杉田は昇段試験を受けに行っている。非番の佐野は、とある都内のマンションへ向かっていた。ある女に会うためだ。佐野は、1年ほど前からその女と関係ができていた。

 その女に初めて出会ったのは、歌舞伎町の裏通りだった。杉田と別行動をとって、ぶらぶらと歩いていると、キャアと言う女の叫び声を聞いた。佐野は、声のした方へ走っていった。髪の長い女が、二人組の男に絡まれていた。
 「何、やってんだ?」
 この辺りにたむろする連中は、佐野のことをよく知っている。大抵は佐野の姿を見ただけで逃げ出してしまう。しかし、その二人は佐野を知らないようだった。
 「やかましい。何しようと勝手だろうが!」
 男たちは、佐野の大きな体格に少しも恐れる様子がなかった。
 「女相手に、つまらんことをするんじゃない!」
 「なんだと! 図体がでかいからって、威張るんじゃねえぞ」
 ひとりがバタフライナイフを取り出して、佐野に向けた。
 「怪我したくなかったら、そんなものしまって、さっさと消えろ!」
 「野郎!」
 男がナイフを突き出す。しかし、あっという間に佐野にたたき落とされてしまった。
 「いてててて」
 体当たりしてきたもう一人の男も、あっという間に宙に浮いた。
 「まだやるのか?」
 「お、覚えていやがれ!」
 男たちは、ほうほうの体でその場を逃げ去っていった。

 「ありがとうございました」
 バッグを拾い上げて、女が佐野に礼を言った。少し濃い目の化粧。男を挑発するような、シースルーのブラウスに超ミニのスカート。佐野は女を一目見て、水商売の女だなと直感した。
 「こんな暗いところをそんな格好で一人で歩くのは危険だな。襲ってくれって言ってるようなもんだ」
 「ちょっと近道のつもりが・・・・」
 「送っていってやるよ」
 「いいんですか?」
 「どうせ暇だからな」
 女も佐野のことは知らないようだ。聞かれなかったから、佐野の方も警察官だとは名乗らなかった。

 女が向かったのは、ホステスが10人ほどいる、サザーンオアシスと言う名の小さなバーだった。
 「お礼に一杯おごらせてください」
 「いや、いいよ」
 「そんなことおっしゃらずに・・・・。お願いします」
 そう嘆願されて、佐野はやむなく、店の隅のソファーに座った。
 「わたし、この店を任されている、京子と言います。よろしく」
 「キョウコさん? どう書くんだ?」
 「京都の京に、子供の子です」
 「京子さんね。この店を任されているって、雇われママって事か?」
 「そうなの。もう3年になります」
 「若いのに、ママさんか・・・・」
 「あら? わたし、そんなに若く見えます?」
 佐野は28歳。自分よりは若く見えた。しかし、女に年齢を聞くのは失礼だと思い、聞くのは止めた。
 「かなりね」
 「ありがとうございます。お名前を聞かせてくださいますか?」
 「名前? 名前は、佐野だ」
 「佐野さんですか。佐野、何とおっしゃるんですか?」
 「豊。佐野豊という」
 「佐野豊さんですね」
 女はシステム手帳を取り出して、書き込んでいる。書いたって、こんなバーにはそうそう来られないがなと内心思った。
 「ご職業は?」
 「職業? 職業は公務員だ」
 店の中に数人の客とホステスがいたが、知った顔はない。警察官と知られなくてすみそうだ。佐野は少し安堵した。公務員で通すことにした。警察官だって立派な公務員だ。
 警察官だと名乗って、こういうところにはなかなか入りにくいものだ。警察手帳を出して、ただ飲みする連中も結構いる。そんな連中は、店のものにとっては、ていのいいたかりと変わらない。だから、ただ飲みしに来たかと思われるより、ただの公務員と思われている方が肩が凝らなくていいのだ。
 「あら? こんな事ばっかりしていて。さあ、お飲みになって」
 一杯のつもりが、上手く引き留められて、店を出られなかった。

 午後11時を廻った頃、ようやく解放されて店を出た。駅に向かって歩き始めると、すぐに声をかけられた。
 「佐野さん、女のひとり歩きは危ないって言ったでしょう? 送ってくださる?」
 振り向くと、大人しい服装に着替えた京子が立っていた。佐野には、その後に起こるだろう事が想像できていた。しかし、佐野の理性は京子の魅力に勝てなかった。その夜、佐野は京子のマンションに泊まった。

 京子と昼間会うのは初めてだった。マンションのチャイムを鳴らすと、可愛い返事が返ってきた。
 「待ってたわ」
 玄関に入るなり、京子は佐野に抱きついてきた。長いキスのあと、京子は台所へ戻った。京子の後ろ姿は夜の蝶とは思えない清楚さだった。
 「お昼をご一緒しようと思って」
 「いい匂いだ」
 「すぐできますから」
 テーブルの上に手作りのフランス料理が並べられた。どれも美味かった。
 「料理が上手なんだね」
 「自己流ですけど」
 「大したもんだ」
 「あら? それ、めしあがらないの?」
 「チーズはちょっと苦手なんだ」
 「ごめんなさい。知らなくて・・・・」
 「いいんだ。他のはみんな美味いよ」
 佐野は、それほど好き嫌いがあるわけではない。しかし、チーズだけはだめだった。杉田と仕事をしているとき、杉田はしばしばイタリアンレストランでピザを頬張った。佐野は、それを横目で見ながら、和風スパゲティーをフォークに絡ませる事が多かった。
 「中華はお好きですか?」
 「中華なら、何でも」
 「この次は中華にしますわ」
 「何でもできるんだね」
 「一通りのことは」
 「すごいね」
 その日の午後は、京子とずっとベッドの中にいた。

 「この次が、今日になっちゃいましたね」
 そう言って京子は、夕食に中華料理を作った。これも美味かった。夕食が終わり、仕事に出掛ける京子と別れ、マンションを出た。
 「また連絡します。必ず来てくださいね」
 「ああ、また来るよ」
 京子と結婚できたらいいなと思ったが、刑事と夜の蝶。それはできない相談だった。