「いつも老けてるって言われるの。20歳前から24、5歳に見られていたのよ」
「それは可哀想ね。うふふ、いいわ、見せてあげる。ついてきて」
「わあ、ほんとにありがとう」
(こんなにうまくいくとは思わなかった。女になって仁美に近づくというアイデアは正解だった。大成功。だけど二十二歳はあんまりだったかな。今更訂正するわけにもいかないけれど。とにかく、あとはもっと仲良くなって、いろいろ聞き出そう)
会計を済ませて仁美についていった。エレベーターのボタンを押しながら、仁美がぼくに尋ねてきた。
「わたし、君原仁美。あなたは?」
「あっ、わたし。わたしは、南です。南美樹です」
咄嗟のことで、女の名前が思い浮かばなかった。よりによって南とは思ったが、もう口に出した後だった。美樹はただの思いつきだ。
「南さん? ミキはどう書くの?」
「美しいに、樹木のジュと書いて、美樹です」
ここまで来ると自分でも恐ろしくなる。よくもまあ、こんなデタラメがすらすらと口から出るものだ。自分で呆れてしまう。
「美樹さんか。可愛い名前ね」
「ヒトミってどう書くんですか。目の瞳ですか?」
「違うわ。仁義の仁に、美しいって書くの。どうして女の名前には美しいって字が多いのかなあ」
「仁美さんは綺麗だから、いいんじゃないの」
「またあ、お世辞言って。喜ばしても、何にも出ないわよ。さあ、着いたわ。この部屋よ」
仁美について部屋に入ると、ジャスミンの淡い香りがした。
「ちょっとそこに座って待ってて。急いで片づけるから」
散らかっているとは言っていたが、仁美の部屋がこんなに散らかっているとは思わなかった。ぼくの部屋より酷い。脱ぎ捨てられたジーンズやスカートがソファーの上に無造作に置かれている。床の上には新聞が広げられたままだし、テーブルの上にコンピューター関係の雑誌が数冊広げられている。それらを部屋の隅に押しやって、飲み差しのコーヒーカップ、カレーのこびりついたお皿を台所のシンクに放り込んでから、テーブルを拭いている。ぼくが男の姿だったら、絶対部屋に入れてくれそうもない。
部屋の隅にパソコンデスク。この辺りは割に整頓されている。他の場所に比べてと言う意味だけど。これで仕事になるのかなあ、と不思議に思う。
「紅茶でいいかしら」
「何でも結構です」
「お砂糖は?」
「要りません。ダイエット中ですから」
本当はいつも砂糖をいっぱい入れて飲むのだけれど、以前の仁美のまねをした。女はいつもダイエット中。何処かで聞いたそんなキャッチコピーが頭に浮かんだ。
「お茶菓子、何にもないよ」
「これ開けてください。帰って食べるつもりだったから」
コンビニで買った品物をテーブルの上に広げる。ぼくは間食しないから、こんなものは買ったことがない。
「あら、ダイエット中にしてはたくさん買ったのね」
「ダイエットしていると、急にむらむら食べたくなることがあるんです」
これは、以前仁美がチャットで言っていたことだ。
(これだけの嘘がすらすらと出てくるなんて、ぼくはすぐにでも女優になれる。そう、女優に。いや、女詐欺師かな?)
「そうなのよね。ダイエット中は反動が怖いのよね」
「ポテチだけにしましょうか?」
「そうね」
ホテトチップスの袋を開けてテーブルの上に置き、紅茶を飲みながら、コンピューターデスクの方にさり気なく視線を移す。
「あれ、マックですか?」
「そうよ」
「何だか凄く立派な機械ですね」
「そうでもないわよ。買ったときは最先端だったけど、今やがらくた同然だけどね」
「がらくたには見えないけど・・・・」
がらくたなんてとんでもない。マック使いが見たら涎が出そうなシステムが、でんとデスクの上に座っていた。ぼくはウインドウズだけど、それくらいは分かる。
「まあ、今の仕事に使うには不自由はないわね。買い換えたいけど、買い換えてもすぐに同じ運命だから」
「コンピューターの進歩って、すごく早いんですね」
「そう、だいたい3ヶ月おきに新しい機種が出るわ」
「3カ月おき!」
「日進月歩って言う感じね。まあ、来年あたりには買い換えようとは思ってるんだけど」
ぼくみたいにワープロとデータベースくらいしか使わない人間にとっては、最新機種でなくてもいいのだが、仁美みたいな職業ではより新しい機種が欲しくはなるだろうなと思う。
「横にある小さな箱みたいのは何ですか?」
「ああ、あれ。あれはISDNの機械よ」
「インターネットとかするって言うやつ?」
「そうそう。会社とのデータのやりとりに使っているの」
「仁美さんって、すごいんですね。ほんと、憧れちゃうわ」
「すごいなんて事ないわよ。みんなやってることよ。女の子も結構、インターネットやっているわよ」
「お金がかかるんでしょう?」
「1万5千円から、2万円くらいかな」
「わあ、とても出来ないわ」
「そうね。でも、趣味でやるって割り切れば、そうでもないわよ。あなた、服買うのにどれくらいつぎ込んでる?」
「2万円くらいかな」
女が衣装代に月どれくらい使うなんて咄嗟には分からなかった。最初に衣装を買ったとき2万円ほど使ったので、そう答えた。
「そうでしょう? 化粧品は?」
化粧品への出費などますます分からない。
「ご覧の通り、口紅しかしてないから、1000円から2000円ね」
「わたしは4、5000円使ってるかなあ。でも服の2万円は使い過ぎね」
「そうですか?」
「探せば安くて良いものがあるわよ。そんなところをケチって、浮かすの」
「でも、やっぱりお金に余裕がないと・・・・。わたしは、今は就職浪人ですもの」
「余裕が出来たらやってみるといいわ。インターネットは面白いわよ」
「そのうちやってみます」
「じゃあ、わたしの仕事、見てみる?」
「お願いします」
仁美は、やりかけのホームページの作成をぼくに説明しながら、マウスを動かし始めた。30分ほどした頃、電話が入った。
「ごめんなさい。会社からなの。直接会わないといけない仕事が入ったらしいの。すぐ出掛けなくちゃいけないわ」
「そうですか。仕方ないですね。また伺っても良いですか?」
「いいわよ。あなたとは何となく馬が合いそう。ほとんどうちにいるから、いつでも遊びに来て」
「じゃあ、また来ます」
仁美と友達になることが出来た。今日にでも仁美の本心を知りたかったが、出掛けるのでは仕方がない。仁美の本心を知ることが、いい結果になるかどうか闇の中ではあるけれど、このまま別れてしまうよりは心残りがないと思う。絶対いい結果になる。そう自分に言い聞かせて、帰りのバスに乗った。
バスから降りると、急に空腹を感じた。アパートに帰って作るのも面倒くさい。近くのファミレスに入って、ランチを注文した。
待っている時、食べる間、女を演じることに苦痛を感じる。自分の姿を考えれば、どんな仕草をしてもいいとは思うのだが、今時女装している男が多いとも聞く。そんな輩と一緒にされたくないと思えば思うほど、おかしくなっていく。食後のコーヒーの飲み方だけでも気を使ってしまった。
同じようにランチを取っているOL風の女性をじっと観察すると、食事が済んで口紅を引き直している。しまった。口紅は持ってきていない。仕方がないので、顔を隠すように会計を済ませ、いつものショッピングセンターに飛び込んで口紅を買った。店員が勧めてくれた口紅は、少し赤めのピンクだった。
スカートはもう疲れたので、次はジーンズを穿くことにして、上に着るものを探す。提灯袖とか言う袖の付いた可愛い服が何と九百八十円だった。こんな安物は長く着られないかもしれないけれど、2、3回着られればいい。
会計をしていると見慣れた二人の姿が目に入った。佐田と佐和ちゃんだ。
(いつの間に二人は出来てしまったのだろう。あの二人がねえ。ぜんぜん引っ付きそうに見えなかったのに)
物陰に隠れながら、二人を見送った。
午後4時。近所の人たちに見つからないように部屋まで辿り着いたのだが、部屋の鍵を開けていると、篠田がひょいと顔を出した。慌てて部屋の中に飛び込んだが、ぼくの姿を見られたのは確実だ。男のぼくが女装していると思われたに違いない。困ったな。そうだ。ぼくは大きな声で部屋の中に向かって叫んだ。
「ケイ、そんな所でうたた寝していると風邪引くわよ。どうしていつもそうなの? あああ、こんなに散らかして。片づけてあげるから、ちょっと退いてよ」
それから、部屋の中をばたばたと片づける音を立てた。
(うまくいったかな。女装していると思われるより、彼女が出来たと思われる方がまだましだ)
こういう場合、男の仁義として篠田はぼくの部屋を訪れたりはしない。だからぼくが女に変身していることがばれる心配はないのだが、篠田の部屋からは何も聞こえない。いつもはステレオかテレビの音がするのに、きっと壁に耳でも当てているのに違いない。テレビのスイッチを入れて誤魔化すことにする。しばらくすると、諦めたのか篠田の部屋からステレオの音がし始めた。
(やっぱり聞いてたな)
いつものジャージに着替えて、夕食の準備をした。外食するより自炊の方がお金がかからないから自分で作っているのだが、結構ぼくはまめな方だと思う。大学に入って以来もう6年にもなるから、レパートリーも結構多い。冷蔵庫の中を覗いて、今晩はマーボ豆腐にした。今日も良い出来だ。思わずうまいと声に出してしまった。
ビールを飲みながら野球放送を見る。こんなことする女はいないだろうなと思わず苦笑してしまう。
午後9時、野球放送が早く終わってしまったので、風呂に入った。女として風呂にはいるのは2度目だ。今日はあんまりどきどきしない。風呂から出て気がついた。二人入らないとまずいなと。
「わたしも入るから」
と、大きな声を出して、もう一度風呂に入る。今日は髪は洗わない予定だったが、髪を洗うことにした。ぼくは女の髪からシャンプーの香りがするのが好きだ。丁寧に洗ってリンスする。
さて、まだ午後10時だ。隣の部屋が静かだ。恐らく篠田はまた聞き耳を立てているだろう。ちょっとした悪戯をすることにした。テレビを消して、ステレオのスイッチを入れる。ムード音楽の調べというCDを掛けてから、テレビの音を絞ってビデオを回した。
ビデオは最近手に入れた裏ビデオだ。最初の部分は飛ばして、ベッドシーンになったところで、ステレオと部屋の電気を消して、テレビのボリュームを適当に上げる。女の荒い息づかい呻き声が部屋に響く。隣の篠田の姿を目に浮かべて、くすくすと声を殺して笑った。
30分ほどしてビデオを留めた。もう寝ようと思ったが、何だか気持ちが悪い。ぼくもビデオで興奮したようだ。男だったら、出してしまえばいいのが、女はどうすればいいのか分からない。分かったとしても、そんな気にならない。ティッシュで拭いてベッドの上に横になった。この体はセックスできるみたいだなあと思いながら眠りに落ちた。